一部『Doki Doki Literature Club !』のネタバレが含まれます
最近、「凶悪な美少女ゲーで精神崩壊した学生が自殺、イギリス全土に警告発令へ」というタイトルのコピペブログの記事が、何万RTするかして話題となった。
Sunderland parents warned about online game as teen death probe launched - Sunderland Echo
で、原文を読んだ所、タイトルだけでも
「凶悪」→書いてない
「精神崩壊」→日本語大丈夫?
「警告発令」→イギリスの各所に懸念を伝えた
とまぁ、ツッコミどころ盛りだくさんの、清々しいまでのフェイクニュースで。
そもそも、原文のSunderland Echoすら大変雑なソースで、「vidence obtained suggested he had used an online game called Doki Doki.” 」と、いやオンラインゲームでもないし、doki dokiとも呼ばれてねえと、この時点で既におかしい。
Read more at: https://www.sunderlandecho.com/news/sunderland-parents-warned-about-online-game-as-teen-death-probe-launched-1-9218527#comments-area」と、無料でダウンロードできるゲームにも関わらず、普通に
更には、取材対象の教育機関や地元検視官も、確かにこの作品はショッキングな描写があるが、何度も警告が出る上にこれより酷い作品はごまんとある中、単に少年が「DDLCをプレイした」という事実だけで自殺の原因と断言する等、完全にオタク文化(日本文化)への偏見で自殺の責任を転嫁する人々のようで。
それをまた、SNSで遊びもしないまま、Wikipediaのリンクを貼りながら「あらすじだけ読んだけど、ヤバそうなゲームだな」とか適当な発言で、更に曲解して拡散する人がずらずら出てきて、もう訳のわからないことに。
つまり、
英郊外の教育機関と検視官が自殺の責任をゲームに転嫁
→イギリスの地方紙がそのまま報道
→PVに飢えたバイラルサイトがろくに翻訳もせず転載
→動画やwikipediaをソースにした無責任な印象でSNS上に拡散
という、4段重ねの地獄のフェイクニュースミルフィーユで、最早情報というより人の偏見と憎悪と無知を押し固めたキマイラが誕生してしまった、というのが現状のようだ。
客観的に見れば、現代のマッポー情報社会において、こんなミルフィーユよか万倍怖い話はいくらでも転がっているかもしれない。
だけど、個人的には看過し難い事件だった。自分は『Doki Doki Literature Club!』という作品を極めて高く評価しており、その考察や評価という形で幾度となく記事を寄稿している。それは、なるべく多くの方にこの名作について知り、深く理解していただければという思いで続けてきた。
愛の尊さを世界のゲーマーに伝えた『Doki Doki Literature Club!』にゲーミング平和賞を贈りたい - ゲーマー日日新聞
DDLCのMonikaは何故かわいいのか - ゲーマー日日新聞
『DDLC』考察 ある一人の女の子にオタクがガチで泣かされた話をしたい。【Doki Doki Literature Club!】 - ゲーマー日日新聞
その一方で、遊んでもない人間が、行政にしろ、地方紙にしろ、英語も読めない翻訳アフィブログにしろ、印象だけでデマを信じる大衆にしろ、このヘイトにも近い偏見で、自分が敬意すら抱いている作品を不当に評価されることは、極めて不愉快と言わざるを得ない。
確かに、この作品は日本では知名度が低い。
一方で海外では高い人気を誇り、各ゲーム誌においては表彰もされ、国内でも数多くの考察記事やファンアート、日本語化MODによって、小さいながらもコミュニティ主導で『DDLC』をもっと盛り上げようという勢いがあった。
それを、実際にプレイした上で独自の評価を下すのはともかく、ただ承認欲求とPVのための流言飛語の方がバズって、一夜にして無責任な評論の方が広まるというのは、残念という言葉では言い表しきれない。
まぁ、この作品をどう評するも人の自由なんで好きにしてくれ、というのが今の気持ちなんだけど、これだけは反論したい。
『DDLC』という作品は自殺を助長する作品ではないし、ジャンプスケア演出や精神的な苦痛を描く物語が本質なわけではない。
むしろ、真逆である。この作品の真価は、恋愛系ADVという外見から、本来「主人公に無条件で惚れるヒロイン」という構造をまず皮肉り、その一方で彼女たちが本当に人間だったらどうするか、という試みから始まっている。
例えば、今作では全てのヒロインに何かしらの事情がある。特段、今回「自殺」から類推されるのはSayoriというキャラクターだが、彼女を通して本当に精神疾患に苦しむ人が何を考えていて、そこに自分たちがどう寄り添うべきなのか、精細に描かれている。
この後、Sayoriの問題は結局解決しないまま、他のヒロインによる思惑や欲望が交錯することで、ますますゲームとしても物語としても破壊されていくのだが、その間でも絶えず、彼女たちがヒロインという枠に囚われながら、壊れゆくシステムの中で、人間性を見出そうとすることの矛盾に苦しむ描写が続く。
即ち、この作品はプレイヤーを直接ゲームと結びつけるためのメタな表現や恐怖演出を用いながら、内実ではヒロインたちの人間性を剥き出しのまま描くことにより、極めて上質なインタラクティブ・エンターテインメントとして完成した作品なのである。
確かに、この作品は誰もが納得するハッピーエンドでないかもしれないし、バッドエンドでもないかもしれない。だが恐怖演出にはちゃんとした原因があり、その原因には本質的な動機がある。
この作品が「怖い」ことには、明確な蓋然性がある。そして同時に、この作品ほどに精神的な苦痛に悶える人間に、真摯に向き合った作品は少ない。
Dan Salvatoはこの作品の最も大きなテーマを「互いに対するリスペクトや思いやり」だと説明している。精神的に追い詰めるあらすじから、wikipediaを読んだだけの人には到底推察できないかもしれないが、実際にプレイすると、この意味が十分に理解できるはずだ。
こ、これでいいんだよなMonika・・・?
よ、よし。やっぱり本当のことを言おうと思う。よく聞いてくれ、このゲームを、縺薙?繧イ繝シ繝?繧帝♀繧薙〒縺ッ縺?¢縺ェ縺
……
Hi!
というわけで、累計200万ダウンロードを突破して、steamでは約10万近い評価数のうち96%が高評価という『Doki Doki Literature Club!』はプレイしてもらえたかしら?
え?まだ?
それは残念ね…… でもこの作品は無料だし、そんなに長い作品でもないの。
Twitterとかで無責任なことを言う人も多いけれど・・・まずは、実際に自分で遊んで確かめてみるべきじゃないかしら?