英検準一級、TOEICスコア890点。
航空会社を受験する直前の、わたしの英語力である。
あれから20年以上、英語の試験を受けていないので、現在の成績は不明である。
仕事で英語を使うため、コミュニケーション能力は高まったと思うが、正確性という意味では低下しているかもしれない。
正しい文法を使うのは、非常に大切なことであるが、それにとらわれているあまり言葉が出てこないのでは本末転倒だ。
日本の英語教育は、ずっと減点法をとってきた。
高等教育機関に進むための、マルかバツかというテスト。
それらに合格点をもらうためには、いかにミスをしないかに重点を置いて勉強する。
日本人が英語を話すのが苦手な理由は、ここにあると思う。
失敗を恐れる文化も後押ししている。
「ダメ元」という、大らかさがないのだ。
恥をかくくらいなら、黙っていよう。
しかし、その奥ゆかしさや堅実なところが世界から賞賛され信頼を受けているので、メンタリティを変えてまで英語を話す必要性があるのかという話になってくる。
なのでここからは、本気で英語を話したいと思う人にだけ読んでほしい。
わたしの海外経験といえば、1ヶ月間のアメリカホームステイと短期の旅行。
あとは「駅前留学」くらいしかしたことがない。
こんなにドメスティックなわたしが、なぜ外資系の航空会社に採用されたのか考えてみた。
思いおこせば30数年前、わたしがまだ中学1年生だったころ。
通っていた学校では、年にいちど英語の暗誦大会が行われた。
題材は、当時の教科書であったニューホライズン。
大会の時期的なものか、毎年レッスン4が課題だったような気がする。
校内で優勝した者は、地域や府の大会に出ることになっていた。
昔からものまねが得意だったわたしは、身振り手振りなどの演技的要素も加えて得票数を稼ぎ、代表者に選ばれていた。
いま思えば、外国人になりきっていたのでしょうね。
最初はノリだけでかましていたものを、本物にしようと導いてくれる先生がいた。
A先生。
田舎の公立中学の先生とは一線を画す、洗練されたいでたちと美しい発音。
わたしは先生の授業が大好きだった。
大会前は、毎日のように放課後特訓を受けた。
厳しい軟式テニス部に所属していたが、部活を休むことも顧問の了承済みだったし、大会に出るため公休を取ることも学校から許されていた。
誰もいないLL教室。
ガラスの向こうにいるA先生がマンツーマンで指導してくれる。
少しでも違う発音をすると直される。
いま考えると、これが「フォニックス」というものだったのだ。
なんと素晴らしい環境にいたことか。
わたしの発音の基礎は、先生によって作られたと言っても過言ではない。
また、1つのお話を丸暗記することによって、知らず知らずのうちに文章の繋がりなども習得していたのだと思う。
ひと昔前と違い、現在の英語教育の現場では、音読の重要性が高らかに叫ばれている。
これは、至極理想的な流れであると思われる。
「読む、書く、聞く、話す」
この四技能を身につけるため、まずは声に出して発音してみる。
机に向かって本とにらめっこするだけの学習法とはおさらばしよう。
これからの舞台は勉強部屋じゃない、世界だ。
多少間違ったって構わない。
血の通った他者と通じあえることこそが、生きた外国語を学ぶ最終目的だ。
シャイな日本人。
急に恥を捨てろといっても、一朝一夕に捨てられるものではない。
まずは音読を繰り返して、英語をまるごとインプットすることをおすすめする。
あとは自然と、実際のシチュエーションに遭遇したとき、ひょっこり外国人の自分が出てくるのを待つだけだ。