不法移民親子引き離し政策とメラニアのジャケット騒動
アメリカでは、トランプ大統領のもとで不法移民親子引き離し政策が進んでいる。
ニューズウィークの記事「移民親子引き離し政策、トランプが引き起こした米国内の人道危機」で冷泉彰彦氏が詳しく説明しているが、メキシコとの国境地帯で逮捕された不法移民を子供から隔離する「ゼロ・トレランス(一切の例外を認めない、寛容ゼロの)」政策として突然5月に始まった。
親が逮捕され、子が親から引き離される現場からの報道に、多くのアメリカ国民から「非人道的だ」という批判が噴出した。6月18日発表の世論調査でも、国民の66%がこの政策に反対している(民主党は91%、無所属は68%、共和党だけが35%反対)。
親から引き離された子供たちは、金網がついた檻のような仮作りの収容所に入れられており、それを見たローラ・ブッシュ元大統領夫人は、ワシントン・ポスト紙での公開書簡で「アメリカ史上もっとも恥ずべき行為とみなされている第二次世界大戦時の日系人強制収容所を不気味に思い出させるイメージ」、「残酷」で「不道徳」な行為だと批判した。ローラの夫は、トランプと同じ共和党の元大統領であるジョージ・W・ブッシュである。
メラニア・トランプ現大統領夫人も、移民政策で合意できない議会のせいにしつつも、「子供たちが引き離されるのを見るのはつらい」とこの政策を暗に批判するような公式見解を発表していた。
ところが、その数日後に、メラニアは、背中に大きく「I really don’t care, do U?(私はほんとは気にかけちゃいないのよ。あなただってそうでしょ?)」というメッセージが書かれたジャケットを着て、不法移民の子供たちが収容されたテキサスの施設を訪問したのである。報道陣が見ていることを知っていながら。
トランプの「ゼロ・トレランス」政策に対してすでに「非人道的だ」という国民からの批判が強まっているときに、大統領夫人が「私は、実際はどうでもいいと思っている」というメッセージのジャケットを着て、親から引き離された子供たちを訪問したのだ。それが大きく報じられ、非難の声が殺到したのは当然のことである。
それに対して、メラニアの広報責任者は、「ただのジャケットだ」「隠れた意味などない」と応えた。だが、トランプは「メラニアのジャケットのメッセージは偽メディアに対するものだ」と、報道責任者の「何の意図もない」という意見を覆している。つまり、「報道陣が私のことをどう思っていようが、私は気にかけてなんかいないのよ」という揶揄だ。
メラニアのジャケット騒動をどうとらえるか
メラニアのジャケット騒動は日本にも届いているようで、ある日本の雑誌から取材された。
「ジャケットは誰に向けたメッセージなのか?」「アメリカ人はどう捉えているのか?」「あのジャケットをわざわざ着ることにどのような意味があるのか?」といった質問を受けた。そこで、私は次のように応えた。
初期のリアクションは、あのメッセージが、「ゼロ・トレランス」措置に対するメラニアの本音、ととらえたものだった。メラニアは最初は世論に影響されて同情的な公式見解を述べたが「引き離された親子の悲劇なんかには興味はない。あなたたちだって口先だけでしょ」というのが本音だったという見方だ。
だが、私は、メラニアやアシスタントなどを含めたホワイトハウスの無関心と無神経さが引き起こした事件だと見ている。
トランプが言うように、メディアに対する揶揄はあったかもしれない。だが、以前水害被災地に高価なピンヒールを履いていって批判されたので、今回は「不法移民を訪問するのには高価な服は避けたほうがいい」という発想が背後にあったのだろう(問題になったZARAのジャケットは4000円程度)。
一番大きな問題は、ホワイトハウスの人材のお粗末さにある。
これまでの政権では、したっぱの無償インターンであっても、大学で政治やコミュニケーションを学び、トップレベルの学歴と経験を持つ人しかなれなかった。だから、大統領夫人のイメージを損なわないようなチェックが何重にも入っていた。
全世界がすべての言動を観察している大統領夫人が、着ている服のメッセージについて考えなかったこと、誰もその問題について気づかなかったことは、トランプ政権のホワイトハウスがいかに人材不足であり、素人集団かを示している。もし、知っていて着たのであれば、メラニアを含めて、トランプのホワイトハウスが全員社会問題に「無知」で「無関心」で「無神経」だということを露呈している。
そんなトランプ政権がアメリカだけでなく世界に影響を与えている。それが一番怖い。
ただし、メラニアへの同情心はある。
ヒラリー・クリントン、ローラ・ブッシュ、ミシェル・オバマというこれまでの大統領夫人たちは、夫と同等の高等教育を受け、知性もあり、陰で大統領への影響力を持っていた。だが、メラニアは前職の大統領夫人らとは異なり、大学は卒業しておらず、政治に関わったこともなく、「政治家の妻」のトレーニングもしてこなかった。それは、彼女が求めた人生ではない。だから、いきなり大統領夫人になって社会正義について考えたり、政治的な影響力を持てないのも仕方ないことかもしれない。
メラニアのジャケットについての私の意見は上記のようなものだった。
その後、その雑誌の担当者から「コメントは結局使わなかった」という連絡が来た。
有名人の私生活を糾弾する行為はカルマのように私たちに返ってくる
アメリカ在住なので、その記事が結局どんな内容になったのかは知らない。
だが、取材を受けたときに気になったことがある。
メラニアのジャケット問題の焦点は、トランプの不法移民政策でアメリカがこれまで誇りにしてきた「人道」が揺らいでいる現状であり、それに対するアメリカ国民の反応だと思うのだ。それなのに、トランプとメラニアの不仲説や最初の妻の娘であるイヴァンカとメラニアの仲、そしてメラニアの母親としてのいたらなさを問うような質問があった。それらは、問題の本質とは無関係ではないだろうか?
特に、メラニアの母親としての資質を問うような「日本でのイメージとしては家政婦に任せきりにしていたり、放任主義であったりといった見方も多いと思いますが、アメリカでの見方がどのようなものか教えていただきたい」という質問に疑問を覚えた。
もし、メラニアが教育や育児に関する政策で一般の母親たちを侮辱するような問題発言をしたのであれば、「自分自身が母親としてどうなのか?」という批判があっても妥当だと思う。だが、ここで問題になっているのは「ゼロ・トレランス」政策への大統領夫人としてのメラニアの態度である。この問題については、彼女がたとえ子育てで放任主義であっても関係ない。
そこで私はこう答えた。
「彼女の子育てやイヴァンカとの関係については、特に判断する材料がないので私には意見はないです。
というか、メラニアがどんな母であっても国民には直接悪影響はないので、自由にしていただいたらいいと思います。そういうところにまで意見するのは個人的に好きじゃないんです。」
そこで思い出したのが、日本の週刊誌を読まなくなったきっかけだ。
私は1993年に日本を離れ、1995年にアメリカに移住した。その初期には日本語の活字が恋しくて、遠いアメリカから毎月何万円も払って日本の雑誌を定期購入していた。けれども、あるときから読みたくなくなってしまった。日本に住んでいるときには面白がって読んでいたのだが、アメリカの大手新聞や雑誌を読み慣れるにつれ、日本の雑誌に違和感を覚えるようになったのだ。
政治家は国民に影響を与える政策で、俳優は演技で、スポーツ選手はパフォーマンスで評価されるべきであり、ジャーナリストはそこに力を注ぐべきだ。なのに、日本から取り寄せた週刊誌の多くはそうではなかった。有名人の私生活に踏み込み、根拠がないことを詮索し、わざと下衆な表現を使って人格を貶めるのを楽しんでいるようなトーンなのだ。それに嫌気がさして購読を中止した。
それが国家の安全や収賄に関係していたり、セクシャルハラスメント、パワーハラスメントなどの社会問題なら報道されるべきだし、追及されるべきだ。だが、そうでない場合には、個人のプライバシーとして守られるべきことだと私は思う。
今でもソーシャルメディアで日本のニュースを観察していると、政治家や俳優、スポーツ選手の不倫がよく話題になっている。
著名人の女性に対しては、本業とは無関係の「母親失格」といった批判も目につく。
社会問題の報道というよりも、「こいつを貶めてやろう」とターゲットを決めてからあら探しをしているような感じだ。
読者は、有名人を低劣な表現で貶めた文章を読むことで「偉いヤツでも、所詮はこの程度」と溜飲を下げ、「この点では自分のほうがましだ」と優越感を抱くのだろう。
恵まれていそうな有名人を叩くのは気持ちが良いかもしれない。ソーシャルメディアにもこういった傾向がある。
けれども、自分には関係ない有名人の私生活を詮索して非難する行動は、カルマ(業)のように私たち一般人にも返ってくるのだ。
「子供を産まない女はわがままだ」「収入が低い男には価値がない」といった価値観を押し付けられ、常に「おまえはダメだ」と判定される息苦しい社会になっているのは、カルマといえる。また、ソーシャルメディアでは、少し強い意見を書くと数えきれない人たちから袋叩きにされる恐怖があるが、それもカルマだ。
私たちが自分で作り上げた、この息苦しさや恐怖に気づいている人は少なくないはずだ。
このカルマを断つのは難しいけれど、気づいた人が少し行動を変えれば、息苦しさは少し減るのではないだろうか。
「少し行動を変える」というのは、有名人のニュースに対し「これは社会問題なのだろうか?」と問いかける。社会問題ではない他人のプライバシーや、他人の不幸を喜んで消費するのを拒む。根拠がないことを詮索して広めるメディアも拒否する。そういったことだ。
これを心がければ、少なくとも自分の周囲だけは息苦しさが減ると思う。同じように感じる人が周囲に集まってくれるから。