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「ハナクソ」ハンドルネーム

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 6月27日(水)20時14分59秒
  出た!「・」。

私はコレを「ハナクソ」ハンドルネームと呼んでいる。「ドット」とか「テン」とか言っても言葉として通用しないが、「ハナクソ」と言えば、何とか通じるだろう。(笑)

ちょっと前、「HNを見ただけで分かるアホの話」をした事があるが、最右翼がコイツだ。
相当屈折した「目立ちたがり」で、普段は隠している本心が、こういうところに出るのだろう。

ふつうの人なら、こんな変なハンドルネームなど使おうとしないが、意外にも本人はすごく気に入っていたりする。
「素晴らしくユニークなHNだ」などと一人で悦に入っていたりするから、オタクにはつける薬がない。

ネトウヨ、アベ信者、教学オタク(教学精通者とは違う。あくまでもオタクだ。知識の正しい使い方を知らない。)と、3拍子揃ったダーハラの飼い犬だ。

古い話をいきなり持ち出して来て質問するな。為にする質問に答える為に調べる気などない。当時の細かい状況など覚えているのはプロかオタクだけだ!

2009年の戦いは、地上戦では勝ったという実感があったのだが、空中戦で負けたのだ。
空中戦で負けた原因は、ダーハラと公明党のイラク戦争支持に決まっているだろう。

空中戦でマイナス200万などというボロ負けをしたから、先生の望まれた1000万に届かなかったのだ。先生の希望された数字に届かないなどということは、それまで一度たりとも無かった。

マイナス200万票。平和主義を捨てた当然の報いだ。大惨敗が決まった時、残念ではあったが、心のどこかでは、選挙狂いの執行部に対する罰だとして、納得する気持ちも確かにあった。
先生のご構想を、ダーハラ一味がイラク戦争を支持することによって、大きく狂わせたのが2009年という事だ。


戸田先生の文章を長々と引用し、最後の部分だけ、自分のアホンダラなクソヘボ意見に差し替えるな!まるで法盗っ人のやり方ではないか。
何が「政治とは無関係である」だ!ダーハラ創価ほど政治ベッタリな宗教団体は、他に無いことはもう日本国中に広まっている。

「政治とは無関係である」などと言っても誰が信用するのだ?
「ヘソが茶を沸かすわ!」


 

文脈、語句ベースのもの!

 投稿者:螺髪  投稿日:2018年 6月27日(水)20時13分21秒
   私が語るのは、文脈、語句ベースのものです。

 「者」。その字義、①もの。人物、事、所などをさしていう。「使者」。
 ②この。これ。「者箇」。③は。ものは。とは。漢文の訓読で「は」と読む。言語をはっきり提示する助辞。「仁者人也(じんはひとなり)」。
 ④ば。れば。順接の助辞。「何者(なんとなれば)」⑤語勢を強めるために添える助辞。「王者」。⑥時を示す語にそえる助辞。「今者」。

 その「者」に、「人間」、「一人ひとり」、さらに「弟子」、「師弟不二の人」を見い出されたわけで、その上で、「者」を「個人」「人」「弟子」「師弟不二の人」と読まれたのでしょう。そこに異論を挟むものではありません。むしろ列記の先生の指導を含め、素晴らしい。御書は境涯で読むところが多々で、私にはそこまでの境涯がないということかも知れませんが、字義からいくと「少し無理がある」との印象はぬぐえません。

 文面にも示しましたように、「久遠実成の釈尊」、「皆成仏道の法華経」、「我等衆生」というまったく次元の異なるものが並び、「三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処」が「生死一大事の血脈」だと仰せです。
 そこに、「師」と「弟子」の一体化があるという“立脚点”からすれば、その3つのもの(久遠の仏、久遠の法、われら衆生)が「差別無し」との読み方が可能となります。その“立脚点”こそが「師弟不二」といえるのでしょう。

 したがって、「者」にそれを見たかどうかの違いだけで、言っている中身は同じものだということが言えます。

 最近ではあまり見かけなくなりましたが、手紙の相手の名前に「○○さん江」と書くスタイルがかつてありました。現代仮名遣いでは「へ」なのですが、「江」と漢字書きにして代用(これが正式か?)したようです。大聖人の御書も、堀日亨上人のおかげでそんな手間はなくなりましたが、立正安国論などは全部漢字、御消息文でも当時のひらがな化になっているものだけが転換されているようです。記憶ベースですが、東洋哲学研究所の小林正博さんの研究では、大聖人当時のひらがな化は「え・せ・そ・た・つ・な・も・り」までで、これが大聖人の真筆かどうかを判定するひとつの材料ともなっているようです。

 言い方を変えると、(広宣流布する)「人」としての「者」の説明するに十分であっても、文脈や語句の「者」の説明にはなっていないとの感想です。日蓮仏法が広まれば広まるほど、いろんな解釈が出てくることが避けられませんから、あえてこだわってみました。御文をどのように受け取るかは各人の“感得”ですので、これ以上は致しません(笑い)。


 

(無題)

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2018年 6月27日(水)19時43分0秒
編集済
  秋谷・原田らによって学会本部はもうほとんど乗っ取られてる状態で、さらには体質が変わらぬまま「首謀者」を追い出したとて、秋谷―原田という引継ぎに同じく、同類の性分の人物が“第六天の魔王”としてさらに名前が増えただけ、なんてことには大丈夫なのでしょうか。

そうした「体質」を改善するのが「深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む」ということでは?

発迹顕本といっても「自分自身」「創価学会」という順序にて池田先生は言われております。
学会の体質といっても、まずは「自分自身」なんですね。

「深く大きく境涯を開き」
「目の覚めるような」

という、自分自身の発迹顕本が学会組織の発迹顕本に繋がっていくということでしょうか。
池田先生の『下から上を動かせ!』にも通じることにも感じられるのですが。


いわゆる4人組は「権力層はやりたい放題ができてしまう」という現実をハッキリ見せ表面化したわけです。
いわば「宿業」が表面化した状態に見えますがいかがでしょう?


宿業について戸田先生はわかりやすいものを指導されております。

https://6027.teacup.com/situation/bbs/76280

▼▼▼
また小児マヒの子供をもっているとするのです。
このなかにもいるかもしれませんが、これは原論上いつもいっていることで、なおるか死ぬかのどちらかです。

親が子に悩む宿命を持ってきたのだから子供に罪はない。
ところで折伏すれば小児マヒの子を持つ必要がないという宿習に変わる、子供はそこにおれないでしょう。
するとどうなります。
ちょうどシラミを持っていたとする、からだをきれいにしてシャツをきれいにすれば、シラミはどこかへ行かなければならなくなる。
理くつはこれと同じことです。
小児マヒにしても一つの魔ですから、その親の側にいなくなる以外にない。
ここが、いつも教えるところなのです。

これ一つがわかれば小児マヒの話はきく必要はないでしょう。
▲▲▲

「なおる」 = 改心し真面目に信仰して、会員の幸福はもちろんのこと一切衆生の幸福に尽力する
「死ぬ」  = なんらかの理由にて学会に存在できなくなる事態

4人組へどうすればいいか、という答えにもなってるんじゃないかと。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

如来寿量品第十六についての御義口伝講義のポイント 4/5

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 6月27日(水)18時11分55秒
  如来寿量品第十六についての御義口伝講義のポイント 4/5

開目抄にいわく「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」(0189-02)と。

また、はじめに引用した寿量品得意抄の文のすぐ次下にもいわく「所詮寿量品の肝心南無妙法蓮華経
こそ十方の諸仏の能生の根源こそ寿量品の文底たる南無妙法蓮華経であると仰せなのである。

その他「寿量品の肝要」「寿量品の肝心」等と仰せられた御文は枚挙にいとまがない。

総じては釈尊の八万法蔵、別しては法華経二十八品、また総じては法華経二十八品、別しては寿量の
一品は、すべて、日蓮大聖人の仏法のために説かれたのであり、大聖人の仏法が根底となり、初めて
生きてくることをしらねばならない。

また、はじめにいんようした、じゅりょうほんとくいしょうの、もんのすぐつぎしもにもいわく、
「しょせん、じゅりょうほんのかんじん、なんみょうほうれんげきょうこそ、じっぽうのしょぶつ
の、のうしょうのこんげんこそ、じゅりょうほんのもんていたる、なんみょうほうれんげきょうであ
ると、おおせなのである。

そのた、「じゅりょうほんのかんよう」、「じゅりょうほんのかんじん」とうと、おおせられた、
おんふみはまいきょにいとまがない。

そうじては、しゃくそんのはちまんほうぞう、べっしては、ほけきょうにじゅうはちほん、またそ
うじては、ほけきょうにじゅうはちほん、べっしては、じゅりょうのいちほんは、すべて、にちれ

だいしょうにんの、ぶっぽうのために、とかれたのであり、だいしょうにんの、ぶっぽうがこんて
いとなり、はじめていきてくることを、しらねばならない。

日寛上人の文底秘沈抄を学ぶ事で理解出来るが、学会教学では二度と学ぶ事は無いと思います。

学会教学では、釈迦を否定する事を止めています。

しかし、御書には寿量品の文上は釈迦仏、寿量品の文底は日蓮大聖人が末法の仏としています。

池田先生のこの講義では、寿量品は、一つには在世のため二つには末法のためとされて、釈迦滅後

正法は文底の南無妙法蓮華経の一法しかないと説かれています。

御義口伝講義下 P32終りの行より。
「総じては釈尊の八万法蔵、別しては法華経二十八品、また総じては法華経二十八品、別しては寿
量の一品は、すべて、日蓮大聖人の仏法のために説かれたのであり、大聖人の仏法が根底となり、
初めて生きてくることをしらねばならない。」

もっと深く学びたい方は、「宮田論文への疑問」須田晴夫氏の論考を一読されんことを・・・。


 

如来寿量品第十六についての御義口伝講義のポイント 3/5

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 6月27日(水)18時07分10秒
  如来寿量品第十六についての御義口伝講義のポイント 3/5


観心本尊抄にいわく「問うて曰く百界千如と一念三千と差別如何、答えて曰く百界千如は有情界に
限り一念三千は情非情に亘る」(0239-08)と。
 また、この娑婆即寂光の原理が明かされることによって、幸福は決してかなたの世界にあるので
はない。成仏は別世界にあるものではないことが、いよいよ明瞭となったわけである。

かんじんほんぞんしょうにいわく、「とうていわく、ひゃっかいせんにょと、いちねんさんぜんと、
さべついかん、こたえていわく、ひゃっかいせんにょは、うじょうかいにかぎり、いちねんさんぜ
んは、じょうひじょうにわたる」(0239-08)と。
 また、このしゃばそく、じゃっこうの、げんりがあかされることによって、こうふくはけっして、
かなたのせかいにあるのではない。じょうぶつは、べっせかいにあるものではないことが、いよい
よめいりょうと、なったわけである。

百界千如は有情界に限り・・・三世間が説かれていないので有情界だけ・・・
一念三千は情非情に亘る・・・三世間が説かれたので非情の紙御本尊や板御本尊の理が成り立つ


有情・・・人間や動物のこと
非情・・・植物や無機物のこと
娑婆即寂光・・・我等が暮らしている所が仏が住むとされた寂光土であると説かれた。
成仏は死んで後になるのではなく、今のこのところで成仏出来るのです。


 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2018年 6月27日(水)17時49分14秒
編集済
  ちなみに如来滅後五五百歳始観心本尊抄には、

〝問う正像二千余年の間は四依の菩薩並びに人師等余仏・小乗・権大乗・爾前・迹門の釈尊等の寺塔を建立すれども
本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由之を申す、
此の事粗之を聞くと雖も前代未聞の故に耳目を驚動し心意を迷惑す請う重ねて之を説け委細に之を聞かん。

 答えて曰く法華経一部八巻二十八品・進んでは前四味・退いては涅槃経等の一代の諸経惣じて之を括るに但一経なり
始め寂滅道場より終り般若経に至るまでは序分なり
無量義経・法華経・普賢経の十巻は正宗なり
涅槃経等は流通分なり、
正宗十巻の中に於て亦、序・正・流通 有り
無量義経並に序品は序分なり、
方便品より分別功徳品の十九行の偈に至るまで十五品半は正宗分なり、
分別功徳品の現在の四信より普賢経に至るまでの十一品半と一巻は流通分なり。
 又法華経等の十巻に於ても二経有り各,序・正・流通を具するなり、
無量義経と序品は序分なり
方便品より人記品に至るまでの八品は正宗分なり、
法師品より安楽行品に至るまでの五品は流通分なり、
其の教主を論ずれば始成正覚の仏・本無今有の百界千如を説いて已今当に超過せる随自意・難信難解の正法なり、
過去の結縁を尋れば大通十六の時仏果の下種を下し進んでは華厳経等の前四味を以て助縁と為して大通の種子を覚知せしむ、
此れは仏の本意に非ず但毒発等の一分なり、
二乗凡夫等は前四味を縁と為し漸漸に法華に来至して種子を顕わし開顕を遂ぐるの機是なり、
又在世に於て始めて八品を聞く人天等或は一句一偈等を聞て下種とし或は熟し或は脱し或は普賢・涅槃等に至り
或は正像末等に小権等を以て縁と為して法華に入る例せば在世の前四味の者の如し。
 又本門十四品の一経に序・正・流通 有り。
涌出品の半品を序分と為し
寿量品と前後の二半と此れを正宗と為す
其の余は流通分なり、
其の教主を論ずれば始成正覚の釈尊に非ず 所説の法門も亦天地の如し十界久遠の上に国土世間既に顕われ一念三千殆んど竹膜を隔つ、
又迹門並びに前四味・無量義経・涅槃経等の三説は悉く随他意の易信易解・本門は三説の外の難信難解・随自意なり〟

とある。法華経迹門と本門との大いなる隔たりに比すれば爾前と迹門とは竹の膜の如き薄い隔たりに過ぎないというのである。
 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2018年 6月27日(水)17時11分8秒
  現存真蹟御書に〝発迹顕本〟の語は見受けられないが、辛うじて身延山久遠寺曾存開目抄には見受けられる。
発迹顕本〟の語が見受けられるのは他に真言見聞、百六箇抄であるが両者ともに真偽未決書である。
開目抄に見受けられる〝発迹顕本〟の前後文はこのようになっている。

〝華厳・乃至般若・大日経等は二乗作仏を隠すのみならず久遠実成を説きかくさせ給へり。此等の経経に二つの失あり。
一には行布を存するが故に仍お未だ権を開せずとて迹門の一念三千をかくせり。
二には始成を言うが故に尚未だ迹を発せずとて本門の久遠をかくせり。

此等の二つの大法は一代の綱骨・一切経の心髄なり。
迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失・一つを脱れたり。
しかりといえどもいまだ発迹顕本せざればまことの一念三千もあらはれず二乗作仏も定まらず、
水中の月を見るがごとし。根なし草の波の上に浮べるににたり。
本門にいたりて始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば四教の因やぶれぬ。
爾前迹門の十界の因果を打ちやぶつて本門の十界の因果をとき顕す。此即ち本因本果の法門なり。
九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし〟

要するに迹とは始成正覚、本とは久遠実成である。


ところで戸田先生も〝発迹顕本〟の語を用いられた。
すなわち昭和26年「大白蓮華」に記載された「創価学会の歴史と確信」上に於いてである。

〝昭和二十年七月、出獄の日を期して、私はまず故会長に、かく、答えることができるようになったのであった。
「われわれの生命は永遠である。無始無終である。われわれは末法に七文字の法華経を流布するべき大任をおびて、出現したことを自覚いたしました。
この境地にまかせて、われわれの位を判ずるならば、われわれは地涌の菩薩であります」と。
この自覚は会員諸氏のなかに浸透してきたのであったが、いまだ学会自体の発迹顕本とはいえないので、ただ各人の自覚の問題に属することにすぎない。
しかるに、今度は学会総体に偉大な自覚が生じ、偉大なる確信に立って活動を開始し、次のごとく、牧口会長にこたえることができたのである。
「教相面すなわち外用のすがたにおいては、われわれは地涌の菩薩であるが、
その信心においては、日蓮大聖人の眷属であり、末弟子である。
三世十方の仏菩薩の前であろうと、地獄の底に暮らそうと、声高らかに大御本尊に七文字の法華経を読誦したてまつり、
胸にかかげたる大御本尊を唯一の誇りとする。而して、日蓮大聖人のお教えを身をもってうけたまわり、忠順に自行化他にわたる七文字の法華経を身をもって読み奉り、
一切の邪宗を破って、必ずや東洋への広宣流布の使徒として、私どもは、故会長の意志をついで、大御本尊の御前において死なんのみであります」
この確信が学会の中心思想で、いまや学会に瀰漫(びまん)しつつある。これこそ発迹顕本であるまいか〟

創価学会の〝発迹顕本〟はあくまで仏法上のことであり、政治とは無関係である。
 

如来寿量品第十六についての御義口伝講義のポイント 2/5

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 6月27日(水)16時39分29秒
編集済
  開目抄上にいわく「此等の経経に二つの失あり、一には行布を存するが故に仍お未だ権を開せずと
て迹門の一念三千をかくせり、二には始成を言うが故に尚未だ迹を発せずとて本門の久遠をかくせ
り」(0197-10)と。
かいもくしょうじょうにいわく
「これらのきょうきょうに ふたつのとがあり、ひとつには ぎょうふをぞんするがゆえに なお
いまだ ごんをかいせずとて しゃくもんのいちねんさんぜんをかくせり、ふたつには しじょうを
いうがゆえになお いまだしゃくをはいせずとて ほんもんのくおんをかくせり、」

これらの経とは、権教で声聞界・縁覚界(釈迦の弟子)でさえ成仏出来ない。
行布を存する・・・地獄、餓鬼、修羅等と、各界がばらばらに説かれているのが、権教です。

始成を言う・・・インドで釈迦は成仏したと言う。
久遠の成道を説いていない、故に本迹相対で本門に劣る。

 

如来寿量品第十六についての御義口伝講義のポイント 1/5

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 6月27日(水)16時34分34秒
  4月に御義口伝講義、だいいちなんみょうほうれんげきょうにょらいじゅりょうほんだいじゅうろ
くのこと を投稿しましたが、まとめとポイントをと思っていたのですが、つぎつぎとすることが増
えて時間のみ2ヶ月も経ってしまいました。

如来寿量品第十六についての御義口伝講義のポイント 1/5

ここに、たんに「寿量品の事」と仰せられずに「南無妙法蓮華経如来寿量品第十六の事」と仰せら
れているのは、最も心に刻むべき最重要のことであり、日蓮大聖人の御真意を深く理解すべきであ
る。

 「南無妙法蓮華経如来寿量品」とは、南無妙法蓮華経即末法の御本仏日蓮大聖人の寿量品という
ことである。

これ、文上の寿量品にあらずして、文底の仏の寿量品、すなわち内証の寿量品であり、その所詮の
実体は、三大秘法の南無妙法蓮華経なのである。

ここに、たんに「じゅりょうほんのこと」とおおせられずに「なんみょうほうれんげきょうにょら
いじゅりょうほんだいじゅうろくのこと」とおおせられているのは、もっともこころにきざむべき
さいじゅうようのことであり、にちれんだいしょうにんのごしんいをふかくりかいすべきである。

 「なんみょうほうれんげきょうにょらいじゅりょうほん」とは、なんみょうほうれんげきょうそ
くまっぽうのごほんぶつにちれんだいしょうにんのじゅりょうほんということである。

これ、もんじょうのじゅりょうほんにあらずして、もんていのほとけのじゅりょうほん、すなわち
ないしょうのじゅりょうほんであり、そのしょせんのじったいは、さんだいひほうのなんみょうほ
うれんげきょうなのである。


この御文は、インド応誕の釈迦は本仏ではなく、日蓮大聖人こそ、現代の民衆の苦悩を救う本仏で
有ると言う文証です。

文上の寿量品・・・釈迦仏   文底の仏の寿量品・・・日蓮大聖人  となります。



 

池田先生のご指導ノーカット版、特に2009年の選挙敗北後は厳しかったね。

 投稿者:思い出の名シーン  投稿日:2018年 6月27日(水)16時19分8秒
  ノーカットリンク集を再掲します  投稿者:備忘録者
投稿日:2016年 4月26日(火)23時56分33秒   通報
池田先生スピーチノーカット【リンク集】ご活用ください。
=============================

★ノーカット版②(秋谷に対して)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/24768

★2009.11.18記念 本部幹部会&SGI総会
http://6027.teacup.com/situation/bbs/24698

★(谷川に対して)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/24402

★先生の意志に反する現執行部 (創価文化会館で開かれた全国代表者協議)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/20136

★ ある会合で・・・
http://6027.teacup.com/situation/bbs/20130

★ある日の本部幹部会に参加された方より。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/20128

★P:(H田に向かって)誰だ、悪いのは?
http://6027.teacup.com/situation/bbs/19679

★ある本幹で  (秋谷に対して)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/18042

★本幹で(東京の敗北を受けて)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/18040

★先生の指導ノーカット版(学会が貴族仏教)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/13520

★本部幹部会ノーカット版(名場面集です)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/13295

★ある日の会合で(O田、K側らに)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/11315
 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2018年 6月27日(水)15時56分6秒
  尤も、2009年の下野時と2012年の政権復帰の時の自公得票数に大差はなく、
民主党の票が数千万減ったのですがね。
 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2018年 6月27日(水)15時33分1秒
  https://6027.teacup.com/situation/bbs/86152?TEACUPRBBS=c1c0a6ade3d971239c86dc4f68a365c4

公明党は1993年にも日本新党、日本社会党、新生党、民社党、新党さきがけ、
社会民主連合、民主改革連合と共に政権を取りましたが、これについてはどうお考えですか。
 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2018年 6月27日(水)15時23分34秒
  https://6027.teacup.com/situation/bbs/86152?TEACUPRBBS=c1c0a6ade3d971239c86dc4f68a365c4

ということは、2009年に自公は大敗下野したわけですから学会は発迹顕本したわけですか。
 

同心円の団結

 投稿者:モンブラン  投稿日:2018年 6月27日(水)14時39分10秒
  池田先生から、高い評価を得ているとか、度重なる激励をいただいているとか、過去直接褒めていただいたとか、、、こういうことを根拠に発言している方をお見受けするが、、、。


池田先生を中心に、同心円の団結というからには、特別な人はいない、ということが前提になると思う。不等円ではない、ということだろう。師匠は三代まで、とのひとことで、よけいなことを考えなくてすむ。

池田先生から、たびたび褒められる幹部がいた。私は、その幹部をあまり評価していなかった。

その幹部が、こともあろうに、私に、敬うようたびたび要求してきた。私は、無視し続けていた。私の態度がよっぽど気にくわなかったのか、執拗に嫌がらせを続けた。「皆仲良く」「団結が大事だよ」と池田先生が繰り返し御指導されていた。いやいやながら、私は、やりすごしていた。今なら、その幹部に面と向かって、「おかしいだろう、あんた何様だ、どこが偉いんだ、言ってみろ」とがんがん抗議するだろう。

後日、その幹部は、池田先生から直接、徹底的に、厳しく指導を受けることになる。池田先生に叱られていることを、私が知らないと思っていたのだろう、池田先生にお会いしていることを、私に自慢していた。私は、呆れかえっていた。

「なぜ私が、学会員におべっかを使わなければいけないんだ。」池田先生が、仰ったことがある。

過去、池田先生から、直接褒められたことのある幹部は、相当な人数になるかと思う。褒められて、信心で立ち上がる場合もあるだろうと思う。池田先生が、幹部を、褒めたり、叱ったりすることも、弟子の道を、正しく進めるように、指導して下さっているのだと私は思っている。

反逆している最高幹部達も、過去、池田先生から、褒められたことのある人物ばかりであろう。先生の信頼を勝ち得ないことには、反逆者にもなれない。先生の激励を根拠に、幹部を評価するのは、危険としかいいようがない。

守護国家論(御書全集68ページ)の終わりに、「大文の第六に法華涅槃に依る行者の用心を明さば」と述べられている箇所がある。この御書の通り、池田先生は、激励されていたように、私は、勝手に思っている。

以下引用

若し衆生あって財物に貪著せば我当に財を施し然して後に是の大涅槃経を以て此を勧めて読ましむべし

先に愛語を以てその意に随い然る後に漸く当に是の大乗大涅槃経を以て之を勧めて読ましむべし

凡庶の者には当に威勢を以て之に逼りて読ましむべし

驕慢の者には我当に其れが為に僕使と作り其の意に随順し其れをして歓喜せしめ然して後に復当に大涅槃を以て之を教導すべし

若し大乗経を誹謗する者有らば当に勢力を以て之を摧きて伏せしめ既に摧伏し已つて然して後に勧めて大涅槃を読ましむべし

大乗経を愛楽する者有らば我みずから当に往いて恭敬し供養し尊重し賛嘆すべし
 

非合法な手段でIDを盗みとり・・・?

 投稿者:斬り捨て御免!  投稿日:2018年 6月27日(水)13時31分6秒
  7月東京都版共謀罪を前に各自ご用心!

https://6027.teacup.com/situation/bbs/77314
 

仏法は無神論、神などいないし、いらない

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2018年 6月27日(水)13時03分37秒
  創価学会における「発迹顕本」とはどういう事かという問題は、ダーハラ執行部を追い出してから、じっくり考えればいい事で、戦いの真っ最中にやるべき事ではないと思っている。

敢えて一言だけ言うとすれば、会員各人がそれぞれの「竜門の滝」を登り切る事だ。
創価学会の発迹顕本と言っても、会員各人の発迹顕本の集合体だ。
当たり前の答えだが、先生が以前から言われている通り、会員一人一人が賢明になる事が、創価学会の発迹顕本だと思う。

明らかに三代会長の思想に反しているダーハラ執行部の、クソ自公支援、憲法9条改悪、戦争肯定政策に対して、批判も出来ないような会員は、とてもじゃないが、発迹顕本しているとは言えない。
発迹顕本どころか「師敵対」の輩ではないか!

ダーハラ執行部の、強引な自公支援強制を跳ね除けて、次の選挙で自公を大惨敗させられれば、会員の発迹顕本が進んでいる事の重要なサインになるだろう。
国家権力とツルンでいるダーハラ執行部と戦う事が、国家権力と戦う事になるのだ。
自公を大惨敗させる事が出来れば、庶民が国家権力に勝った事になる。そういう成仏が掛かった千載一遇の大チャンスだ。
勝つ事は、不可能な事では全然ないのだ。

しかし、自公支援候補が勝ってばかりの現状を見れば、まだまだそうはなっていない事が分かる。
国家権力を跳ね返せない様な「発迹顕本」などあり得ない。「竜の口」法難を見れば分かる事だ。

創価学会の発迹顕本について語るのは、私の仕事ではない。誰か他の人がやればいい。やるとしてもアベ政権を倒した後だ。持ち場を死守する方が、今は大事だ。
当面は、宿板に湧いて出たアホ達を叩く事が先だ。

「虹と創価家族」氏は、ダーハラ執行部を批判する人達には「創価学会を良くする」という一念が無いなどと、恐るべき断定を下しているが、どうしてそんな事が言えるのだ?
発迹顕本の問題より、ここが最重要ポイントだ。

それは、執行部や公明党を批判しただけで査問、除名する、ダーハラ執行部の「選別と排除の論理」とまったく同一のものだ。
絶対間違わない「神」というものの存在を前提にしなければ、成立しない考え方だ。

ダーハラ執行部は、すでに国家神道に改宗した様なので、ある意味お似合いではあるが(失笑)、大聖人の仏法は「無神論」なのだ。
批判する事が許されない「神」の様な、絶対的な存在、組織を、認める事は断じてない。
「神」を認めない事と、「批判」する権利を断じて保証する事はセットなのだ。


「虹と創価家族」氏の投稿に引っ張られるように「杓子・ダーハラ創価門流」(これに改名しろ!)とか、「コンクリートジャングル」など、ダーハラ側の者が同趣旨の妄言を吐いている。

後始末が面倒というのは、こういう事だ。中心メンバーが変な事を言うと、こういう変な虫が湧いて出て、最悪、W杯会場の様に、数百万匹の虫だらけになってしまうのだ。
そうなると落ち着いてサッカーは出来ない。

原因を作った者の責任は、結構重いのだ。

「コンクリートジャングル」は今までも、他人の影に隠れてコソコソと、ロクでもないことばかり投稿していたが、ようやく矢面に出て来た様だ。

井戸の中に、コッソリ毒を流し込む様な陰気臭いタイプだろうが、こういうタイプも大嫌いだ!!
嫌いなタイプが非常に多いのだが、本当の事なので仕方がない。私は、聖人君子では全然ない。







 

事件事故が多い!

 投稿者:あらあら、やってまった。  投稿日:2018年 6月27日(水)12時13分7秒
  自然災害も多い世の中ですね。
悪いことやってまって、責められても、言い逃れ、
なんとも責任を取れない大人達が多い。
民衆のトップですら、ごまかし野郎!
モリカケ問題、アメフト.レスリング問題、
各界のトップも同じだな!
若い頃に聞いた事がある、
「地震は何故起こるか?」
「大地が怒っているからだよ!」
「自分の肩に毛虫が着いていたら払い落とすだろ?」
「それと、同じように、大地に悪人が居ると、大地が嫌がり、払い落とそうとするんだよ!」
「へーそうなんだ!?」
この時、先輩が御書を引いてくれたんだけど思い出せない、探してみてもわからない。
現世安穏の仏法が失われようしている。
正法が消え失せてしまう。
微力ながら頑張って行こう。
 

たまたま様へ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2018年 6月27日(水)11時35分35秒
  たまたま様は、一念に『差別』という命を持っていらっしゃる残念な人間ですね。
もっと自分を磨く努力をなさってください。
 

「後継」とは、広宣流布の血脈を受け継ぐこと<文証の随筆を列記>

 投稿者:飛翔こそ蘇生  投稿日:2018年 6月27日(水)10時54分27秒
  2002.9.13掲載 随筆 新・人間革命 281
民衆の中へ 民衆と共に

『戸田先生は、第二代会長の就任式で、あの七十五万世帯の折伏を宣言されたあと、こう叫ばれた。
 「一対一の膝づめ談判によって、広宣流布は成し遂げられるのである!」と。
 未曾有の大目標に対して、戸田先生が示された具体的な弘教の方程式は、あくまでも一人が一人を折伏し、幸福にしていくことであった。

 「一対一」のつながりほど強靭なものはない。たた多数であるということは、必ず霧散していくものだ。
 そこには、生命と生命、魂と魂の打ち合いもっながりもないからだ。
 どこまでも、「一対一」が永遠に強いのだ。正しいのだ。
(中略)
 “弘教の人”なくして広宣流布はありえない。
 この方々こそ、広宣流布の団体である我が学会の宝のなかの宝である。

 ゆえに、悪口や非難を浴びせられ、苦労に苦労を重ねて懸命に折伏に励む方々をば、幹部たちは、仏を迎えるごとく心から尊敬し、大切にし、最大に賞讃の励ましを、絶対に忘れてはならない。
 その生命と生命の血脈、そして魂と魂の血脈が生き生きと通い合う組織こそが、「和合僧」であり、信心の喜びと広布拡大の勇気の原動力となっていくのだ。 』

2006-05-10掲載 随筆 新・人間革命 111
本門の師弟の出発

『つまり、二方億もの仏が、みな同じ「威音王仏」という名前で、長遠なる歳月、衆生を救済してきたことが説かれているのだ。

 先生は、これは、威音王仏の名を冠した「組織」「和合僧団」とはいえまいか――と鋭く洞察されていた。

 個人の今世の寿命は限られている。しかし、広宣流布に戦う根本精神をば、師匠から弟子へ脈々と受け継ぎ、一つの組織体として活動し続けるならば、それは「民衆を救済し続ける」恒久的な仏の生命力をもつことになる。

 わが創価学会には――

 民衆の苦悩の暗闇を破り、勇気と希望を与えゆく慈悲の大光がある。

 敢然と邪悪を打倒し、正義を叫び抜く師子吼がある。

 宿命を転換し、自他共の幸福を築きゆく、信心の大確信がある。

 そして、いかなる三障四魔の大難にも打ち勝つ、異体同心の和合があり、金剛不壊の師弟の大城がある。 我ら創価の師弟に、三世永遠に途切れることなき「仏に成る血脈」が滔々と流れ通うことは疑いない。

 ゆえに戸田先生は、もしも未来に仏が経典を作られるならば、大聖人に直結した広宣流布遂行の和合僧団――創価学会に、「仏」の名を冠されることは当然であろうと断言されたのだ。』

2006年7月7日(金)掲載 随筆 人間世紀の光 116
「7月3日」と学会精神

『 「開目抄」には、仰せである。「国主の王難必ず来るべし」(御書二〇〇ページ)
 厳しき御聖訓の通りに、創価学会の初代、二代、三代の会長は、みな王難を受け切ってきた。
 これこそ、日蓮大聖人から、わが学会のみに「立正安国の血脈」、そして「広宣流布の血脈」が、滔々と流れ通っている厳たる正義の刻印といってよいのだ。

 「人間を不正に投獄する政府のもとでは、正しい人間が住むのにふさわしい場所もまた牢獄である」と、アメリカ・ルネサンスの哲人ソローは宣言した。青春時代に読んだ、私の胸に刺さっている言葉の一つである。
 私が今日まで出会いを結んできた多くの世界の指導者たちは、この“投獄の難”を経ている。』

2009-03-16掲載 随筆 人間世紀の光 184
師弟の宝冠「3・16」

『未来は、青年で決まる。ゆえに真実の青年を育て、一切を託す以外にない。

師の声が厳然と響いた。

「この式典の全責任は、君がもつのだ。思い通りに力いっぱいやり給え」

「はい。見事な後継の誓いの集いにいたします!」

一瞬の呼吸だった。

10年に亘る師匠の厳しき訓練と弟子の常随給仕は、重大な結実を迎えていた。

「3・16」は、先生と私、第二代と第三代の師弟不二の大儀式であった。

法華経に説かれる付嘱の儀式に通ずる深義を、私は深く心中に期していた。

そして私と共に、愛する青年たちが、永遠に同じ決意で、広宣流布の誓願に立ち上がりゆく日となった。』


『「後継」とは、広宣流布の血脈を受け継ぐことだ。

他の「誰か」ではない。「わが身」に広布の誓願を打ち立てることだ。

命ある限り、断固として、絶対勝利の正義の旗を打ち立て続けることだ。』


『「いざ」という時、どう動くのか。いかに師と共に、立ち上がるのか。いかなる一念で、祈り、戦うのか。

仏法は勝負だ。その究極は、今この時の「人の振舞」だ。勝つか負けるか、人生の正念場はそこにある。

この「いざ」という時に、臆病と慢心ゆえに師を裏切り、同志を裏切った忘恩の所業は、永劫に消すことのできぬ汚点と刻印される。

「つた(拙)なき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」(御書234頁)と、御聖訓に仰せの通りだ。

大聖人の呵責は過去の話ではない。現在も未来をも映す、信心の明鏡である。

昭和25年、戸田先生の事業が窮地に陥った時もそうであった。日頃、偉ぶっていた人間が唾を吐き、我先に逃げ出していった。

正しき師弟の道、すなわち広宣流布の命脈が閉ざされるかどうかの、この学会存亡の危機にあって、私は、戸田先生を必死にお護りした。歴史上、類例がないくらい、死に物狂いで師匠を護って護って護り抜いた。

弟子の道を、師弟不二という絶対勝利の黄金道を、未来永遠に、荘厳なまでに残し得たと自負している。

ともあれ、今も同じだ。真実の青年であるならば、苦難が大きい時ほど、広宣流布の大願を高々と掲げることだ!』

ーーー???ーーー
2011-08-13 随筆 我らの勝利の大道 56
『若(も)し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」(同1337㌻)

この人間の世界にあって最も美しく、最も尊い絆が、師弟不二・異体同心で進む我らの広宣流布の陣列である。生死一大事の血脈は、ここにこそ流れ通うのだ。』

2013年1月13日 韓国SGI幹部会でのメッセージ
   「異体同心の『心』とは、『信心』です。

   『広宣流布』という大願に心を合わせていく。そこに、一人一人の

    宿命転換の願いも、全部、包含されます。この人間の世界にあって

    最も美しく、最も尊い絆が、師弟不二・異体同心で進む

    我らの広宣流布の陣列です。

2015.5.2 名誉会長と共に新時代を駆ける 第16回
大勝利の5月3日、万歳!
『今や、仏法の人間主義の慈光は五大州を照らす。戦争から平和へ、あらゆる苦難を越え、人類の心を結んでいる。仏法史上、これはどの壮挙があろうか。
 異体を同心とする前進のリズムのなか、師弟不二で築いた栄光と勝利だ。
 本当にありがとう!』
 

ブランク・スペース

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2018年 6月27日(水)09時21分23秒
  『クローズアップ現代+ 2018年6月25日(月)あなたが“夢の発明”の主役!? DIYバイオ最前線』には久ぶりに驚いた。
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4149/index.html
>遺伝子の改変など、最先端のバイオテクノロジーの研究を市民が行う“DIYバイオ”が、欧米を中心に急速に広がっている。遺伝子解析のコストが大幅に下がったことなどから、日曜大工感覚で気軽にできるようになったのだ<
家庭菜園のように遺伝子改変したり、自分の腕に注射して自分の遺伝子を変えようとする人もいる。下の写真なんかもそんな一人だろうか? 画像会は人材が豊富らしい。
これを股軽会のメンメンが知ったら自分に馬の遺伝子でも注入するだろうか? ラブ注入? 従順な羊千匹も注入されてミミズ千匹にして餌食にされるかも。
他にも「多部数購読する遺伝子」とか「友人に飲ませて食わせて投票させる遺伝子」とか「怪鳥は偉いんですと言わせる遺伝子」とか注入されたりして。
『バイオハザード』が逆に起きているのか、鋭いツイッターが増えて来た。見ないようにしているのに、つい見てしまう。

>地涌の菩薩は「同時に涌出せり」と法華経に。世界広布を進める学会が証明【寸鉄】
世界中で査問をしまくって、地涌の菩薩をあちこちで誕生させている創価学会。そう言う意味で、この寸鉄は頷ける(笑)<
上手い!!!

>池田先生大好きなうちの母が池田先生が脳梗塞を患ったなんて聞いたら腰抜かすと思います。夜も眠れなくなるほど心配すると思います。<
確かにそうでしょうけど、本当に大好きなら、次の瞬間には祈り、題目を送られるのではないでしょうか。そうすれば池田先生の回復も早かっただろうに……なぜ、そうさせない?
だから「池田先生はお元気」というイカサマが一番の邪悪である! そうして学会を邪教化させる失効部。そして羊千匹アイヒマン。よく考えた方がいい。知らないようだから一つだけ教えておいてやる。仏法は本物だ!

>僕と御本尊様、僕と池田先生の間に割って入らないでくれ<
全くその通り。外道に変えるな、ド外道患部!

>「大学は宗教活動をする場ではない」「信仰してない学生もいるのだから考えろ」と、まともな学生が訴えた結果、おかしな学会員兼創大生達がこぞって中傷を送りつけ仲間内で嘲笑う行為が流行っている大学があの創価学会で有名な創価大学です。大学は宗教活動する場でもないし池田先生信者が行く場でもないから。だったら最初から「創価学会員以外(ゴリゴリ)お断り☆」とでも書いておけよ。そう言う大学にしろよ。履き違えてるガイ多くないか?てかお前らは大学で何をするつもりなの?そう言うことは信濃町でやってくれませんかねえ<
つらい……。池田先生は創大を創ったのは「決して一宗一派のためではない!」と言われていましたよね。池田先生の人間主義を、創価大学を卑小化させた罪は重い。

>池田先生や学会のことがあまり好きではない創大生が感じている不快感は、池田先生や創価学会それ自体によるものではなく、それを称賛することしか認めない全体主義的な雰囲気によるものだと思います。彼らの多くは学会それ自体を嫌うほど学会のことを知りません。ただただその雰囲気が嫌いなのです。<
たぶん、その通り。「衆生世間」という「肉体を持たない人格」(十界を互具している)の実在を仏法は教えている。なのに今の学会員は何も知らず、学ばず、考えない。この目に見えないものが大切で、また厄介でもある。そんな「空気」に草食動物ニッポンジンは左右されやすく、『人間を幸福にしない日本というシステム』になる。

>創立者や学会のことがあまり好きではないと公言している創大生に対して活動家の学生が本来取るべき態度は、排他でも嫌悪でもなく、その魅力を正しく伝えていくことなのではないでしょうか。そして、それが出来ていないからこそ非活から煙たがられているのではないでしょうか。理由と解決策は明白です。他人の理解できない言動や行動は狂気でしかありません。よいと思っているからこそ、そのよさを正しく伝え、理解してもらえるよう努めなければならない。学会員マジョリティなコミュニティにいると認識が薄れがちですが、それが世間に対してマイノリティである宗教人の取るべき態度だと思います。<
全くその通り。問題は、実は、その学会員も本心では学会に魅力を感じていないということ。「打ち出しと役職が無かったら何もしない」「二世じゃなかったら学会はやらない」と言う幹部を何人も見て来た。

“はじめまして、今までどうしてたの? すごいものを見せてあげる”
“魔法、狂気、天国、罪 あなたを見た時考えた”
“あの顔を見てよ また失敗するって思った”
“愛はゲーム、はじめましょうか? 金儲け、スーツにネクタイ”
“あなたはまるでゴシップ雑誌 おもしろくもないのに、噂をたて、ウソを書く”
“今度はどんな結末がまっているのかな? 永遠に続くの? それとも燃え尽きてしまう?”
“いつ終わるのか教えて欲しい 痛みを伴う価値があるの?”
“彼らはあなたに私はおかしいというけど だって私はもてあそばれたいし あなたはもてあそびたい
『ブランク・スペース』テイラー・スウィフト
https://www.youtube.com/watch?v=e-ORhEE9VVg
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、6月も残り少なくなってマスが、大阪へは行かれないんデスかぁ~(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2018年 6月27日(水)09時17分26秒
  おはようございます。原田怪鳥様、本来、災害対策本部長として、真っ先に大阪に行かねばならない身でありながら、

日本会議の代表委員と会見するは、大阪を飛び込して広島行くは、平然と各部代表者会議に御出席されるはと、

まるで肩書と違った行動をされてるみたいデスが、いつ大阪に行かれるんんデスかぁ~(笑)

そ~言えば、熊本地震の際も、熊本を飛び越えて沖縄を訪問されてマスたねぇ~(笑)

もっとも、大阪の方々も、原田怪鳥様がいらっしゃると天候が乱れるから来てほしくないなぁ~と思ってるかもしれましぇ~ん(大爆)


また、創価文化センターの休館日が決まったそうで、誠にご苦労様で~す(笑)

「7・1」はナニやら? サイレントアピールがあるみたいデスので、しっかりと原田怪鳥様自ら「対話」してくださぁ~い(笑)

それにしても、何で「休館日」なんでしょうねぇ~(笑)

お役所じゃあないんデスから、年中無休が当たり前じゃないんデスかぁ~(笑)

おまけに「7・3」の記念すべき日の前日の「7・2」が休館日とされているのはなんだかなぁ~、って感じでぇ~す(笑)


ところで原田怪鳥様、「珍・人間革命」誓願はどのような終わり方をされるんデスかねぇ~(笑)

とりあえずは、小生の予想通り「魂の独立、ばんざあ~い!」まではきたのデスが、今後はどのように展開されるんデスかぁ~(笑)


それにしても違和感があるのは、誓願七十八の最後の一節でぇ~す(笑)


>不思議なる時の到来であった。すべては御仏智であった。<


ナニか? 「御仏智」という言い方で、すべてを肯定しようとしてませんかぁ~(笑)

弟子が師匠を辞任させたのも、山友が裏で画策したのも、何億も騙し取られたのも、弟子が裏切った事も、会員が苦しんだ事も、

「御仏智」の一言では済まされない重大な問題だと思いまぁ~す(笑)

まるで、原田怪鳥様はじめ執行部、最高患部の皆様方の責任逃れの一言のように思えまぁ~す(大怒)

「御仏智」と言えば、原田怪鳥様はじめ執行部の皆様方の裏切りも、情けない態度もすべて許されると思ってるんデスかぁ~(大怒)


小生から言わせれば、現創価学会の方針に異を唱える人がドンドン増えている方が「御仏智」のように思えまぁ~す(大爆)


ともあれ原田怪鳥様、「珍・人間革命」30巻上の発刊日をわざわざ「7月3日」に誤魔化すような「セコイ」真似などなされないで、

「正史」らしく、真実を記して頂きマスように、期待しないで待ってまぁ~す(大爆)




 

異常連続投稿になった(された)不都合な?

 投稿者:斬り捨て御免!  投稿日:2018年 6月27日(水)09時13分54秒
  三連投ゆえ削除★されたが・・・

https://6027.teacup.com/situation/bbs/86088
 

戸田先生が御本尊様の中で笑ってる

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2018年 6月27日(水)08時38分30秒
編集済
  聖教新聞2007.8.31付北海道・東北・中部・信越合同研修会

自分を信じ抜け、同志を信じ抜け!

 “自分には力がない”などと思ってはいけない。
それは畜生の命だ。すべての人に、自分しかできない
「使命」がある。何かの「才能」がある。

 (中略)
 自分を信じ抜くのだ。同志を信じ抜くのだ。命ある限り、
「大いなる理想」に向かって進んでいくのだ。

---------------------------------

戸田先生が御本尊様の中で笑ってる

御本尊様の前に座り
お題目を唱える
南無妙法蓮華経の妙を見つめる
まわりの諸天善神が
宇宙の無数の輝く星に変わる
そして、この地上に使命をもって
南無妙法蓮華経からやって来て
そしてまた南無妙法蓮華経に帰ることを知る
私の使命とは何か?
”仏法は勝負だ”と声が聞こえた
その勝負はどれだけみんなを幸せにしたか
世界の平和のためにやくだったかだ
ふと目の前の1枚の写真をみつめる
やってきたみんなを楽しませようとピアノを
いっしょけんめいに演奏する人
それを腕組みをして偉そうに座ってる人
勝負は誰が見ても明らか
いっしょけんめいに演奏する人は楽しそう
それを聴く人たちも楽しそう
そうだ、一切衆生の中には自分も入っている
イエス・キリストのように自分を犠牲にしちゃだめだ
みんなを幸せに、そして自分も幸せに
この世のすべての出来事は
勝負するためにあるのだ
葬式だけの形式坊さんたち
金儲けだけのインチキ新興宗教の教祖
腕組みしてるそこのじいさん
おもしろいじゃねえか
勝負してやる
勝負する相手がいなかったら
つまらねえ
だんだん面白くなってきたじゃねえか
戸田先生が御本尊様の中で笑ってる

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ネット投稿妨害工作実例!

 投稿者:斬り捨て御免!  投稿日:2018年 6月27日(水)08時36分57秒
  直下の連投は意図したものに非ず!

突然スマホの感度が異常に上がり
指を触れてない段階で勝手に反応

本来の操作意図とは無関係に暴走?
指を近付けただけでどんどん先走り・・・

要するに誤動作!意図せぬ削除★取消し
その他さまざま妨害工作の仕掛けだろう
 

低レベル

 投稿者:またまたぁ~  投稿日:2018年 6月27日(水)08時36分23秒
  くだらない個人攻撃しかできない低レベル投稿には言われたくないよね



(無題)  投稿者:たまたま  投稿日:2018年 6月27日(水)08時09分33秒
信濃町に電話したおっちゃんの声キモくて暗いオタク?
 

宝の切り抜き帳から

 投稿者:昔の女子部  投稿日:2018年 6月27日(水)08時35分34秒
  切り抜き帳を読んで

2008年の「成人の日」を記念して との 先生の詩がありました。


古代ギリシャの哲学者 アリストテレスは戒めた
「愚者に権力を渡すな」

だからこそ 賢き青年が勇敢に声を上げていくのだ
傲慢な輩を正していくのだ

アメリカの民衆詩人ホイットマンは歌った
「大統領に対する 民衆の脱帽ではなくて 民衆に対する 大統領からの脱帽」

その民衆の味方となり 庶民の友となり人間の英雄となって
君よ!  明るく快活に生きたまえ!



2007年 1月25日の 随筆 人間世紀の光に

戸田先生は言われた
「学会幹部の責任は 会員を幸福にすることにある。それ以外には、なにもない」

この 2行の言葉に 涙があふれました






 

(無題)

 投稿者:たまたま  投稿日:2018年 6月27日(水)08時09分33秒
  信濃町に電話したおっちゃんの声キモくて暗いオタク?  

新人間革命30巻上の改ざん。

 投稿者:コンペー  投稿日:2018年 6月27日(水)07時28分37秒
  新人間革命30巻上が発刊された。
「改ざんしても、先生にはわからない。家族の反論もない」と。

先生は、54年を許すことはない。

「嵐の4.24」がその証拠だ。

「大山の章」は「改ざんの章」だ!
 

わが友に贈る 2018年6月27日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2018年 6月27日(水)07時28分14秒
  広布のリーダーは
粘り強く包容力豊かに
友の話に耳を傾けよう!
皆を幸の光で照らす
励ましの太陽たれ!
 

者・続!

 投稿者:螺髪  投稿日:2018年 6月27日(水)06時51分49秒
   「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」(1337㌻)。

 「師弟」あるいは「師弟不二」に「血脈」があるというのはまったく同じです。個々の「人」としての「者」についても、異論はありません。

  この前段に、

 「天台の止観に云く『起は是れ法性の起・滅は是れ法性の滅』云云、釈迦多宝の二仏も生死の二法なり、然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり」

 とお述べです。

 「久遠実成の釈尊」、「皆成仏道の法華経」、「我等衆生」というまったく次元の異なるものが並び、「三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処」が「生死一大事の血脈」だと仰せです。

 “立脚点”が同じだと読みました。その“立脚点”こそが「師弟不二」なのでしょう。大聖人にとっての日興上人、次元を同じにすると怒る向きもあるかも知れませんが、牧口先生とっての戸田先生、戸田先生にとっての池田先生というように「師弟不二」の「処」にしか「信心の血脈の法門は伝わらない」ということが明らかになると思います。「弟子」が「不二」の「者」なのかということが決定的に大事だということになります。

 「者」に関する池田先生の言葉があるやなしや。



 

投稿者の一念②

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2018年 6月27日(水)06時49分53秒
編集済
  【普及版 池田大作全集 スピーチ2006年(1)P.159~160】

──学会員には絶対、難がいかないように。中傷、批判がいかないように。私一人で、全部の難を受ける。難よ、我に集まれ!大聖人様、そうしてください──
私は青春時代から、そう祈り、戦ってきた。臆病な幹部や、ずるい幹部、そんなものは眼中になかった。
(中略)
創価学会も、利己主義、臆病、要領、名聞名利 ── そういう人間を偉くしてはならない。騙されてはならない。絶対に学会を任せてはならない。この方程式を根幹としていくことだ。将来のために、明快に言い残しておきたい。
 仮に幹部にそういう人間が出たならば、一切、言うことを聞く必要などないし、断固として追い出し、清浄な組織を守っていくべきである。
 きょうは、これを決議し合いたいが、いかがであろうか。そこにしか、学会の将来を開いていく道はないからである。

~~~~~~~

このように池田先生の祈りは、青年の時から『会員の幸福』であることは言うまでもございません。
『学会員には絶対に、難がいかないように。』
青年の時から、わが身を盾とし、会員の幸福のために一身に難を受けられてきたのです。

創価学会は民衆の城。
創価学会が会員の幸福のためにあるのは言うまでもございません。

学会の将来のために、どのようにしたら創価学会をよくできるのか具体的に指導されたのが2006年以降のスピーチです。

ゆえに、2006年以降のスピーチを引用し声をあげるなら、池田先生と同じく、会員の幸福のために組織を良くする一念(祈り)が大切だと思います。

創価権力者に声を上げるのと、会員の幸福(会員を守る事)は別の話ではなく、優先順位もありません。
一貫して会員の幸福が目的であり、そのために組織内の悪と戦い、学会の組織を清浄化させるのが弟子の道ではないでしょうか。

『会員の幸福のために、創価学会を良くしてゆこう』という一念を持ち、会員が幹部に対し声をあげることが、池田先生の御意思に叶うと自分は思います。
それが、創価学会の発迹顕本に繋がると思うのです。


【投稿者の一念①】
https://6027.teacup.com/situation/bbs/86080


 

もうすぐデモ&言論対策強化(ヤフー知恵袋でも通知が)

 投稿者:斬り捨て御免!  投稿日:2018年 6月27日(水)05時57分40秒
  今後は突っ込まれた際の準備必須!

反論および根拠!各種証拠その他
それさえあれば・・・
こちらの勝ち!

アベが福島党首から国会で黒い疑惑追及~

スタート当初汗って?気色ばんで必死に(笑)

色々さっきから実名出しておられますけど
ちゃんとした証拠はあるんですか!
(不確定だからこそ疑惑であり国民の代表
として国益上から取上げ追及するは当然!)

https://6027.teacup.com/situation/bbs/86121
 

「御義口伝講義 上・下」に学ぼう

 投稿者:アルベア  投稿日:2018年 6月27日(水)04時27分13秒
編集済
  「御義口伝講義 上・下」に学ぼう

池田先生の「御義口伝講義 上・下」の発刊から51年経ちました。池田先生は、戸田先生の「法華

経寿量品講義」から50年目に池田先生による「法華経寿量品講義」を出版されました。

「私は、歴史的事実に従い行動している」と北海道・厚田で小説人間革命「寂光の章」を書き終

え戸田先生の御宝前に報告されたことを明かしてくれました。

若き青年部の方々に「御義口伝講義 上・下」を学んでほしくお伝えしています。ちなみに学ぶの

は上下2冊分冊の「御義口伝講義」です。

父が発刊された「御義口伝講義」をむさぼり読み、感動していたことを思い出します。武道の心

得があった父は「仏法の技の書だ。極意書だ、お前も心して読め」「信心とは、事の一念三千の

技の自得であることがわかる」と薦められたことが昨日のようです。

ヤフオク・メルカリで検索して下さい。多宝会の方から譲り受けてもいいかもしれません。

東京近郊の方々の場合、神田神保町の古本屋街を散策してもいいと思います。事前にネットで検

索していくといいでしょう。売り切れの場合もありますので。

1-「御義口伝講義 上」昭和40年(1965)4月2日発行

2-「御義口伝講義 下」昭和42年(1967)10月12日発行

参考動画・VOD[母と子の絆]⇒「信心」とは「技」である。

https://net-vod2018.sokanet.jp/detail/videos/%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96%E3%81%AE%E7%95%AA%E7%B5%84/video/5678653980001/%E6%AF%8D%E3%81%A8%E5%AD%90%E3%81%AE%E7%B5%86-%EF%BD%9E%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%8C%E3%81%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%8B%87%E6%B0%97%E3%81%A8%E5%B8%8C%E6%9C%9B%EF%BD%9E?autoStart=true



 

文明・西と東  池田先生とクーデンホーフ・カレルギー伯との対談です。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 6月27日(水)02時06分21秒
  文明・西と東  池田先生とクーデンホーフ・カレルギー伯との対談です。

今回は、第四章 現代の目標 自由と平等です。

池田先生は・・・「自由について」次のように問題提起されました。

「人間が社会生活を営んでいくうえで、秩序と自制もまた、なくてはならないものです。

その意味で、自由の理想の追求は、一歩誤ると、かえってその破壊をもたらす危険を含んでいる
のではないでしょうか。」

カレルギー伯は・・・

「自由は、たえず無秩序、無規律、放縦、無政府主義、独裁制への危険をはらんでいます。」

池田先生は・・・結論されました。

「自由は放縦とは違うということ、自分勝手な、無制限な自由というものはありえないというこ
とだと思います。」

・・・・次に平等について・・・・・・・・・
カレルギー伯は・・・

「指導者をまったく欠いた絶対的平等の社会というものは、混乱と無政府状態を招きます。」

池田先生は・・・結論されました。

「自由主義を貫けば、不平等になり、反対に平等主義は、必然的に不自由をもたらす・・・
これは、歴史の示すところです。」

「高い次元の理念こそ、生命の尊厳・・・人間をはじめ一切の生物、自然、宇宙をも含めた
・・・であり、人間性の尊重であると思います。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人間として自由であることは理想的ですが、自分の自由は、他人の犠牲にうえに成り立つ場合もあり
ますし、その真逆もあり得ます。

当然、国同士の自由を奪い合う場合は、戦争と言うことになります。

平等は人間として必要不可欠なものですが、過度に平等を求めるならば、才能や身体能力を認めない
と言うことになっていきます。

運動会で競争をさせないと言うことが良い例です。
そのような社会は努力する必要は無くなり、人間を堕落させます。

そこで池田先生は、人間らしく・・・生命の尊重・平等をしさされました。
仏法的に言えば、慈悲を根本に桜梅桃李でお互いの才能を尊重し合うと言う事になります。


 

文明・西と東 自由と平等

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2018年 6月27日(水)02時03分49秒
  文明・西と東

自由と平等

池田
 自由について、さらに歴史的観点からのご意見をうかがいたいと思います。

カレルギー
 過去何世紀にもわたって、ヨーロッパは自由を最高の理想、理念として掲げて、その獲得のため
に戦ってきました。
自由獲得の歴史をふり返ってみると、まず、古代ギリシャはペルシャの王侯への隷属から解放
されるために戦いました。
古代ギリシャ人にとって、自由は、神聖そのものでした。ゲルマン民族は、強大なローマ帝国と戦
って自由を守りぬきました。

中世時代、騎士は、専制王制に対して、自由の名において戦い、農民は騎士を相手に、自由の
ために戦いました。
プロテスタントは、信教の自由を旗印に、カトリックと戦って宗教革命を達成しました。
文芸復興は、人間精神を封建制の束縛から解放するために戦った結果、勝ち取られたものです。

近世にはいってからも、自由の名において、君主、王侯、貴族を相手に、臣民から自由市民に
なるために戦いました。
フランス革命では、市民たちが君主制を打倒することによって、自らの運命を自らの手で決めら
れるようになったのです。
このようにして、自由は、ヨーロッパ人にとってもっとも重要な理念、最高の理想とされてき
ました。

そして、そのために生命をも投げうつ人びとを尊敬したのです。
自由のための戦いは、ヨーロッパの伝統となり、そしてヨーロッパ文明の原動力の一つとなって
きたのです。

池田
 たしかに、自由はすべての人間が本能的に望むものであり、とくにヨーロッパの歴史の重要な
原動力となってきました。
しかし、人間が社会生活を営んでいくうえで、秩序と自制もまた、なくてはならないものです。

その意味で、自由の理想の追求は、一歩誤ると、かえってその破壊をもたらす危険を含んでいる
のではないでしょうか。

カレルギー
 ご指摘のとおりです。たとえば歴史的にこれを見ますと、古代ギリシャは、市民と都市国家とが、
互いに自由と独立を主張して譲らず、さらに都市国家同士で争ったため、まず、マケドニアによっ
て征服され、次いでローマに征服されて滅亡しました。

自由を求めたはずのフランス革命は、無秩序と無政府主義をひき起こし、やがてナポレオンによる
専制によってとって替えられました。
旧オーストリア・ハンガリー帝国は、二つの国民が合体することによって強大になるよりは、弱く
てもいいから別々に自由でいたいと考えました。
その結果、ヒトラーに征服され、次いでソ連の餌食となりました。

幾世紀にもわたって、ヨーロッパは分割されたままの状態が続きました。
それは、支配者と諸国民が自由と独立に執着して、より大きな脅威に対する対策を怠ったからです。
に、自由は、たえず無秩序、無規律、放縦、無政府主義、独裁制への危険をはらんでいます。

池田
 では、自由を防衛するためには、どうしたらよいと思いますか。

カレルギー
 自由は、秩序と規律なしには、長続きしません。秩序と規律の典型的事例はスイスです。
二十五の小さな州とカントン(郡)が、連邦政府の秩序と憲法に基づく規律を守ることによって、
それぞれが自由を享受しています。

自由の過大視、自由の行き過ぎは、国家のみならず、個人や家族をも破壊する危険をはらんで
います。
ところが、現代は無制限なまでに自由を求める風潮があり、これはきわめて危険な傾向だと、私
は思います。
ところで、ロシアの歴史は、ヨーロッパとは、まったく異なっていて、かつて自由が存在したこと
もなければ、民衆によって享受されたこともありません。
中世の前期には、スカンジナビア人の支配下にあり、中世後期は、モンゴリアンの支配下にありま
した。
近世にはいって、帝政ロシア時代はツァーの独裁制のもとにおかれ、また、ボルシェビキ革命以降、
現在に至るまで、民衆が自由を享受したことはありません。
ロシアの歴史は、およそ自由というものを知らないといっても過言ではありません。

池田
 われわれが、明確に知っていかなければならないことは、自由は放縦とは違うということ、自分
勝手な、無制限な自由というものはありえないということだと思います。

いいかえれば、自由といっても、そこには、他人に迷惑をかけないという前提がなくてはならない
・・・つまり、おのずから責任を含むものだということです。
その意味で、自由の概念は、秩序や規律を前提としたものでなければならないわけですね。

次に、自由と対照して、平等の理念についてはどうお考えになりますか。

カレルギー
 私の考えでは、自由に比べれば、平等は、それほど純粋な理想、理念ではありません。
動物でも自由は求めますが、平等は必ずしも求めてはいません。
というのは、いかなる動物の群れにせよ、また未開人の部族にせよ、必ずリーダーがおり、そして
その命令に従う者がいます。
人間社会にも、たいてい命令する者と命令に服従する者の双方がいます。
さらに、人間は多くの場合、この命令者であると同時に服従者でもあるという二重の性格を持って
います。
指導者をまったく欠いた絶対的平等の社会というものは、混乱と無政府状態を招きます。

池田
 平等を理想としたのが、ソ連の革命だったわけですが、その現情をどうみますか。

カレルギー
 平等を求めて起こしたソ連の革命は、今日、別の不平等と特権階級を生んでしまっています。
ポルシェビキによる独裁を目指したものが、今日では、共産党による独裁体制になり、支配階級と
権力なき民衆との間に、大きな較差を生じています。

今日、ソ連国民が享受している平等は自由を第一とするスイス市民のそれより低いといえます。

池田
 私は、自由といい、平等といい、ともに人類にとって重要な理想であると考えます。
問題は、ただ、これら二つの理想が、互いに矛盾し、対立し合う二元的な、どこまで行っても平行、
線をたどるものだということです。
つまり、自由主義を貫けば、不平等になり、反対に平等主義は、必然的に不自由をもたらす・・・
これは、歴史の示すところです。

自由たらんとするのは人間の本性であり、その結果もたらされた弱肉強食の不平等の現実に対する
革命、改革が平等の理念です。

世界は、今日、それぞれ自由と平等を理想とする二大陣営に分かれ、対立していますが、私はその
いずれもが否定できない正しい理想だと考えます。
ただし、どちらも部分観です。
そこで、これら二つの対立理念を止揚し、昇華することのできる、より高い理念が求められるなら
ば、二つの対立・相克を解消し、両方の理想を生かすことができると思います。
このより高い次元の理念こそ、生命の尊厳・・・人間をはじめ一切の生物、自然、宇宙をも含めた
・・・であり、人間性の尊重であると思います。


 

戸田記念墓苑のその後  6

 投稿者:インスタグラム  投稿日:2018年 6月27日(水)01時22分36秒
  ちゃんと、この時の参加者のみなさん、勤行していますか?
まさに、時は暗黒へと突き進んでいるのです。
効率化やら合理化で、全ての施設の改廃・撤去、取り壊し。
簡単な会館設備へと移行している。
 

戸田記念墓苑のその後  5

 投稿者:インスタグラム  投稿日:2018年 6月27日(水)01時19分6秒
  続きです  

戸田記念墓苑のその後  4

 投稿者:インスタグラム  投稿日:2018年 6月27日(水)01時17分25秒
  取り壊し予定の戸田墓地記念公園内の厚田青年塾
どうするかは、遺弟の問題です。
 

戸田記念墓苑のその後  3

 投稿者:インスタグラム  投稿日:2018年 6月27日(水)01時14分9秒
  続きです
戸田先生の生家は、現在新築された道の駅から
なんとエレベーターに乗って3階まで上がり、
そのままスロープを歩いて見学出来るように
なりました。(2018年4月から)
それだけ、厚田村は創価学会に対して礼を尽くして
いるのです。これにどのように応えるのかは、
創価学会本体の姿勢です。
 

戸田記念墓苑のその後 2

 投稿者:インスタグラム  投稿日:2018年 6月27日(水)01時09分23秒
  戸田先生の立像が完成  

戸田記念墓苑のその後 1

 投稿者:インスタグラム  投稿日:2018年 6月27日(水)01時06分37秒
  誰が、この学会員を守るんだ!!
無名無告の会員を守るのは、皆さん方です。
批判する資格が有るとか無いとか、わけわからない
連中は相手にする必要はありませんよ!
 

過去VHSに見る学会歌 その7

 投稿者:インスタグラム  投稿日:2018年 6月27日(水)01時01分47秒
  続きです

 

過去VHSに見る学会歌 その6

 投稿者:インスタグラム  投稿日:2018年 6月27日(水)00時58分32秒
  続きです  

原田会長と愉快な仲間達ヽ(^○^)ノ

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2018年 6月27日(水)00時55分39秒
編集済
  栃木の久保田です。ヽ(^○^)ノ

現学会執行部が、個性豊かだ!(笑)

会員には多額の供養をさせておきながら自分は何千万もの所得が有りながら5口しか財務をやらない秋谷元偽会長(^○^)

とか居酒屋で知り合った女性が酒で酔いつぶれてしまいその人を部屋に送ったとこまではいいとして、その後なまめかしい姿にムラムラして強姦してしまった谷川主任副会長とか(^○^)

大物ぶって実は小物の八尋便座士

そして忘れてはいけない現☆原田会長、2号3号4号5号と病的な人物だヽ(^○^)ノ

それぞれ個性が強いね~(^○^)

極悪の桜梅桃李だ!┐(´д`)┌

どんな花が咲くんだろうねヽ(^○^)ノ

被災して困っている人に会館を解放するぐらい当たり前じゃないかヽ(^○^)ノ

笑わせてくれる現執行部、速く出ていけヽ(^○^)ノ

 

過去VHSに見る学会歌 その5

 投稿者:インスタグラム  投稿日:2018年 6月27日(水)00時55分34秒
編集済
  池田先生が学会歌を作られたのは、単にブロック2世帯の折伏成果を
求めたものではありません。
 

過去VHSに見る学会歌 その4

 投稿者:インスタグラム  投稿日:2018年 6月27日(水)00時50分50秒
編集済
  そして中部・東京も記念日までブロック2世帯だ?  

過去VHSに見る学会歌 その3

 投稿者:インスタグラム  投稿日:2018年 6月27日(水)00時49分7秒
編集済
  更には、四国も折伏やれ?ブロック2世帯だ?
 

過去VHSに見る学会歌 その2

 投稿者:インスタグラム  投稿日:2018年 6月27日(水)00時46分57秒
編集済
  そして昨日の関西の歌も同様でした。
中国もあります。
中国地方も、ブロック2世帯以上の折伏やってください?
 

過去VHSに見る学会歌 その1

 投稿者:インスタグラム  投稿日:2018年 6月27日(水)00時45分21秒
  6・30学生部結成記念日です。
老いも若きも、あの夕張炭労事件の最中、メッセージを送られた
池田先生の強き生き様を人間革命に学びましょう。

歌は、https://www.youtube.com/watch?v=aorhPQE54u4
でどうぞ!!

しかし、6月30日は何か、重要な行事でもあるんでしょうかね?
何で、6月23日に記念総会やったのか、訳分からないと参加された方が
言ってましたが・・・・
 

者・・・

 投稿者:飛翔こそ蘇生  投稿日:2018年 6月27日(水)00時30分27秒
  「・・・広宣流布の大願も叶うべき者か、

剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し、

日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに

・還つて日蓮を種種の難に合せ結句此の島まで流罪す・・・」

時は法難が起きている時である。
何がゆえに起きた法難かと言えば
日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんと
したことによって起きた法難である。

従来の教学で「者」を読めていないのは
宗門を立てなければならなかった名残りであるとも思う。

「異体同心の~処」「広宣流布の~叶うべき者」
あえて普通の認識とは入れ替わっている。

異体同心の者によって広宣流布が進む処となるのではなく
師が弘通によって起こした異体同心の処に思いを置いていれば
広宣流布の大願も叶うべき者になるのだ。

「異体異心の者」「有れば~城を破る」
こっちが普通の感覚であり、
そのままでは組織(城)は壊滅する。

「今日蓮が弘通する処」とは
法華経のゆえに法難が起きている処であり

それは所詮
法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継いで
「広宣流布の大願も叶うべき者」一人を生むためである。

これがどうして、宗門を立てると読めなくなるか。

代々法主と獄中の悟達のどちらに信心の血脈があるか
という問題にぶつかるからだ。

戦時下、法華経のゆえに難を起こした牧口先生によって
創価教育学会の多くの幹部が投獄された。

「者」として私が難を被ったと思った多くの幹部は
異体異心の者となって、組織を壊滅状態にさせた。

「師弟のある処」に起こった難として受けた戸田先生は
その獄中という処において「広宣流布の叶う者」としての
法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継いだのである。

戸田先生が出獄し、壊滅状態だった組織を
民衆の広宣流布の団体として復活させた。

こう読んでしまえば宗門の面目は丸つぶれであり
そうは読めないように見えなくさせられているのだ。

宗門としては
「『在在諸仏土常与師倶生』よも虚事候はじ。」
を当にそのことと読ませてはならず

法主の権威に従わせたかった。

戸田先生が起こした法戦の処を
池田先生に継がせるのではなく
宗門の権威の中に取り込んで見えなくさせたかったのである。

しかし、そういった魔の蠢動する処こそ
戸田先生が法華経のゆえに起こした法難だったのだ。

結局、池田先生が「一人」受け継いだのである。

そして今
「今の組織信仰の活動の在り方はおかしい」
「自公連立はおかしい」等と声を上げれば査問等される。
池田先生が法華経のゆえに処に起こした法難である。

「者」として私が難を被ったと思えば脱落して
異体異心の者となって陣列を壊滅状態にする。

「師弟のある処」に起こった難として受けきれば
「広宣流布の叶う者」としての血脈を継ぐのである。

そしてそれには処に起こる「広宣流布の大願」
「法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がむ」との意思

誓願と実存解明の探求が必要である。

者に起こった「広宣流布の大願」なら押し付けである。
処に起こる「広宣流布の大願」は民衆の希求であり
仏の勅命なのである。

戸田先生は、分かりたい、分かるまで次には進まぬと決めて
34の非ずを読み切って実存を悟った。

そしてその処に「広宣流布の大願も叶うべき者」
「地涌の菩薩」であることが起こったのである。

その場、その場
VODの体験で言えば一家和楽の広宣流布には、自分が思う
「五体満足が幸せ」を押し付けて取引の苦行をするのではなく
その処に希求されている実存の幸福を実現させられる自分への変化が
蒔かれた種を思い続けることで自ずから然として起こったのである。

それを一つの技として、次に活かしているのだ。

これの継承がされていく基本は、一人から一人へなのである。
 

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