自分が観たものにたいして、自分のありのままの感想を述べることの大切さについて
私がなんでこんなことを書くかというと、以前から誰も、たとえば映画を観ても感想を書かない、それはマズいと思っていたし、芸能人でお互いに知っている仲だと、フツーの人が言えないような感想も書けるだろうし、そんなのをどうして書かないのか?と思ってのこともある。
・・・・・というか、まあコレは先日亡くなった高畑勲から学んだことをさらに自分なりに解釈したとこがあるけど、やはり自分がその作品を観て、なんか新しいことを考えたならば、それは、自分はどう考えたか?をちゃんと記してヒトに意見として出さなアカン。
でないと、自分の記憶力だってある。
そのときに思ったことでも、なにも言わなければ忘れてしまう。
けれども、文章にしたら別やな。
そのときに思ったこと、それが、フツーの人が想像しないようなことであればあるほど、それを書いたら、人々に対して波紋を投げかける。
けれども、人々に対して波紋を投げかけて、それに対して反論とかワンワンやりあったら、自分が思っていたことは仮に誤りであったとしても、その作品に対しての印象は深まるやん。
なにも言わなかったら、その作品に対しての印象は深まらんからな。
いくら名作と言われたって、自分の記憶からは忘れ去られてまうんやからな。
けっきょく、どっかに感想を書いて、その内容について、本当にそうなのか?と他人に問いかけて議論し、その上で自分なりに推敲するようでないと、その作品の本質を理解したと言えないと思う。
この私の文章を読んでいる人々も、あなたは、たとえば名作とされる”天空の城ラピュタ”について、どこがどのように良かったのか、自分の言葉で書けるのか、と問いたい。
そう書くと、私も”自分の言葉で書ける”ことについて悩んだときもある。
大学に入った後で、いろいろな経緯から、大学は鉄道研究会だったけど、一般の明石映画サークルに入った。(ゴリゴリの日本共産党やったけどな)
そこで、映画についての感想を語りあうんやけど、やっぱ最初は、全く言えんねん。
作品を観て、こういうことを感じたとか、言っていいのか、いや、映画の常識からするとおかしいと大勢から笑われるんじゃないかとか思って、なかなか言い出せなかった。
けど、私の場合はそもそも中学生の時に先生は私の言うことを理解できないバカと思っていたし、大学時代になると「ハムレット」はそもそもハムレット自身が精神疾患で、自分が見たと思い込んでいる父親の亡霊の言うことに従って国を滅ぼしたバカ一代記でしかない、と思っているけれども、その観方は映画サークルでも理解されなかった。
けれども、私はいまでも、ハムレットは英雄なんかじゃなくて、単なるバカだと思っている。
そういえば、数日前にカンヌ映画祭でパルムドール賞を取った是枝裕和の映画について、私は”幻の光”はサッパリワカランかったけど、”花よりもなほ”
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E3%82%88%E3%82%8A%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%BB
はめっちゃ共感した。
コレ、ちゃんと書いてはないけど、一言でいうとアンチ忠臣蔵やねん。
是枝裕和は忠臣蔵なんて肯定してない。
同様に、彼はハムレットも肯定しない確信がある。
(そういえば、フランスきどりの高畑勲は、ハムレットを肯定しとって、コイツもその程度の理解か、と思ったこともある)
・・・・まあとにかく、そんな当たり障りある意見を主張できてはじめて、その作品は自分のものになるのであって、当たり障りない意見を、人々の顔色を窺って書いているうちは、自分の意見なんてゼンゼン言えないし、その向こうにある、自分の演技なんてゼンゼンできんぞ。
私も、コレ書いたのはさややが”アメリ”を観たと書いとったからやけど、やっぱさややはさややとして感じた意見が欲しいなあ。
もちろんそれを全員に公開するのはダメな場合があるのは理解するけど、少なくともAKB関係の人々にはリアルな意見を言えるようでないと、仮にさややをその役にさせようか、と思う演出家とかプロデューサーがいたとして、さややがなにも意見が言えないとすると、ダメと思うやろ。
やっぱ、その役をこう演じてください、と言っても、
「いや、自分はこう考えるから、こういうふうに演じたい」
というふうに反発するような役者じゃないと、演出家として面白みがないやん。
仮に演出家と意見が合わなくっても、演出家が説得して、女優に対して「こう考える人もいるのだ」と納得させてから演技するのとでは、納得せずに演技するのと、ゼンゼン演技が変わってくる。
だからこそ、はじめの一歩である、自分がどう受け取ったか?は、ちゃんと主張したほうがいいと思っている。
そういや、劇団れなっちのオーディションだって、自分がどう受け取ったか?を演技で表現しとったヤツらが受かったやん。
さややは、そもそも1次審査で落ちていて(・・・やわなあ?)、まだまだ自分が感じたことを表現できてない。
まあだからこそ、1次審査で落ちてまう判断材料になった、とも言えるんやけど。
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