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今日は待ちに待ってた若葉ちゃんのお家にお邪魔させていただく日。いつものように若葉ちゃんが駅まで迎えにきてくれた。
「お~い、吉祥院さ~ん」
「若葉ちゃん、おまたせ!」
改札の向こうから手を振る若葉ちゃんの元に小走りで駆け寄る。
「中間テスト前なのに、押し掛けちゃってごめんなさいね」
「ううん、全然、全然。来てくれて嬉しいよ!」
お互い顔を見合わせてにっこり。今日の若葉ちゃんは前髪をピンで留めてポンパドールにしている。おおっ、これはロココの女王たる私への挑戦か?!
「若葉ちゃん、今日はおでこを出しているのね」
「うん。前髪が伸びてきちゃって邪魔だから、今日は留めてみたんだ~」
私は「可愛い」と褒めつつも、さりげなく指で髪をねじって、自分の巻きを強く再現させる。ロココの女王の座は渡さなくってよ!
若葉ちゃんの家までの道のりを、お散歩気分でてくてく歩く。今日はぽかぽか陽気で過ごしやすいねぇ。
「なんだかこうしてゆっくりしゃべるのも、久しぶりね」
「そうだねぇ。修学旅行もあったしねぇ」
旅行先で若葉ちゃんの姿を時々見かけたけど、こうして仲良くしていることは周囲に内緒なので、当然気軽に話すことなんて出来なかったもんね。
「若葉ちゃんは、修学旅行はどうだった?」
「すっごく楽しかったよ!」
若葉ちゃんは目をキラキラと輝かせながら、旅行前から絶対に行きたいと言っていた大英博物館で、見たかった猫のミイラを見たとか、ロゼッタストーンが神秘的でわくわくが止まらなかった等々、展示物を熱く語ってくれた。
そういえば大英博物館で同志当て馬と一緒にいるのを見かけたなぁ。
「確か生徒会長の水崎君達と見て回っていたわよね」
「うん、そうなの。水崎君は前にも来たことがあるらしくて、中を案内してくれたから助かっちゃった」
「それは良かったわね」
「うん。それからパリで食べたスイーツもおいしかったなぁ。ローマのティラミスは絶品だった!スペイン広場の近くのお店で、ジェラートも食べたの!」
あぁ、それは鏑木と一緒に行った本場スイーツ食べ歩きツアーのことだね。
「確か鏑木様に案内してもらったのよね?」
「うん、そうなの。鏑木君は私が食べてみたいって言ったお店以外にも、たくさん連れて行ってくれたんだ!」
若葉ちゃんは楽しそうにパリとローマで食べたスイーツの名前をその味の思い出と共に、指を折り曲げながら数々あげていく。
ふむ。イギリスでは同志当て馬と博物館を回り、フランスとイタリアでは鏑木とスイーツ巡り、か。
……なんかさ、恋愛方面で充実しまくりの修学旅行だよね。男の子と自由時間に回る修学旅行。共学を余すことなく満喫している感じだよね。私も鏑木や円城とケーキを食べたりショッピングをしたなんて噂になっているみたいだけど、私の実の伴わない噂とは全然違うよね。
うぅっ、いけないっ。友達なのに!若葉ちゃんは私の大切な友達なのに!卑小な私の心に巣食う、妬み、嫉み僻みが抑えきれないっ!いいなぁ、いいなぁ。せっかく共学に通っているんだ。私だって共学ならではの楽しい思い出が作りたかった。男の子と仲良くジェラートを食べながら、観光名所を回ってみたりしたかった…。なんでこうなった、私の高校生活!私だって共学高校に通っているはずなのに!
恋愛ぼっち村の奥にある黒い沼が、ボコボコと泡を立てて呪いの沼気を発生させる。
「……」
「あれ?吉祥院さん、どうかした?」
「え、なにが?」
「いや、なんか思いっ切り眉間にシワが寄ってて、その、ちょっと顔が…」
まずい、顔に出ていたか。
「ごめんなさい。花粉症気味でくしゃみを我慢していたの」
私はバッグからハンカチを取り出し、鼻にあてて花粉症アピールをした。
「あぁ、そうだったんだ。まだ花粉って飛んでいるんだね。大丈夫?」
私の適当な嘘を疑うこともなく、心配してくれる若葉ちゃんに反省。友達の幸せを共に喜んであげてこその真の友情じゃないか。ごめんね、若葉ちゃん。私は心の毒沼に清めの塩を撒く。
「大丈夫。続けて?念願のスイーツ巡りはずいぶん楽しかったみたいね?」
「うん!あのね、私も事前にガイドブックでいろいろ調べて行ったんだけど、鏑木君はそういうのに載っていないお店もいっぱい知ってて、たくさん案内してくれたんだ。さすが行き慣れている人は違うよね~。連れて行ってくれたお店が全部おいしいの!」
「へぇ」
子供の頃から何度もヨーロッパに滞在している鏑木は、どこに何のお店があるかもしっかり把握しているので、まさにうってつけのガイド役だ。
「ただお店に連れて行ってくれるだけじゃなくてね、ここはあの映画に出てきたお菓子のお店だとか、ここは日本にはまだ入ってきていないショコラトリーだとか、色々教えてくれたんだよ」
「そう。良かったわね」
生徒会活動や図書館デートで、同志当て馬に完全リードを許してしまっていた感のある鏑木だったが、どうやら甘党という最大の武器を手に、修学旅行で一気に点数を稼いだみたいだ。
「他にはどういったところに行ったの?」
「えっとね、ローマではお友達とテルミニ駅のスーパーに行って、いっぱいお菓子を買っちゃった。日本の輸入食品店で売っているお菓子がいっぱいあったんだよ!」
外国のスーパーかぁ。それは私も行ってみたかったな。でも芹香ちゃん達を誘うにはあまりに庶民的すぎるもんなぁ。治安も不安だったし。でももう少し冒険してみるべきだったかなぁ。
「日本のスーパーと雰囲気も置いてある商品も全然違ったよ」
「そうなの。それは面白そうねぇ」
「うん、面白かった!」
若葉ちゃんは海外のスーパーも非常に楽しんだようだ。このぶんだとこの前私が半ば強引にガイドを務めさせられた、皇帝庶民派スーパーに行くの巻の苦労も報われそうだ。もし今のように若葉ちゃんに日本のスーパーとの違いを語られても、話についていけるだろう。
「あ、そういえばね、昨日、鏑木君がケーキを買いに来てくれたの」
「えっ!」
あいつ!今週末はテストが近いから誘うなって釘を刺しておいたのに!まさかケーキを買うというのを口実にやってくるとは!
なんてことだ。来たのが昨日で良かった。危うくかち合うところだった。こういう時、家が商売をやっていると、それを口実に訪ねやすくて困る。
「鏑木君みたいに舌の肥えた人にうちのケーキを食べてもらうのは、ちょっと気が引けちゃうんだけどね」
「あら!若葉ちゃんのおうちのケーキはおいしいわよ。自信を持っていいと思うわ!」
「うん、ありがとう。鏑木君にもね、味がシンプルなとこがいいって言われた」
若葉ちゃんはえへへと照れくさそうに笑った。
しかしシンプルって…。若葉ちゃんが喜んでいるならいいけど、もう少し言い様があるでしょうよ、鏑木。
「えっと、それでね…」
若葉ちゃんは言おうか言うまいか迷うようなそぶりを見せた。
「なあに?」
「うん、あのね…。鏑木君に、テストが終わったら気分転換にどこかに行こうって誘われたんだ」
「ええっ!」
素早いな!なんたる行動力!
「あっ!もちろん、ただの甘い物好きの友達として、誘っているだけだと思うんだけどね!」
若葉ちゃんは慌てたように手を振りながらそう言った。
いやいや、甘い物好き仲間って…。これはまさに円城の言っていた、スイーツ好きの女友達扱い?!鏑木、詳しすぎるスイーツ情報が裏目に出たか?!
「それはどうかしら~」
一応否定してみると、私の言葉に心なしか顔が赤い若葉ちゃんは口をもごもごさせながら、「そうだと思う…」とかなんとか言った。
え~、でも鏑木の態度からして、自分に好意があるのはなんとなくでも気づいてはいるよねぇ?まぁ、思っててもそれを自認するようなことは言えないか。それにこの様子だと、若葉ちゃんも鏑木の気持ちを少なくとも迷惑には思っていない?むしろ脈あり?しかしそうなると…。
「若葉ちゃん、最近学院ではどう?」
ここしばらくは収まっていた若葉ちゃんへの嫌がらせが、帰国してから再発してきているんだよね。この前も靴箱に泥がなすりつけられていたみたいだし。
「え、別に変わりないよ」
「そう?なにか困ったことがあったら、いつでも言ってね」
「ありがとう、吉祥院さん!」
若葉ちゃんはひまわりのように笑った。
若葉ちゃんの家に着くと、私は弟の寛太君達に修学旅行のお土産であるステーショナリーとお菓子を渡した。
寛太君とその下の双子ちゃん達は口々に「ありがとう、コロネ」「ありがとう、コロちゃん」とお礼を言ってくれた。どういたしまして。
「そうだコロネ、これ食べるか?」
そう言って寛太君が出してきた箱には、色鮮やかなゼリー状のキューブに白い粉がかかった求肥のような可愛いお菓子。
「ちょっと寛太!」
「いいじゃん、別に。ノルマ、ノルマ」
若葉ちゃんと寛太君がお菓子を間になにやら揉めだした。この可愛いお菓子が一体どうしたんだろう。
私が「これは?」と聞くと、若葉ちゃんは気まずそうに「ターキッシュディライト」と答えた。
「実は、妹がナルニア国物語が大好きで、そこに出てくるターキッシュディライトっていうお菓子を食べてみたいってずっと言ってたから、ロンドンのお土産に買ってきたんだけど…」
「鳥肌が立つくらい、激甘なんだ」
困ったように笑う若葉ちゃんの言葉に続けて、寛太君がうんざりした顔で言った。なるほど。それで処理に困っているお菓子を私に出してくるとは。高道家での私の扱いが段々と雑になってきている気がする。
「捨てるのももったいないから、なんとか減らそうとみんなで頑張って食べてはいるんだけどねぇ」
「俺はもう無理」
「私も…」
「俺も…」
「張り切って大きな箱のを買ってきちゃったから、全然減らなくて…」
「ふぅん」
私は宝石のような可愛いお菓子をひとつ手に取る。
「コロネが食べるのは、俺のノルマにカウントして」
「あっ、ずるいよお兄ちゃん!」
激甘だというお菓子を巡って、兄妹ゲンカが始まった。そんなにか。見た目は求肥だけどねぇ。一口齧ってみる。……ぐっ。
「甘いだろ?」
私は寛太君に無言で頷く。ぬおおおっ、あまりの甘さに歯がしびれるっ。そしてくどいっ。赤いから苺味だと思っていたら、この口の中いっぱいに広がる芳香剤のような匂いは薔薇か!薔薇ジャムを更に甘くしたようなお菓子をなんとか飲み下すべく、出された紅茶をがぶ飲みする。
「吉祥院さん、紅茶もう一杯いる?」
「お願いします」
まだ口の中が甘ったるい。さすが海外のお菓子だ。なんという攻撃力…。
う~ん、しかしなんとかこの甘いお菓子を上手く食べる方法はないものか…。あっ、そうだ!
お砂糖代わりにこのターキッシュディライトを紅茶に入れてみたらどうかな。紅茶にジャムを入れるロシアンティーのアレンジ。。可愛いお菓子をお砂糖代わりに一粒落とすって、なんだかとってもおしゃれじゃない?うふふ、こういうちょっとしたアイデアで、センスって出るよね。
早速やってみる。ボトンと落としてスプーンでくるくる~、くるく…。あれ、おかしい。全然溶けない。ジャムなら溶けるのに、なんで?げっ、底にべちょっとへばりくっついたっ。うげっ、しかも白い粉も溶けずに表面に浮き上がってきた!なんか汚いっ。うわあっ。
私が必死にスプーンを動かしているのに気づいた寛太君が、「なにやってんだ、コロネ」と私の手元を覗き込んできた。
「えっと、ロシアンティーのジャム代わりにね…」
「うわっ、なんか浮いてる!なにやってんだよコロネ!」
声が大きいよ、寛太君!ほら、若葉ちゃん達にも気づかれちゃった。高道家のみなさんの注目が集まる。あぁ、視線が痛い…。
「吉祥院さん…?」
「いえ、これはその、ロシアンティーのジャムの代わりに…」
「うん、そっかそっか。でもどうする?紅茶、新しいのに替えよっか?」
若葉ちゃんの優しさがつらい…。
「食べ物で遊ぶなよなぁ、コロネ。それ、最後まで責任持って食べろよ」
「…はい」
私は得体のしれない味に変わった紅茶と、底にこびりつく物体を口の中に流し込んで、なんとか証拠を隠滅した。ふうっ、失敗失敗。たまにはこんなこともあるよね。だったら他には…。
「そうだ。ねぇ、隠し味でカレーに入れたらどうかしら?コクが出ると思うの」
「却下」
「溶かしてパンケーキに添えるとか…」
「却下」
「じゃあ煮物に…」
「却下!」
私のアイデアは悉く寛太君に一刀両断された。ちぇ~っ、せっかく協力してあげようと思ったのになぁ。
「口直しに杏仁豆腐でも作るか」
寛太君が立ち上がったので、私もレシピを教えてもらいがてらお手伝いを買って出る。材料は寒天に牛乳にお砂糖っと…。
「あ、お砂糖代わりにターキッシュディ…」
「却下!却下!却下ー!」
そんな冷たい目で見ないで、寛太君。もう言わないから。
寛太師匠に「だからすり切り一杯はちゃんとすり切れ!」と怒られながらも作った杏仁豆腐は、とてもおいしゅうございました。