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朝、学校に行くと芹香ちゃん達が難しい顔をして、なにやら話し込んでいた。
「ごきげんよう。なにかあったのかしら?」
「ごきげんよう、麗華様。実は…、昨日の放課後、円城様を迎えにきた車に、例の女性が乗っていたそうなんです」
「例の女性?」
「ほら、学園祭の時の」
「あぁ…」
私の頭に、儚げでゆらりと微笑む唯衣子さんの姿が浮かんだ。
昨日の放課後って、円城は鏑木と私と一緒にプティにいたよね。確かあの時、途中で円城に電話がかかってきて、その電話を切っ掛けに雪野君と帰って行ったけど、あっ!もしかして電話で話していた相手は唯衣子さんだったのか?!彼女が迎えに来たから、これ幸いと私に厄介な親友の面倒を押し付けて、自分は恋人とデートに行ったんだな。いや違う。初めからあの腹黒は単細胞を私に押し付けるためにわざわざプティまでやってきたんじゃないか?なんて奴だ!私があの後、どれだけ鏑木のネバーエンディング惚気を聞かされて、精神力を奪われたか…。これだから、恋愛謳歌村の連中は!平気で我が村を虐げる!
「円城様は本当にあの女性とお付き合いされているのかしら」
「婚約者だという噂は本当なのかしら」
「円城様はただの親戚だとおっしゃっていたけど…」
「麗華様は円城様からなにか聞いていないんですか?」
生憎情報はなにも持っていない。だって本人に根掘り葉掘り聞くのもなんだかねぇ。そこまで親しくもないし。第一、私が興味津々だと思われるのが物凄く癪だ。自分の村の恋愛畑が枯れ果てているから、謳歌村の咲き誇る畑を羨んでいるなんて思われたら、村長のプライドが許さない。みんなの「聞いてきて欲しい」という懇願も拒否。私が目指しているのは瑞鸞の流行発信源であって、瑞鸞のゴシップ記者ではない!
しかし唯衣子さんの情報は、思わぬところからもたらされた。
それは昼休み、私がカロリーを意識してサラダ中心の食事をしていた時のことだ。そうそう、私は昨日の夜から腕立て伏せを始めた。それはもちろん、皇帝二の腕二度見事件の影響だ。実は昨日、森山さん達にデートスポットの話を聞いた後、ダイエットについても聞いたのだ。最初は「特になにもしていない」と言っていたけれど、食い下がると「寝る前に腕立て、腹筋をちょっとやるくらいかなぁ」という答えを得た。やっぱり、みんな裏でコツコツ努力してるんだ!
「腕立て伏せかぁ。私もやってみようかしら。最近少し二の腕が気になって…」
と私がこぼすと、「え~っ、吉祥院さんは痩せてるから気にしなくて大丈夫だよぉ。ダイエットなんて必要ないよぉ」「吉祥院さんは今が一番ちょうどいいよぉ」というお決まりの返しをもらったりもしたが、そんな言葉はもちろん信用しない。久しぶりにやったら20回で腕が攣りそうなくらい痛くなったけど、今度こそ頑張る。あと1ヶ月で夏服だ。それまでにこの二の腕に取り憑いた悪魔を…!
「麗華さん、ごきげんよう」
「あら、璃々奈」
食事を終えた璃々奈達が、私達の席にやってきた。
「どう?これ」
キラーンと璃々奈が腕を出して見せてきたのは、私が修学旅行のお土産にあげた時計だ。わざわざ着けたところを見せにきたらしい。
「似合うわよ」
「ふふん」
この璃々奈の得意気な顔。女の子らしいデザインで、普段使いにいいと思って璃々奈に選んできたけれど、どうやら気に入ったらしい。
璃々奈と一緒にいた子達も「私達にもお土産をありがとうございました」とお礼を言ってくれた。いいのよぉ、あれは今パリで評判のショコラトリーの物で、日本未発売のおしゃれチョコなのよぉ、ということをさりげなくアピール。ふっふっふっ、瑞鸞の流行発信源への足場固め、草の根運動だ。
「もうっ、どんな人なのか気になってしょうがない!」
未だ円城と唯衣子さんの話を続けていた芹香ちゃん達が、焦れたように声をあげたのを見て、璃々奈が私に「なにを話していたの?」と聞いてきた。
「円城様と噂になっている女性のことでね」
「あぁ、唯衣子さんのこと?」
「璃々奈も知っているの?」
璃々奈の学年にも唯衣子さんの噂が伝わっているのか。さすがの円城の人気ぶりだ。まぁ璃々奈の友達には情報通のメガネちゃんがいるもんね。そんな軽い気持ちで聞いた私に璃々奈はさらっと爆弾を落とした。
「知ってるわよ。だって私、唯衣子さんと小学校が一緒だったもの」
「えええっっ!」
思わず出た私達の驚愕の声に、食堂中の注目が集まった。まずい。私達は慌てて体を小さくした。
璃々奈の家は少し遠くて、そこから瑞鸞に通ってくる生徒はあまりいない。しかし璃々奈は母親が瑞鸞出身で、ピヴォワーヌOGでもあったため昔から瑞鸞に憧れが強く、瑞鸞初等科への入学も本人は熱望していたけれど、受験資格の通学時間制限に、泣く泣く小学校は近くの名門女子校に通っていたのだ。
「璃々奈さん、あの人はどういう人なの!」
周りの目を気にしつつも興奮した芹香ちゃん達に小声で迫られ、璃々奈は若干背中を反らせつつも、「私も詳しくは知らないけど」と話し始めた。
「唯衣子さんは私の2つ上の先輩で、昔からおしとやかできれいな人だったわよ」
まさかの年上かい!妙に余裕というか落ち着いた雰囲気だと思っていたけど、1個とはいえ年上だったとは。高校生の分際で、年上の女性と付き合うとはなんというポテンシャルの高さ。円城め、カサノヴァ村への正式入村も近いか?!
「それとあの通り美人だからモテたわね。中学校の文化祭には唯衣子さん目当ての男子生徒が大勢きたって小学校にも噂が流れてきたし、下校時には学校の前に唯衣子さんを待つ取り巻きもいたくらいよ」
「凄いわね」
「私も小学生の時に何回かお話したことがあるけど、優しくてたおやかで、みんなの憧れの的だったわよ」
「ふ~ん…」
「近隣の学校からは、勝手にミスの称号も付けられていたし」
「へぇ~…」
芹香ちゃん達の声が段々勢いを失くし小さくなっていった。
「唯衣子さんを女神のように崇めている人もいたくらい」
「女神…」
みんながチラッと私を見た。えっ、なに?
「それだけモテて騒がれていると、普通は嫉妬して攻撃する人も出てきたりするけど、不思議と唯衣子さんには誰もそんなことしなかったわね。あの折れそうで守ってあげたい雰囲気のせいかしら」
確かになぁ。芹香ちゃん達含め他の女子達も、鏑木と噂になっている若葉ちゃんの悪口や文句は公然と言うのに、唯衣子さんを表立って批判する人ってほとんどいないんだよね。あの独特の雰囲気のせいか。同じように、鏑木に会いに学院までやってきた舞浜恵麻には罵詈雑言の嵐だったのにね。そういえば最近舞浜さんを見かけないな。今度桜ちゃんに会った時に聞いてみよう。
「美人で優しくてたおやかで、守ってあげたくなるタイプ、ねぇ」
「まぁ、麗華さんとは正反対のタイプよね」
なによ、それ。私が不器量で性格が悪くてひとりで生きていけるタイプだって言ってんの?失礼な!お土産にあげた時計返してよ!
ムッとした私の肩に、璃々奈が訳知り顔で手を置いた。
「大丈夫よ。麗華さんにも麗華さんなりにいいところはあるから」
璃々奈にだけは言われたくない!
私はその手を思いっ切り叩き落とした。
噂をすれば影。
食堂を出て教室へ戻る途中の廊下で、男子生徒と立ち話をする円城がいた。あ、相手はアホウドリ桂木だ。あいつはうるさいから関わりたくない。
そのまま無視して通り過ぎようと思ったのに、空気を読まない円城に声をかけられた。
「吉祥院さん、昨日はどうもありがとう。帰ってからも雪野はずっと吉祥院さんからもらった本を熱心に読んでいたんだよ」
「そうですか。雪野君に喜んでもらえて、私も光栄ですわ」
うわ、アホウドリが睨んでる。別に全然怖くないけど。それよりも後ろから刺す芹香ちゃん達の期待のこもった視線の方が怖い…。
そして円城の微笑み…。その微笑みは、美人で優しくてたおやかな年上彼女がいる余裕の笑みと感じるのは、私の僻みか。
「今度また、雪野の相手をしてやってくれるかな。家にも遊びにきて欲しいって言ってたよ」
「まぁ、うふふ」
“家”という単語に芹香ちゃん達が色めき立ち、アホウドリの目が更に厳しくなった。…こいつ、絶対に今の状況を楽しんでいるな。私が困っているのをわかって、わざとやっているな。
家はご勘弁だよ、雪野君。君のお兄さんは私にとって鳩のような存在なのだ。ええい、薔薇の棘でつついてやる!
私が笑ってごまかし、「あっ、そろそろ予鈴が…」というわかりやすい逃走を図ると、後から追い掛けてきた芹香ちゃん達から不満の声が洩れたが、誰が恋愛謳歌村の村民なんかと仲良くするもんか。
安易な合併にNO!恋愛ぼっち村は孤高を貫く!
なんだか疲れた……。
それもこれも、全部あの鏑木と円城のせいだ。昨日から他人の恋愛に振り回されっぱなしだ。いや、その前からか。はぁ…。
疲れた時には甘いものが一番。ダイエットは明日から。放課後の部活動の前に、私はピヴォワーヌのサロンにお菓子を求めにやってきた。
いつもの私の定位置のソファに座り、林檎のコンポートジュレをいただく。おいしい。ジュレなら簡単だから、今度私も作ってみようかな。そうだ。林檎なら水の代わりにシードルを入れてみたらどうだろう。キリッとした大人の味になるんじゃないかな。試す価値あり。
「麗華様、ご一緒してよろしいですか?」
その声に顔をあげると、目の前に芙由子様が立っていた。おっとりマイペースな芙由子様が自分から声をかけてくるなんて珍しいな。私が「ええ、どうぞ」と応えると、芙由子様が心配そうな顔で私を覗きこんだ。
「麗華様、なんだかお顔の色が冴えませんわね」
「そうかしら」
疲れが顔に出てるのかな。ジュレの他に焼き菓子も食べておこうかな。
「そうだわ。私、良いものを持っていますの。修学旅行で本場のものを手に入れましたのよ」
「まぁ、なにかしら?アロマオイルか何か?」
これまた珍しくウキウキとした芙由子様がカバンから取り出したのは、アルファベットと数字の書いたボードに、ハート型で真ん中に穴の開いているコースターのような板だった。ボードの左右にはYES、NO。そうだった。芙由子様はそっちの世界の人だった。どこかで見覚えのある形状に、なんだかとってもイヤな予感……。
「…え~っと、これは?」
「ウィジャボードですわ。これを使うと霊と交信することが出来るんです。こうしてこのプランシェットをボードの上に置いて、それに手を添えて霊に問いかけると、霊が私達の手を借りてプランシェットに降りて、答えをほら、このYESかNOで教えてくれるんです。こちらのアルファベットや数字で会話することも出来ますのよ」
…うん、イヤな予感的中。それは間違いなく、こっくりさん。
芙由子様に恐る恐る「こっくりさんですよね…?」と聞いても、「いいえ、ウィジャボードですわ」と否定される。でも芙由子様が嬉々として説明してくれる使用方法を聞けば聞くほど、こっくりさんだった。芙由子様、顔は平安お公家顔なのにオカルトは西洋趣味なのね…。
「なにか悩みごとがおありなのでしょう。さ、ご遠慮なさらないで」
いやいや、悩み相談なら生身の人間にするから!怖いよ。なんか面白半分にやっちゃいけないらしいよ、そういうの!なんかね、悪い霊が取り憑くらしいよ!
「あらやだ、もうこんな時間。ごめんなさい。私これから部活に行かないといけなくて。では、ごきげんよう芙由子様」
私は焼き菓子を数個握りしめ、おほほほとまたもや笑顔で逃走した。
林檎のジュレで癒されたはずの疲労感が、再び背中に圧し掛かる。もしやこの背中の重みは低級霊か…?!ぎゃあああっ!怖いーー!
私は誰もいない階段の踊り場で、背中をカバンでバシバシ叩いて悪いモノを祓った。