226 佐富行成
俺はわりと人見知りもしないし、人の好き嫌いもあまりないほうだと思うけど、それでも高等科に上がって担任に、あの吉祥院麗華と一緒にクラス委員をやるように言われた時は正直、うわぁ、マジか?!とちょっと腰が引けた。
吉祥院麗華──。瑞鸞学院の特権階級であるピヴォワーヌのメンバーで、女子を牛耳る超大物。彼女の不興を買った生徒は、配下の者によって人知れず闇に葬られるという……。
というのは冗談としても、クラス委員なんて一応名誉職だけど、実際はクラスの雑用係みたいなもの。ピヴォワーヌがそんな雑用仕事をちゃんとやってくれるかも怪しいし、なんかいろいろ気を使うはめになって面倒くさそうだなぁと思っていた。
そんな時、秋澤に声を掛けられた。
「佐富、吉祥院さんとクラス委員やるんだって?」
「あぁ、うん。そういや秋澤って吉祥院さんと仲いいんだっけ」
中等科時代、時々しゃべっているのを見かけたことがあったな。
「僕というより幼馴染と吉祥院さんが仲がいいんだ」
「幼馴染ってあの女の子?学園祭に来てた、確か蕗丘さん…」
「うん」
秋澤の幼馴染は清楚でおとなしそうな大和撫子の可愛い女の子だ。秋澤は幼馴染なんて言ってるけど、たぶん彼女。
「僕と吉祥院さんとは小学生の時に塾が一緒で友達になったんだけど、そこから桜子とも仲良くなって、今じゃすっかりふたりは親友だよ」
「へぇ~」
あの吉祥院麗華を秋澤は平然と友達と言い切った。凄いな、秋澤。
「そうだ。吉祥院さんは疲れた時にお菓子をあげると元気になるよ」
「なんだ、それ」
「小学生の時からね、おなかがすくとちょっと元気がなくなっちゃうんだけど、そういう時にお菓子をあげると復活するんだよ。桜子もあの子は食べ物さえ与えておけばごきげ…、あ、いやっ、なんでもないっ」
秋澤は自分の言葉を慌てて打ち消すと、「とにかく、佐富も吉祥院さんを変な先入観を持った目で見ないであげて。誤解されがちだけど中身は真面目でいい子だから」と言って、自分の教室に戻って行った。
真面目でいい子、ねぇ。まぁ、ちょっと様子をみてみるか…。っていうかピヴォワーヌの吉祥院麗華が、たかがお菓子を食べたくらいで元気になるとかってありえないだろ、秋澤。
それから件の吉祥院さんとクラス委員として働き始めたが、予想を裏切る働きぶりだった。目配せひとつで配下を動かし、自分は全く動かないイメージの吉祥院さんだったけど、率先して提出物を集めて当然のように自分で職員室や生徒会室に持って行く。備品の補充も俺が気づくよりも先にやってくれていた。むしろ俺よりもしっかりクラス委員の仕事をこなしていた。秋澤の言う通り、人を見かけで判断しちゃいけなかったな。
そして嬉しい誤算。吉祥院さんがいると、提出物の回収率が異様に高い。内部生はもちろん、入学したての外部生ですらこの人には逆らっちゃいけないと危険察知能力が働くらしい。ほかのクラスに比べてうちのクラス運営はめちゃくちゃスムーズだ。ありがとう、吉祥院さん。
俺も吉祥院さんまかせにしないで働かないとね。この生徒会室への提出物は俺が行くよ。って、あっ、プリントを奪われたっ。いや、別に仕事を横取りする気はないから焦って走らなくても…。あっ、何もないところで躓いたっ。でもプリントは手放さないっ。
生徒会室へと走り去る吉祥院さん。真面目…なのかなぁ。なにか別に不純な動機抱えてそうだけど…。
その外部生だけど、まだ入学して日が浅いからしょうがないけど、外部生と内部生との間に厚い壁があるのが目につく。これはどこの付属校でも同じらしいけどさ。でも瑞鸞は校風が独特だから、溶け込むのにほかの高校よりも難しいのかもしれないなぁ。
クラス委員として、なるべく外部生に声掛けをするようにしていると、吉祥院さんにクラスランチ会の提案をされた。
いいアイデアだとは思うけど、食堂でクラスの人数分の座席を固まって確保できるか?それに入学して間もない新入生達が食堂の一角を占領したら、先輩方からの風当りがきつくないか?という俺の心配は、吉祥院さんが胸を反らすようにして見せつけてきた赤い牡丹のバッチのご威光でサラッと解決してくれた。おー、さすがピヴォワーヌ!
拍手で褒め称えると吉祥院さんの口角がにゅ~っと上がった。
あれ?この人、もしかしておだてに弱い?
ある日の放課後、集めたプリントの集計をふたりでやっていた時のこと。吉祥院さんがキラキラデコレーションされた電卓を叩きながらため息をついた。心なしか元気がない。
「吉祥院さん、具合でも悪いの?」
「え…。ううん、平気ですわ」
そうかぁ?トレードマークの巻き髪も精神状態に合わせて、心なしかくたっとなってないか?
そういや、秋澤が吉祥院さんはお菓子が好きだって言ってたな。カバンにチロリアンチョコがあるけど、吉祥院さんがこんな駄菓子を食べるかなぁ。一応出してみるか。
「吉祥院さん、チョコ食べる?」
「まぁ、チロリアンチョコじゃないですか!あら?こんな味出ていたかしら」
チョコを見た吉祥院さんの目がギラリと光った気がした。知ってんだ、チロリアンチョコ。
「ご当地限定だって。お土産にもらったんだ」
「ご当地モノ!なんということでしょう。その存在を忘れていたなんて…。不覚っ!」
え、なにが?
吉祥院さんは悔しそうな顔で拳を握りしめたあと、俺から受け取ったチョコを「いただきます」と一口齧った。その途端、にこ~っと幸せそうに笑った。
「さすが限定。美味…!」
「そっか。良かったね」
小さなチョコはあっという間に溶けてしまったようで、名残惜しげにしていたので、もう1個いるかと聞いてみた。
「いえ。私は1個で充分ですわ。どうもありがとう」
「そう?まだ何個か残ってるから遠慮しなくていいけど」
「…そうですか?そこまでおっしゃるなら、もう1個だけいただこうかしら?」
そして吉祥院さんはご当地限定チョコを嬉しそうに食べた。こんな安物チョコをここまで喜んで食べるとは意外。ピヴォワーヌの吉祥院さんなら、ヨーロッパ王室御用達のチョコしか食べないとかってこだわりを持ってても不思議じゃないのにな。
「どうもありがとう、佐富君。こんな貴重なものをいただいちゃって。佐富君は心が広いのね」
「は?いやいや、たかがチョコの1個や2個でおおげさな」
「あら、山で遭難した時、ひとかけらのチョコレートが命の明暗を分けたという話を聞いたことがありますわよ。チョコを侮ってはいけないわ」
ここは東京のど真ん中だよ、吉祥院さん。
1個数十円のチョコを食べ終わった吉祥院さんは、ペンケースから自前の派手な指サックを取り出し、元気よく働き始めた。チョコひとつにどれだけの威力があるんだよ。秋澤のアドバイスに偽りなし。
後日、きょろきょろと周りに人がいないことを確かめた吉祥院さんが、俺にさっと小さな包みを渡してきた。「誰かに見られる前に早く隠して!今すぐ!ナウッ!」
え、吉祥院さんって非合法なブツの売人?俺、そういうのには手を染めない主義なんだけど…。
そっと覗いた怪しい包みの中には、ファンシーなご当地キャラクターの描かれたチロリアンチョコが入っていた。うん、間違いなく合法。
「どうしたの、これ」
「シッ!声が大きい!この前のお礼ですわ。絶対に誰にも言わないでくださいね。特別なルートから手に入れましたの」
「…闇ルート?」
「ネットですわ」
それはただのご当地グルメのお取り寄せだね、吉祥院さん。
吉祥院さんは「また欲しくなったら声を掛けて」と言って、人目を避けるように立ち去った。その後ろ姿に警察24時をみた。職質に気を付けてね~。
そうして吉祥院さんと一緒にクラス委員の仕事をやっていくうちに、その少し近寄りがたい雰囲気や持っている肩書と権力に反して、中身はちょっと抜けてる楽しい人だということが徐々にわかってきた。どこまでやったら怒るかなといろいろ試してみたけど、かなりのところまで平気だった。たとえちょっと怒らせたとしても、謝ってお菓子をあげると「しょうがないですわね~。今回だけですわよ」と簡単に許してくれた。
ピヴォワーヌの女王は、賄賂に弱い。
「佐富君の髪って、それ地色?」
ある時、吉祥院さんはジーッと俺の髪を凝視して言った。
「それ、微妙にカラーリングしてますよね?」
「あ、バレた?」
「校則違反ですわね~」
吉祥院さんはにやりと笑った。
「そういう吉祥院さんだって、その巻き髪、パーマじゃないの?」
「天然パーマですの」
嘘つけ。根元は直毛じゃねーか。しかたがない。
「どうかひとつ、これでお目こぼしを」
俺は朝コンビニで買ったひとくちドーナツを進呈した。
「おぬしも悪よのぉ」
吉祥院さんはひとくちドーナツを悪い笑顔で受け取った。
ピヴォワーヌの女王は、100円の駄菓子で簡単に買収できる。
そんな感じで吉祥院さんで遊んでいたら、人気のない廊下で左右からそれぞれの腕をガシッと取られた。ピヴォワーヌの女王の側近中の側近、風見芹香と今村菊乃だ。
「貴方、最近麗華様に対してちょっと行動が目に余るわよ」
「あまり調子に乗りすぎるんじゃないわよ」
……俺、闇に葬られちゃう?!
吉祥院さんの怖いイメージって、半分以上はこいつらのせいじゃないかな?
ある時吉祥院さんが俺に難しい顔で聞いてきた。
「佐富君、私にあだ名が付いてるって知ってる?」
げーーーっ!なんでそれを?!
平静を装い聞き返すと、なんと水崎から聞いたと言う。なんで本人に言うんだよ、水崎!あいつバカじゃねーの?!
吉祥院さんには数多くのあだ名が付けられている。ほとんどは彼女の外見から連想されたもので、吉祥院さんが水崎から聞いた“巻き巻きマッキー”以外にも“ドーリー(ガー)ル”とかいろいろあるけど、代表格はもちろんインドの殺戮と破壊を司る“女神カーリー”だ。そのカールされた髪と怒らせると怖いというイメージから付けられているあだ名だけど、さすがにこれだけは本人に知られるのはまずいっ!
だいたい吉祥院さんが女神カーリーなら、そのカーリーに腹の上で舌出して踊り狂われるシヴァ神は誰だよ?!って話だ。あのふたりのどちらかか…?!なんてことは、誰もが頭によぎっても口にはしない。ピヴォワーヌの三強全員を敵に回すようなバカはさすがにいない。俺達は無事に瑞鸞を卒業したい…。
「佐富、大丈夫か?」
体育の授業で一緒になった水崎からの唐突な一言。
「なにが」
「あの吉祥院麗華とクラス委員やってるんだろう?問題が多いんじゃないか?」
「問題ねぇ」
水崎は吉祥院さんにあまりいい印象は持っていないんだな。まぁ吉祥院さんのイメージからすると無理はないけど。俺も最初はそんな感じだったし。でも、
「吉祥院さんって、たぶん水崎が思っているような子じゃないと思うよ。クラス委員の仕事も、俺より全然真面目にやってるし。知ってる?あの人って事務仕事のために専用の指サック持って来てんの。俺も1個もらっちゃった。ハート型のラメラメの派手なやつ」
ほぼ秋澤の受け売りだけどな。
「…ふぅん」
「あっ!ってかお前!吉祥院さんにあだ名が付いていること本人にバラしたろ!何やってくれてんだよ!聞かれたこっちは寿命が縮まったんだよ!」
「あ、悪い。俺も言ってからしまったって思ったんだよ」
しまったじゃねーぞ!気を付けろ!俺、マジで闇に葬られるから!
吉祥院さんは体育祭ではネズミ、学園祭では羊の執事の仮装を嫌がらずにやってくれた。ノリが良くてありがたい。この頃にはもうすっかり、俺の中でピヴォワーヌの吉祥院麗華への畏れは一切なかった。
しかし吉祥院さんがネズミの仮装をすることに対して、「麗華様がネズミの仮装だなんて、どういうことなの!」と、吉祥院さんの周りから抗議が殺到したけどな。
本人が友達連中を説得して抑えてくれた後も、グレーのダボダボ着ぐるみを着せようとしたら「ネズミ色の着ぐるみなんて!それじゃ小汚い貧乏妖怪の扮装じゃないの!」「着ぐるみはダメよ!麗華様を巨大ネズミにするつもり!」「巨大ネズミ!麗華様がヌートリアになってしまう!」「そこはせめて愛らしいハムスターを目指しなさい!」とそれはもう喧しかった。その吉祥院さんは、着ぐるみを着て鏡の前でお尻を振って尻尾を揺らしたり、まんざらでもなさそうに見えたけどな~。
結局は妥協案でグレーのワンピースにネズミの耳を付けた、ぬるい仮装になったけれど、仮装リレーではダントツで話題をさらったので満足だ。女子の敵は増やしたけどな…。
学園祭では吉祥院さんが羊耳を付けているという怖い物見たさの客と、吉祥院さんの華麗なる人脈で大物客が続々来店。ピヴォワーヌ三強が客と店員として揃い踏みした時は、生徒が廊下まで鈴なり状態だった。おかげで“カフェ・羊のドーリー”の売り上げは上々で、クラス委員長としては笑いが止まらない。風見達の射殺す様な視線が怖かったが…。
そしていつの間にか、岩室が吉祥院さんと仲良しになっていた。意外すぎる組み合わせだ。
2年ではクラスが分かれ、3年になってまた俺は吉祥院さんと同じクラスになった。しかもまた一緒にクラス委員をやることに。
風見と今村と同じクラスになったのはかなりおっかないが、ほかは特にトラブルを起こしそうなヤツはいなさそうだし、なにより吉祥院さんがクラス委員だってのに、進んで騒ぎを起こすような無謀なヤツなんているわけがない。
この1年円満にやっていけそうだなと思ったら、ひとり挙動不審なヤツがいた。体を縮こまらせ、怯えたように体を小さくさせている。
「どうかしたのか、多垣」
コイツは確か高等科からの外部組だっけ。
「なんか困ったことがあるなら話聞くけど。俺これでも一応クラス委員なんで」
多垣はきょろきょろと誰かを探すように教室を確認すると、目を泳がせながら小声で「実は…」と口を開いた。
そして俺はその内容を聞いて、あぁそういえばあの時、余計な一言をポロッと口走ったのってコイツだったっけと思い出した。
2年の終わりに事件が起こった。
外部組で特待生の高道若葉のロッカーに、吉祥院さんが嫌がらせをしたという事件だ。と言っても、保健室で休んでいた吉祥院さんが教室に戻る途中でロッカーの落書きに気づき、そこに立っていたのを授業の終わった生徒達に見られて犯人疑惑をかけられただけで、吉祥院さんが犯人だったわけではなかったんだけど…。
高道若葉は瑞鸞でちょっと微妙な立場の女子だ。
日本でも指折りの資産家の子供達が占める瑞鸞で、一般家庭出身で成績優秀な特待生。それだけならそんなに珍しくもないけれど、よりによって瑞鸞生が誇る、学院の顔ともいえる完全無欠な皇帝の首席の座を脅かすほど優秀だったから、内部生としては面白くない。そしてその特待生が、今まで女子を近くに寄せ付けなかった皇帝の関心を引いてしまったから最悪だ。
嫉妬した女子から高道はチクチク嫌がらせを受けたらしく、それを正義感溢れる水崎まで真っ向から高道を庇いだしたから、高道は多くの女子から蛇蝎の如く嫌われた。そりゃそうなるだろうなぁ…。皇帝はともかく、水崎はもう少し考えろよ。
成績がいいのも、男子の人気トップ3のうちのふたりが高道を構うのも、高道自身に罪はないことだけど、嫉妬なんてものに理屈はない。男に媚を売っていると女子からは陰口を叩かれ、高道に成績順位に勝てず悔しい思いをしていた男もそれに便乗した。
先代ピヴォワーヌ会長達にも目を付けられていた高道だったけど、そんな中で吉祥院さんは我関せずの中立の立場を保っていた。女子のことだから詳しくは知らないけど、どちらかと言うと高道に同情的だったらしい。
そんな時に起こったロッカー事件。ここぞとばかりに蔓花達が吉祥院さんを犯人扱いした。
もちろん吉祥院さんは否定したけど、運悪く犯行に使われたマジックまで手に持っていたのはまずかった。なにやってんだよ、吉祥院さん…。
吉祥院さんにとっては、絶体絶命のピンチだったけど、当の高道が吉祥院さん犯人説をばっさり切り捨てたから、疑惑を残したまま、なんとかその場は収まった。
あの時は俺も生徒会長である水崎に一応、「吉祥院さんは変わり者だけど、あんな悪質なことをする人じゃないぞ」と言いに行ったなぁ。1年の時、水崎は吉祥院さんをあまり良く思っていなかったから少し心配だった。水崎は「…そうだな」と頷いていた。
俺達の代の男子は、完全に皇帝を頂点としたヒエラルキーがはっきりとしていたので、ほかの学年に比べても平和なもんだったけど、女子は蔓花が虎視眈々と下剋上を狙っているので、時々騒ぎが起こる。中等科の時にも蜂起して返り討ちにされていた。あれは俺達の間で“蔓花の乱”と呼ばれていたが、のちに高等科での乱と区別するために“蔓花、春の乱(中等科編)”に改められた。
そして中等科時代に一度は敗れた蔓花達が、ここでまた下剋上を夢見て乱を起こした。“蔓花、冬の乱(高等科編)”は、食堂での蔓花グループ、吉祥院さんグループ、生徒会グループの血で血を洗う掴み合いの大ゲンカにまで発展した。
誰かの「女の争い、こえぇ…」と言った声を聞いた連中は「あ゛ぁっ?」と善良な男子を三白眼で威嚇した。お前等、世間じゃお嬢様と呼ばれているんじゃないのかよ…。
その騒ぎを鎮めたのは、瑞鸞の絶対王者の皇帝だった。
でもこのままあの蔓花達がおとなしくしているかなぁと思っていたら、ピヴォワーヌ三強の最後のひとり、円城君が人もまばらな廊下で蔓花を呼び止めているのを見かけた。
通りすがりに聞こえた円城君の声。
「普段は女子の諍いに口をはさむ気はないんだけど、今回は少しやりすぎだね。これ以上吉祥院さんへの誹謗中傷を続けるなら、僕が吉祥院さんに付くけど、どうする?」
“蔓花、冬の乱(高等科編)”はここに収束した。
二度も乱を起こした蔓花に、密かに付いたあだ名は、瑞鸞の平将門。日本三大怨霊じゃないか…。なんで俺達の代の女子は、物騒なあだ名が付くようなのばっかなんだよ…。
まぁ、そんなこともありました、と。で、その時のことでこの多垣は報復を恐れて怯えまくっているわけか。
確かに多垣が口を滑らせた余計な一言で、吉祥院さんの立場が悪くなったけど、あの人はそんなことをいつまでも根に持つタイプじゃないと思うけどな。
「それで吉祥院さんにはちゃんと謝ったのか?」
「う、うん…。春期講習が一緒で、そこで謝って、吉祥院さんの友達のアドバイスでプリンをお詫びに渡して…」
「許してくれた?」
「全然気にしていないって…」
「なら平気じゃね?プリンも受け取ってもらえたんだろう?」
「う…ん」
俺の経験上、吉祥院さんはお詫びのお菓子で大抵のことは許してくれるからな。
「大丈夫だって」と、俺は多垣の背中を叩いた。
「過剰に怯えすぎなんだよ。顔色悪いぞ。これから昼食だろ。甘い物でも食べて元気出せ。なっ?」
「そうだね…。プリンでも食べようかな」
「そうしろ、そうしろ」
俺のアドバイスに従い、多垣は食堂でプリンを注文していた。
そこへ吉祥院さん達がやってきた。
「麗華様、今日はなにを召し上がります?」
「私はデザートに、新作メニューのクレマカタラーナをいただこうと思っていますの」
「あぁ!最近の麗華様のお気に入りメニューですわね?」
「そうなの。今日も楽しみにしてましたのよ」
顔を綻ばせながら楽しげに友達と話す吉祥院さん。
しかしその楽しみにしていた新作デザートを注文した吉祥院さんに、「申し訳ございません。ちょうど今、最後のひとつが出てしまいました」という非情な宣告が!
吉祥院さんの体がふらりと揺れた。
「麗華様!お気をしっかり!」
「一体誰が麗華様のお昼のお楽しみの邪魔立てを!」
ギンッと最後のひとつを取った犯人を捜すように周囲を見回す風神雷神。そして見つけた。
多垣だった…。
多垣が注文したプリンこそ、吉祥院さんが楽しみにしていたというクレマカタラーナ。多垣~ぃ、お前、つくづくタイミングの悪いヤツ…。しかも主食にいく前にすでにプリンに手をつけちゃってるし。そんなに疲れてたのか?
スプーンを口に入れたまま顔面蒼白で固まる多垣に、俺は心の中で十字を切った。強く、生きろよ、多垣。
サッカー部部長の
サッカー部という花形部でエースを務める安曇は、皇帝達には遠く及ばないが、女子達からも人気があり、学院でもそれなりに一目置かれる存在だった。
だがしかし、最近吉祥院さんが安曇を“大納言”と呼ぶようになってから、その地位が危うくなってきた。
周りから「大納言って小豆のこと?」「名字が“あずみ”だから小豆の大納言か。なるほどな」「お~い、小豆」と、今じゃ小豆呼ばわりされる始末。
本人は必死で「違うっ!小豆の大納言じゃない!」と弁明していたが、あっという間に小豆由来のあだ名が定着してしまった。哀れ…。
一応、名付け親に由来を確かめてみると、心外だという顔をされた。
「あら、私はそんなダジャレのような愛称を付けたりしませんわ。蹴鞠大納言は平安時代に実在した、蹴鞠の名手にちなんだ由緒正しき愛称です。それをダジャレだなんて…。ところで小豆といえば、佐富君はおはぎはこしあん派?それともつぶあん派?ちなみに私はこしあん派」
「えっ、あ~、強いて言えばつぶあんかな」
「まぁ。では桜餅は長命寺派?それとも道明寺派?ちなみに私は長命寺派」
「あ~、皮で巻いてあるほうかな」
「一緒ですわね。では桜餅の葉は食べる派?それとも…」
大納言という安曇のあだ名について話をしていたはずなのに、なんでいつの間にか桜餅の葉っぱの話に…?!
そこから葉包み菓子では桜餅派?柏餅派?と、もう安曇のことはサッカーボールと共にどっかに蹴り飛ばされてしまったようだ。さよなら、安曇。
「吉祥院さんってさぁ、変わってるよねぇ」
俺の口から思わずポロッと本音が飛び出すと、吉祥院さんは「はぁ?!」と目を見開いた。
「どこが?!私は普通ですけど?!変わってるなんて言われたことないですけど?!」
「あ、ごめん!そうだよね」
「そうよ!」
たまに自分で自分を「私(俺)って変わってるからぁ~」って言うヤツがいるけど、そういう連中は変わり者に憧れる凡人で、本当の変わり者にはその自覚がない
本物の変わり者、吉祥院さんに“変わってる”は禁句。
ほら吉祥院さん、振り向いてごらん。後ろで風見達が心配そうに君の様子を窺っているよ。
5月の頭は修学旅行だった。クラス委員としての雑用もあるけど、そんなに大変でもない。が、それは俺のクラスだけらしい。
旅行の途中で会った水崎に様子を聞かれた。
「佐富のクラスは門限破りや羽目を外す連中はいないか?ほかのクラスは結構大変みたいだぞ」
「あ~、なんかそうらしいな。でもうちのクラスは点呼を取るのが吉祥院さんだからね~。誰もそんな命知らずな真似はしないよ」
元々クラスの女子のほとんどは吉祥院さんに協力的で煩わせるような行動はしないし、男子も吉祥院さんを怒らせて女子全員を敵に回すようなリスクは冒さない。それに旅行の空気に浮かれてふらふら羽目を外そうものなら、すぐに秘密警察なみの密告情報が入ってくるからな。
「恐怖政治かよ」
門限破りは粛清対象。吉祥院麗華独裁体制、万歳。
吉祥院さんにロンドン塔の幽霊の話を振ったら、嫌がられた。俺は怪談話って結構好きなんだけど、吉祥院さんは苦手みたいだな。
ふと吉祥院さんの手を見ると、なぜか両手とも不自然にグーにしている。え、もしかして親指隠してる?それって霊柩車に出会った時に小学生がやる行動じゃん!
それからは吉祥院さんの反応が面白くて、ついからかって遊んでしまった。そんな俺の行動も小学生並だけどな。
ヴァチカンでも吉祥院さんの苦手そうなカタコンベの話を振ったら睨まれた。
怒り混じりに前を歩く吉祥院さんの背中に揺れる髪が、クルンと巻いてまるで数字の6のように見えた。
「あれ?吉祥院さん。背中の巻き髪が獣の数字になってるよ」
俺の言葉に吉祥院さんはギョッとした顔で振り返ると、「ここをどこだと思っているの!キリスト教の総本山よ!不謹慎だわ!」と激怒した。すみません。
それから吉祥院さんはヴァチカンを出国するまで、両手で髪を押さえきょろきょろと挙動不審に周りを警戒していた。どうやら魔女狩りを恐れているようだ。動きで6をごまかそうとしたのか、吉祥院さんは小刻みに頭を振って、挙句立ちくらみを起こし、風見達に支えられていた。やべ…。
ローマの市内観光を終え夕食に行く時、バシッと背中に衝撃が走った。驚いて振り向くと、吉祥院さんが投球フォームで立っていた。なんだぁ?
なにかをぶつけられたらしい部分に手をやると、え、うわっ!襟足がザラザラする!なんだこれ?!白い…粉?マジかよ、白い粉が髪に付いてるって完全に見た目フケじゃん!勘弁してくれよ~っ!
なんて思ってたら、とうとう風見達に夕食後呼び出しを食らった。
「よくも麗華様に数々の無礼を!」「許せないわ!」「貴方のせいで麗華様が怪しげな行動を取っているのよ!」等と、一通り責め立てられた後、一転して風見達がその顔に黒い笑みを浮かべてきた。怖っ…。
「佐富行成。聞くところによると、貴方2年生に彼女がいるそうね?」
「えっ!なんでそれを?!」
「私達の情報網を甘くみるんじゃないわよ」
「彼女へのお土産をパリで買ったそうね」
「ペアのアクセサリーですって?」
秘密警察、恐るべし…!
風見達は俺を囲う輪を縮めてきた。後ろは壁、逃げ場なし。
「可愛い彼女だそうねぇ」
「いやぁ、まぁ…」
「2年生には、あの麗華様の従妹である璃々奈さんがいるってことを忘れたわけじゃないわよね?」
「しかも彼女は麗華様に憧れているそうね」
「ふたりの仲を引き裂くことなんて、簡単なのよ」
人質を取られた…。
「わかったら今後、麗華様への態度を考えなさい」
「残りの高校生活を無事に過ごしたいならね」
「貴方の仕打ちに麗華様はとても心を痛めているのよ!」
「はい。反省してます。ごめんなさい」
女子の集団に逆らってはいけない。俺は素直に頭を下げた。
「ところで、さっき吉祥院さんに白い粉末をぶつけられたんだけど、あれ何?」
友達にも手伝ってもらって、はたき落すのに苦労した。まだ残っている感じがして気持ち悪いから、早く部屋に戻ってシャワーを浴びたい。
「…あれは、塩よ」
「はぁ?塩?!どっから塩なんて出てきたんだよ」
まさかわざわざ日本から持参してきてるってことはないよな?だってさっきの量も片手一掴みくらいあったぞ。さすがにそれは、なぁ。でもじゃあどっから調達してきたんだ?
「い、いいのよ、そんなことは!」
「それより、これからはちゃんと麗華様を敬った行動を取ってちょうだい!」
「だいたい貴方は一体、麗華様をなんだと思っているの!」
「え…」
吉祥院さんをなんだと思ってるって、それはもちろん…
「友達」
真面目でお人好しでおだてに弱くてちょっと変わり者な吉祥院さんは、俺の友達だ。