こんにちは!
今日の話はとても傲慢な話だと思われてしまうかも知れません。笑
でも、僕が本気で悩んでいることでもあります。この悩みは、今まで親友のだーらくんにしか打ち明けたことがありません。
これはブログです。自分の気持ちや思いを発信していく場所です。
悩みを打ち明けるのは恥ずかしいですが、それでも覚悟を持って書いてみようと思いました。
これを書こうと思ったのは昨日のだーらくんの記事を読んだからです。
『模試埼玉県1位、中高6年間オール5、校内マラソン5位』を生み出す教育はなぜダメなのか。 - da-ra’s blog
↑こちらの記事を読んでからの方が面白いかも知れません。
(だーらくんとの比較は、次回書きます。)
さて、今日は僕の自分語りを中心に、がっつり語っていきたいと思います。
前半はちょっと自慢というかイキりです。でも「ただ自慢をしたいわけじゃない」ということは最後まで読んでいただければわかると思うので、是非最後まで読んでください。
■無駄を切り捨てた小学生時代
僕は、昔から「無駄なことをやりたくない」という思考回路がとーっても強い人です。
小学校のころ、音楽の授業が嫌いだった僕は、
「なんで中学受験にも関係ない音楽なんて授業あるんですか?」
と音楽の先生に言い放ったらしいです。
(そのせいなのかカラオケで歌うたびに爆笑されるほどには音痴ですが…笑)
塾に通っていた僕は、学校の算数の先生に
「こんな問題全部解けちゃうんで宿題やらなくていいですか?」
と文句を言ったなんてエピソードも。
完全に「イキリ小学生」なのですが、当時はそんな言葉も知らず、先生に歯向かっては怒られていたそうです(本人はあまり覚えてませんが)。
そんなことをしているから、通信簿には「もっと頑張りましょう」がたくさんあったし、「もっと協調性を持って、いろんなことに挑戦しましょう」とか書かれました。
「授業だから」「宿題だから」という理由だけで勉強するのが嫌で、自分の中で「なんでこれをやるのか?」という質問に答えられないものはやらない。
僕はこういう思考回路で生きてきたし、その生き方がかっこいいと思っていました。
こん考え方は大学受験の時も続きます。
■「数学でぶっちぎれば東大は受かる」と思った大学受験
中高でもこの考え方は続いていました。中高で一番苦労したのは社会です。
日本史…地理…政治経済…中でも一番嫌いだったのが世界史。
「なんでこんなカタカナの人の名前とかひたすら怯えなくちゃいけないの!!!意味わからん!!!!」
僕は暗記系の科目が苦手で大嫌いです。興味があることは自然と覚えられるけど、興味がないことは覚えられない。
教科書に赤ラインマーカーで線を引いて、緑の下敷きで隠してひたすら暗記する。
そんな作業は僕の受験生活で一番苦痛な作業でした。
でも、ある時、東大の試験の配点を調べてみたらびっくり。
社会はセンター試験で一科目使用するだけで、しかも圧縮されます。
すると理系の社会の場合は、550満点中で実質10点にも満たないくらいの配点しかないんです。
これに気づいた瞬間、僕の中で「社会を勉強する理由」が消えました。
勉強していて楽しいわけでもない。しかもそこまで入試で配点が高いわけではない。
じゃあこの辛い作業はなんだ!?と。
そこで、僕は社会は高校の単位が取れればいい。と決めました。100点満点の試験で35点を取れば評価「4」で単位がきます。
平均点が60点とかでも、僕は40点とかを取りつづけました。
親には何回も怒鳴られたし、先生に呼び出されたりもしました。
でも、僕はやらなかった。やる意味がないと心から思っていたからです。
僕はその時間を自分が大好きで、得意だった数学に当てることにしました。
数学は勉強してて楽しい。その上入試で一番差が出る科目です。
ならこの科目に時間を使うべきだ、と僕はそう思ったわけです。
この考え方に従うと、どんどん捨てる科目が増えていきます。
結局化学も国語も最低限しか勉強しないことにしました。
「そんな方法で東大なんか受かるわけない」と思うかも知れません。
でも、このやり方で僕は結果を出しました。
校内実力試験では、高一の時に日本史を100点満点で6点。偏差値36という結果を出しました。笑
でも、高校に入ってから数学の校内順位は一桁をずっとキープしていました。
数学でがっつり稼いで、英語物理でちょっと稼ぐ。国語と化学は人並みくらい…という戦法は僕にはぴったりでした。
東大の数学は難しく、理系の東大模試では数学で勝負が決まります。
都内の進学校でしたが、東大実践や東大オープンの校内順位は1位か2位しかとったことがありません。
結果、東大の入試本番でも数学120点満点中112点という結果を残し、理科I類の最低点を60点以上オーバーして合格しました。
正直、僕にとって高3は全然辛い時期ではありませんでした。
捨ててる科目はきっぱり捨てているので、周りよりも勉強時間は少なくて済みます。
なので、本を読んだりする時間もあったし、何より、好きな科目ばっか勉強しているのでストレスがたまりません。
周りが病んだりしていく中、僕は鼻歌を歌いながら楽しく勉強して、最短ルートで結果をだし、行きたかった大学にいけた!と。
僕の「やりたいことしかやらない思考」で大成功したわけです。
「めっちゃ勝ち組じゃね?」思っていました。
■これが僕の本音でした
さて、皆さん。ここまで読んでどう思いましたか?
多分不快に思ったり、イライラしたりした人もいたと思います。(あえて傲慢な書き方をしています。お許しを)
ここまでは、僕の受験までのお話。
これからは、僕が東大に入ってからの話をします。
大学からの話は、僕の失敗談です。この話は、今までだーらくんにしか打ち明けたことのない悩みです。
■大学が始まって
東大に余裕で合格できた自負があった僕は、東大の授業を舐めきっていました。
「この俺のことだ。東大の授業なんて楽勝だろ」と入学当初は思っていました。
一年生の授業は、専門的なものが少なく、「一般教養」と呼ばれるものがとても多いです。
その中でも一番納得できなかったものが第二外国語。
僕はスペイン語を履修していましたが、全くモチベーションが上がりません。
だって、スペイン語一年勉強して、なんの意味があるんですか?
英語くらい喋れるようになるならまだわかる。
でも中途半端に一年間勉強して、特に喋れるようにもならず、しかも人生でスペイン語なんて使うわけないだろ、と。
僕の「やりたいことしかやらない思考」が発動しました。俺はスペイン語なんて興味ない。やってて楽しくもない。
その時は僕はESSにどハマりしていました。英語劇や英語スピーチが今めっちゃ楽しい!だからこっちをやりたい、と。
東大入試という大舞台で「やりたいことしかやらない思考」で成功体験をしてしまった僕は、傲慢になっていました。
しかし、ここで一つ問題が起こります。
東大入試は社会や国語ができなくても数学でカバーできます。でも、スペイン語は単位を落とせば再履修です。
ずっと勉強をサボっていた僕は焦って試験前に勉強をはじめました。
でも、どうしても、スペイン語の勉強ができなかったのです。
僕は、「やりたくない事はやらない。やりたい事だけやる」人間だと思っていました。
でも、そうではなかったんです。
いつの間にか、僕は「やりたくない事ができない。やりたい事しかできない」人間になっていたのです。
結果、スペイン語の勉強を始めるもすぐ飽きる。他のことをやりたくなってしまう。
どんなに机に向かっても一向に勉強が進まない。
そして、試験が終わりました。とった点数は100点満点で「19点」。もちろん不可です。再履修。
今まで積極的に自分からネタにしてきたし、笑いながら冗談っぽく言っているのですが、正直笑い事ではないと思っています。
スペイン語だけではなく、単位を落とした科目はいくつかあったし、単位を取れてもギリギリな科目がほとんどでした。
結果、僕は進学選択で行きたかった学科に落ちてしまいました。
僕の中ではこれは人生最初の挫折でした。
「やらなきゃいけないことがわかっていても、できない」
「あなたの一番ダメなところはなんですか?」と聞かれたら僕はこれを答えます。
東大入試で結果を出してしまったことが僕を傲慢にさせ、こんな人間にしてしまいました。
「自分のやりたいこと」「楽しい!と思ったこと」なら誰にも負けない自信があります。
今ではほぼ毎日プログラミングの勉強をしていますが、自分が心からやりたいことに対しての努力は誰にも負けません。
でも、社会に出れば「自分のやりたいことだけやります」では済まされません。「やりたくないことをやらなくてはいけない」。そうなった時の僕は、本当に無価値です。
■だーらくんと比較して
これが、今の僕の一番の悩みでした。
だーらくんの記事を読んだ方、何か思いましたか?
面白いくらい、僕とだーらくんの思考回路は「真反対」なんです。
僕は、「きちんとやらなくてはいけないことをしっかりできる」彼が羨ましい。
彼は、「こーちは規格化されてなくてかっこいい。規格化されている自分はダメだ」と言う。
これから話したいことはまだまだありますが、それは明後日に回します。
■最後に
明後日は「僕とだーらくんの関係について」ちょっと語っていこうと思います。
ただ、今日はここでおしまい。
今日は皆さんへのメッセージは特にありませんが、僕の大学に入ってからの悩みを打ち明けました。
「こーちってこんな人なんだな」と改めて思ってくれれば嬉しいです。
皆さん、なにか感じたことがあればFacebookでもツイッターでも是非コメントをしてくださいね!