嘆き、絶望し、彼は魔王となった 作:スペシャルティアイス
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今作では
・傾城傾国について
効果は被使用者の死亡→蘇生で回復する。また使用者が死亡しても洗脳効果は解除されない
対象は一人枠であり、別の者を洗脳するには洗脳済みの者を死亡させて枠を開ける必要がある
・フォンチュルヌ・ベロア様式→フォンテーヌブロー宮殿のもじり。
スレイン法国の首都、最奥の白亜の神殿群は外観の精緻な芸術的価値さもさることながら、その内部はいかにも豪奢であった。
百年前に増築された大聖堂の内部は、高い天井と四方の壁に彩り豊かなモザイク壁画で覆われており、五百年前にあった六大神と七欲王の争いを物語調に刻んだ迫力ある芸術作品である。
ここは一般信者にも解放されており、布施をすることで数分の間に見学や祈りを捧げることができるのだ。
さらに布施を重ねることで、その奥にある六大神縁の品々のレプリカを安置した博物館に入ることも可能らしい。
さて、そうした観光区画から離れた中央神殿は神官たちが詰める場所である。汚れ一つない内壁を維持するには魔法を使っていることは想像に難くないが、一般神官たちは掃除をあえて手作業で行っている。日々の祈りや雑務を終えた一日の終わりに、それぞれの持ち場を掃除するのだ。
だが中には例外もある。働きを見初められた
「今日は貴女が上階の清掃ですか」
「は、はい区画長。精魂込め、心底よりご奉仕したいと思います……」
「ええ結構なことです。あなたの献身に神はお喜びでしょう」
見目麗しい女神官が年嵩の女神官に見送られ、輝くミスリル製の手すりのついた階段をうつむき加減に上っていく。
上がった先は両開きの扉に槍を手にした二人の神官兵と、扉から左右の壁に沿った通路があった。
足早にしかし静々と左側の通路に去り行く女神官を意味ありげに見送り、神官兵らは雑談する。
「ったくお偉方は羨ましいねえ。うまいもん食って惰眠を貪り綺麗なおべべで着飾って、更にあんな別嬪を好きにできるんだからよォ」
「まったくだ。俺も出世してえなー」
「そういや第六聖堂騎士団のベリュース団長、今の遠征を最後に水の神官長付きに出世するらしいぜ」
「マ、マジかよ!?……どんだけ袖に通したんだか。ゴマすっときゃよかったかな」
「やめとけやめとけ。お守のロンデスを忘れたか?あいつの胃、ストレスで治癒魔法でも三日保たないらしいぜ~」
「あのマジメ君か。あいつも一緒に楽しめばいいのに、馬鹿だよなぁ」
そんな軽口を叩く神官兵の扉越しには、深紅の絨毯の敷かれた空間があった。内装は法国の黄金時代と呼ばれたフォンチュルヌ・ベロア様式で、六大神の故事になぞらえた壁画が見て取れる。
談話室らしく貴金属で縁取りされた透明なガラスのテーブルとイスが揃えられ、常時であればそこには酒精に酔った高位神官たちが異性に酌をされながら噂話に花咲かせる謀略の片所であっただろう。
さらに奥に位置する大広間には、金銀をあしらったシャンデリアに白金拵えの円卓とイスが据えられていた。
そここそ国の首脳陣が集まる部屋であり、普段なら病欠という名のサボタージュで空席が目立つが、今日はそのほとんどが埋まっていた。
「かかか神を、そして我らを恐れぬこの所業ォ!!いかにして正義の鉄槌を下そうか!!」
水の神官長であるジネディーヌ・デラン・グェルフィは、その司る領分に反し激憤に任せ老齢らしい皺だらけの掌でヒステリックに机をひっ叩いていた。
「水の神殿が受けた被害は甚大だな。特に巫女姫、木偶ではあるがあの肢体は実に具合がよかったのだがなぁ。それも今は瓦礫の下か惜しいことよ」
「……この場に女性もいることを忘れてないかしら、イヴォン?」
「クカカ!なんだベレニス、猥談一つやるのにも賄賂を欲するのか?ん?いくら包んでやればご許可頂けるのかな?それとも鉱山でも進呈いたしますかな?」
「あなたの脳味噌は下半身にあるの?発情期の猿が紳士に思えてくるわ。本当に、世界には驚きが満ちているものね」
「双方お控えください。今日の議題は非常に重要なもの、今しばらく耳を傾けて頂きたい」
光の神官長であるイヴォン・ジャスナ・ドラクロウから火の女性神官長ベレニス・ナグア・サンティニへの当て擦りは、土の神官長であるレイモン・ザーグ・ローランサンの一言で断ち切られた。
双方は拗ねたように憮然と口を閉じ、状況の説明をレイモンが続けた。
「リ・エスティーゼ王国領南東、帝国との国境での軍事作戦は第六聖堂騎士団及び陽光聖典による王国戦士長の暗殺が目的にあり、騎士団は帝国騎士へ変装した上での欺罔作戦でありました。
しかしその最中に、陽光聖典隊長ニグンに持たせた魔封じの水晶による最高位天使の召喚を感知。水の神殿の巫女による監視を始めたところ、巫女を爆心地に水の神殿が崩壊。人的被害だけでも八割が使えなくなり、その半分は死体すら確保できません」
「問題は陽光聖典全滅の疑い及び国宝である魔封じの水晶が使われたという事実、そして監視していた水の神殿が壊滅したことか。爆発の原因は?」
「現在調査中です」
「鉄槌、鉄槌ィじゃ!!神罰など待ってられるかっ。こ、この際、陽光聖典が消息を絶った周囲を漆黒聖典や番外席次で王国民もろとも消し飛ばすべきだろうが!!」
風の神官長ドミニク・イーレ・パルトゥーシュとレイモンの門答に被さるように怒鳴ったのはジネディーヌだった。己の領分に被害があったことで弱みに付け込まれることを警戒して、何処かに責任を押し付けたい気持ちの表れか。
被害に関しては寄進を募れば問題ない。信者らから金などいくらでも絞り出せるのだし、竜王国など植民地からの奴隷輸出を増やせばお釣りすらついてこよう。
「ふむ。まあ評議国との盟約もあってないようなもの。番外席次を出しても奴がいれば竜王も抑えられましょう、何の問題もありますまい。いや、むしろ奴を単騎で出してやればよい。油虫のようにしぶといやつですし、万に一つ敗れることもありますまい」
「それでよいのでは。軍や聖典の出動にはそれなりの費用も掛かりますし。あの虫を使うのであれば移動と周囲の殲滅も含め三日で片が付きますし、餌はそこいらの木の根でも齧らせればよろしい。
……今回の遠征は私、反対でしたしな。騎士団や聖典の遺族への補償など頭が痛いことこの上ない。そして魔封じの水晶と水の大神殿の被害の責任はどこにあるので?おお、そうでした!この作戦を提起されたのはグェルフィ老でしたねぇ」
ドミニクの追従に、闇の神官長マクシミリアン・オレイオ・ラギエはニヤつきながらペレニスに水を向ける。
これにペレニスは怒りに赤くなった顔を更に赤くさせ怒鳴りつけた。
「こここの小童めぇ!!今は状況を速やかに収めるべきじゃろうがっ。それを足の引っ張り合いに利用するとは、国益を考える頭もないかァ!?」
「おやおやご老体。そう興奮されるとあなたの神殿のように爆発してしまいますよ?」
「マ、マクシミリアンッ!ききっ貴様ぁぁぁ!!」
掴みかからんばかりに興奮するペレニスを宥めながら、レイモンはマクシミリアンに鋭い目を向けた。
「ラギエ殿。亡くなられた方も多い此度のことを、そう揶揄するのはいかがなものでしょうか?」
「ふん。建物は金を出して作らねばならんしマジックアイテムはもう手に入らぬかもしれぬものも多い。勝手に増える人間を惜しむ理由がどこにある?
巫女姫とて第一位階を使える程度の処女の娘を、魔力を引き上げる紫粉で薬漬けにしてやればいくらでも替えがきこう」
「おいおいマクシミリアンよ!美しい処女をあたら無駄にするのは世の損失だろうが」
「チッ」
下世話な笑みを浮かべるイヴォンにジオディーヌは舌打ちして席を立つ。
「サンティニ殿。会議はまだ」
「レイモン、貴方が適当にまとめておきなさい。結局のところ元漆黒聖典の貴方こそ最適な判断が下せるでしょう?
これ以上種馬もどきの畜生と同じ空間にいるより、いもしない神に祈ったほうがましよ」
「フフっ、さすが懐と袖に“神”を忍ばせるのがお上手な方は言うことが違いますな。次の金貨の改鋳にはあなたの顔を彫ったベレニス金貨などいかがですかな?」
「ッ!!」
ドミニクの揶揄に荒々しく扉を閉めることで応えたジオディーヌは去っていった
溜息をついたレイモンが扉から円卓に目を向け、いまだ状況を軽く考えている者たちに淡々と告げる。
「私からは虫、大罪人を差し向けること。かつ漆黒聖典、そしてカイレ様の派遣を提案します」
「そうじゃ!その通り!!」
「……その理由を聞かせてくれるかなレイモン?」
手を打つペレニスを見ず、マクシミリアンを始めとした神官長へ向けてレイモンは理由を述べる。
「陽光聖典が消息を絶った地点は、トプの大森林にほど近い場所です。この名、聞き覚えがあるはずでは」
「まさか……破滅の竜王か?」
「まったくの無関係、とは言い切れません。不測の事態は常に留意すべきでしょう。漆黒聖典はあくまで現場指揮と調査を、虫には戦闘を行ってもらうのが最善かと。
そして虫や漆黒聖典を超えるもの、仮に破滅の竜王であったときは虫を自死させ、カイレ様にケイ・セケ・コゥクを破滅の竜王へ仕掛けて頂きます」
レイモンの提案にイヴォンが頷く。
「それはよい!虫なんぞよりもよい手駒が手に入るのなら私は賛成だ」
「然り。そもそも奴は気味が悪くてかなわん。両目から体液なぞを流すさまなぞ燃やし尽くしてやりたいわ」
眉をしかめたドミニクの意見に、レイモンを除いた神官長らは同意見のようだ。その後はさしたる修正もなくレイモンの意見で作戦を行うことが決まり解散となった。
レイモンは自分の居室に戻り、今回の作戦概要書を作る。普通ならそれに執行伺いと資料を併せて全神官長・三機関長・軍事元帥の同意を経て関係部署への通達、作戦開始となる。
しかし今回は漆黒聖典の案件ということで例外である。
「白金貨を用意せねばな」
しかし話を通すのに少なくない賄賂、金銭を用意しなくてはならない。
法国は二百年前の大改革により、上の人間ほど多くの給与をもらうことになった。考えてみれば当たり前の話である。国のために重い責任を持つものが何故誰よりも安い金で暮らさなくてはいけないのかと。
そもそも高い給与であることを約束してこそ、有能な人材の確保や国へ尽くそうとする気概を養えるのではないかという意見が増えたのだ。
ちょうどそのころ、亜人や異業種を大罪人によって駆逐させた土地が農業に適した土地となり、法国が豊かになり始めた時代だったのも関係している。
しかし現代、進みすぎた拝金主義は賄賂なしには動かぬ者が大多数となり、誰も彼もが金と権力を求める国となってしまった。
「大罪人、か……」
そのような国を五百年生きた者がいる。
大罪人、皆が“虫”と蔑むそれは異形種の化物である。昆虫が人型となったような姿で、その力と頑丈さ速さは人間を遥かに凌駕し、また確かな知性をもって高度な剣術を操る絶対強者であった。
そして幾多の法国の国難を救った存在でもあり、彼の正体を知る者らは怖れか畏れ、もしくはその両方を抱く。
「……誰も知らんのだ。この平和が、底のない闇に張られた一本の綱の上の均衡であることに」
その正体こそかつての六大神が国宝であるケイ・セケ・コゥクで洗脳した、歴史から葬られた八人目の七欲王、最強の欲王その人である。
世に混沌を齎した七欲王を法国の祖神である六大神が討ち果たした、それが今日の表の歴史である。しかし真実は違う。七欲王は本来八人存在し、六大神らが正面から倒すことは不可能と判断した者がその八人目であり、歴史に隠匿された今日の法国の盾ともいうべき存在なのである。
何故レイモンがそんなことを考えていたかというと、その存在に会うため地下牢へと向かっていたからだ
地下牢獄の上に立つ棟に入ると見張りを行っているはずの看守は一人もおらず、苦虫をかみつぶした風でレイモンは地下に下り始めた。
実際はただの餌係であるその看守らが真面目に控えるはずもなく、どこぞで暇をつぶすか別部署でコネづくりに勤しんでいるのだろう。
中に棲む存在から考えれば何の障害にもならないアダマンタイト製の檻を抜け、湿気と腐臭、血生臭さが混じった伽藍とした空間を奥へと進む。
ここには一日に二度、罪人や奴隷である蛮族、亜人、モンスターなどの異形が放り込まれる。その目的はただ一つしかない。
「おや、久しい方ですね。たしかレイモンさんでしたか?お久しぶりです」
「!?っ、そこですか」
そうして見えてきたのは床に座り込み、亜人を喰らう全身鎧の騎士だった。兜を外し四つん這いになって、頭を亜人の腹に突っ込ませ、皮と骨を残して臓腑と肉を綺麗に貪っている。
背を向けたままの異形は喰らいながらも、レイモンよりも先にその気配を察知して背中越しに呼びかけたのだ。
「……ええ。十年ぶりかと思いますよ“盾”の八欲王」
虫の異形は中空から取り出した布で顔を拭い、それから兜を被って振り返った。
薄汚れたアダマンタイト製の全身鎧に身を包み、背のマントは破れ切れて肩口を覆うだけでその用途を満たしていない。
しかし腰に佩いた剣と盾だけは場違いなほどに輝き、それの精確な価値はかつての六大神の装備に迫る代物だろう。
ただ一つ奇妙なことに、兜の目の部分からは絶えず緑色の体液、人間でいうところの血液が左右に一つずつ眼下へ流れを作っていた。まるで涙を流すかのようなそれは絶えず流れていく。
しかし彼はそれを気にもしていない明るい声音でレイモンに応対する。
「仕事です。貴方には、現在の漆黒聖典たちと共に大森林周辺へ向かっていただきます。そこで発生する全ての戦闘行為で法国に仇なす者を滅ぼすこと。そして漆黒聖典隊長、第一席次の命令に従ってもらいます」
「なるほど。つまりはいつも通りということですね。わかりました、この身にかけて全てを切って捨てましょう」
そう言って立てた剣を顔の前に掲げ、八欲王は騎士の誓いを口にした。
レイモンはそれを無表情で見据え、言葉を重ねた。
「……そういえば、番外席次はこちらにきていますか?」
レイモンのこの問いに騎士は首をかしげて答えた。
「ええと、もうしばらく見ていませんね。おそらく彼のところに行っているのでは?」
「あなたは、それに思うところはないのですか……?」
顔をついに強張らせたレイモンの問いに、騎士は緑色の血涙を流しながら答える。
「いいえ、何も。たしか前にもその質問をされましたよね。何か意味でも?」
「……すみません。くだらない質問でした」
彼は傀儡だ。現代にも伝わるケイ・セケ・コゥクによる最初にして最後に束縛された者。
レイモンは知らない。かつて八欲王最強にして、仲間たちを命に代えても元の世界に戻そうと奮起した彼が、間違いなく高潔な騎士であったことを。
今は傾城帰国の担い手か漆黒聖典を統べる者のみの命令に服従する彼の真名を。
「すべては人類を守るために。誰かが困っていたら助けるのは当たり前ですから」
たっち・みーという名を。