嘆き、絶望し、彼は魔王となった 作:スペシャルティアイス
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青空に雲が流れ、そよ風が緑葉をささめ揺らすその森は静かであった。動物の鳴き声、虫の羽音、動物の息吹は全く感じない。
『……』
木立の隙間から顔が、死形が双つ見えた。フードから覗いた無表情の水死体色の顔色で、宙空を浮遊する最上位死霊らは歩くほどの速度でまっすぐに森を進む。片方は怖ろしき絶望のオーラⅤを纏って。
『……』
死霊の後ろには道があった。物言わぬ屍が連なった道があった。老いも若きも人も亜人も異形も伏した道があった。森を、草原を、砂漠を、山岳を、海面を、国であった廃墟を繋ぎ埋め尽くす屍の道があった。
ふと瘴気が途絶える。すると入れ替わるようにもう一方の死霊が絶望のオーラⅤを放つ。彼らはこうしてスキルのリキャストタイムを埋めながら進んできたのだ。
『……』
そして左右等間隔に同じ光景が見える。絶望のオーラの効果範囲が被らない真横の軸上に、同種の死霊二匹が同じく絶望のオーラをまき散らす。
そしてさらに隣に同じ死霊が続き、それがどこまでも続いていた。その横列はひたすらに死を振りまき屍を重ねていく。穀物を収穫するかのように丁寧に丁寧に、丹念に丹念に精魂込めて隅から隅まで刈り取っていく。
ただただ主の願いの下、悲嘆の火炉に怨嗟という燃料を焚きくべ命を刈り捨て進んでいく機械のようだ。
『……』
死列が去った木の洞に《不可視化》が解除されて異形が姿を現した。四本腕に灰色がかった体色の女の亜人、
彼女はかつて一族の長としてここより離れたアベリオン丘隆にて君臨していたが、突如現れた死霊の群れによって部族は皆殺しにされ己一人ひたすらに駆け逃げてきたのだ。
それは直感だった。自分の持つ死の守りがアレらには通用しないという虫の知らせに従って逃げたのだがまさしくその通り。
彼女の持つ《アームバンド・オブ・デスガード》は一日に一回だけ死に誘う魔法への絶対防御を備えるという破格のマジックアイテムであったが、今に限って言えばそれは効果がない。
死霊らの放つそれは魔法ではなくスキルによるもののため、即死を防げず結局はこうして物言わぬ屍の一つとなっていたのだった。
『……』
「ふむ、異形か。ならばその躰、偉大なる御方に捧ぐがよい」
死霊の葬列の後から続いたのは、輝く紫色の宝玉を握った
彼女は幸いである。第二の生にて、生前より強力な上位死霊に生まれ変わり奉仕する喜びを得たのだから。
彼女は幸いである。人間であったのなら打ち捨てられ虫の餌となるだけだったのだから。
死の支配者の将軍のかざした杖先から生じた闇がその死体を包み、魔現人だったものが一跳ねして変質していく。肉は解け靄が集まり、そこには先ほどの最上位死霊が生まれ出でた。
『オオォォァァァァァァ』
「そう、その通り。人間、人という種を絶やすのだ。人間種が存在したという記録を消し去るのだ。偉大なるモモンガ様の、そしてその愛し子である守護者を苛ませる存在・意義をこの星から滅却させよ。
これは戦争だ。生存戦争なのだ。彼奴らの存在はアインズ・ウール・ゴウンへの猛毒であり雑菌であり寄生虫であり、記憶は宿主を殺す忌まわしき病だ。
ゆえに滅べ人間よ。どこに隠れようと廃滅させてやるぞ人間よ。三千世界より疾く疾く消し去ってくれよう」
呪詛を口に憎悪は眼窩に、
人は絶やす。その過程で亜人や異形がいくら滅んでも構わぬし滅ばなくても構わない、どうでもいい。だがヒトは、ニンゲンは駄目ダ。
“俺”のダイじナ仲間ヲ侵し、冒シ、オかシに犯しタにんゲンは許サナイ。
……どうやら創造の際に混じりこんだ強い思念が死の支配者の将軍の思考をかき乱したようだ。
彼は思わず膝をついて震える。吐いた息は陶然としていて、己の中に息吹く神の祈りに魂を震わせたのだ。
「おぉ……偉大なる御方よ、分かっております理解しておりますとも。一刻一塵、一刹那でも早く貴方様のいと貴き願い、果たして見せます!!」
西から東へ大陸を横断するその列は南へ進む。北へ進んだ己の主のため、その願いのため。
例えその骨と霊体が塵になろうとも本望なのだから。
***
斜陽に照らされたアーグランド評議国最後のその都は、城壁沿いに隙間なくアンデッドの兵に囲まれていた。そしてその遥か上空にて対峙する竜王と不死の王。
「白金の竜王よ。お前は唯一、我が友を守った存在だ。だから私はお前を殺したくないしお前が大切にする国を侵したくない……だから頼む!人間をっ!!……一人残らず引き渡せ」
一瞬だけ硬直してから滑らかに言葉を吐いたモモンガは言動とは逆にどこか不自然だった。道化に真剣に向き合うかのように心にも思わぬ言動がその端々に感じられてしょうがない。
その呼びかけに悠然とした———風を装うのは唯一の竜、国を人質に取られながらもこの状況を何とかしようと彼、ツァインドルクス=ヴァイシオンは必死だった。
「……私は失望したよモモンガ。契約を反故にする気なのかい?これでは君に託した彼の、タブラの意思は———」
「次にタブラさんの名を口にしてみろ……。その手足と羽を捥いで地を這う地虫に落とすぞ。———アルベド、今は抑えよ」
モモンガの呼びかけに、いつの間にか生じた中空のヒビがゆっくりと消えていった。その裂け目から僅かに、血走った黄眼が垣間見えた気がした。
そしてモモンガは唐突に叫んだ。
「なあ竜王よ!
あどけない純朴な青年、鈴木悟の声音でモモンガは両手を広げてツァインドルクス=ヴァイシオン、ツアーに呼びかける。それを警戒、胡乱げに受け止める竜王。
「
小声で囁いたモモンガは己の両腕に装備した強欲と無欲を、その下の指輪を籠手越しに撫でた。
その呟きをツアーの鋭敏な聴覚はしっかりと捕えていた。しかしそれ以上に困惑する。先ほどから目の前の骸骨魔法詠唱者、波長というか雰囲気が一致しないのだ。
最初は長い年月を過ごした絶対者、しかし時折のぞかせるものはどこにでもいそうな凡夫な青年。
それがスイッチのように瞬時に交互に入れ替わって顔をのぞかせる。
「私は彼が残したものの中身を知らない。だからなぜ君がその結論に至ったかは推論しかできないのだけど」
「……お前の考えなどどうでもよい。それで人間を差し出すのか、どうなのだ?」
超越者の声音に戻ったモモンガにツアーは再び話を引き延ばそうと口を開こうとして、しかしそれは許されなかった。
「!?」
突如大地が震え、アーグランドの都中の地表に亀裂が走り、そこから無色のガスが吹き出し始めたのだ。
「くそっ……!?」
次々と倒れていくアーグランドの国民、亜人、異形種たち。亀裂はなおも蜘蛛の巣上に広がり、そのガスに晒されたものらは少なくない数が息の根を止められていく。
そして轟音と共に門が爆ぜ、都の入り口から雪崩打って攻め寄せる死の軍勢。ガスから逃れたアーグランドの民たちを喜々として血肉の塊へと変えていく。
今は種族特性としてかガスの効かなかった者たちがナザリックの軍勢に必死に抵抗しているのが上空から見えた。
しかしそれも直に収束するだろう。ツアーが介入しない限りは。
「遅きに失したかっ」
ツアーは事前に代価の発生する寸前まで詠唱していた魔法を発動させる。
始原の魔法、そのうちの一つであるそれは莫大な数の命を磨り潰して発動する。純粋な破壊を引き起こすこの魔法は、この世界に元からあったものがゆえに始原の名を冠する。
残ったアーグランド全ての民を消費して己すら巻き込み、目の前の存在を消し飛ばすために使うのだ。
(はた迷惑な話だねまったく!なぜ私が傲慢な法国の尻を拭わなければっ)
全ての原因は八欲王と六大神の降臨が端を発した。厳密には八欲王最強の一人が法国に取り込まれ、人間種の拡大に貢献してしまったのが原因だ。
そして生息域を拡大し勢力を伸ばした法国は堕落した。
神の御名の下に亜人種・異形種を虐殺し、法国民以外の人類を蛮族と蔑みながら次々と領土を拡大していったのだ。
その流れを何度もツアーは止めんとしたが、寿命のない異形種である最強の八欲王に阻まれてきた。
しかしそれも数か月前に終わった。全ては目の前に現れたモモンガ、そしてナザリックというギルド集団によって、法国の主戦力ごとその首都が灰燼に帰したのだ。
法国に滅ぼされた者の遺族を率いて数百年もの時を抵抗していた魔王がナザリックに合流するとともに、瞬く間にすべてが終わったとツアーは記憶している。
収束する始原の魔法の莫大なエネルギーを目の当たりにしても、モモンガは微動だにせずツアーを、その力場を眺めたままだ。
「ほう、それが始原の魔法か。この世界の
「滅べッ!異界の禍神め!!」
まさか彼もいきなりモモンガがこのような虐殺を行うとは思ってもいなかった。
タブラ・スマラグディナからよく聞かされたアインズ・ウール・ゴウンというギルド、そのメンバーたちの話。
そのまとめ役であった心優しきギルドマスター、そして数か月前に目の当たりにした本人。
絶望という言葉が生ぬるいほどに絶望し、流れぬ涙を流し幼子のように泣き叫び法国を、人間種を呪ったモモンガという存在。
その姿が今は亡きツアーの友人であった十三英雄のリーダーと被り、僅かでも同情してしまったのがここに至り、ツアーは致命的な間違いを犯してしまったのだ。
(さらばだ悲しき化物。君のことはタブラの傍に墓をしつらえておくよ)
星の今際の煌きにも似た光が己も飲み込もうとする中でツアーは目を閉じる。術者であっても半死するダメージは負うだろうが現状でこれ以外の選択肢はなかった。
最後の竜王として、この世界を汚すユグドラシルの影響を少しでも薄めるのは竜王としての役目なのだから。
「……!?どうして、痛みがないっ」
しかし感じるはずの痛みを感じず、目を開いたツアーが見たのは先ほどと変わらぬ風景。始原の魔法のエネルギーは何処かへと消え、己へ掌を向けたモモンガにも傷一つない。
「な、何故だ!?どうして魔法が!?」
「フフ、クククッ,フハァハッハハハッハッハ」
肩を揺らし、狂ったように哄笑する骸骨にツアーは目を剥く。状況からすれば必殺ともいえる始原の魔法をモモンガが無効としてしまったのは明白なのだから。
八欲王や六大神ですら不可能だったことを、たった一人で彼は為したのだろうか?
「感謝するぞツアー!実験は成功した!!……タブラさん、あなたは本当に、本当にすごい人だよ。ありがとう、タブラさん……」
指輪のはまった拳を抱きしめ解き、胸を張ったモモンガから天地に響き渡るような大喝が発せられた。
「全てのナザリックの者たちよ!私はここに誓う!!大願を現実のものとし、私は残された三十六を守りぬく!!そしていずれ還る四を迎え、我ラの黄金の日ビを取リ戻すノダアアァァァ!!」
「な、なにを……!?モモンガ、君は一体なに……ぐっ!?」
呆然としたツアーが,突如走った痛みに頭を抱えその相貌を歪めた。それをモモンガは柔らかな声音で呼びかける。
「安心しろよツアー。お前と、人間を除いたお前たち評議国民は元通りにしよう。……だってタブラさんに良くしてくれた恩人?恩竜だからな」
「な、なら何故、こんな真、似……を……」
意識が途絶え墜落していくツアーに目もくれず、モモンガは遥かな北を見据える。その先は未知であり、これがユグドラシルであれば未開を探索せんと心を弾んだものとしていただろう。
だが今の彼にはやることがある。
「さて、まずは人間を根絶やさないとなぁ」
青年の声だけが東から到着した黄昏に残り、異形の姿はいつのまにか消えていた。