「脳波、心拍、体温、眼球運動、活動パターンはマズイですね。体のバランスを保つ機能も低下しているようです。今日は居酒屋に向かわず、真っ直ぐ家に帰って、早めに寝てください」――仕事が一段落して同僚と行きつけの居酒屋に向かおうとしたとたん、スマートフォン(スマホ)からアラートが鳴り響き警告される。発信者はAI(人工知能)。そんな時代が遠からず来るかもしれない。今回は「AIによる睡眠指導」について述べてみたい。
■すでに10年以上の歴史 ウエアラブル端末による健康管理
最近、ウエアラブルデバイス(ウエアラブル端末とも呼ぶ)を用いてユーザーの睡眠状態を評価したり、問題があればその対処法を指導(コーチング)したりするなど、睡眠をフィーチャーした健康事業について助言を求められることが多い。相談に訪れる企業もベンチャー企業から老舗メーカーまで幅広く、業種もIT企業からはじまり、医療機器会社、保険・損保、健康保険組合、ゲーム業界など硬派から軟派まで実にさまざまだ。
ウエアラブルデバイスとは、腕、腰、首など身体に取り付けることができる(ウエアラブル)機器のことである。最もシンプルなものは、内蔵している加速度センサーで手首や腰の動きを秒~分単位で計測し活動量や消費エネルギーを表示する、いわゆる高性能の万歩計である。さらに、リストバンド型であれば脈拍や体温など、メガネ型では脳波、眼球やまぶたの動き、頭部の揺れなどが同時に測定できる。
ウエアラブルデバイスは、いわゆるIoT(モノのインターネット)で活躍が期待されている。IoTについては既にご存じの方も多いだろうが、日常生活で用いる種々のデバイスをネットワーク上で相互接続して、各デバイスの内蔵センサーから収集したデータを有機的に活用することをさす。テレビのCMで「帰宅前にスマホを使って自宅のエアコンをつけておく」などの利用法をご覧になったことがあるだろう。
睡眠判定のできるウエアラブルデバイスの多くもBluetoothやFeliCaなどの無線通信によってスマホやパソコンにデータを送ることができ、これらのデータを解析することで、ユーザーの日々の睡眠状態を客観的に評価できる。睡眠だけではなく、刻々と変わる自律神経(交感神経、副交感神経)、注意力や集中度、体のバランス(平衡機能)などのさまざまな心身機能の日内変動も可視化できる。
ウエアラブルデバイスを使って健康管理をするという試みは10年以上前からあった。私の所には7、8年ほど前にかなりの問い合わせが集中したと記憶しているが、その後やや沈静化していた。というのもこの分野に参入した多くの企業は商業的にあまり大きな成功を収めることができなかったためである。さまざまな理由があるが、「飽きてしまう」ユーザーが多いのが大きな弱点であると個人的には感じている。デバイスの販売ではなく、企業が用意したプラットフォーム(サイト)上で解析と見える化システムを活用してもらうことでその使用料を課金するビジネスモデルの場合には、とりわけ長期ユーザーが少ないことは致命的である。
スマホアプリに表示される自分の睡眠パターンを当初は興味津々で眺めていた人も、1週間もすれば新味がなくなりチェックしなくなる。特に快眠できている人であればなおさらだ。睡眠で困っている人の場合でも、適切なコーチングが戻されなければやはり止めてしまう。現在の技術ではユーザーによって異なる多様な睡眠問題に臨機応変に対応し、満足度の高いコーチングができるアプリを作成するのは大変である。ここら辺の苦労話は本連載の「不眠症に効果アリ? 癒やしの壁に挑む『睡眠アプリ』」でもご紹介した。
実際、ファッショナブルなウエアラブルデバイスで一躍人気となったJawboneですら、2017年7月、経営が思わしくなく破産手続きを開始したと伝えられた。鳴り物入りで登場したApple Watchも当初期待されたほど普及していないようである。そのほか注目されていたウエアラブルデバイス企業の多くが伸び悩んでいた。
■IoTを駆使した睡眠指導は実現できそうだが…
ところが、17年あたりから再びこの分野が活性化してきた。その背景にはAIへの期待がある。国や企業がAIやIoTを活用した研究や開発事業に研究費を注ぎ込み始めたためである。国の医学研究費の元締めである日本医療研究開発機構AMEDが公募する研究の要項(どのような研究を求めているかの解説書)を眺めてもあちらこちらにAI、IoTの文言が並び、さしずめ「AI、IoTにあらねば研究にあらず」といった態(てい)である。ビックリするくらい高額な研究費が配分されるのを見て、こじつけでも構わないから申請書に「AI、IoT」と書き込まねばならないという強迫観念に駆られている研究者が少なくない。
確かに、皮膚疾患や内視鏡などの画像解析、診療報酬やゲノムのいわゆるビッグデータ解析など、AIの機械学習や深層学習が得意とする領域では先駆的な研究が行われているが、その他の多くの医学領域では未だAIやIoTをどのように研究に展開すべきか模索している段階にある。そんな中でウエアラブルデバイスは比較的AIやIoTと親和性が高いと目されている。なぜなら、IoTで吸い上げた「個人の」精密な生体ビッグデータを、AIを使って生活環境や医療情報と紐付けて解析することで、従来の技術では難しかった効果的なテーラーメイドコーチングが可能になるかもしれないからだ。
例えば睡眠の場合、微細な体動を常時モニターし、その解析から寝ているか起きているかを分単位で推定する。メガネ型デバイスであれば脳波を直接測定することで日中の脳の覚醒度も評価できる。仕事に集中している時、リラックスしている時、疲れている時、酒を飲んでいる時、さまざまなシチュエーションでの生体情報がAIによって統合され、判定され、コーチングに反映される。もちろんスマホのカレンダー機能からその日のスケジュールは筒抜けである。パソコンのキータッチやスマホのゲームアプリのスコアもパフォーマンスを測るデータとして収集される。ゲームに課金していた時の体温や心拍数もストレス指標としてモニターされる。どこでどんな酒を飲んでいるかも位置情報やSuicaの支払いデータからバレバレである。
飲酒後の睡眠状態が悪ければAIから節酒の指示が出ることは間違いない。あるキャバクラで異常に心拍数が上がれば「危険区域」に指定されるかもしれない。お気に入りの女の子から入った営業用SNSメッセージへのレスにも気をつけなくてはならない。精神状態をAIに推定されるからである。これらの生体情報は単発では信頼性が低いが、同一の個人で何度もデータを収集しているうちにその精度はいやが上にも高まる。
■過剰なアドバイスが息苦しい?
テクノロジーの進化は凄まじい。AIの能力が人類を超え(いわゆるシンギュラリティ問題)、映画「ターミネーター」が現実になるのではないかと本気で心配している人もいる。しかし、個人的にはもっと卑近で、それが故に現実に起こりそうな不安を感じている。
もしかしたら遠からずユーザー以上にユーザーのことを知り尽くしたAIから冒頭のようなアラートが日夜発信されるのではないかと! 例えば会社でメタボ健診に引っかかったが最後、ウエアラブルデバイスを着けさせられ、スマホからコーチングをしてくるAIの設定は自分勝手に変えられない。指示に従わず自宅と違う方角に向かった段階で監督者(奥さん)のスマホにお知らせメールが入り、同時に懲罰として自宅玄関の電子錠は明朝まで開かないようにロックされてしまう。飲食店やカプセルホテルでのクレジット決済もブロックされるためプチ家出もできないのである。
愛情や心配も度を過ぎると息苦しい。的確なアドバイスをくれつつ、利用者への気遣いも忘れない愛あるAIは登場するのか。私のスマホのSiriに「愛って何?」と尋ねたところ「それにはお答えできません」とすげない返事が返ってきた。
三島和夫
秋田県生まれ。医学博士。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所 睡眠・覚醒障害研究部部長。日本睡眠学会理事、日本時間生物学会理事など各種学会の理事や評議員のほか、睡眠障害に関する厚生労働省研究班の主任研究員などを務めている。『8時間睡眠のウソ。日本人の眠り、8つの新常識』(川端裕人氏と共著、日経BP社)、『睡眠薬の適正使用・休薬ガイドライン』(編著、じほう)などの著書がある。
(日経ナショナル ジオグラフィック社)
[Webナショジオ 2018年4月19日付の記事を再構成]
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