未だに知性を「社会に上手くアジャストする能力」と思っている人間がいる。
本当、バカだなぁ、と思う。

Twitterでも日々、
「ヤマカンは高学歴なのに、どうしてアニメムラに順応できないの??」

本当、バカ。

某大株主からも言われた。
「どうして京大出ていてそれも解らないの?」

本当、バカとしか言えない。
何度生まれ変わっても彼らが理解することはないだろう。
アホは何度死んでもアホである。


知性とは「社会を省察する能力」「社会を批判する能力」のことだ。
すべての知識人、哲学者から科学者まで、同じことをしている。

まず今を疑うことから始めるのだ。
このままでいいのか?これではいけないのではないか?
もっといい方法があるのではないか?

このモチベーションがなければ、学問なんか要らない。
ずっと原始生活を送って、適当に生きて死ねばいいだけだ。

「みんな平等にバカでいいじゃん、出る杭は打とうぜ!」
これでは何も良くならない。

百歩譲って、今のこの世界に全面的に満足して、全面的に肯定したいのなら、それでも良かろう。
でも、そうじゃないんでしょう?
だから無駄に怒ってるんでしょう?

「どうしてこうなるんだ?おかしいじゃないか!」
ここで既に知性が芽生えているのだ。
現状に甘んじたくないのだ。

それを「ムラに順応しろ!」と強要するのは、根本的に矛盾している。
このままではいけない、そう思うことが既に「知性」の萌芽だ。


最低限、それくらいは気付いてほしい。
自分の知性を眠らせるな。