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者・・・

 投稿者:飛翔こそ蘇生
 投稿日:2018年 6月27日(水)00時30分27秒
「・・・広宣流布の大願も叶うべき者か、

剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し、

日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに

・還つて日蓮を種種の難に合せ結句此の島まで流罪す・・・」

時は法難が起きている時である。
何がゆえに起きた法難かと言えば
日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんと
したことによって起きた法難である。

従来の教学で「者」を読めていないのは
宗門を立てなければならなかった名残りであるとも思う。

「異体同心の~処」「広宣流布の~叶うべき者」
あえて普通の認識とは入れ替わっている。

異体同心の者によって広宣流布が進む処となるのではなく
師が弘通によって起こした異体同心の処に思いを置いていれば
広宣流布の大願も叶うべき者になるのだ。

「異体異心の者」「有れば~城を破る」
こっちが普通の感覚であり、
そのままでは組織(城)は壊滅する。

「今日蓮が弘通する処」とは
法華経のゆえに法難が起きている処であり

それは所詮
法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継いで
「広宣流布の大願も叶うべき者」一人を生むためである。

これがどうして、宗門を立てると読めなくなるか。

代々法主と獄中の悟達のどちらに信心の血脈があるか
という問題にぶつかるからだ。

戦時下、法華経のゆえに難を起こした牧口先生によって
創価教育学会の多くの幹部が投獄された。

「者」として私が難を被ったと思った多くの幹部は
異体異心の者となって、組織を壊滅状態にさせた。

「師弟のある処」に起こった難として受けた戸田先生は
その獄中という処において「広宣流布の叶う者」としての
法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継いだのである。

戸田先生が出獄し、壊滅状態だった組織を
民衆の広宣流布の団体として復活させた。

こう読んでしまえば宗門の面目は丸つぶれであり
そうは読めないように見えなくさせられているのだ。

宗門としては
「『在在諸仏土常与師倶生』よも虚事候はじ。」
を当にそのことと読ませてはならず

法主の権威に従わせたかった。

戸田先生が起こした法戦の処を
池田先生に継がせるのではなく
宗門の権威の中に取り込んで見えなくさせたかったのである。

しかし、そういった魔の蠢動する処こそ
戸田先生が法華経のゆえに起こした法難だったのだ。

結局、池田先生が「一人」受け継いだのである。

そして今
「今の組織信仰の活動の在り方はおかしい」
「自公連立はおかしい」等と声を上げれば査問等される。
池田先生が法華経のゆえに処に起こした法難である。

「者」として私が難を被ったと思えば脱落して
異体異心の者となって陣列を壊滅状態にする。

「師弟のある処」に起こった難として受けきれば
「広宣流布の叶う者」としての血脈を継ぐのである。

そしてそれには処に起こる「広宣流布の大願」
「法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がむ」との意思

誓願と実存解明の探求が必要である。

者に起こった「広宣流布の大願」なら押し付けである。
処に起こる「広宣流布の大願」は民衆の希求であり
仏の勅命なのである。

戸田先生は、分かりたい、分かるまで次には進まぬと決めて
34の非ずを読み切って実存を悟った。

そしてその処に「広宣流布の大願も叶うべき者」
「地涌の菩薩」であることが起こったのである。

その場、その場
VODの体験で言えば一家和楽の広宣流布には、自分が思う
「五体満足が幸せ」を押し付けて取引の苦行をするのではなく
その処に希求されている実存の幸福を実現させられる自分への変化が
蒔かれた種を思い続けることで自ずから然として起こったのである。

それを一つの技として、次に活かしているのだ。

これの継承がされていく基本は、一人から一人へなのである。
 

愚かなる人々

 投稿者:コンクリートジャングル
 投稿日:2018年 6月27日(水)00時24分57秒 編集済
人を批判する資格のある者って?
そのような資格には試験はあるのでしょうか?

①学会本部を批判する。会長を批判する。

ことと

②日顕を批判する。山崎正友を批判する。

とは批判が違ってきます。

②は明らかに法に触れた人間を批判すると言うもの。批判されて当然でしょう。

①に関しては、
たしかに、批判する資格はあるのか?と問いたくなる。
批判する意義は?

安倍政権、安倍総理の失態を批判する資格は、税金を払っている、日本人である、選挙権を持っている者は批判する資格はあるでしょう。

①に関する批判なら、じゃ除名したら?
除名もせずに批判となると、批判する資格が問われ事は、確か。
じゃ、
①を批判する資格とは?

批判するだけの、その社会的組織とその人に対しての惜しみない努力をした。その努力は、その社会的組織とその人も認めている人が、批判する資格はあると思う。

2、3か月に一度、月に一度、週に一度、会う幹部の指導や言動がおかしいので、会う時に直接言う。
これは批判ではなく、直接言っているので意見。
しかし、これを直接言わずに、地域の婦人部に言う。これは批判になる。

しかし、相手が大きな組織に対して、不満批判する人が多くいる場合、署名活動が批判とならず意見とされるんじゃないですか?

あと批判するなら、匿名とかペンネームとか、
おかしな話し。
それこそ批判する「資格」なし。
資格取るための受験資格もなし。

ハゲた頭を、ばれている「カツラ」で隠すようなものだ。
周りの人間は、バレてますよと、つぶやいてますよ。
 

同盟題目

 投稿者:
 投稿日:2018年 6月26日(火)23時47分6秒
今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
おやすみなさい
 

同盟題目開始致します。

 投稿者:信濃町の人びと
 投稿日:2018年 6月26日(火)23時02分57秒
池田先生と奥様のご健康とご長寿を祈りましょう。  

同盟題目

 投稿者:正義の子
 投稿日:2018年 6月26日(火)23時00分29秒 編集済
23時になりました。同盟題目を開始します。
池田先生たち奥様のご健康とご長寿を祈ります。


※投稿ハンドルを間違いました。
管理人様、至急こちらの投稿のみ削除お願いします。
 

創価新報のおかげ。

 投稿者:冷遇センター
 投稿日:2018年 6月26日(火)21時43分5秒
創価新報のおかげで、どんどん拡散中です。笑  

(無題)

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編
 投稿日:2018年 6月26日(火)20時58分50秒 編集済
https://6027.teacup.com/situation/bbs/86058

昨日出した法華経の智慧の一部分だけど。

『それらを含めた生命の全体を妙法に向かって開き、ゆだねることによって、初めて“仏性”“仏界”は、自身の生命に顕現してくるのです。』

これって御本尊様のことをも言ってるようにも感じられるのですよ。

御本尊様の周囲の諸天善神。
『それらを含めた生命の全体を妙法に向かって開き、ゆだねることによって、初めて“仏性”“仏界”は、自身の生命に顕現してくるのです』


自身の十界を含めて周囲の他者までもの生命全体を妙法に向かって開き、ゆだねることによって、初めて“仏性”“仏界”は、自身の生命に顕現してくるのです

・・・ ということになりません?


再掲するけど
https://6027.teacup.com/situation/bbs/80700

『此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり、十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり。』
日女御前御返事(本尊相貌抄)1244ページ


真面目に信仰してる同士で話が通じない、いや口論になるというのは、そもそも「御本尊様に通じてない」からなんじゃないかとf^^;

https://6027.teacup.com/situation/bbs/58089

河合師範の指導から
『幹部にほめられても、御本尊にほめられなければだめ。
今は幹部公認・御本尊非公認になっている。功徳がないということは御本尊に通じてないということ。これではつまらない。
御本尊に認めてもらうのが信心。』

いうまでもなくそもそも掲示板で話してる相手は「御本尊様」ではないですf^^;
ましてやあなたの「幹部」というわけでもないでしょうから(たぶん)

みんなに認めてもらう以前に御本尊様に認めてもらえる状態が結果的に「心ある人」に通じるんじゃありません?

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

すみっしーさん

 投稿者:見込みない人びと
 投稿日:2018年 6月26日(火)20時26分0秒
ですよね。非会員のS大卒業生。最近Twitter始めた様子。力みのない素直な語り口。楽しみにしてます。

希望はあったのだ、Sayさんおっしゃる通り松山さんかもしれないです。

中日・日中、そんなに過去拘ってたかな?日中友好農場とかあったしフレキシブルに使ってたとの認識です。
 

まるで嘘つきルポライター

 投稿者:ミネルヴァの梟
 投稿日:2018年 6月26日(火)20時11分3秒
またまた、タチの悪い三文文士が絡んで来たので、「虹と創価家族」氏へのご返事は明日ということで…。

ホント、めんどくさい奴だ!

三文文士が、また自分から白状しているが、本人はITオンチ。信濃町界隈で見た見ないという話は全部、他者からの受け売りに過ぎなかったのだ!何という、いい加減な奴なのだ!

その受け売り情報がそれほど信頼できるのなら、明日自分でその場所へ行って確かめて来やがれっ!!
そしてその結果をここで報告しろ!

それが、本来なら一番確かな方法だ!
本来ならと、但し書きが必要なのは、自分に不利な結果が出た場合、こういうタイプの奴は必ず嘘をつくからだ。

アベ首相の「私は官僚が上げてきた資料を信じて答弁しただけなので、何の責任も無い」というアレだ。モリカケ問題と同じで、こういうヘビーな嘘つきは、実にめんどくさい。つける薬がないとはこの事だ。

今日もまた、「図星を突いた~!」と勝手な解釈をして狂喜乱舞している事だろう。その馬鹿面が眼に浮かぶ様で、吐き気を催すほど不愉快な奴だ。

多分仲間うちからも嫌われているのだろう。オフ会とやらに、誘ってもらえない様子を伝える情報も、そう言えば以前ココで見たことがある。しかし、オフ会に誘われるとはどういうことだ?ダーハラ側の人間ということなのか?

以前名護市長選の頃、「ニワトリの足」とかいうダーハラ側のヘンテコな奴がいた。先生のことを「池田のおじいちゃん」などと抜かすようなアホだが、本人自ら、「三文文士」の後輩だか、折伏されたとか言っていた。

「三文文士」自身が、多分池田先生を疑っているので、当然後輩もそうなってしまったのだろう。
結局、後輩もまともに育てられなかった者が、また同じ文脈で、別のホラを吹きまくっているというのが今回の真相だ。

「三文文士」は3流作家への転身を図っているのか、くだらないヘボストーリーを想像だけで書きなぐっているが、何をバカな事をやっているのだ。リアリティなさすぎ。まさに「ものに狂う姿」そのものだ!

フクロウのサエズリという表現は、変だ。特にシマフクロウなどはすごい低音だ。サエズリとは言わないだろう。
才能がなさそうなので、作家になるのは無理だと思う。
嘘をつき通す執念はなかなかなので、嘘つきルポライターなどは、適職かも知れない。



 

者!

 投稿者:螺髪
 投稿日:2018年 6月26日(火)19時40分42秒
【若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か】(1337㌻)

 トミーさんの読み方も、
 「もしそうであるならば、広宣流布の大願も成就するであろう」

 「者」は、「こと」の読み方があるようです。「法華経の智慧」の“もの”ではなく、“こと”と読むのとよく似ています。

 「五陰」も仮和合、これに衆生、国土の世間と、それに「時」の不確定要素が加わるわけですから、「こと」がこの宇宙の実相のようです。


 

(無題)

 投稿者:会館出口調査
 投稿日:2018年 6月26日(火)19時30分29秒
当たり!!
真骨頂の投稿ですねぇ!!
 

話題を逸らすこと

 投稿者:ドン・キホーテ
 投稿日:2018年 6月26日(火)19時18分6秒
話題を逸らすことをするのも、要は、反対したいのである、封じ込めたいのである。
根本の問題点から目を逸らさせたいのである。
なぜ、そのようなことをするのか、する人がいるのか。
その問題が重要だからである。
 

人生の座標から~

 投稿者:うーこメール
 投稿日:2018年 6月26日(火)17時58分25秒
世界の半分は女性である。天の半分を支えるのも、女性である。いよいよ、女性の声、女性の力が、時代・社会を変える力になってきた。  

アンタやでアンタが変わるんやで

 投稿者:飛翔こそ蘇生
 投稿日:2018年 6月26日(火)16時58分51秒
「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思
を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を
生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する
処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき
者か。」(生死一大事血脈抄)

ここでは広宣流布の大願が叶うべき対象は
時代や国や団体組織ではなく「者」という個人になっている。

日蓮大聖人が弘通する「処」の所詮はその「者」の何かである。

処という依報十法界の生死と
者という正報十法界の生死とは不二である。

日蓮仏法の本物の指導者が促すものは
他ならぬあなたをないがしろにしない依正不二の当体である。

「水」は依報であり「魚」は正報であり
「思い」を成している。

本当の仏法の深い処は「思いなさい」じゃなく
「元から自然にそう起こっていることに気づきなさい」である。

仏法を深く体感していない時には普通は
魚は思う側であり、水は思われる側である。

ところが「水魚」の思であると
水も思う側に括られている。

思う魚が水とは別個に存在していることはないのだ。

水が無ければ生きていけないのだけれども
例えば水がよく澄んでいることを
「これでは上空の鳥から簡単に狙われてしまう」と思って
底の砂に穴を掘って生き、水が澄んでいることを憎む。

だが、それは命を惜しむ臆病が澄んだ水を見つけて
勝手に憎んでいるだけでもある。

思いは水の側ではなく魚自身の側の特徴を見つける事もある。
自分はヒレの形が悪くて泳ぐのが遅くダメな魚だとか。

それでもまだ、魚の中心に思いがあって
魚の末端を心で分けているだけのようにも感じる。

人間で言っても、爪や髪の毛なら自分じゃないと言っても
問題ないようでもあるし
眼鏡や仕事道具が自分の一部になっていなかったら
問題があるようでもあり
気づく側の正報と気づかれる側の依報の境目が曖昧になってくる。

思いという語から脳の機能へと向きがちであるが
思いを言語の思考ではなく生存感覚として追ってみる。
この生死一大事血脈抄のテーマは生死の二法だからである。

鏡に映った姿を自分だと認識するのは
知性の一つの基準であるが

イカの仲間でこれができるものがある。

当然、大きな脳などなく
筋肉や、身体の表面の色を変える組織のネットワークが
全体で認識していると思われる。

感覚の上で、自身が唯一無二の個性であって
他者がマネできる限界があることを
集団で生活する中で随自意で表現して知っているのだ。

人間も誕生の過程において脳よりも先に心臓が出来るのであり
「生存の始まり」は脳が中心でさえない。

「生存の思い」からすれば、気づくことの出来るものの全て
内証的に起こっている言語的思考さえも
起こっては消える十界の生死であって、固定的な自分の中心ではない。

つまり、そのどこかに自分の中心がある場合は
老いて死んでいくことは自分の中心ごと避けられない苦であるが
しかし、そこに自分の中心というものが無く
生死を貫いた生命というものが確かであるならば
臨終に際しても「私は在る」という気づきは永遠の存在なのである。

臨終正念とは、それを当然のこととして了解出来る
身に付いた体感なのである。

その生死を貫いた視座から俯瞰すれば
どんな自他彼此も思いを通して心で分けているにすぎないのだ。

その心で分けている境界・壁を感じ取って擬人化・対象化して
解釈と思いを同化癒着させ、感情を波打たせる。

自他彼此の心が分けた気づかれる側の「水」、
気づく側の「魚」、意識に溜まる不満の同化した「思」
という「水と魚と思」から

「魚」の気づく反応反射の自然さ・勘の良さと
「自他彼此の心が分けない」気づきがあるだけの「水」
生かされている思いという「水魚の思」への智慧化・技化。

池田先生が一人ひとりの心田に種を蒔き
一人ひとりが持っている世界に促した広宣流布とは何か?

生死を貫くこの非二元の法によってしか
あらゆる差異を乗り越えた受容などありはしないのだ。

蒔かれている種、言い置かれている、いつも言われていること。
それが芽を出すかは本人次第だが
「その通りにしよう」と思ってその通りに出来るようなものじゃない。

仏法が促している転換は、
見えている世界でなく、見ていることに気づけというようなものだ。

そこに癒着しているものの見分け区分けだ。

思いのフィルターは、あまりにも透明で本人には気づくのは難しい。

縁のもの、タイミングのもの。縁起の現象。
稲妻に打たれたように気づき智慧化が起きる、閃く。

そこには、蒔いてもらった種、蒔いてくれた人、
その時の状況タイミングという縁と
起きた当人の因果の現象しかない。

そして一人からまた一人へ、それしかない。
あなたの中に正法が断絶なく流れ通うか?
広宣流布と言ってもそれしかないのだ。

https://6027.teacup.com/situation/bbs/86073

アルベアさんの投稿にある
VODの「母と子の絆」良いですね。

確かにわかりやすく「技」が展開されています。
 

付けたし

 投稿者:小作人@地上の発心
 投稿日:2018年 6月26日(火)16時42分17秒 編集済
あと10年、経営が成り立つかどうか分からん宗教法人の電話番に昼日中から絡むのも
文字通り無粋なことを聞くというもの。

法律家? 何かの士業職でキャリアを積まれている方ならば、どうか電話番兄ちゃんの再就職に御尽力あそばされ。

先生が公の場から姿を消された後に生まれた子らが昨年から小学生。
あちらこちら2010年以降の入会または発心したメンバーが既に現場活動家の中核を担うようになってきている。
ズタズタに編集されたアーカイブ映像の中の池田先生しか知らない人たち……。

「原田は知ってるけど、秋谷って誰?」な人たちに、どう順序立てて破邪顕正の納得の対話を重ね、理解を深めていくべきか?

「あのオッサン何なん? なに一人でいきり立っとんの??」などとキキョウな言動と受け取られては貴兄ひとりがマイナスになることではない。

 ----- -----

素っ頓狂な電話録音を公開するくらいなら、同じYouTubeに査問の音声記録とやらを誰か一人でもアップせんものか?
何の目的があっての録音? 死蔵させて如何する??
 

(無題)

 投稿者:-Q-
 投稿日:2018年 6月26日(火)16時28分49秒 編集済
書籍の公式発行日と実際に書店での発売日が異なるのはよくある話。
週刊や月刊の雑誌に限った話でないのは言うまでもなし。

まるで陰謀論のように語るのは感心しませんね。

わざわざ購入して読むほどの価値ある本かどうかは、また別の話ではありますが。


 

(無題)

 投稿者:-Q-
 投稿日:2018年 6月26日(火)16時16分56秒
今さら寄生虫のような専従職員らに何を期待するというのか?

ジリ貧・先細りは必定の斜陽企業でしかない“信濃町”に残った有象無象たち。他所でも生きていけそうな賢い連中はとっくに見切りをつけて逃げ去ったはず。もう10年以上も前にね。

電凸での諫言なんて、カエルの面に何とやらでしかなかろうて。


 

共謀罪で一網打尽が邪権力者どもの悲願!

 投稿者:斬り捨て御免!
 投稿日:2018年 6月26日(火)16時14分36秒
いつの時代にもいる外道!
邪道~権力にひれ伏し寄生

下心保身と出世?恥ずべき
サイテー人生~生きざま!

https://6027.teacup.com/situation/bbs/81196
 

「珍・人間革命」30巻上について

 投稿者:カンピース
 投稿日:2018年 6月26日(火)16時07分52秒
只今、「珍・人間革命」30巻上を検証中ではありますが、どうしても納得いかない事がありましたので、ご報告いたします。

内容うんぬんではなく、末尾の発行日に関してですが、「発行日、2018年7月3日」となってます。

実際の発行日とは違います。

どうして発行日を捏造しているのでしょうか? 考えられません。

掲示板上で、発行日は先生ならばなにがしかの記念日にされるはずだ、どうして何の関係もない日に発行するんだ!

と、指摘されたからでしょうか?

だとしたら、あまりにもお粗末な改竄、あまりにもお粗末な対応と言わざるを得ません。

 

昼下がりの雑記帳 6.26

 投稿者:小作人@地上の発心
 投稿日:2018年 6月26日(火)16時04分7秒 編集済
世の中何かと便利になってきて、「顔を見ずとも足がつく」術は普く知るところとなっているようだ。
夜行性のはずが毎日お昼時のほぼ決まった時間にそのサエズリが聴こえ、羽をばたつかせて飛び立つ地点が何処なのか、GPSなんぞ使わなくともとうに押さえられているにもかかわらずシラを切り通す。
慌てて河岸を変えても今さら遅い。直に会う機会がないからといって、ご面相をころころ変えても(“中の人”が交代しても)デマゴギーの内容は十年一日の如き陳腐さなので、ユニットじたいの素性がばれているというもの。。

仕事柄「調べ物」の得意な友人知人に恵まれ、こちらから何か頼まずとも、ITオンチの小生を日頃から陰に陽にサポートしてくれる。
信心している・していないは関係ない。ここのヘビーユーザー(?)もいらっしゃるようで、、、て、元はといえば私が推奨したのだが。。

 ・「会いませんか?会いませんか!」とシツコイ淋しん坊(マインドコントロールで人間GPSにされていたようだ)を追い払い
 ・査問の一部始終を録音していると宣う人がいると聞き、さっさとYouTubeにでもアップロードして世間に広めたら、と催促し
 ・例の学術大会の件、宮田幸一はボロクソに叩くが、54年のキーパーソンの一人・花野充道が創大に来たのを誰も突っ込まない……。

このあたりネチネチと追及しだした2年前の年の瀬くらいから、当方の身辺を探る集団ストーカー紛いの気配が感じられるようになった。
とっくに逆探知されているのを知ってか知らずか携帯通話を傍受する暇な“リスナー”も現れたが、まさしく「飛んで火に入る夏の虫」。。
全員まとめてお里が知れるというものですぞ(笑)

 ----- -----

うわべだけ威勢の良い言辞を並べ立て反体制派を気取る、いや“騙る”御仁にはそれこそ革命的警戒心を働かせねばなるまい。

執行部派VS反執行部派などといった単純なニ項対立の図式に思考の枠をはめること自体が、支配する側が仕掛ける罠なのだ。

あらかじめ議論の進行に一定の枠組みを設け、そのフレームから皆が逸脱せぬよう制御をかける役回りがいるものと悟るべし。

そうやっていつも本当に肝心な物事から人々の目を逸らさせる……。
時には板を跨いだ愚にもつかぬ掛け合い漫才で世を欺くが、双方背負う板は違えど同じ「茶碗」に浮かぶ仲。
一つ屋根の下で仲良く机を並べ、入念にネタ合わせをしてから両者あうんの呼吸でパソコンのキーを叩く。。

職員さんって、ほんと暇なんだなぁ。。。
 

ツイッターからです。25日の新人間革命から世界宗教の条件について

 投稿者:ツイート人
 投稿日:2018年 6月26日(火)13時36分32秒
或阿呆のつぶやき #ツイ文 #唱題根本
本日の #新・人間革命 の世界宗教の条件、これ自体はなんら問題ない。
問題は、現学会が条件どおりの組織運営がなされているかである。
"民主的"か、"言論の自由"は保障されているか、"平等主義"は守られているか、教義に"普遍性"はあるか等々。
 

掲示板座談会に一言。

 投稿者:鉄砲玉
 投稿日:2018年 6月26日(火)13時35分31秒
虹と創価家族様の仰せもごもっとも。が、小生ミネルヴァの梟様に賛意!かな。
カンピース様の言に対し、釈子・創価門流様の投稿は、もしや、職業幹部の成り済ましですか?

この掲示板は、本当に勉強になります。

枝葉末節をYESだNOだという事も、場合によっては必要でしょう・・
だが、根本的に原田執行部がやっていることは、どうなんだろう? 根源の一凶ではないのか?
(これは安倍政権にも通じる話)

現場の一人を、懇切丁寧に励まし、立ち上がらせること。これは勿論大切な事。
これと、先生の残せし、“民衆の城“の本筋を蔑ろにする執行部への異議とは、次元が異なると感じています。
多くの、善良な現場メンバーには、ここのところがわからない。悩ましい。

日本国人の弱いところか?。予定調和を気にせずに、本質論で考える事。いや、シンプルに
先生のご指導(本意)を基準に、自分なりの結論を出すこと。
これが今、求められている課題ではなかろうか?
 

ミネルヴァの梟様へ

 投稿者:虹と創価家族
 投稿日:2018年 6月26日(火)13時11分6秒
ミネルヴァの梟様のご投稿は、切れ味が良く視点が鋭いのは事実です。
自分もご投稿から学ばせて頂いています。

さて、ミネルヴァの梟様は、創価学会の発迹顕本をどのようにお考えでしょうか?

『会員の幸福のために、創価学会を良くしてゆこう』というお気持ちが無く、創価学会の発迹顕本を考えるなら、どのような創価学会を目指されているのですか?

率直なお気持ちを、ご返信頂ければ幸いです。
宜しくお願い致します。

 

熱原の法難

 投稿者:レジスタンス
 投稿日:2018年 6月26日(火)13時09分17秒 編集済
熱原の法難では「稲泥棒」の濡れ衣を着せられ逮捕された

大聖人の佐渡流罪も「弟子達が放火した」という濡れ衣

7.1のアピール
警察に確認したというが…
警察は権力に弱い事は承知の事

不軽菩薩は、杖木、瓦石を投げられたと言うが
当たらない場所で説法したという

不軽菩薩を見習い、やるやらば6.30の方が良いのではないか?
7.1にやるならば、最悪の事態を覚悟してやるべきではないか?

7.1に決行して、何もなければ
「この国に、まだ少し民主主義が残っている」と安堵する

警察に何度も確認したので、大丈夫というのは
あまりに「幼稚」に思える
老婆心ながら…

先生ならば…
会員に、そんな危ない橋を渡らせないのではないか?




 

まだ言ってるのか?

 投稿者:ミネルヴァの梟
 投稿日:2018年 6月26日(火)12時59分40秒
ダーハラ及び執行部を、まだしつこく擁護している者がいる。

その者によれば、ダーハラ執行部を批判する人達には「創価学会を良くしていこうという、一念が欠落している」のだそうだ。(呆・失笑)

一方で、ダーハラ執行部を批判することの正当性を認める様なことを言いつつ、もう一方でこういう事を言えば、結局「執行部を批判するな!」と言っているのと同じことではないか!

「城門を自ら開ける」というのは、こういう事を言っているのだ。
中心メンバーがこういう事を言うから、変な奴らが調子に乗って湧いて出るのだ。

早速「創価門流」とかいう者が、災害時の会館解放は悪いことでもあるかの様な、暴論を吐いているが、かの「山口組」でさえ、震災時には建物を解放し炊き出しまでして、感謝されたのだ。
宗教団体である創価学会が何もしなくて良いはずがないだろう。

「お上」からの避難所指定がなければ取れば良いのだ。政権与党を抱えているのだから簡単な事だろう。
それどころか「お上」でさえ、名乗り出れば喜んで指定してくれるはずだ。そんな事さえ分からないほど変質劣化しているのか!

何でもかんでも「お上」「お上」。自分の考えというものが無いのか?!実に情け無いヒラメ野郎だ!

阪神・淡路大震災の時は、確か3000台ほどの原チャリ部隊を結成し、あるいは船をチャーターし水路を使って救援物資を運んだ創価学会だ。そういう創価学会の伝統を守るべきなのは当たり前だ。
ダーハラ創価になったから、もう池田先生の指導を捨て、会館も解放しないなどと言う奴は、池田創価の伝統を破壊し、ダーハラ創価に媚びるしか能のない「腐れヒラメ野郎」だ!そういう奴が、恥ずかしげもなく暴論を吐ける様な宿板にしては、ならないのだ。

池田先生はかつて、緩みきってしまった水滸会員を厳しく叱咤されたが、同時に、緩んだ空気の蔓延を許した他のメンバーをも厳しく叱咤された。それと同じ事だ。

日本においては、災害時、互いに助け合うのは常識だ。
そういう一般常識以下の暴論を吐く様な奴が、何が「創価門流」だ!「看板に偽りあり」の見本の様なものだ!
少しは恥を知れ!恥を!

大地震が起きてもビクともしない頑丈な会館を、と先生はよく言われていたが、緊急時会館を解放しないのなら、何のためにそういう頑丈さが必要なのだ!? バカか?ダーハラの直弟子どもは全員頭がおかしいのだ。(怒)
震災後の焼け野原に厳然とそびえ立つ事により、復興の希望の星として輝けという、先生の思いを感じ取れないのか?!

現在、宿板で活躍中の「虹の戦士」氏に対して、宿板から出て行けと言った人物が、今「執行部を批判するな」と言っている人物なのだが、出て行けと言った人物が残り、引き入れた人物が去って行くようでは、この人物の人間及び状況観察力は、あまり信用出来ないという事だ。

この時期に「執行部を批判するな」などと言えるのは、アベ政権の深刻な害悪を過小評価しているからだ。「完璧ではないが、まあまあアベ政権でいいんじゃないの?」と考えるようなお気楽な人達が、結局この国を滅ぼす。







 

サムワン・ライク・ユー

 投稿者:SaySaySay
 投稿日:2018年 6月26日(火)10時27分31秒 編集済
見込みない人びとさん、小作人さん、ありがとうございます。そうですね、確か日中関係のでしたね、松村謙三さんか誰か(すみません、今は調べる気なし)。
ニューリーダー間鹿さん、「希望」は貴方です!! だから、「希望はあったのだ」!!!
https://6027.teacup.com/situation/bbs/86044
その芽が摘まれているわけですね。不幸にもそちらにはこの叩き上げの、優れて魅力的なリーダーはいなかった。どうか反面教師としていただきたいと思います。
ただ、私の方のそのリーダーも60代に入ったことと、輸入物(転入者)ということで、自前で育て上げたリーダーではなく、地域にそんな土壌があって出て来たのではなく、運が良かっただけでした。大白6月号巻頭言で「種を植える」話が出ていますが、人材砂漠の緑化のためには、肥やしを入れる必要がることを忘れてはなりません。

その砂漠に創大から綿帽子が飛んで来ると大歓迎されるのですが、それも今は昔なのかも知れません。最近、キツイのが出て来ました。私は共感してしまいます。本人が「いつか完全非学会から見た贔屓なしの創価大学の実態を本にして出したいです」と言われているので、そのツイッターのURLを載せて宣伝してあげようかと……迷惑(本人にとってであって、大学のことなんか知らん)かな? 少し反応を見てからにしましょうか。愛せない母校になってしまったらOB/OGが可哀想です。

まず、本になるだけの分量を書き溜める必要があります。裏付ける資料は大切に保管しましょう。証言者も確保しておいた方が安全です。これは私が折伏を受けた時に学んだことですが、「裏付け・根拠」が極めて重要です。それを学ぶためには2000年までの池田先生の著作を読むことをお薦めします。これは学会に入らせようとするために言うのではなく、本を成功させるためです。実力をつけるためです。(これが逆に今の学会患部にはない。恥ずかしながら。外部から、世界から笑われても仕方がない。)

「膿を出す」手助けは「愛」です。一人ひとり「I」が「哀」を「愛」に変えるのです。

“あの頃感じた不安だけどわくわくする気持ちは特別”
“後悔や失敗でさえ 今では大切な想い出だけど こんなに切ない気持ちになるなんて知らなかったよ”
“大丈夫 君みたいな人をきっと見つける 君の幸せだけを祈って”
“ただお願い 忘れないで”
『サムワン・ライク・ユー』アデル
https://www.youtube.com/watch?v=hLQl3WQQoQ0
 

昨日(6/25)の政教珍聞

 投稿者:末席の弟子
 投稿日:2018年 6月26日(火)10時19分58秒
―――「日中友好青年音楽祭」の見出し。

以前の、池田先生が指揮をとられていた頃は

中日〇〇〇」と記載されていたと記憶する。

「やはり学会はすごいな」
「先生のお気遣いはすごいな」

と、確かに思った。

些細なことだが、一事が万事であろう。
 

は~? 批判の為の批判の典型例

 投稿者:釈子・創価門流
 投稿日:2018年 6月26日(火)10時19分7秒 編集済
>>義援金はどうなりマスたかぁ~? 会館は開放されてマスかぁ~? 水・食料の支援はされてマスかぁ~?

⇒ ①義援金・・・個別の被害状況により組織より各人に支払われる。
   ②会館開放・・・あまりに非常識だと思いまぁ~す(笑)だよ。
          会館を開けるのは誰? 警備するのは誰? 地元会員だろ? 考えろよ。
   ③水・食糧支援・・・自治体からの要請、公助の実態などを踏まえて動くのだぞ。

 震災の時もそうだけど、会館は公共避難所指定になっていないのであれば、色々な情報は届かないし、支援物資に付いても受けれるのに限りがある。
 だから、公的避難所へ最終的に移動してもらう形になっている。

 「批判の為の批判」は、かえって創価学会内部の内部抗争を対外的に見せているだけにしかなっていない。

 もう少し考えて執行部批判しろ。
 

長の一念と、率先垂範。

 投稿者:コンペー
 投稿日:2018年 6月26日(火)10時14分40秒
先生の陣頭指揮の頃、先生はよく言われた。
「長の一念が大事だ。率先垂範しなさい。」と。
しかし、一番一念が強く、率先垂範の人は、間違いなく先生だった。その先生の姿に勇気を頂き、先生の真心の激励に応えたいと立ち上がる。それが、先生の組織だった。

先生は映画の「寅さん」がお好きだった。
寅さんのまわりは、不思議とみな元気になる。
寅さんになぞられてご自身のことを「元気振りまき男だよ。」と。先生は励ましの天才だ。
誰にも真似できない。
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、原田怪鳥様が御出席され各部代表者会議の開催、誠にご苦労様で~す(笑)

 投稿者:カンピース
 投稿日:2018年 6月26日(火)09時00分18秒
おはようございます。原田怪鳥様、原田怪鳥様が御出席されての各部代表者会議の開催、誠にご苦労様で~す(笑)

でもねぇ~、原田怪鳥様、ナニやら?「ブロック2」の弘教とか記念大会を盛大にとか、ノー天気に関西を紹介されてマスが、

大阪地震から1週間経過し、いまだに被害の全容が判明せず、また復興もこれからという時期に、

「弘教と人材育成に全力を挙げる」っていうのは、あまりに非常識だと思いまぁ~す(笑)


原田怪鳥様も代表者会議でナニを仰るかと思えば、

>原田怪鳥様は、大阪北部地震の被災者に重ねてお見舞いを。< デスかぁ~(大爆)
(6月26日政教珍聞1面より抜粋)

日本会議の代表委員の方と会見するヒマがあるのなら、さっさと大阪に行かれたらいかがデスかぁ~(大爆)

義援金はどうなりマスたかぁ~? 会館は開放されてマスかぁ~? 水・食料の支援はされてマスかぁ~?

そもそも、災害対策本部本部長なのデスから、本部長としていったいナニをされたんデスかぁ~(大爆)

ノー天気に関東方面の座談会を回って、日本会議の代表委員と会見して、「大阪」を飛び越えて広島へいったりして、(笑)

原田怪鳥様の行動には「大阪」がまるで見えマシぇ~ん(大爆)

そんな原田怪鳥様の御書を紐解いての御指導が、>あえて困難に跳び込んで広布を切り開き、拡大の実証を示して< ってのは笑えマスたねぇ~(笑)

まず原田怪鳥様御自身が、困難に跳び込んで頂きませんと、後に続く方が困りマスよぉ~(超大爆)


まあ、「珍・人間革命」誓願も七十七を迎えるに至り、

>新世紀へ、世界宗教へ、人間主義の時代へ、足取りも軽く、創価の新しき前進が始まったのだ。<

などと、一応の結論めいた文言で終わってマスが、今後はどうなっていくんデスかぁ~(笑)

まさか時代が一気にトンで、「会憲」までいっちゃうのデスかぁ~(笑)


まあ原田怪鳥様、本日の誓願七十七にも、「日興遺誡置文」を引かれているワケデスので、

時の怪鳥であるといっても、仏法に相違して自分勝手な教義を唱えれば、これを用いてはならないという厳戒をしっかりと御理解頂き、

少しは反省して頂いて、大阪訪問なり、被災地支援なりをして頂きマスように、期待しないで待ってまぁ~す(大爆)






 

投稿者の一念

 投稿者:虹と創価家族
 投稿日:2018年 6月26日(火)08時59分36秒 編集済
今日の聖教新聞の信仰体験が素晴らしい。
青年時代に大病を乗り越え、社会に実証を示した内容に涙しました。

我が地区にも尊敬する会員が大勢います。
宿命を乗り越え、一家和楽の実証を示し、友を入会に導く。
先日も入会勤行に参加させて頂きましたが、入会者の『この信心で幸せになる』という思いが伝わってきて感動しました。
どれだけ、友のために祈ったのだろう。
その日までの祈りが、部員さんと入会者の瞳と笑顔から伝わってきました。

創価学会という言葉を思う時、自分は今まで出会った会員一人ひとりの顔が浮かびます。
心にある思い出があるからこそ、『会員の幸福のために、創価学会を良くしてゆこう』という気持ちで声を上げ行動するのでしょうね。
目前の人の幸福のために、これからも対話を続けてゆく決意です。


さて、原田会長と執行部の組織運営には問題があるのは事実です。
また、その問題に気づき、声を上げる会員も増えてきました。

しかし、その投稿内容を見ると『会員の幸福のために、創価学会を良くしてゆこう』という一念が欠落している方がいらっしゃる。
これは非常に残念なことだと思っています。

権威・権力を恐れない勇者でありながら、『創価学会を良くする』という一念を持っていない。
中には、『会員(民衆)を守る』という一念さえ欠落している方もいるのです。

池田先生は常に会員を大切にされていました。
厳しく言えば、声を上げるにしても『会員根本』という一念が無ければ、そこに師弟は無くなると思います。


自分が声を上げてから、この数年間で様々な事を学びました。
ネットの情報の裏を取らず、事実だと思い込んだり、勘違いも多々ありました。
そんな時は訂正・謝罪し、また歩みだすのです。
創価学会を良くする歩みを止めるわけにはゆきません。

役職が高い幹部ほど容赦しませんが、部員さんと話す場合は、慎重に言葉を選び丁寧に時間をかけて、一人ひとり対話をしています。

池田先生の指導を原田会長と執行部が削除するなら、削除された内容を、違う指導から引用して池田先生の信心に近づける。
教学においては、不足部分を補う形で人法一箇を教えます。
また、自ら障魔を呼び起こし、難を乗り越えた体験で、池田先生の信心を会員に伝えるようにもしています。

そして何よりも大切なのは、自分自身が地元地域で生き生きと暮らすこと。
苦難を乗り越え一家和楽の実証を示し、地域住民に信頼され、悩める友に仏法を語り続けることが大切だと思っています。



 

心の宝石箱

 投稿者:虹の戦士
 投稿日:2018年 6月26日(火)08時20分9秒 編集済
大白蓮華No.777号2014.8月号48頁

人生の使命は喜びだ

 「喜べ! 喜べ! 人生の事業、人生の使命は喜びだ。空に向かって、
太陽に向かって、星に向かって、草に向かって、樹木に向かって、動物に向かって、
人間に向かって喜ぶがよい」
 「喜べ!」――これがトルストイの一つの結論であった。何があっても喜んでいける
人生。そこには人間としての大境涯があり、強さがあり、幸福がある。


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心の宝石箱

心を磨いていくと
心には宝石箱があった
その宝石箱の中には
誰も壊すことのできない
ダイアモンドがいっぱい
そのダイアモンドに描かれてるのは
大切な人や大切なもの
それだけではなかった
嫌な思い出や出来事までも
キラキラと輝いていた
大切だったもの
みんな壊されたもの
それが心の宝石箱には
永遠に壊されない幸せとして
輝いていた
すべての幸せは壊されてしまう
でも心の宝石箱は
誰も壊すことのできない幸せ
よくみると、ほしいなと思ってるものまで
未来の出来事、未来に出会う人まで
ダイアモンドとして輝いている
願い、祈れば、それは現実の世界にやってくる
だから、イマジン・ハッピー・ライフ
幸せな未来を心の宝石箱に
ひまわりの花といっしょに
笑顔でいれておきましょう

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YouTube動画サムネイル>>この動画を再生する
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わが友に贈る 2018年6月26日

 投稿者:どうみょうてん
 投稿日:2018年 6月26日(火)07時31分46秒
「健康」は幸せの土台。
バランスの取れた食事
適度な運動を習慣に。
健やかな生活リズムで
一日一日をはつらつと!
 

「感得」したものは同じなのに!

 投稿者:螺髪
 投稿日:2018年 6月26日(火)07時11分2秒 編集済
 「修行の本懐は学ぶ事である」――「十三夜」や「未完の完」と同じなのでしょう。その実質は「南無妙法蓮華経」です。「感得」したものは同じなのに、それを“表現”しようとすると、自身の中にある“言葉”でしかない――十八円満抄に表わされる「一念即三千、三千即一念」というのはそういうことではないのでしょうか。「即」の一字です。“言葉”をいくら並べ立てても、“意”伝わらなくては何もなりません。だから、“言葉”はできるだけ馴れ親しんだものがいいのでしょう。その達人が池田先生です。自身の「三千」のようにしか語れないのです。

 “自身”と宇宙を貫く妙法蓮華経という「法」があり、それを“事実”として体現されたのが「人」としての日蓮大聖人だという捉え方ではどうでしょうか。その体現された「人」としての「師匠」がおられて、初めて衆生の「法」との一体化が可能になった言えます。「師匠」が不可欠なのです。久遠元初の「法」と「人」と捉えるから難しくなってしまいます。「法」によって人間は在りますが、人間のための宗教です。宗教があって人間がいるのではありません。

 久遠元初は元のまま、初めからある、という意味と言っていいのでしょう。仏法は「己心の法」という説き方をしますから、仏としての宇宙の根源の法が自身の中にあるということは、その根源の法が宇宙の始まりから仏だったということを示さなければなりません。それが久遠実成や、その延長線上の久遠元初だと言えるのではないでしょうか。

 では、どうして「仏」を体現できたのでしょうか。「一心に仏を見る心を一にして仏を見る一心を見れば仏なり」(義浄房御書892㌻)と仰せです。その実践は、どこまでも「不自惜身命」です。

 「己の心を見るは三千具足の仏を見るなり」(御義口伝797㌻)とも仰せです。この前段に、「塔」と「仏」の立てわけがあります。「塔」を見るのも、「法」や「仏」を観るのも人間です。「仏」は「心法」のものです。「心は是れ身の主なり同名同生の天是れ能く人を守護す心固ければ則ち強し」(道場神守護事979㌻)、「ただ心こそ大切なれ、いかに日蓮いのり申すとも不信ならばぬれたる・ほくちに・火をうちかくるが・ごとくなるべし、はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし」(四条金吾殿御返事1192㌻)と。


 

「日蓮教学体系」という「思考・概念」

 投稿者:アルベア
 投稿日:2018年 6月26日(火)05時09分44秒
「日蓮教学体系」という「思考・概念」

「日蓮教学体系」は日蓮系教団により異なっています。まず大聖人の「救済の技」の認識がな

い、「思考・概念」です。

例えば「南無妙法蓮華経」の題目の「概念」は、御書・御義口伝等を引用しながら「理」を繰り

返すだけの教団信仰しかありません。創価の面々も同様です。「思考・概念」の「思い込み」

「信じ込み」「上書き」だから時間経過とともに「歓喜」「感動」が薄れ、消失するのです。

「南無妙法蓮華経」の題目の「概念」は「行」という「事」になって、初めて現象体である我が

身に現象化が生じるのです。「南無妙法蓮華経」を体感するのです。この現象が「技化」の結果

なのです。

「技」の視点は「技」を自得した分だけ現象化するのです。日蓮仏法の慈悲・智慧とは「技」に

よる絶対幸福の現象化なのです。つまり「技」の中に「慈悲」「智慧」と言う概念が自然に含ま

れているのです。

「技」ができると感動・歓喜が現象化します。

実例⇒小学校での跳び箱が飛べた瞬間、感動します。逆上がりができた瞬間、感動します。技の

修得とはこのように「できない事」「わからない事」が、我が身をもって「知る」「体感する

事」なのです。

私たちがスポーツを見て感動するのは、それぞれの競技による「技化」を見て感動するのです。

映画・音楽・芸術等も「技化」の現象に触れて感動・感激するのです。

先般、紹介したモバイル「母と子の絆」には大聖人・牧口先生・戸田先生・池田先生の指南に

則った「技化現象」がわかりやすく出ています。

「南無妙法蓮華経」の体感は、創価教学の理屈ではない、現実の現象化なのです。教団のやるこ

となすことは、日蓮仏法の基本から逸脱したマネジメント教団組織なのです。全てがマネー循環

現象なのです。

一人一人が「技」を身に付ければいい事です。組織・教団はもう必要ないのです。

「思い込み」「信じ込み」「上書き」の信仰における感動は浅薄であり、たんなる感傷にしかす

ぎない、一過性であり持続はしないのです。時間経過とともに消滅しているのです。1度身に付け

た「技」は消えないのです。

広布第三章の指針は「技を体得しよう」それだけで十分です。

くだらない会合・連絡・打ち合わせ・法戦と言う美辞麗句の選挙応援・種々の啓蒙(民音の啓

蒙・書籍等含む)「誓願勤行会」と言う信濃町詣でも全部いらないのです。誓願を強要する条件

付けでしかありません。まさに善光寺化が現象化しているのです。

なぜならば、「技の体得」という現象が進めば、自然に様々なことが現象化して来るからです。

だから大聖人の仏法は、既存の宗教の枠組みでは捉える事はできないのです。

宗教ではなく「仏道」なのです。「体感する生命現象法」なのです。

あえて言うならば「仏道とは、法華経の智慧です。智慧の修得です。修得された事を技と言うの

です」「智慧」は「技」として現象化されるのです。必要な時に必要な事がもたらされるので

す。

まあ、食い扶持の確保に余念のない方々にとっては創価教団が必要なのかもしれませんが、

既存の宗教に「技」があることはありません。どこまでも信仰という「思い込み」「信じ込み」

「上書き」の世界です。「神」「仏」は沈黙のままなのです。古今東西の「詣でる事」は、自発

的求道なのです。啓蒙するものではありません。教団の賽銭集めなのです。創価貴族仏教の「正

体」ここにありです。「思い込み」「信じ込み」「上書き」の会員は「気づかぬまま」に詣でて

いくのです。それで、いいじゃないか、気づかぬままの「死後成仏」しかないのだから。「即身

成仏」と言う現象は「思い込み」「信じ込み」「上書き」信仰では現象化しないのです。

大聖人の仏道は、「技」であり、「現象」であり、「法」であり、エネルギー還元・生命還元の

技法なのです。どこまでも個人の救済なのです。「戸田の命より大事な組織」に背いている創価

に会員の多くは気づけないのです。

なぜならば、上から下への命令系統が現象化・常態化しているからです。日大アメフト等の組織

と同様の現象が創価には根付いているのです。

既に45年前、池田先生は「仏法哲理を世界に宣揚」昭和48年(1973)第4回壮年部総会で、組織の

命令系統を危惧していました。当時から既に執行部の面々は常に「上の空」でいたのです。これ

が貴族仏教の歴史的事実です。いまだに条件付けが強化されているのです。

 

昨今のセイキョウ新聞紙面写真より

 投稿者:インスタグラム
 投稿日:2018年 6月26日(火)05時08分50秒 編集済
この戸田記念墓苑での合唱祭の折、池田先生はピアノの弾かれて
会員を激励されましたが、マイクを持って大王座りしていたのが
次期弟子?原田会長先生でした。
また、その脇に控えているのは、H名青年部長?
6月**日、早朝、東京アキバを散策されているところを防犯カメラが
確認していました。気をつけましょう。公安警察から脅しを受ける
ことがあります。
 

「牧口先生・戸田先生・池田先生」の書籍・レコード・ビデオ・DVD

 投稿者:アルベア
 投稿日:2018年 6月26日(火)05時05分11秒
「牧口先生・戸田先生・池田先生」の書籍・レコード・ビデオ・DVD

「牧口先生・戸田先生・池田先生」の書籍・レコード・ビデオ・DVDを「技の指南書」「技の

指導」として見直すと「技」のなんたるか、日蓮大聖人の「技化」という概念が感じ取れるよう

になります。「思考・概念」という「物語」「ストーリー」が「技」と言う視点で見直すことが

できるのです。

ちなみに釈尊の成道は「自我機能」から「生体現象」⇒「現象体」としての体感覚知でした。大

聖人は、その体感覚知の方法を「技化」し残してくれたのです。ここに末法万年という無限の法

の現象化がもたらされたのです。その技法を三代会長から学べばいいのです。創価教団の世界に

は「技」の継承はありません。「思考・概念」による「思い込み」「信じ込み」「上書き」だけ

です。だから押しつけに反転するのです。バカな信濃町の輩には感じる事ができない世界が三代

会長にはあったのです。

「技化」とは「慈悲です。」「智慧です。」「成仏です。」「救済です。」「折伏」とは「技の

振る舞い」による救済現象なのです。歓喜と感動の現象化なのです。創価教団は「世間の教団」

と同類・同質のものなのです。

副会長経験者の方々最晩年を迎え、不安に駆られている方々が多い事多い事、「技」無き信仰・

教団の世界にいたことに気づけないまま旅立っているのです。日蓮大聖人の真意・三代の真意は

彼らにとっては、しょせん「物語」「ストーリー」なのです。自分自身を「物語」「ストー

リー」にしてしまい、諦めているのです。「私」「自分自身」はエネルギー現象・生命現象であ

ることが覚知されないままなのです。
 

日蓮大聖人」は既存の宗教形態を打ち破り「救済を技化」したのです。

 投稿者:アルベア
 投稿日:2018年 6月26日(火)05時02分57秒
「日蓮大聖人」は既存の宗教形態を打ち破り「救済を技化」したのです。


「日蓮大聖人」は既存の宗教形態を打ち破り「技化」したのです。その事が見えないから古今東

西の宗教現象は「思考・概念」の相対的現象が絶えず循環・反転する世界になっているのです。

「救済」方法の提示は、人類史上初の出来事・現象だったのです。

「技化」についての予備知識として、ある剣道家の「剣道修行」を先般、紹介したのです。

剣道修行⇒ただ学べ-小谷野 敬一郎-

http://www.fujitsubame.jp/educationco.html

「技」は見えるのです。「技」には型があるのです。「技」は自得するものなのです。「技」は

自身で深化させるものなのです。「技」は「実」であり「事の一念三千」なのです。「技」は道

理です。

「自転車に乗れる事」とは「技」の修得領域です。「技を磨く事」が「唱題行」なのです。

「技」を説明・解説すると「文字」「言葉」と言う「ニエネルギー変換」が現象化します。文

字・言葉は「理の一念三千」です。「事」は体得・体現すると「事」を通し世界を見る事ができ

るのです。

「理」には「体感」と言う「事」が含まれません。限界があるのです。「不可能が可能になる」

のは「事」だからなのです。「理」の方々は「思考・概念」の果てしない循環現象があるだけな

のです。現在の創価の諸々の現象化は「思い込み」「信じ込み」「上書き」の現れにしかすぎま

せん。「題目が技化まで至っていない」のです。日蓮系の分派教団と同じ次元なのです。

「思考・概念」は相対的現象であるがゆえに「偽」と「真」が絶えず入れ替わっているのです。

真偽論の現象化があるのです。相互関係・二者関係の弁証法です。

このような事に、いくらか気づきはじめているのが「川田洋一博士」ぐらい、もう少しなのです

が・・・池田先生と「生命を語る」を紡いだ人物です。

「技」には誤魔化しがないのです。誤魔化すのは「自我機能」の働き作用なのです。情報に翻弄

されているのが「人間(ヒューマン)」の「思考・概念」です。

現象が常に反転しながら現象化している事が見えない盲目の世界を選択しているのが地球上の人

間なのです。脱皮まで至っていないのです。脱皮する前に既に腐っているのが大人たちの生態現

象なのです。

大聖人が「技化」したという事は、既存の宗教的概念には当てはまりません。宗教と言う枠組み

を超えた「エネルギー現象法」「生命現象法」なのです。現象論・生命論ではない「法」の現象

なのです。だからアルベアは「現象法」と呼んでいるのです。

基本的に「祈り」は「思考・概念」です。「技化」は、祈りによる誘発現象なのです。つまり

「祈り」は「体感」ではありません。「体感」は「事」になった瞬間に開示されるのです。


VODの「母と子の絆」の観賞をお薦めします。わかりやすく「技」が展開されています。16分

30秒

https://net-vod2018.sokanet.jp/detail/videos/%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96%E3%81%AE%E7%95%AA%E7%B5%84/video/5678653980001/%E6%AF%8D%E3%81%A8%E5%AD%90%E3%81%AE%E7%B5%86-%EF%BD%9E%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%8C%E3%81%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%8B%87%E6%B0%97%E3%81%A8%E5%B8%8C%E6%9C%9B%EF%BD%9E?autoStart=true

映画『キセキの葉書』2017/08/08 に公開90分 DVDの発売は未定


 

ある剣道家の「剣道修行観」です。

 投稿者:アルベア
 投稿日:2018年 6月26日(火)05時00分3秒
ある剣道家の「剣道修行観」です。

ある剣道家の「剣道修行観」です。それぞれ気づきが内発されます。明治・大正・昭和一桁生ま

れの武道観が内在されています。牧口・戸田・池田の三代会長には、このような武道観が人格基

盤に形成されていたことを踏まえ数多くの著作を読み直すと日蓮仏法の「技化」が自得されてい

るのが垣間見えてきます。

三代の「物語」「ストーリー」をいくら語っても背景にある人格的素養に気づかなければ「物

語」「ストーリー」の7割は読み取れません。行間を読む事ができないのです。理解できるのは3

割程度です。現代人は「文章」という「思考・概念」から、読み取る力が抜けているのです。素

養を育む文化が希薄化しているからです。⇒こうした素養は同時代的現象として、その時々の

人々に現象化しています。

※「素養」⇒その人の性格、人間性、人格。素養はプラスとマイナスが表裏一体になっている。

ふだんの練習や学習・稽古によって身につけた技能や知識。たしなみ 教養は、単なる知識ではな

く、人間がその素質を精神的・全人的に開化・ 発展させるために学び養われる学問や芸術などの

基盤を言います。

「剣道修行」を「仏道修行」に置き換え、読み直すと「理」ではなく「事」であることの意味が

感じられるのではと思います。「思考・概念」の世界ではない「実」の世界です。

小谷野 敬一郎氏

剣道修行⇒ただ学べ (無断転載禁止ですので、下記のURLをご覧ください。2011.2/7.)

http://www.fujitsubame.jp/educationco.html

 

過去VHSに見る戸田記念墓地公園 その5

 投稿者:インスタグラム
 投稿日:2018年 6月26日(火)04時56分8秒 編集済
続きです。  

過去VHSに見る戸田記念墓地公園 その4

 投稿者:インスタグラム
 投稿日:2018年 6月26日(火)04時53分50秒
続きです。  

過去VHSに見る戸田記念墓地公園 その3

 投稿者:インスタグラム
 投稿日:2018年 6月26日(火)04時50分14秒 編集済
続きです。
ここからは、開苑式です。
最後の写真の左側にいらっしゃるのは、
直弟子の原田会長先生です。35歳?

 

過去VHSに見る戸田記念墓地公園 その2

 投稿者:インスタグラム
 投稿日:2018年 6月26日(火)04時47分14秒 編集済
続きです。  

過去VHSに見る戸田記念墓地公園 その1

 投稿者:インスタグラム
 投稿日:2018年 6月26日(火)04時45分23秒
広布第二章の指針さんのフォローをします。

戸田記念墓苑着工式から
 

おはようございます。

 投稿者:幸せな人
 投稿日:2018年 6月26日(火)04時43分47秒
  久保田哲様、主権は民衆にあり。ですよね。

一国の責任者が安倍総理って・・

福運が足りないのかも。

変毒為薬しないとですよね。


  生涯広布様、ありがとうございます。

何千倍、何万倍希望です。(^o^)
 

「マル危」とは一体なんですか ②

 投稿者:新感性
 投稿日:2018年 6月26日(火)03時54分40秒 編集済
>「マル危」とは一体なんですか  投稿者:新感性  投稿日:2018年 6月24日(日)21時24分16秒
https://6027.teacup.com/situation/bbs/86011

に自己レスします。
その後「小作人」氏から創価班や牙城会も、電話対応等の任務に際して総合失調者等をもじった同様の隠語が使用されているとの理由にもならぬ弁明がありましたが、
事実なら両会、特に聖教に顔写真が出るような両会のリーダー連中は猛省及び早急の是正が求められます。過去の両会幹部や野放しにしていた上層部も同様です。

このことが認識できない職員や幹部はやはり世間知らず、会内知らずの純粋培養との論難は免れません。会員も同様でしょう。

周知のことながら学会の中で総合失調等心の病に悩む方々はたくさんいらっしゃいます。
言葉の些細な問題として一笑に付すような事案ではありません。

>心の病に悩む友へ
https://soka890.jimdo.com/%E3%83%89%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC%E9%83%A8%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC/%E5%BF%83%E3%81%AE%E7%97%85%E3%81%AB%E6%82%A9%E3%82%80%E5%8F%8B%E3%81%B8/
 

文明・西と東  池田先生とクーデンホーフ・カレルギー伯との対談です。

 投稿者:赤胴鈴之助
 投稿日:2018年 6月26日(火)01時22分5秒
文明・西と東  池田先生とクーデンホーフ・カレルギー伯との対談です。

今回は、第四章 現代の目標です。

新しい文明の興隆

池田先生は・・・次のように問題提起されました。

「現代文明は、いまや世紀末的症状を呈している」
中略
「世界は、このまま退廃の淵に沈んでいってしまうのか、あるいは新しい文明の興隆によって立ち
直れるのか、」

カレルギー伯は・・・
「私の考えでは、日本は、過去の文明の最先端のものをうけついできています。
仏教と儒教と、そしてヨーロッパ文明です。
これらを統合することができる立場にいるのは日本だけです。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

池田先生は、以下3点を提唱されました。

① 基本的には、人間性の回復、人間の尊厳への復帰
② 人間性を画一化する傾向がきわめて強い
③ 「人間自然学」・・・、人間再認識の学問を提唱します。

SGの組織においても、会員の考えを管理するために、画一化を図っているように思えます。

画一化は、組織の衰退を招くと池田先生は教えられています。

「これでは発らつたる生気が発揮されるはずがありません。」・・・と。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
池田
 新しい二十一世紀の文明のあるべき姿は、種々の観点から論じることができると思いますが、
私は基本的には、人間性の回復、人間の尊厳への復帰であると考えます。
ところが、人間性とは、きわめて多様的で、しかも掘り下げれば掘り下げるほど、底知れない奥
行き、深さを持つものです。

人間性の回復、人間尊厳への復帰ということは、こうした多様性と奥行きを認め、人間のもつ多
彩な能力を、フルに発揮させるものでなければならないと思います。

現代の科学技術文明は、この人間性を画一化する傾向がきわめて強いところに重大な誤りがあ
ると考えます。
人間は、こうした画一化にがまんできないのです。
これでは発らつたる生気が発揮されるはずがありません。

私は、これを打開する一つの学問的な方向づけとして、人間の中にある自然を再発見し、人間性
をそのありのままの姿で認め、しかもよい方向へ伸ばしていくために、「人間自然学」ともいう
べき、新しい人間再認識の学問を提唱します。
そうなれば、必然的に、人間と環境との関係も明らかになっていくと思います。





 

第四章 現代の目標 新しい文明の興隆

 投稿者:赤胴鈴之助
 投稿日:2018年 6月26日(火)01時19分52秒
第四章
現代の目標

新しい文明の興隆

池田
 現代文明は、いまや世紀末的症状を呈しているといっても過言ではないように思えます。

というのは、ある意味で、現代は、たしかに繁栄の絶頂にあるとはいえますが、しかし、人間精
神の内部に目を向けると、その荒廃ははなはだしいものがあるといわざるをえません。

物質的な繁栄と精神的な退廃、富める国と貧しい国との格差がますます開いている事実、"生きが
い"の喪失”これらは、ある意味では、ローマ帝政末期の状況に似ているのではないかと思います。

世界は、このまま退廃の淵に沈んでいってしまうのか、あるいは新しい文明の興隆によって立ち
直れるのか、もし立ち直れるものならば、その新しい文明の興隆は、どのような形でなされるの
か・・・などについて、あなたのご意見をうかがいたいと思います。

カレルギー
 これは、たいへんむずかしい問題ですが、私は新しい宗教運動が台頭してくるのではないかと
思います。
そこで、キリスト教が果たして生まれかわれるものかどうかが第一の問題です。
キリスト教にもはや期待がかけられない場合は、次に仏教が新しく生まれかわれるかどうかです。

新しいというのは、天才的な宗教家が出現して、新しい宗教の土壌の上に、新しい文明を建設
するかもしれないという希望です。あるいはまた、唯物・共産思想が、さらに発展して宗教に変
形するということも考えられるかもしれません。

ヨーロッパの青年は、ソ連の共産主義者たちよりも、毛沢東に魅力を感じているようです。
予言者的な面を持っているからでしょう。
いずれにしても、明日の文明は宗教の文明になるに違いないと、私は信じています。

池田
 アーノルド・トインビーは、歴史家の観点から、文明の発展は、直線的、一貫的ではなく、多
様な特質と生命をもった文明が、同時に存在し、それぞれの文明は、その生命を終えるとともに
消滅するが、その特質は、他の新しい文明に吸収されて、展開してゆくという考え方をのべてい
ます。
こうした文明史観を、あなたはどう評価しますか。
また、とくに日本は、これからの世界文明に対して、どういう役割りを果たすことができると思
いますか。

カレルギー
 トインビーが、現代における、もっとも偉大な歴史家の一人であることはいうまでもありませ
ん。
私の考えでは、日本は、過去の文明の最先端のものをうけついできています。

仏教と儒教と、そしてヨーロッパ文明です。
これらを統合することができる立場にいるのは日本だけです。
したがって、二十一世紀における日本の使命は、全人類にとって、たいへん重要だと思います。

池田
 新しい二十一世紀の文明のあるべき姿は、種々の観点から論じることができると思いますが、
私は基本的には、人間性の回復、人間の尊厳への復帰であると考えます。
ところが、人間性とは、きわめて多様的で、しかも掘り下げれば掘り下げるほど、底知れない奥
行き、深さを持つものです。
人間性の回復、人間尊厳への復帰ということは、こうした多様性と奥行きを認め、人間のもつ多
彩な能力を、フルに発揮させるものでなければならないと思います。

現代の科学技術文明は、この人間性を画一化する傾向がきわめて強いところに重大な誤りがあ
ると考えます。
人間は、こうした画一化にがまんできないのです。
これでは発らつたる生気が発揮されるはずがありません。

私は、これを打開する一つの学問的な方向づけとして、人間の中にある自然を再発見し、人間性
をそのありのままの姿で認め、しかもよい方向へ伸ばしていくために、「人間自然学」ともいう
べき、新しい人間再認識の学問を提唱します。
そうなれば、必然的に、人間と環境との関係も明らかになっていくと思います。

人間は、肉体と精神の統一体であるとともに、自然や、社会、文化など外的環境との統一体で
あります。
ところが、これまで、学問は、人間を全体としてとらえるのではなく、部分部分に解きほぐし、
各部分を、さらに細分化してとらえて、研究してきました。
こうした研究も必要でしようが、しかし、部分と部分との関係、さらに生命の全体としての調和
の中、ここに生命の不可思議さがあります。
生命について、さらに人間性について、その実体を明らかにするためには、人間を全体としてと
らえる研究が、こんご必要になってくると思いますが、いかがでしょうか。

カレルギー
 まったく同感です。医学と同じで、目、耳、歯といった個々の部分のスペシャリストも必要で
すが、人間を全体としてとらえ、解明しようとする学問がなければなりません。

池田
 そうですね。医学は、それがもっとも端的にあらわれている例です。
外科医学の発達によって心臓はじめ臓器移植が盛んに行なわれるようになっています。
しかしそれは、人間生命を機械論的にとらえる考え方にもとついているものであって、私は非常
に危険なものを感じます。
だから私は、これまでも、臓器移植は無制限に許されるべきではないと主張してきました。

カレルギー
 私も、同感です。私は、どこで、その線をひくべきか・・・医学だけでは結論が得られない問
題と判断しています。



 

同盟題目

 投稿者:
 投稿日:2018年 6月25日(月)23時43分35秒
今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
おやすみなさい
 

同盟題目は23時に開始致します。よろしくお願いします。

 投稿者:信濃町の人びと
 投稿日:2018年 6月25日(月)22時58分38秒
池田先生と奥様のご健康とご長寿を祈りましょう。

大阪北部地震の被害を受けた皆様
ガスの復旧よかったですね。
まだ、余震が続く可能性もあるでしょうが、皆様にお題目を送ります。
 

以上は、新着順1番目から50番目までの記事です。

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