Unknown Star

アスターが書く妙ちくりんなブログです

【6月26日の名言】私は生を貪らんがために、多くの人を死地に赴かせようとはしない(山中鹿之助)

f:id:skyhigh1466:20180626111344j:plain

 

こんにちは。アスター(@august_spica)です

 

昨日ご紹介したこの本には

366日分の戦国武将の名言が記載されているんですよ

 

戦国名将一日一言 (PHP文庫)

戦国名将一日一言 (PHP文庫)

 

 

一日一言なので

全部紹介するためには毎日更新しなくてはなりませんが

可能な限りチャレンジしたいと思います

 

第2回目の今日は山中鹿之助の名言です

 

 

山中鹿之助とはこんな人

 

f:id:skyhigh1466:20180626111848p:plain

画像出典:信長の野望蒼天録

 

山中鹿之助(やまなかしかのすけ)

生年:1545

没年:1678

役職:山陰地方の大名・尼子氏の忠臣

配偶者:亀井秀綱の娘・千明

備考:「願わくは我に七難八苦を与えたまえ」で知られる

 

戦国名将一日一言より本文を引用

 

上月城に籠った尼子勝久と山中鹿之助は

織田信長の背信によって、援軍が引き上げたために孤立した

どうしようもなくなって、鹿之助は勝久に降伏をすすめた

 

 

アスターの追記と感想

 

山中鹿之助が仕えていた尼子家は

中国地方に大きな勢力を持つ毛利輝元と戦っていました

 

毛利家とは輝元の祖父・毛利元就の時代に

急速に勢力を伸ばした大名家です

 

この話に登場する上月城は兵庫県佐用町にあるお城で

山中鹿之助は主君の尼子勝久と一緒に籠城していました

 

毛利家は自家の版図拡大のために、中国地方の統一を狙っていて

毛利輝元は叔父の吉川元春と小早川隆景に

上月城を落とすよう命じていました

 

尼子軍は飛ぶ鳥を落とす勢いの織田信長についていたので

最初は毛利軍相手に善戦していたのですが

織田信長の本当の目的は、難攻不落で名高い別所氏の三木城を落とすことと

毛利軍を畿内に越させないよう、足止めすることでした

 

織田信長にとって

尼子軍が籠る上月城は軍事上の重要拠点ではなかったんです

 

そこで無常にも見放してしまいました

 

三木城は織田軍が全力をあげて

掛からなければならないほどの堅城だったんですよ

 

とはいえ、見放された尼子軍は可哀想ですよね

 

毛利サイドでそう思っていたはずはありませんが

山中鹿之助の武勇はよく知られていたので

「3000石を与えるのでこちらの味方になりませんか」と

降伏を促す使者を送ったのです

 

すると・・・

 

忠臣で有名なはずの山中鹿之助が、それをあっさりと承諾したのです

同僚の武将たちは驚いて「尼子を裏切るつもりか!」と激高しました

 

ところが山中鹿之助には秘策がありました

 

『私は生を貪らんがために、多くの人を死地に赴かせようとはしない

降伏したのは、ここにいる全員の命を救うためじゃ』

 

そして味方になった振りをしながら

スキを見て毛利軍のトップを倒そうと考えたのです

 

でも毛利軍は山中鹿之助のことを

本心から信用していなかったんですよ

 

山中鹿之助は毛利軍のお城に向かう途中で

あえなく闇討ちに遭ってしまいました

 

すごく難しい局面だったので

山中鹿之助も他に方法がなかったんだと思いますが

最後まで主家に忠義を貫く姿勢は

後世の人々に賞賛され、多くの物語になっています

 

sengoku-bushou.com

 

まとめ

 

主家に殉じるか

それとも裏切り者の汚名を着て生き延びるのか・・・

 

戦国時代は本当に身の処し方がたいへんだったと思います

 

尼子家滅亡とともに散ってしまった山中鹿之助ですが

その子孫は商人となって生き延びたんですよ

 

「鴻池財閥」という名前、どこかで聞いたことがありませんか?

 

実は「鴻池財閥」の祖は

山中鹿之助の息子だと言われているんです

 

彼は父を失って9歳で流浪の身となるんですが

伊丹にいる大叔父を頼り、そこで養育されました

 

成人すると、お酒を作る仕事をはじめます

 

戦国時代末期の慶長年間には

馬を使って、お酒を江戸に売るという商売をしたそうです

 

「鴻池」というのは土地の名前からつけた屋号で

清酒の販売が大成功して発展しました

 

その清酒ですが

よく知られている誕生秘話は次の通りです

 

あるとき「鴻池屋」で叱られたひとりの手代さんが

怒ってお酒の入った樽に、かまどの灰を投げ込んでしまいました

 

大切な商品がダメになるかと思いきや

にごったお酒が水のように澄んで

とても美味しいものができあがったのです

 

「鴻池屋」ではこれを売って、大ヒットにこぎつけました

大阪の方は本当に商売上手ですね

 

おそらくその後

 

自棄を起こした手代さんは、新商品開発を大旦那様に褒められて

番頭に出世したかも知れません

 

武勇の人・山中鹿之助の子孫が商人として成功したというのは

なかなか興味深い話です

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます
ではまた、次の記事でお会いいたしましょう