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2012年1月4日水曜日

祖国って何か?:【書評】風よ ヴェトナム

風よヴェトナム (新潮文庫)
風よヴェトナム (新潮文庫)
一気に読み上げてしまった一冊。
ところで、筆者の平岩先生の親類がJETRO職員としてベトナム駐在をしていたとか。その当時(1990年代)に本書は執筆されたと、風のたよりで聞きました。


本書が終始貫くテーマは「祖国とは?」という問いかけです。ボートピープルとして日本へ渡ったベトナム人女性2人が、祖国について、そして両親や兄弟姉妹・親せきについて、様々な場面場面で語っていきます。この心理描写がベトナム人の心の中を理解するために、大いに参考になります。
また、この2人の女性はそれぞれ南部ホーチミンと北部ハノイ出身です。その性格や行動が、一般的に語られる北部ベトナム人気質と南部ベトナム人気質とダブり、物語へどんどんと吸い込まれていきます。
「祖国」を離れた2人。しかし、その「祖国」は自分たちが戻ることを歓迎してくれない。この複雑な思いを深堀するのが、ベトナム中部のクアンナム省ホイアン市で生活した、かつての日本人の存在です。
ホイアンの日本人も同じ苦悩を味わっていました。朱印船貿易の主要な担い手としてその土地へ渡ったものの、江戸幕府の鎖国令で祖国日本へは帰れなくなります。
祖国へ帰りたくても帰れなかった日本人がかつていた。現代に生きる私たちは、その人々を忘れてしまっていいのだろうか?私たちは既に、忘れてしまっているのではないだろうか?こんな問いかけも本書は合わせて投げかけてきます。
ボートピープルとしてベトナムを離れた人々の複雑な思い。その思いは日本からベトナムへ船旅で向かうシーンで、最高潮を迎えます。自分たちが命さながら小舟で辿ったルートを、日本からの客船でほぼ同じルートで戻っていく。ここで繰り広げられる記憶の回想と心の葛藤は、涙なしでは読み進められません。
ところで、本書が描写するのは1990年代のベトナムの風景です。少しノスタルジックな気分に浸れる部分も。バイクと自転車が道路を埋め尽くす様子は、よく聞くバイクが出始めた当時の話とダブります。今はバイクと車に道路を埋め尽くす主役が変わっています。また、北部が舞台となる部分ではホテルが出てきません。たしかに、1990年代の北部にはホテルらしいホテルもなかったそうです。
マジュエスティックホテルのテラスまた、一度ベトナム旅行をしたことがあれば、本書は違った味わいも出てきます。登場人物が辿るルートを一緒に頭の中で辿りながら、「あの通りを抜けて、あそこのホテルへ行ったのか」とか。「ベトナム戦争当時、ジャーナリストの溜まり場で、開高健もお気に入りだったマジェスティックホテルのテラス(写真左上)へも行ったのか」とか
本書はベトナム旅行帰りの機内で読むと、より一層ベトナムを身近に感じさせてくれる1冊です。

風よヴェトナム (新潮文庫)
風よヴェトナム (新潮文庫)

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