Entrance Part2

だらだらダイアリー。心を解き放て

インターネット疲れる

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今日も昼起きだったのだけど、起きてすぐはてブを見たら信じられないエントリがいくつも浮かんでいた。Hagex氏が刺殺された。ホッテントリや、以前から友好があったであろうブロガーのブログをわざわざ見に行ったりして、大体の全容は見えた。だけれど、理解に苦しむところが多くある。断片的な情報が大きな媒体へ集まり、時系列順に並んでも、それは掴み所のない内容だった。

堪らない。ご冥福をお祈りします。インターネットを好む一人として、Hagex氏は何というか、かなり大きな存在だったことは事実である。犯人であろう“低脳先生”のことは、匿名ダイアリーを通して知った。一時期、暇があったら増田、という引きこもり期間が僕にはあって、リアルタイムでネットバトルとかを傍観してた。IDコールをもらったこともある。その時にはもう彼のことを知っていたので、あの人か…こっわいな、という感じだった。

今回の事件にやり切れなさを感じるし、当時僕が感じた“インターネットの深いところまできたな”というドキドキする感情、そして恐怖が蘇ってきて、気持ち悪かった。

 

最近、「インターネットだめだ」と思うことが増えてきた。だめだ、と言うのは、インターネットの可能性の否定ではなく(莫大な存在を否定できるような根拠も知性もない)、自分には合わないんじゃないか、という自覚だ。

僕はまだまだ若いが、それでも今年19になる。インターネットとの向き合い方も、随分と変容してきた。この、「インターネットとの向き合い方」は、はてな(とりわけネットウォッチャー)に相当影響を受けたように思える。ここはてなではインターネットの見たくない深淵が、いくつも目に入って、それに「ヒィ」と怯えるだけでなく、好奇心に任せてドキドキしながら情報を垂直に掘っていく楽しさも覚えた。そしてその度に、疲労感も感じた。例えば、インターネットには「理解しがたい生命体」がうじゃうじゃいて、彼らのことを少しでも理解しようと探っていく行為が、ものすごく疲れるのだ。

 

ここ数週間、そんなことを思わされる出会いが、いくつもいくつもあった。その度、本当に疲れた。だめだーと思った。そんなことは自業自得であり、離れれば済む話ではあるが、疲れる代償に幾らかの知識を得られていることも事実なのだ。「こんな人間の存在がある」という情報だけでも、多様性が重んじられる現代においては、誰かを認めるための重要なツールになったりする。誰かを助けたりもできるかもしれない。

僕にとって、インターネットとはそういう、現実で、やっていけなさそうな人を救うツールでありたかった。それが正義だとして、僕はそうありたいといつも思っていた。ただ、どうにも流されてしまってただの「インターネットで正義をやる人」になってしまった気がする。つまらないと思う。

 

ああ、どうやって向き合っていくべきか、とかを考えるのもとても面倒だ。相手は死ぬほどデカい。人生何周やっても、100パーセント正しい解には辿り着けないだろう。だから、「向き合うこと」から得られる幾らかの知識の有用性を信じ、勝手に「それは疲れてでも獲るべきものです」ということにして、今日もインターネットをやっているのだった。疲れる。