昨日、ぼくが書いたブログ。
個展に来てくれた画家が自殺したことを知り、その理由に怒りを覚えた。 - 宮森はやとの雑草魂
正直、この記事を書こうとおもった時、事情を全く知らない人には人格を全否定されるとおもいました。
でも、事情を知っている方たちのことを考えると余りに不憫な出来事だったので覚悟を決めて書いた次第です。
っで、実際ブログを投稿した所、事情を知らない人たちからは「最低人間の烙印」を押され、全否定されまくりました。
そして、事情を知ってる方からは「今回のブログを書いたことにお礼言いたい」と連絡が来たりしたのです。
ぼくだって他人の自殺に対してとやかくなんて死んでも言いたくありません。
それほど自殺というのは重い問題だと自分なりに自覚しているつもりです。
しかし、それを主張したくなるほど今回の件は極めて酷いモノだったのです。
ぼくはBさんとSNSでつながってなくて、彼の自殺をツイッターで偶然知ったんです。
ツイッターってフォローしてない人のツイートでも時々タイムラインに現れてくるじゃないですか。アノ機能です。
それではじめ見た内容がBさんのお母さんが「〇〇の母です。昨日の朝、息子が自宅近くのマンションの屋上から飛び降り自殺しました......」というモノだったのです。
ぼくはそのツイートを観た瞬間に背筋が凍り、彼のタイムラインを遡りました。
すると、死の数日前から「人生が終わった」ような意味深なツイートをし続けていたのです。
そして、「〇〇のせいで精神を傷つけられた今から死にます」、「遺書は警察に送った」と言ったような内容を最後に言い残して、上記のお母さんのツイートにつながるのです。
ぼくはこの一連のツイートを観た時に「こんな死に方されたら、残された友人、知人たちが余りにも居たたまれない」と率直におもいました。
ぼくはSNSでつながってなかったからまだいいです。
ですが、ぼくの友人、知人たちは少なからず彼とSNSでつながっていて、連日に渡ってアノ意味深なツイートを見せられ続け、ついには本人は自分の不幸を全部他人のせいにして悲劇の主人公を気取って命を絶つのです。
その仕打ちが残された人たちにとってどれだけ酷く、深い傷を残すことか。。。
ぼくが昨日のブログを書いたのは、友人、知人のためです。
BさんとSNSでつながってしまったが故に、幼稚で、卑怯で、薄っぺらい彼の愚かな行為に付き合わされたのです。
その友人、知人の気持ちをどうにかして少しでも代弁できないかとぼくは思い、昨日の怒り満タンの記事を書きました。
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そして、今日になって彼の自殺は嘘だったがことが発覚します。
母のツイートもBさんの自作自演でした。
ぼくはその事実を知って「ふざけるな!!!」と心からおもいました。
ですが、その気持ちと同時に生きてて良かったな。と思っています。
「どんな人間だとしても自分の命を自ら絶ってほしくない。」
ぼくはそう考えているので、Bさんが行ったことはとんでもない問題行為だけれど、それよりも命が大事です。
ぼくのように一度だけしか会ったことが無い人間でも自殺というのは人を大きな悲しみを産んでしまうのです。
Bさんには今回のようなことは二度と起こしてほしくないとおもいます。
そして、これからもどうにかBさんが自分で死ぬことなんて考えずに生き続けていくことを願いたいです。
彼が生きていたので、昨日のブログと今回のブログは明後日には消します。
それでは今日はこのへんで。
わっしょい!