大阪北部地震の発生から丸1週間経ちました。震度6弱の地域にあり、しばらくガスも停止していたわが家ですが、週末には生活も少し落ち着いてきましたし、地震発生の当日から本日までの暮らしをふりかえってみることにします。
勢いだけで書いたので、あとで思い出すことがあれば追記します。
地震発生当日(6月18日)
地震発生当日、月曜日の朝は、2歳のこどもの機嫌がやたらに悪く、朝食もなかなか食べてくれず、着替えも「イヤ!」と逃げ回り、家を出るのがいつもより5分くらい遅れました。テレビでは台風が発生したと言っていましたし、曇りなのか雨なのかよくわからない天気だったので、気圧のせいかなと思っていました。
保育園までは自転車で通っています。保育園について自転車を停め、こどもを下ろしました。まだなんとなく嫌がっていて、いつもなら2階の保育室への階段を自分で登るのに、その日は「だっこ!だっこ!」でした。
しかたなくこどもをだっこして階段を登り、踊り場にさしかかろうかとしたときです。突然大きな揺れがきて、身体が後ろに浮いたような気がしました。とっさにこどもを抱え込んでしゃがみ、踊り場近くからの転落は免れましたが、それ以上は何もできませんでした。階段を降りようとすると身体が浮いてしまうので、動くこともできませんでした。こどもを守ることに必死で、自分の頭も守れなかった。落下物があったり、転落していたら負傷者として数えられていたかもしれません。
揺れがおさまったところで保育園の職員に誘導され、園舎の外に避難しました。保護者がそれぞれ自分のこどもを連れ、保育士が早朝保育中のこどもを連れて出ました。大きい子の中にも怖がって泣いている子が何人もいて、保護者や保育士に抱えられていました。点呼と解散を待つ間、なんとなくクラスごとに固まって、こどもを遊ばせながら雑談したり連絡先を交換したり。非常事態の中、顔見知りと話ができることは心強く、保育園に通わせていて本当によかったと思いました。
保護者がこれからのことを心配してあれこれ話しあう中、ちょろちょろとあちこちに行こうとする2歳児。「こわれてるねぇー」と指さした先には大量に崩れ落ちた瓦。そこは、わたしが保育園にこどもを送った後、いつも通る道でした。いつもどおりの時間に家を出ていたらと思うと恐ろしくなります。
保育園は休園になり、災害時の引き渡しカードにサインをして解散しました。雨がぽつりぽつりと降りはじめていました。
夫からは地震の直後にLINEがきたので、帰れそうなら帰ってきてほしいと伝えましたが、会社には様子を見に行きたいと言って出勤してしまいました…。
地震直後の家の中の様子
わが家は鉄筋コンクリートの集合住宅(古い)で、敷地内には心配そうな顔の近隣住民があふれていました。自治会長が点呼していました。建物に大きな損傷はない様子で、住めない状況のおうちもなさそうでした。それを聞いても家に入るのは怖かったです。
家の扉を開けてすぐのキッチンで、すぐに目に飛び込んできたのはひっくり返ったメタルラック。置いてあったものが散らばっていました。また、食器洗浄乾燥機をキャスター付きの頑丈なカートに置いていたのですが、1mほど動いてしまいました。帰った時はまだ稼働していたのがなんか間抜けで笑ってしまいましたが、ホースが根元から抜けなくてよかった。抜けてたら床上浸水してたかも。食器棚の中身を確認すると食器が少し割れていました。
背の高い棚がいくつもあるリビングは、棚をつっぱり棒で固定していたのがよかったのか、転倒はなし。書棚の上の方の開き戸に入れていた「ステッドマン医学大辞典」「細胞の分子生物学」が飛び出して、こどもの食事テーブルのそばに落下していました。おそろしい。
着替えをしたりこどもが遊んだりする、ごちゃっとした部屋は、地震の後もごちゃっとしていました。地震で散らかったのか、こどもが散らかしたまま家を出たのかよくわからない…。夫のスマホグッズとヘンな像が落下していた以外は特に変わった様子もありませんでした。押し入れの中身が少し崩れていました。
寝室は、棚など一切なにも置かないようにしていたのでまったく変化なし。こちらも押し入れの中身が少し崩れていました。片付けの間、こどもにいてもらう部屋として役立ちました。
とりあえずしたこと
片づけている間に昼になってしまったので、こどもに食事を作りました。ガスは止まっていましたが電気は使えたので、適当に電子レンジで温めたものや、果物などを食べてもらいました。ごはんをたくさん炊いて冷蔵庫に入れました。
水道管が破裂しているのをテレビで見たので、飲料水用のポリタンクと浴槽に水をためました。
食事の終わったこどもが眠そうにしていたので、だっこひもに入ってもらって買い出しに出かけました。晴れていて助かりました。スーパーは人だらけで、水やカセットコンロや非常食などはすでに売り切れていました。売っていても、こどもをだっこひもに入れているので量は持てませんけどね…。とりあえず、ふだんの食事と保存できるお惣菜を少し多めに買って帰りました。
保育園ママさんから避難所に行ってみると連絡があったので、経路の確認もかねて避難所に行きました。自宅と違って倒れてくるものもありませんし、広々していてこどもたちにはよかったみたいです。ひとりではなく、知った顔で固まっているという状況も心強かった。避難所にいる間にも何度か余震がありました。家の片付けのめどがついたり、家族の帰宅でこどもの世話要員が確保できた家庭から帰宅しました。
こどもが興奮状態になる
こどもは地震の後から落ち着かない様子で、片づけた後も倒れたラックを指さして「たおれてたねぇ」「こわれてるねぇ」と言ってみたり、機嫌が悪くてすぐに「ギャー!」と泣いたり、昼寝をしてもすぐに起きてしまったりでした。わたしに余裕がなく、あまり優しくできなかったのもあると思います。夜もなかなか寝つけずにぐずったり、いつもはしないのに夜泣きで起きてしばらく泣いたりしました。こうなると親も休めないのでけっこうしんどいです。
夫が帰宅難民になる
会社に行った夫ですが、出勤していたのはごくわずかの早朝組だったようです。それならと思い、お昼の時点で帰ってきてほしいと言いましたが、電車が動いてないから今日帰らないかも〜という返事。車出勤した同僚がいたので乗せてもらい、21時少し前に帰ってきました。道路はいつもより渋滞していて、大阪市内からわが家の最寄り駅まで3〜4 時間くらいかかったようです(いつもは1時間程度のはず)
夫の話では、電車の中では緊急地震速報が鳴るだけでほとんど揺れを感じず、電車は静かにスーッと止まったということでした。家も散らかった程度でわたしが片づけてしまったので、そんなに大した地震じゃないと思っているようでした。
地震発生から2日目(6月19日)
保育園が休園したのでわたしも仕事を休みました。この日は大雨の予報でした。
こどもは朝からあまり食欲がないようでした。すぐ「イヤ!」となり、食べさせようとすると泣いて怒ります。地震の影響かイヤイヤ期の本格化かよくわかりません。
あまりに食べないのでお昼は少し気分を変えようと思い、こどもを外に連れ出しました。コンビニはお昼前なのに棚がスカスカでこどもの食べるものはほぼありませんでした。スーパーのフードコートは営業はしていましたが、ガスが使えないので麺類はなし。いちごミルクを飲みたがるので与えたところ、やっと少し食事を食べるようになりました。
スーパーに水が大量入荷していましたが、持てないので断念。カセットコンロとガスは売り切れていました。しかたがないので大阪市内に出勤した夫に依頼。交通機関が生きているって素晴らしい。
この日はちゃんと昼寝してくれたので、その間にわたしも横になって休みました。
暑さで身体がべたべたしてきたので、ベビーバスに水をため、IH調理器でお湯を沸かしてぬるま湯にして行水しました。こどもくらいなら洗えますが、大人には足りませんでした。
地震発生から3日目(6月20日)
保育園が休園したのでわたしも仕事を休みました。この日も雨でした。
夫が午前中だけなら休めるということで、わたしの職場からの救援物資を市内の中心部にもらいに行きました。前日までに水の買い出しができていなかったのでとてもありがたかったです。帰りに買い出しもしました。水、売ってた…。
この日の夕方くらいからスーパーの防災用品などの在庫が戻ってきました。むしろ以前より充実してる。
自衛隊の入浴支援や銭湯の営業再開でお風呂環境が整ってきましたが、雨でこどもを連れ出す気にもなれず、またしてもベビーバスにぬるま湯を作って行水しました。身体はよいのですが、さすがに頭がねちゃねちゃしてきました。
地震発生から4日目(6月21日)
保育園が協力日扱い(どうしても都合がつかない家庭のみ預かり対応)で再開しました。ガスが使えないのでお弁当持参とのことでした。会社から、今週中は休んでも問題ないとありがたい言葉をいただいていたので、こどもと一緒にいました。
とは言え、こどもが家の中には飽きてしまっているので、午前中から子育て支援センターに連れていきました。自宅よりは落下物がない環境で、消防署も市役所もすぐそばなので安心感もありました。
遊び疲れたこどもが昼寝している間に抱っこひもに入れて買い物をし、その後は一緒に休みました。新生児期の育児を思い出した。
こどもが起きてから自衛隊の入浴支援に出かけました。女性列はとても長く、公園に15時到着で終わったのが17時。一方、男性列は空いていました。男性は昼間は仕事に出かけていることが多く、子育て世代の女性にはこどもが1人か2人ついていて、どうしてもこどものお風呂に時間がかかりがちなのだと思います。男の子だけでも父親が引き受けたらもう少し混雑しないのになあと思いました。
夏で近くでボイラーを炊いているので行列から脱衣所までものすごく暑かったです。こどもたち汗だく。女性隊員の方は制服で暑さに耐えていましたが、辛そうな顔をするでもなく、笑顔で応対してくれて、さすがに鍛えてるなあと思いました。浴槽のお湯はぬるめで、こどもにはちょうどよかったようです。わたしはお湯の出るシャワーが使えるのがありがたかったなあ。頭がスッキリした。六甲の湯の隊員さんたち、ありがとうございました。
地震以来、初めて夜中に目を覚まさずに朝までぐっすり眠れました。お風呂効果でしょうか。
地震発生から5日目(6月22日)
保育園はいちおう通常保育でした。ガスは復旧していません。わたしの方にだんだん疲れが出てきて頭が回っていなかったので、こどもと一緒にいました。
この日も午前中から子育て支援センターにこどもを連れていき、遊び疲れて眠ったすきに抱っこひもで買い出し&昼寝。
営業再開していた銭湯に電話をかけると、この日は昨日までよりは混雑していないとのことだったので、この日は15時頃に銭湯に出かけました。確かに待ち時間ゼロでした。こどもは大きなお風呂にはしゃいでいましたが、お湯が熱くて湯船には入らず、洗い場で遊んでいました。大人にはちょうどよかったです。シャンプーとリンスの寄付や、飲み物の寄付があったそうで、銭湯のおばちゃんが提供してくれました。ごちそうさまでした。落ち着いたら時々こどもを連れていきます。
この日は街の中でガス工事の作業車を何台も見かけました。災害復旧車だったかなんだか、お揃いのステッカーを車に貼っていて、輝いて見えた。
さすがに5日目にもなると余裕が出てくるのか、出かけるとき、ずっと上ばかり見ていたことに気づきました。電柱にぶつかりそうになって初めて前を見ていないことに気づいたんですが。電柱が倒れたり落ちてきたらどうなるかを考えてたり、高い塀や屋根瓦を確認したりしがちになるようです。
あらためて周囲を見回すと、ごくご近所に屋根瓦の落ちた家やヒビで半壊になり「危険」「要注意」の貼紙がある家があり、被害の大きさを思い知りました。情報としては知っていたけど、やっと体感になったような、そんな感じでした。
地震発生から6日目(6月23日)、ガス復旧!
雨。この日は夫が休みだったので少しの間こどもをみてもらって、コンビニに届いていたおしりふきを引き取りに行っている間にガスが復旧していました。
地震が起こってから初めてこどもと離れました。おしりふきを引き取ったついでにコンビニでカフェラテを買って、コンビニ前の地べたで飲んだのがやたらにおいしくて、このまま融けて地べたになりたいとか考える程度には疲れていた。
夫はホームセンターに買い出しに行きました。水道に、ホースが外れたとき自動で給水停止してくれる部品を取り付け。家の中に飽きたこどもが夫についていったので、わたしは窓に防災フィルムを貼っていました。
深夜の23時頃に余震(震度3)があったのでまだ油断できません。ちなみに夫はその時刻ワールドカップを見ていたのに余震に気づいてなかったようです。これに限らず、地震に対する温度差がすごかったです。また別の記事で書きます。
地震発生から7日目(6月24日)
晴。地震前から美容院に予約を入れていたので、リフレッシュを兼ねて出かけました。美容院の中の話題はさすがに地震一色でした。
美容院で「地震のときすごい音がした」と言う人が多かったのに驚きました。わたしはあの地震の瞬間の音が思い出せない。むしろあの地震の瞬間ってすごく静かだったように思うんですが、聴覚だけ解離してたのかなあ。
その他にも、地震からこれまでの街の様子だとか、漏れ聞こえてくる話で初めて知ったことがかなり多かったです。歩道の縁石が浮いていたり、地面が波打っていたりに気づいたのもこの日でした。ようやく足元が見られるようになったというのか、地に足がついたというのか。ただいま現実。
夕方、お風呂の壁に小さなヒビを見つけて「ギャー!」となりました。いつできたんだろうか。広がらないとよいのですが。
地震発生から8日目(6月25日)
これを公開した今日は、地震後はじめてこどもを保育園にあずけて出勤しました。1週間経ってもまだ不安は残りますね。
まだ警戒態勢になっているようで、仕事をしていても頭の片隅でずっと地震のことを考えているような状態です。あまり身が入らなくてよくない。仕事中にまた地震が来たら、こどもの好きなおやつと飲み物をたくさん買って、大阪市内から歩いて迎えに行かなきゃとか考えて、胸が詰まりそうになったりとか。
災害のあとは多かれ少なかれ精神的な影響を受けるものなので、しばらくはこの状態もしかたないのかなと考えていますが、1ヶ月経ってもこのままならケアを考えた方がいいのかなと心づもりだけはしています。
生活はほぼ元に戻ったとは言え、地震の影響はまだ続くようです。避難所で生活されている方もかなりの数いらっしゃいます。ほんとうにこのまま何事もなく、平穏な暮らしに戻れますように。
こちらの記事もあわせてどうぞ
地震発生当日にできたことを3日目にまとめました。