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新年度最初のピヴォワーヌのサロンでのお茶会は、会長である鏑木が簡単な挨拶をし、プティを卒業した新中等科1年生のメンバーの自己紹介から始まった。そのあとはお菓子を食べながら春休み中の話題などをそれぞれおしゃべりした。
今日のお菓子は私の大好きなイスパハン。乙女の夢を凝縮したような薔薇とフランボワーズとライチのマカロンケーキだ。可愛すぎて食べるのがもったいないっ。あぁ、まさにロココの女王たる私にふさわしいお菓子である!むふっ。
私がひとり定位置に座り薔薇のケーキを堪能していると、不肖の新参弟子がやってきた。
「まずは報告だ」
挨拶もなしにいきなり始めますか。まぁいいけど。む、弟子よ、師の許可なく隣に座るとは何事ぞ。
「コロは女だった」
でしょうね。あ~、フランボワーズの酸味がおいしい。ラズベリーは見た目も可愛いし味もおいしいし、大好き。
「おい、聞いているのか」
「聞いていますわ。どうぞ続けてください」
ライチといえば楊貴妃だよね~。私はライチはそれほどおいしいとは思わないんだけど、楊貴妃はこれを食べるために遥々シルクロードで運ばせたんだよね~。私がもし楊貴妃なら、そこまでして食べたい物ってなんだろうなぁ。
「お前に言われた通り、ゴローちゃんという友達は誰だと聞いてみた。そしたらゴローちゃんとは誰かと聞き返された。やはりゴローではなくコロだったのだ。あいつに、ゴローちゃんじゃなくてコロちゃんですよと笑われた」
さくらんぼが好きだな、私は。早くさくらんぼの季節にならないかな。
「コロはあだ名で女だそうだ。とんだ杞憂だったというわけだ」
さくらんぼといえば、うっかり種を飲み込んだりすると、昔聞いた果物の種を飲むと盲腸になるという迷信が頭をよぎってドキドキするのよね。デマだとわかっていても、なんとなくね~。
「おい」
「聞いていますわよ。コロちゃんはあだ名で女の子だったと。それで?」
鏑木はなにやら不満そうな目で私を見てきたけれど、「ちゃんと聞けよ」と諦めたように話を続けた。
「春休みの最後の日に、高道を図書館に誘った」
「ええ」
私はサロンをそっと見回した。ピアノの音が流れているし、私達の周りには人がいないので、鏑木が若葉ちゃんの名字を小声で口に出しても聞かれる心配はなさそうだ。
「高道は春休み中はほとんど毎日図書館で勉強していたらしくて、じゃあ一緒に行きましょうと、気軽に応じてくれた」
「まぁ、良かったではありませんか」
「ここまではな…」
鏑木が何かを思い出したように、苦々しい顔をした。
「高道お薦めの図書館とやらに行ったら、なんとそこに水崎がいた!」
「水崎君が?!」
「そうだ。あっちも俺達が来て驚いていたがな。だがそもそも、その図書館を高道に教えたのが水崎だったらしい。しかも!ふたりは何度か図書館で一緒に勉強をしていたらしいんだ!」
「あぁ~」
確かに若葉ちゃんがそんなことを言ってたな。
「それでどうしたんですか?」
「3人で勉強したよ。1度併設されているカフェで休憩したくらいで、あとはひたすら勉強だ。あれはデートじゃない。勉強会だ!」
「あら~」
「本当はそのあとで夕食を一緒に食べようと思って店も予約していたのに、閉館と同時に高道は家の手伝いがあるとさっさと帰って行って、それでおしまいだ。誘う間もなかった」
「夕食ですか。それはあらかじめ彼女と約束をしていなかったのですか?」
「ああ、していなかったな」
なにやってんだよ。
「ですから相手の都合をまず聞くように言ったでしょう。だいたいどのようなお店に連れて行くつもりだったのですか?」
「青山のフレンチに」
「アホか!」
「あ゛?!」
おっと!思わず本音が口から飛び出てしまった。鏑木が「お前、今アホって言っただろ」と怒っている。まずい…。私は「いいえ、まさか!私は青山って言ったのですわ。聞き間違いですわ」で押し切った。鏑木の疑わしげな視線を躱すためにも話を進める。
「あのですね、鏑木様。いきなり夕食に誘われてフレンチレストランに連れて行かれたら、女の子は嬉しいより先に困るのですわ」
「なんでだ?」
鏑木は全くわかっていないようだった。本当にアホだな~、こいつ。
「そのへんの学生が入る庶民的なお店ならいいですけど、青山の高級フレンチに、なんの心構えもなく普段着で連れて行かれるなんて、周りから浮いちゃって軽い拷問ですわね。女の子はそういったお店に行く時には、精一杯のおしゃれをしたいものなのです!」
おしゃれは武装なんだよ!それに素敵なお店に食事に行く時に、着ていく服を選ぶのも女の子の楽しみのひとつなのだ。それが普段着って…。しかもランチではなくディナー。周りの華やかで大人のお客さん達と自分を比べて、居たたまれない気持ちで早く帰りたくなること請け合いだ。
「ドレスコードのあるような店ではないぞ。俺も普段着だったし」
あんたの普段着と、普通の女子高生の普段着は全然レベルが違うんだよ!それに鏑木のような人間はラフな服装をしていても、生まれから培われた洗練された場慣れ感がある。それでむしろ、肩ひじ張らない姿が素敵!とか言われたりするんだ。だからわからないんだな、皇帝には庶民の気持ちが。
「本当にわかっていない…」
私がため息をつくと、鏑木がムッとした。
「なにがだよ」
「なにもかもですわ」
私は若葉ちゃんのためにも、鏑木にはっきりと言ってやることにした。
「鏑木様の思い付きでの行動は、彼女にとって迷惑になりかねないということです!まずアポイントは必ず取ること。そしてどこに行くのかその日の予定はきちんと最後まで教えておくこと。彼女の生活スタイルを尊重すること。具体的に言えば、その場で気軽に食事に誘うなら彼女が普段行きそうなお店から。今回のようなフレンチディナーを考えていたのなら、先に言えってことですよ!」
鏑木は目を丸くした。
若葉ちゃんの普段着は私も知っている。ごく普通の高校生らしい可愛い服装だ。もしかしたら遠くの図書館に行くから少しおしゃれをしていたかもしれない。それでも突然勉強道具の入ったカバンを持ったままフレンチに連れて行かれたら困ったと思う。
鏑木は難しい顔で考え込んでいたが、やがて「わかった」と頷いた。
「俺も高道に合わせられるように、努力しよう」
お!皇帝が折れた。これが恋の力か?!そしてちょっと言葉使いに素が出てしまったのはスルーしてくれたらしい。良かった…。
「吉祥院、愛とは何だ」
次の日、廊下ですれ違った鏑木に、秘密を囁くように声を掛けられた。
「は?」
「愛とは何だ、吉祥院」
こいつは唐突になにを言いだしているんだ。愛とは何だって、禅問答かよ。愛とは、愛とは…。あぁ、そういうことか…。
「たちこめる霧に包まれるひとつの星だ」
「よし」
鏑木は正解を導き出した私に満足したように頷き、歩いて行った。
うざい…。これから毎回こんな抜き打ちテストのようなことを言ってきたら鬱陶しくてたまんない。早くあの押し付けられた詩集を上手いこと処分しないと…。