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お父様達は、鏑木家の観桜会に去年出席したから、今年も当然私は出席すると思っていたらしい。聞けよ!言えよ!わざとでしょう!
行きたくない。でも去年のように腐った食べ物を食べて食中毒を起こす勇気はない。あれは二度とやらない。本気で死ぬと思った。彼岸が見えた。
お母様は今年こそはと張り切って振袖を着せようとしている。夜桜に振袖。怖っ。イヤだぁ…。
大雨が降って桜が全部散っちゃったら、会も流れるのかしら?
晴れでした。
お兄様は仕事が忙しくて途中参加。最近本当に忙しそう。ホワイトデーのお返しに食事に連れて行ってくれるという約束も、まだ果たされていない。
「まぁ、麗華さん!よくいらしてくださったわね!」
私達が鏑木夫妻にご挨拶に行くと、鏑木夫人が両手を広げて私に声を掛けてくれた。いつもながら華やかで美しいかただ。そして鏑木会長は相変わらず渋いっ!私のお父様と足の長さが全然違う!メタボじゃない!はぁ、うっとり。
鏑木夫人は私の振袖姿を大袈裟なまでに褒めてくれたあと、息子の話を振ってきた。
「あの子ったらピヴォワーヌの会長になったんですってね。あんなに無愛想な子に務まるのかしらねぇ?」
「雅哉様は人望がおありですから、そんなご心配は無用かと思いますわ」
「そうかしら?麗華さんにもご迷惑をおかけしているのではない?」
「とんでもないですわ。雅哉様はしっかりしていらっしゃいますもの。成績も常にトップで…」
たいして親しくもないので、具体的に褒める要素が見つからない。う~ん、鏑木の良いところ、良いところ…。残念、見つからない。
「うちのバカ息子が麗華さんに迷惑をかけたら、私にいつでも言ってね。叱り飛ばしてあげるから」
「そんな…。ほほほ」
現在進行形で迷惑をかけられていますが。
「これからも雅哉のこと、どうぞよろしくね?」
「こちらこそ…」
よろしくしたくないという感情をなんとか押し込める。うっ、笑顔が引き攣る。鏑木夫人は次のお客様に挨拶するために華の笑みを残して去って行った。それからもお父様達に連れられて、挨拶回り。巨大な猫の仮面が重い…。
両親と繋がりのある方々に一通りの挨拶を終えたら、やっと解放してもらえた。最近は私に自分の息子を売り込んでくる人もいたりするので、躱すのに四苦八苦。おかげでせっかくのご馳走を前にしても食欲がなくなってしまった。桜のジュレをちびちび食べて一休み。あ、おいしい。
「吉祥院さん、こんばんは」
「…ごきげんよう、円城様」
イヤな奴に会ってしまった。
「今日は振袖なんだ。深緋色っていうのかな?素敵だね。とっても似合ってるよ」
「ありがとうございます…」
あぁ、笑顔が胡散臭い…。ホワイトデーのデートを暴露したことを、まだ根に持っているのかしら。逃げ出したい…。
「吉祥院さんは桜は観に行かないの?」
「さきほど近くで拝見いたしましたわ。それに私は夜桜は、少し離れたところから観るのが好きなんです」
今年も見事に咲いたしだれ桜に、招待客達が称賛の声を上げている。ライトアップされたソメイヨシノも満開で本当に怖いくらいに幻想的。
「なんとなく気持ちはわかるかな。夜桜って少し怖くない?人の精気を吸い取って咲き誇っているような、さ。ほら、桜の木の下には…」
「死体が埋まっている!」
そうなの!そうなのよ!夜桜って怖いよね?!桜は好きだし、夜桜もきれいだと思うけど、きれいすぎて怖いんだよ。なんで、世の中の人は夜桜の下で宴会なんてやれるんだろう?
私は同じことを考えている人を見つけて嬉しくなった。
「梶井基次郎を読んだ時に、あぁわかるって思った。あの夜桜を見た時のなんともいえない不安感」
うんうん、私もわかる!
「昼間の桜にはそこまで感じないんですけどね?」
「闇にボウッと浮かんで、吸い込まれそうな感じがするからかな」
「そうですわね」
「ここのしだれ桜は樹齢50年ちょっとだからまだいいけど、樹齢何百年っていう桜なんてさ、どれだけの生き血を啜っているのかと…」
「怖いから、やめてくださいな!」
想像しちゃったじゃないか。
「同じお花見でも、梅や桃なら夜でも怖くないと思いません?」
「しっ。そんなことを雅哉のお母さんに聞かれたら、張り切って企画されちゃうよ?麗華さんは梅や桃が好きなの、だったらってね」
おっと、いけない。イベント好きの鏑木夫人は本気でやりかねない。私は慌てて口を噤んだ。そんな私を見て、円城は楽しそうに笑った。
「でも桜は怖くても、桜のお菓子は好きなんでしょ?桜餅とか」
なぜ知っている。花を使った洋菓子は薔薇ジャムとか微妙なものが多い気がするけど、和菓子はおいしいんだよね。桜餅、梅が枝餅…あら、お餅ばっか。
「ええ。桜のお菓子をいただくと、気持ちも春めいてまいりますもの。そういった意味では、季節を模ったお菓子をいただくのは、その季節を感じることができるので好きですわ」
私は決して食いしん坊キャラじゃないということを、強く押す。家では緑茶をぐびぐび飲みながら、桜餅をバクバク食べているけどね!
「そっか。吉祥院さんは風流なんだね?」
そうなのよ。風流なのよ、食いしん坊じゃないのよ。円城め、目が笑っている。絶対に信じていないな?「さすがだねぇ、吉祥院さんは。今も桜のジュレをおいしそうに食べていたもんねぇ」って、ムカッ。どうにかやり返したい。
「そういえば、雅哉が吉祥院さんを探していたよ」
「そうですか」
本当にこの大勢の招待客達のいる中で、恋愛相談なんてしてくる気かな、鏑木は。
「円城様は、今日は鏑木様とご一緒ではありませんの?珍しいですわね」
「なんだか吉祥院さんって、僕と雅哉をセットみたいに思ってない?」
「いつもおふたりが仲睦まじく寄り添っていらっしゃるのは有名ですから…」
「寄り添ってはいないでしょ、絶対に。吉祥院さん、わざと言ってるね?」
あ、からかいすぎた?腹黒が本領発揮するかも。まずいぞ。くるか、逆襲?!
私が身構えた時に、その人は現れた。
「シュウ、ここにいたのね?」
斜め後ろから白い手を伸ばして、そっと円城の腕を掴んだのは、唯衣子さんだった。
この人も来てたのか…。
「唯衣子」
「シュウの姿が見えなくなったので、心配していたのよ?」
唯衣子さんは円城の肩に凭れるようにして、ゆったりとその顔を見上げた。
美しくも儚げな唯衣子さんを、周囲の男性は放っておけない様子で見惚れている。
「君は彼らと楽しそうにしていたから、平気だと思ってね」
「あら、やきもち?」
「どうかな」
どうやら唯衣子さんはこの男性達にさっきまで囲まれてちやほやされていたようだ。唯衣子さんが円城と話す姿に悔しそうな顔をしている男の人もいる。でも相手が円城では太刀打ちできないか。絵になるふたりだもんね。
「唯衣子。こちらは吉祥院麗華さん、僕の同級生だよ」
円城は自分の腕に絡んだ手を軽く叩き、私を紹介した。
「吉祥院、麗華さん?」
唯衣子さんが私のほうにゆっくりと目を向けた。黒目がちな瞳が私を捉えた。ゾクッとした。
「吉祥院さんは唯衣子を知っているよね。僕の親戚。
「ごきげんよう、吉祥院麗華です」
私は精一杯余裕のある笑顔で、挨拶をした。
「瓜生唯衣子です。前に、お会いしたわよね…?」
「ええ。瑞鸞の学園祭で」
唯衣子さんは揺れる瞳で私を見つめたあと、ふんわりと微笑んだ。
「そうだったわ。可愛らしいチャイナ服を着てたの。ね?そうでしょ?」
「ええ」
唯衣子さんは、ふふっ、当たったと楽しそうに笑った。それを見た周囲がデレッとした顔になった。
「ねぇ、シュウ。喉が渇いたわ?」
「ではなにか飲み物を取りに行こうか。吉祥院さんは…」
「私は少し桜を観てきますわ。では失礼いたしますわね、円城様、唯衣子さん」
円城はかすかに眉を顰めて、唯衣子さんはまたどこを見ているのかわからない目で私を見て微笑んだ。冗談じゃない、誰が一緒にいるもんか。恐ろしい。
一刻も早くこの場を去りたいので、得意の競歩をしたかったが、振袖なんて着てきたせいで歩幅が取れん!しくじった!
ペンギンだ!今こそ私はペンギンになるんだ!
あぁ、なんだか背中に唯衣子さんの視線を感じる……。つるかめつるかめ。