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瑞鸞の誰かに見られないように、私達は若葉ちゃんの自宅のある駅の、さらに1つ手前の駅にある、瑞鸞生が来ないような寂れた喫茶店で待ち合わせをした。念には念をだ。
お店のドアを開けると、カランコロンとカウベルのレトロな音が響いた。
若葉ちゃんは奥の席で参考書を読んでいた。なるほど、秀才はこういう時間も無駄にしないのか!
「ごめんなさい、待った?」
「ううん、そうでもない。吉祥院さんはもう少し来るのに時間がかかるかなって思ってたけど、案外早かったね」
若葉ちゃんは参考書を閉じて、にっこり笑った。
本来なら、今日はピヴォワーヌのサロンに顔を出した後で手芸部にも行く予定だったけれど、体調が悪いからと全部断ってきた。
帰り際に廊下にいた鏑木の、私に対してなにかを言いたげな視線が怖くて、競歩で駐車場まで逃げた。呼び止められなくて良かった…。
メニューにホットチョコレートがなかったので、私はミルクティを注文した。若葉ちゃんはホットコーヒーを飲んでいた。大人だね。
「高道さんこそ早かったのね。生徒会の用事があったのではないの?」
「うん。だけど家の用事があるからって、先に帰らせてもらっちゃった」
「そう…」
あの騒動の後、同志当て馬にも生徒会長として改めて事情を聞かれたなぁ。私としては保健室から戻ってきた時に人の足音に気づいて、ペンを拾ってロッカーの落書きを見つけたとしか言いようがないんだけど。同志当て馬は信じてくれたかなぁ。ほかの生徒会の役員は私のことを疑っているような感じだったけど。
「それでね、今日のことなんだけど…」
「うん。大変だったねぇ、吉祥院さん。あれから平気だった?酷い目にあっちゃったね」
若葉ちゃんは開口一番、私に同情する言葉をくれた。
「あ…、本当に私がやったんじゃないって、信じてくれてるんだ…」
「もちろんだよ!」
当たり前だという表情で、若葉ちゃんは頷いた。そこに私への疑いは欠片も見当たらなかった。
「でも、どうしてそこまではっきりと信じてくれるの?あの場で一番疑わしいのは、私だったでしょう?少しは疑う気持ちがあって当然だと思うけど…」
「え~?それは私が、吉祥院さんだけは私の味方だなって思ってるからかな」
「!」
なんと!うっ、嬉しいっ!若葉ちゃん、私のことをそんな風に思っていてくれたの?!でも…。
「その根拠は?もしかして蔓花さん達の言った通り、高道さんの前では善人ぶって、裏で陥れようとしているのかもしれませんわよ?」
そういう人も世の中にはいるもんね。私は若葉ちゃんのことをよく知っているけど、若葉ちゃんは私のことをそこまで言い切れるほど知らないでしょう?
ちょっといじけて言うと、若葉ちゃんは「それはない」と笑って一蹴した。
「だって吉祥院さん、裏でも私のために動いてくれているでしょ?」
なぜか自信たっぷりに笑顔で断言してくる若葉ちゃん。え~、なんのことだ?
「身に覚えがありませんけど…」
「えっ、そお?」
「ええ」
「う~ん…」
すると若葉ちゃんは腕を組み、難しい顔で「本人があくまで隠したいのなら、言わないほうがいいのかなぁ…。や、でも本当に隠しているのかな…。あれって、隠してないよねぇ…」などとブツブツ独り言を呟いた。
「高道さん?」
「あ~、うん…。えっとねぇ…、吉祥院さん、前に瑞鸞の注意を書いた手紙をくれたでしょう」
「えっ!」
なんで?!なんで手紙の主が私だって知っているの?!
「あ、その様子だと、やっぱり隠してた?」
若葉ちゃんが苦笑いをした。
「えっ、えっ、どうして?!」
私だとバレないように書いたはずだ。それなのにどうして、私だと断言できる?!
「いつから気づいていたの?!」
「いつからって、最初から」
「最初から?!」
「うん」
ええーっ!
「手紙の入ってた封筒がね、内側が、光に透かすと吉祥院って薄く浮かび上がるようになってたから。あぁ、吉祥院さんが書いてくれたんだなって、最初から知ってたよ」
「ええっ!」
なにそれ、知らないっ!確かに手持ちのレターセットに白無地の封筒がなかったから、家の封筒を使った。家には、元々吉祥院家の紋と名前が裏面に入っている封筒があるけど、もちろんそれは避けて、無地の封筒を使ったのだ。それなのに、封筒の内側に透かし?!全然気づかなかった!
「手紙に差出人の名前は書いてなかったけど、封筒が吉祥院さんの家の物だったから、それが記名代わりなのかなって最初は思ってたんだよね。でもしばらくして、どうも吉祥院さんの態度から、手紙を書いたのが自分だと私に隠しているのかなって思い始めて…。お礼を言おうかと何度も思ったんだけど、本人が隠しているつもりなら、あえて触れないほうがいいいのかなって、一応今まで知らないフリをしていたんだ。手紙の内容も第三者を装っていたし」
うきゃーーっ!恥ずかしいっ!!
私が書いたとバレないように、“吉祥院麗華さんは~”とか他人のフリをする小細工しちゃった!最初からバレてたのに!最悪だ、恥ずかしすぎるっ!“吉祥院麗華さんのグループは、同学年の女子で一番力を持っているので注意したほうがいい”って、自分で書く~?なにが“吉祥院麗華さん”だ!書いたのはお前じゃないか!
私はテーブルに頭を擦り付けた。
「ありゃ~、吉祥院さん、大丈夫?」
大丈夫じゃない…。慙死しそう。
「たまに合図を送ってみたりしたんだけどねー。七草粥を出したりして。手紙に野草摘みをする時の注意も書いてあったから」
やっぱりあれは確信犯だったか!
「それとあの手紙をもらった頃に、庭師のおじさんからも誰かに知られないように気を付けなさいって言われたんだ。あれも吉祥院さんが庭師さんに言ってくれたんでしょう?」
「……」
すべてバレているらしい。もうこうなったら開き直るしかない。
「…そうでしたか。それは今までお気遣いいただきまして…。ええ、ええ、私が書きました」
「うん…」
若葉ちゃんは私のやさぐれた態度に、困った顔をして笑った。
「まぁ、それで、吉祥院さんは私の味方だなって思ったわけです」
「はい…」
「でもこれでやっと言えるね。陰日向なくいつも助けてくれて、ありがとう、吉祥院さん」
う…っ。
「どういたしまして…」
私は恥ずかしくて、若葉ちゃんの顔を見ることが出来なかった──。
若葉ちゃんとはあれから、生徒会の話などを聞いたりした。どうやら同志当て馬も私の仕業ではないと思ってくれているらしい。理由は「手口が違う」だって。若葉ちゃんも「学園祭の会議で運動部を黙らせた吉祥院さんの手腕を見たら、やり口が全然違うのはわかるよね~。あの扇子捌きは凄かったよ!」と笑っていた。そうですか。
家に帰って若葉ちゃんの言っていた白の無地封筒を確認したら、目に見える開封部には透かしなど何もなかったのに、内部を光に透かしてよく見たら、吉祥院の名前と紋がうっすら浮かび上がった。げっ、本当だ。しかし、こんなのをよく見つけたな、若葉ちゃん…。今度から似たようなことをする時は、絶対に横着して家の備品を使わないようにしよう。
若葉ちゃんは私を信じてくれているけれど、問題は鏑木だ。
鏑木が私を若葉ちゃんの敵だと認定したら、私の未来は一気に危うくなる。どうにか鏑木の誤解を解いて、私と私の家族を守らなくては。さて、どうするか。
若葉ちゃんとの関係をすべてバラせば、今回のことは解決できるかもしれないけど、今の状況で私達が仲がいいと全校生徒に知られるのは、私達の立場的にちょっときつい。
どっちにしろ、明日の鏑木の様子次第だなぁ…。鏑木が何も言わなかったら、そのままにしておこう。うん、そうしよう。
などと考えていたのに、次の日の放課後にさっそく鏑木に呼び出された。ひぃ~~っ!
場所はピヴォワーヌのサロンではなく、瑞鸞の小会議室。誰にも聞かれないために部屋を借りたらしい。怖い。死刑宣告されたらどうしよう。
「あの、お話とは…」
私は恐る恐る尋ねた。
「ああ。昨日のロッカーの件だ」
きた!
「犯人は私ではありません!」
「わかってる」
「へ?」
疑ってたから私をこんな場所に呼び出したんじゃないの?
「実際は少しだけ疑う気持ちがあった。でもあの後、岩室が吉祥院は絶対にそんなことをする人間じゃないから信じてやってくれって言いにきて」
「岩室君が?」
岩室君と鏑木は仲が良かったのか?!
鏑木が言うには、岩室君は昔、騎馬戦で皇帝の馬になったことがあったらしい。
「ほかにもお前のクラスの委員長とかな。人望あるな、お前」
乙女結社ーー!ありがとう、乙女達よ!
「少しでも疑って、悪かったな」
「いえ…。でもそうでしたか。では、私に話というのは」
「それなんだが…」
鏑木は少し話すのを躊躇った。
「実は、俺には好きな人がいる…」
「はい」
知っていますが。
「協力してくれないか」
「ええーっ!」
なんで私が?!
「どうして、私に?!」
「岩室と委員長が、吉祥院は“恋愛成就の髪様”だと言っていた」
「ええっ!」
鏑木になにを話しているんだ、あのふたりは!誰が、恋愛の神様だ!
「その髪に触ると、恋愛成就するという話も聞いた。とてもご利益があるそうだな」
「ええっ!」
委員長ーー!
「本気で信じているんですか、そんな話」
「いや、そうではないが…。ただ女子の相談役は欲しいと思っているんだ。そして吉祥院は適役だと判断した」
「え~っ」
ほかを当たってくださいよ。
「頼む、吉祥院。ムチャな頼みはしない」
「え~っ」
やだよ、絶対。あんた昔、私をパシリに使ったじゃん。それに鏑木達の恋愛になんて関わりたくないし。
しかし鏑木は引く気はないらしい。私が引き受けるまでここから出さない勢いだ。げー。どっちにしろ、私に選択の余地はないってこと?!
あ、でもそれなら…。
私はとってもいいことを思いついた。
「……わかりました。ただし引き受けるには条件があります」
「なんだ?」
「この先、私の家の不正を暴いて潰そうとしたり、家ごと破滅させたりしないと誓ってください」
「お前の家、不正しているのか?」
「言葉のあやですわ!我が家は不正などしておりません!ええ、絶対に!」
しまった、逆に余計な疑惑を持たせてしまった。鏑木の目が不信感丸出しだ。
「とにかく!それを約束してくれない限り、私は一切協力はいたしません!」
「はーっ、わかったよ。約束すればいいんだろ」
「口約束だけでは信用できませんので」
私はカバンからレポート用紙を取り出した。
「はい。きちんと文書にしてください。“私、鏑木雅哉は吉祥院家を崩壊させる行為は絶対にいたしません”」
「そんなに後ろ暗いことをやっているのか?お前んち」
「天地神明に誓って、そんな事実はございません!ささ!早く書いてくださいませ。きちんと署名もなさってね」
「面倒くせー…」
鏑木はブツブツと文句を言いながらも、言われた通りに記入し、私に紙を突きつけた。
「ほら、これでいいんだろ?」
「まだですわ」
私はペンケースからカッターを取り出した。
「はい。これで血判してください」
「はあっ?!血判?!お前、なに言ってんだよ!こえーよ!なんだよ、それ!赤穂浪士かよ!」
「署名だけでは弱いですからね。覚悟のほどをお見せくださいませ。さ、血判を。さ、さ」
「やだよ!重いよ!重すぎるよ!お前んち、やっぱり絶対なんかやってんだろ!どんだけやばいことしてんだよ!血判なんて絶対にやだ!」
鏑木は両手をグーにして背中に隠した。子供か。
「ふぅっ、ではしかたありませんね。それでは譲歩して、ただの拇印で結構ですわ」
朱肉を持っていなかったので、私は赤いマジックを取り出した。
「拇印…。まぁ、それならいいか…」
鏑木は親指にマジックで色を付けると、拇印を押した。
まぁこんな物になんの効力もないけれど、直情型の鏑木の心には抑止となって残るだろう。
「はい、結構。では私も鏑木様に協力すると約束いたしましょう」
「よし!じゃあ、さっそく…、と、その前にこの赤いの落としてくるから」
そう言って鏑木は手を洗いに行った。私はその間に宣誓書をしっかりとカバンにしまった。するとしばらくも経たないうちに鏑木が「おい!これ油性じゃねーか!全然落ちないぞ!」と怒鳴り込んできた。全く、落ち着きのない…。