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委員長と岩室君から美波留ちゃんと野々瀬さんへのホワイトデーのプレゼントの相談をされたので、さっそく伊万里様からいただいた蜂蜜キャンディを推薦してみた。あれは甘くておいしい上にのど飴としての効果もある。
「へぇっ!僕はそのキャンディにしようかな」
「でもふたりとも同じ物にするわけにはいかないよな」
「それ以外の候補ではキャラメルもいいかと思いますわ」
私は夏に伊万里様にいただいたキャラメル情報も披露した。
「キャラメルか」
「種類がたくさんあって、味もジューシーでおいしかったですわよ」
「じゃあ、それにしてみようかな…」
それと去年友柄先輩と香澄様からいただいたギモーヴもおいしかったな。鏑木のお墨付きだ。この情報も教えてあげる。
「それもいいなぁ」
「じゃあそのお菓子に付けるちょっとしたプレゼントは何がいいかな。バレンタインの手袋は凄く喜んでもらえて本田さんに使ってもらえたんだよ。…僕も色違いでお揃いの手袋を買ったんだけど、それは言ってなくて…。こっそり使ってるんだ」
委員長は乙女としてのブレがないな。「本田さんからもらった手作りのチョコレートは、今まで食べたどのチョコレートよりも甘くておいしかったな」と、頬を染めて言う委員長の本田さんへの恋心は、島崎藤村の初恋のように甘酸っぱくて、聞いているこっちが気恥ずかしくなるよ。
しかしちょっとした可愛いプレゼントねぇ…。
「私の経験からですと、オルゴールボールやネックレス、サシェとハーブティーのセット…。それからボックスフラワーなら場所も取らずに持って帰りやすいかもしれませんわね」
すべては偉大なるカサノヴァ村の村長伊万里様からのプレゼントだ。
「ボックスフラワーってなに?」
「箱を開けると中にお花が敷き詰められているんです」
「へぇ~」
「可愛いですね…」
岩室君は可愛い物が好きそうだもんね。どちらかというと、お花はあげるよりもらいたい派とみた。
でもプレゼントは別に品物じゃなくてもいいんだよね。
「若しくは春休みに一緒に遊園地に行きませんかと、フリーパスチケットを贈るとか…」
「師匠、なんという大胆な提案!」
「それは…!でも、迷惑だって断られる可能性も…」
「バレンタインは既製品が慣例の瑞鸞で、手作りチョコを贈るくらい親しい間柄なら、誘えば快諾してくれそうだと思いますけど」
「吉祥院さん!僕に勇気をください!」
「師匠!」
委員長と岩室君は「ご利益~、ご利益~」と唱えながら、私を拝んだ。仕方がない、可愛い弟子達のためだ。私のなけなしの恋愛運を持って行くがいい。
上手くいくといいね。
あ…、めまいがする。
頭がしびれるような感覚と、吐き気とめまい。寒い…。息が苦しい。気持ち悪い。目がチカチカして前が見えない…。
「どうしたんですか、麗華様。やだ、顔色が真っ青!」
「麗華様、大丈夫ですか?」
突然襲ってきた症状に、具合が悪すぎて返事をすることもままならない。まずい、本当に気持ち悪い…。
「麗華様!保健室に行きましょう」
「それがいいわ。立てますか?」
「手が氷のように冷たくなってるわ。麗華様、大丈夫?」
椅子から立ち上がろうとしたら、そのまま意識が一瞬途切れた。あ~、これはダメだ。耳鳴りがして、みんなの声が聞き取れなくなってる。
私は両腕を支えられながら、半分意識朦朧状態で保健室へと連れて行ってもらった。
「先生。麗華様が具合が悪いそうなんです」
「まぁ!貧血かしら。ベッドに横になって」
私は支えられたまま、言われた通りベッドに横になった。あー、目を瞑っても世界が回る。
「あとは先生にまかせて。みなさんは次の授業に間に合わなくなるので、戻っていいわよ」
「はい」
「麗華様、お大事になさってね」
私は付き添ってくれた子達に、「ありがとう…」となんとか声に出してお礼を言った。問診の結果、養護教諭の見立てでは睡眠不足による脳貧血らしい。実はこの3日間、シリーズ物の長編小説を夜遅くまで読んでいて、毎晩の睡眠時間が5時間を切っていた。しかも今日は物語が佳境に入っていたので明け方近くまで起きていたからなぁ…。
足元に下がった血を戻すために頭の枕を外され、足首の下に置かれた。
「これで少し休んで、症状が治まらなかったら早退しましょうね」という言葉に従ってそのまま目を閉じていたら、すぐに熟睡してしまった。
起きたら、頭がすっきりしていた。睡眠って大事だ!
「先生、体調が戻ったようです」
私はベッドを降りて机に向かって書き物をしていた養護教諭に声を掛けた。
「もう大丈夫?」
「ええ。すっかり元気になりました」
少し眠っただけなのに、さっきまでの具合の悪さが嘘のように楽になっている。
「顔色も良くなりましたね。夜更かしは程々にね」
「はい。ご面倒をおかけしました」
本当にねぇ。反省、反省。
「もうすぐ今やっている授業が終わる時間だから丁度いいわね。チャイムが鳴るまで保健室にいますか?」
「いえ、ロッカーに取りに行きたい物もあるので」
私はお礼を言って保健室を出た。
廊下には授業中なので当然誰もいなくて、閉まった各教室から先生とたまに生徒の声が聞こえてくるのみだ。静かな廊下に、私の足音だけがかすかに響く。私は次の授業の教科書を取るためにロッカーへと歩いた。
私が階段を上って2年生の階まできた時、カツーンとなにかを落とす音がして、次に誰かが走り去る足音がした。ん?誰かがいたようだけど、授業中だよね…?
どこかのクラスが早く終わったのかななどと考えながら廊下を歩いて行くと、黒いマジックが落ちていた。さっきの音って、これかな?私はそのマジックを拾って、落とし主を探すように辺りを見回したけど、誰もいない。あとで生徒会にでも届ければいいかな?
そしてそのままロッカーに行った時、私の心臓はドクンッと大きな音を立てた。
“学校やめろ!”
なにこれ…。ロッカーの名札には“高道若葉”。若葉ちゃんのロッカーだ。
さっきの足音は、私が階段を上ってくるのを気が付いた犯人の、逃げる足音だったんだ!
次の瞬間、授業終了チャイムが鳴った。
早いクラスはチャイムと同時に教室を生徒達が出てくる。出てきた生徒達が、廊下にいた私に気づき、そしてロッカーの落書きに気づいた。
「え…」
え…?って、あ!まさか、この状況だと私が犯人だと思われちゃう?!
「いえ、これは違うんです!私も今来て発見したばかりで」
慌てて言い訳をするも、廊下に出てきた人だかりに、あっという間に取り囲まれてしまう。「なんだ、これ」「高道さんのロッカー?」といった声で廊下は一気に騒がしくなった。
「なによ、どうしたの?え~っ、なにこれぇ!」
寄りによって、一番早く終わったのは蔓花さんのクラスだったらしい…。最悪。
蔓花さんは私とロッカーと私の持つペンを見て、「へぇ…」と心底楽しそうな嫌な笑みを浮かべた。
「なぁんだ。上辺ではきれいごとを言ったって、やっぱり麗華様も裏で汚い真似してるんじゃない」
蔓花さんが勝ち誇ったように言い放った。
「私じゃないわ!」
「でもこの場には麗華様しかいなかったわけですし?大体授業中なのにこんなところでなにをしていたのかしら」
「体調が悪くて保健室で休んでいたのよ。それで戻ってきたら」
「マジックまで持って、言い訳がそれですかぁ?」
「このペンは落ちていたのを拾っただけよ」
「ずいぶん都合のいい話ですよねぇ」
「嘘じゃないわ!」
「本当は自分だって高道若葉が気に入らなかったんでしょ。だから陰で嫌がらせをしていたわけだ」
「違う!」
でも今この場で、一番疑わしいのは私だというのはまぎれもない事実だ。授業中でほかの生徒達にはアリバイがあるんだから。
こうしている間にもどんどん人が集まってきて、私を疑いの目で見る人間が増えている。どうしよう…!
授業を終えた先生方が騒ぐ生徒達を制しようと働きかけるが、みんな面白がって聞く耳を持たない。
「麗華様!」
芹香ちゃん達が騒ぎを聞きつけて私の元に走ってきた。
「なんなのよ、あんた達!麗華様がこんなことをするはずがないでしょう!」
「でも証拠は揃っているのよ」
「どんな証拠よ!もしかしてあんた達が麗華様を陥れるために仕組んだんじゃないの?!」
「ちょっとぉ、他人に罪を擦り付けないでよ!」
「麗華様に罪を擦り付けているのはそっちでしょう!」
そしてそこに、最悪のタイミングで鏑木が現れた──。
「なんだ、これは…」
若葉ちゃんのロッカーを一目見て、その目に怒りが宿った。
「またこんなことを…!」
「犯人はそこにいる麗華様です」
蔓花さんがここぞとばかりに断定して鏑木に告げた。
「吉祥院…?」
鏑木が眉間に深いシワを寄せたまま、私を注視した。まずい!この展開はまずすぎる!
「違いますわ!私じゃありません!」
「でもこの場にいたのは麗華様だけです。手にはペンまで持って」
「いや、でもなんで吉祥院が…」
鏑木は半信半疑の様子だ。
「表ではいい人ぶってても、裏では誰よりも高道さんが目障りだったということでしょう。今までの高道さんへの嫌がらせも、たぶんこの人なんじゃないんですか?」
「しかし…吉祥院は…」
「私達が知らないだけで、陰で彼女の行動範囲を調べて、見つからないように嫌がらせをし続けていたんでしょうよ。それで同じクラスの子にダメージを報告させて楽しんでたんですよ、きっと」
それはあんたでしょうが!なんだ、その陰険な発想は!
言い返そうとしたその時、とんでもない方向から矢が飛んできた。
「そういえば前に、塾で吉祥院さんに高道さんのクラスでの様子を聞かれたことがある…」
ぽつりとひとりの男子が呟いた。誰だ!振り返れば、同じ塾に通う多垣君がいた!
ええーっ!多垣君、今それを言う?!確かに聞いたけれども!でもそれに他意はなかったし!
多垣君はその時のことを思い出して、つい言っちゃったのかもしれないけど、タイミング悪すぎだよ!
多垣君の言葉に私の立場は一気に悪くなった。
「吉祥院、お前まさか、本当に…」
鏑木が呆然とした顔で私を見た。嘘っ!鏑木も私が犯人だと思ってる?!若葉ちゃんを苛める敵だと?!
ぎゃーーっ!とうとうこの時がやってきた!一家没落の危機だ!会社を乗っ取られ破滅させられて、路頭に迷う未来がはっきり見える!
あぁっ、弁解しなきゃ…。でもどうやって…?!
「麗華様じゃありません!」
その時、人垣の中から女の子の悲鳴のような声が聞こえた。え、誰?
「麗華様は、そんなことをする人じゃない!」
人垣が割れ、震える足で前に出てきたのは望田さんだった。
望田さんは中等科時代に一時期、蔓花さん達にくだらない理由でいじめられていた子だ。あれ以来会えば挨拶をする程度の付き合いだけど、おとなしい望田さんがいったいどうした。
「なんなの、あんた」
蔓花さんに睨まれ望田さんはビクッとしたが、ガタガタ震えながらもう一度「麗華様はそんなことはしない!」と叫んだ。
「麗華様は人を苛めるようなことをする人じゃない!麗華様は、麗華様は、私が一番つらい時に助けてくれた!」
望田さんは目に涙を溜め、顔を真っ赤にしながら拳を握った。
「私が昔、蔓花さん達に苛められていた時、苦しくて苦しくて、毎日学校に行くのがつらかった!」
蔓花さん達は、周囲の視線に少し気まずそうな顔をした。
「誰も助けてくれなかった!もう学校を辞めたいと思った!でもそんな時、麗華様だけが私に手を差し伸べてくれた!声を掛けてくれた!毎日励ましてくれた!助けてくれた!」
望田さんはボロボロと涙を流し、「麗華様じゃない!麗華様じゃない!」と声をひっくり返しながら叫んだ。
「も、望田さん?」
望田さんは何かが振り切っちゃったのか、「うぅぅ~っ!」と唸りをあげ、半分白目をむきながら体をブルブルと痙攣させ始めた!、
うわぁーっ!望田さんが悪魔憑きみたいになっちゃってる!全力で庇ってもらっておきながらこんなことを言うのはなんだけど、ごめん、怖いっ!
「よく言ったわ!望田さん!」
「見直したわ!望田さん!」
芹香ちゃん達が望田さんの体を支え、その勇気を讃えた。望田さんはゼイゼイと肩で息をして黒目を戻した。良かった…、正気に戻ってくれて…。ありがとう、ありがとう望田さん。メンタルに異常をきたすくらいの勇気を振り絞らないと、望田さんのようなおとなしい女子生徒が、この場で発言するのは相当きつかっただろう。
「私も違うと思います」
若葉ちゃんがいつの間にか同じクラスの円城に誘導されて、鏑木の傍にやってきていた。
「高道…」
「吉祥院さんはこんなことをする人じゃ、絶対にない!これは確実です。そのペンも本当に拾っちゃっただけじゃないかなぁ」
わ、若葉ちゃん!私のこと、信じてくれるの?!これだけ不利な状況証拠が揃っているのに。
「はぁ?なに適当なことを言ってんのよ。瑞鸞の実力者に媚びて点数稼ぎ?それとも瑤子様の言っていたように、すべてが自作自演なのかしら?」
「おい、蔓花!」
「客観的に見た意見です。まず吉祥院さんはこんな陰湿な嫌がらせをするタイプではないということ。それに私のことを仮に気に入らなければ、こんなことをしなくても一言、気に入らないと言うだけで、私を追い込むことができるでしょう。それだけの力のある人なんだから」
う、うん。嬉しいような、哀しいような…。
「確かに吉祥院は、真正面から息の根止めてくるヤツだよな」
「あぁ。しかも一撃で仕留める女だ」
「一撃必殺かぁ。横綱の貫録だな」
誰だよ、後ろで変なこと言ってる奴らは。サッカー部部長、またあんたか!なんだ、その顔は。目が合ったくらいで怯えるな。私の印象がますます悪くなる!そして私を横綱と言ったヤツは、どういう意味でその単語を使った。場合によってはあとで必ず見つけ出す!
「とにかく、私は吉祥院さんではないと信じています」
被害者である若葉ちゃんがそう言うので、その場はなんとか収まってくれた。
先生方にも事情を聞かれ、直前まで保健室にいた事実と、私がピヴォワーヌメンバーであるということで先生方の遠慮もあり、犯人は私ではないという結論が下された。疑惑は残ったけれど…。
「運が悪かったですわね!麗華様」
「本当よ。麗華様がこんなことをするわけがないじゃない!」
芹香ちゃん達が慰めてくれた。ありがとう。
「でも、高道さんに対しては、少しだけ見方が変わりましたわ」
「そうね…」
若葉ちゃんが私を庇ったことにより、芹香ちゃん達の気持ちが少し変化したようだ。
でも若葉ちゃんにはちゃんと話をしたいし、なんで信じてくれたのか話を聞きたい。
私は今日の放課後、若葉ちゃんに会いたいというメールを送った。