日本が、これからも決して世界から理解されない6つの理由

日本が、これからも決して世界から理解されない6つの理由
東アジアで、アメリカの最大の同盟国は日本だが、日本とアメリカの関係はお世辞にもうまく行っているとは言えない。

日本人は、なぜ日本がこれほどアメリカを思っているのに、アメリカは日本を理解しないで冷淡に扱い、中国にすり寄ろうとしているのか分からない。

アメリカはアメリカで日本人が何を考えているのかまったく理解できないと毎回のように言っている。

あげくの果てに、日本はアメリカと真の意味で同盟関係を結ぼうと思っていないとさえ考えるようになっている。

すでにアメリカと日本の同盟関係は60年以上にもなるというのに、未だに両国は「交わらない」のである。

しかも、日本が理解できないのはアメリカだけではない。世界のどこからも日本は理解されていない。

西欧文明のすべての国、あるいはアラブ諸国、アフリカ諸国のみならず、同じアジアである中国・韓国からも理解されていない。日本は「理解不能」だと思われているフシもある。

いったい、どのあたりで細かい誤解が生まれ、「理解不能」だと思われるのだろうか。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

(1)宗教と無宗教

日本人はあまり気がついていないが、日本だけ、文明・文化を共有する外国がなく、世界から見ると完全なる「異質」なのである。

たとえば、アメリカとカナダ、あるいはアメリカと欧州、あるいはアメリカとオーストラリアは地理的にも文化的にもまったく違う。

しかし、そういった違いを乗り越えて兄弟国のようなつながりがある。文化的に理解し合える素地がある。

また多くのアラブ諸国も互いに激しく対立し、競合関係にあるが、それでもそういった違いを乗り越えて兄弟国のようなつながりを持っている。文化的に理解し合える素地がある。

なぜなら、文化の根源となった宗教が同じだからである。宗教は「同じ概念」を生み出し、「同じ常識」を共有する元になる。だから、言葉や文化が違っても相手がおおよそ理解できる。

しかし、日本は仏教も儒教も神道も何でもかんでも一緒くたになって他国とまったく違う独自の道を歩んだ。

しかも、最終的に、「文化も哲学も社会も宗教に依存しない」という他国には考えられない世界で生きている。

日本をのぞくすべての国家の基盤になっているはずの「あるべき宗教」が日本にはないのである。こういった部分は外国には非常に不可解で理解できないものに見える。

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(2)罪の文化と、恥の文化

欧米人がところ構わずゴミを捨てないのは、それが「法律で禁止されている」からだ。日本人がところ構わずゴミを捨てないのは、それが「人間として恥ずかしい」からだ。

欧米人が社会的ルールを守るのは「罪」の文化があるからだ。日本人が社会的ルールを守るのは「恥」の文化があるからだ。

国際的に「契約を破る、裏切る、恫喝する、脅迫する」という行為を他の国家がしないのは「罪」に問われるからだ。しかし、日本がそれをしないのは罪の前に「恥」だからだ。

ルールを破ったら、「恥ずかしいことをした」と感じて、頭を丸める人もいるが、そのような文化が未だに息づいているのが日本である。

日本人が「恥の文化」だというのは、当の日本人も無意識に認めている。そして、むしろなぜ世界は「恥の文化」ではないかと考える人も多い。

しかし、世界から見ると「なぜ、どうでもいいことでいちいち恥を感じるのか?」「なぜ、そこまで他人の目を意識して自分を縛る必要があるのか?」と思う。

こういった部分は外国には非常に不可解で理解できないものに見える。

(3)個人主義と、集団主義

世界のほとんどの国は個人主義である。自分が大事である。

組織のために自分を殺す(我慢する)などとは思わないし、「自分が犠牲になっても組織を助ける」などとも思わない。「自分が主」であり、「組織が従」である。

だから、組織と自分の考え方が合わないと、何の躊躇もなく組織から出ていく。個人主義だからである。

しかし、日本人は違う。

「組織のために自分を殺す(我慢する)」のは、社会で生きる以上は、当たり前だと思っている。心の底からそう思っていると付け加えてもいい。

場合によっては「自分が犠牲になっても組織を助ける」ことさえ厭わない。つまり、「組織が主」であり、「自分が従」である。

だから、組織と自分の考え方が合わないと、何の躊躇もなく自分を殺して組織に従う。集団主義だからである。

日本人は良くも悪くも、非常に強くこの集団主義を持ち合わせている。こういった部分は外国には非常に不可解で理解できないものに見える。

(4)異質性と、同一性

日本は諸外国と違って異民族の混合がない。あっても目立たない。そして、人種もほぼ単一民族で構成されている。異質性よりも同一性で形作られている。

つまり、極端に何か違うものがめちゃくちゃに混じっている社会ではなく、ほどほどに同じものが混じっている社会なのである。

だから、国内で非常に激しい宗教対立もないし、人種闘争もない。また、宗教によって作られた救いようのない身分格差も存在しない。

そして、国内はすべて日本語で統一されていて、多少の方言があったとしても、「言語が通じない」ということもない。

世界は、同じ国であっても言葉がまったく通じないというのは当たり前にある。中国も、北京語、福建語、広東語、四川語、上海語と、言葉が通じない同国人は当たり前に存在する。

インドも同様で、ヒンドゥー語、タミル語、ウルドゥー語、ベンガル語……と、同じ国内でもまったく言葉が通じないのである。

日本は、いろいろな意味で同一性が保たれている希有な国家である。

したがって日本では、同一的であることが望ましいと考えられており、社会構造も、考え方も、同一性を志向する。

こういった部分は外国には非常に不可解で理解できないものに見える。

(5)自由主義と、権威主義

日本は自由な国だが、実は日本人は自由主義であるというよりも権威主義であると言える。

親、上司、教師、組織の長、国家に従順で、言われたことはよく守る。

たとえ、組織の長が間違っていても、その間違った命令をそのまま忠実に実行するし、反論したり、反抗したりすることもあまりない。

また人々は個性を発揮するよりも、権威が決めたものに従うことを由とする。自由よりも、権威を尊ぶのである。

しかし、欧米では自由であることが重要であり、自由を守るために戦うことすら辞さない。

親が何を言おうと、上司が何を言おうと、「自分の考え」を捨てることはないし、それを捨てるくらいなら出て行き、「自由」を守る。

黙って、言われた通り、権威に従うというようなことはまったくない。

だから、自由主義で生きている人には、権威主義の人間が非常に不快であり、そんな世界を理解したいとも思わない。

日本人は良くも悪くも、非常に強くこの権威主義を持ち合わせている。

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(6)競争主義と、協調主義

欧米諸国はすべて競争主義の論理で成り立っている。友人とも、同僚とも、他企業とも、他国家とも、激しく競争して、そこから勝ち上がっていかないとならないと信じている。

そうしないと自分が叩きのめされるし、自分の生活も人生も奪われると考える。協調とは自分のために相手を利用することである。

しかし、日本はそうではない。何かを成し遂げるには、協調が不可欠だと思い込んでいる。

だから、友人とも、同僚とも、他企業とも、他国家とも、みんな仲良く協調して、一緒に成長していかなければならないと信じている。

根本的な考え方が違っており、この部分が理解できていないと互いに相手の行動を読み違う。

日本が何か目的を示して「一緒に協調してやって行きましょう」と世界に言ったとき、世界は「日本が自国の目的のために何か強制してきた」と考えるのである。

逆に日本は、「なぜ、そこまで競争してエネルギーを消耗しなければならないのか。協調すればいいのに」と競争主義に懐疑的に思う。

こういった考え方は外国には非常に不可解で理解できないものに見える。

理解されていないということを理解する

アメリカは単一国家であるのは間違いないが、欧州とは文化的な共同体の一員であるのは間違いない。キリスト教という基盤の上に、互いに理解できる文化がそこに存在しているからだ。

アラブ諸国とインドネシアも、人種を越えて文化的な共同体の一員であるのは間違いない。イスラム教という基盤が、文化的共同体を生み出しているからだ。

しかし、日本は世界中のどこにも共同体を持たない。

日本文化は、日本国内だけのものであり、他のどこの国とも違っている。それは、完全に独特のものなのである。

だから、他国と心から信頼しあったり、根源的な部分で親交を深めるという足がかりがない。

そして、世界のどこからも日本は理解されていない。

西欧文明のすべての国、あるいはアラブ諸国、アフリカ諸国のみならず、同じアジアである中国・韓国からも理解されていない。日本は「理解不能」だと思われているフシもある。

日本人は、世界からまったく理解されていないということを、しっかり理解する必要がある。それが現実だからである。(written by 鈴木傾城)

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