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先月、『Fate Grand Order』にドハマリしてゴールデンウィークを溶かしたことを告白したところ、以下のような心温まるコメントをはてなブックマークでいただいた。
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第六章が難関らしく、そこで苦しむのを期待しているらしい。
だが、私は『艦これ』の"甲提督"である。
2015年の冬以降、最高難易度でイベントをクリアすると貰える甲種勲章を集め続けてきた。このノウハウで『FGO』に挑めば問題などあるまい。『艦これ』をやっていないプレイヤーから「第六章で苦しみなさい」と言われると反骨精神が湧いて来るわけで、むしょうに突破したくなった。
で、実際に第六章をやってみると……。
確かに敵が強い! このガウェイン、やたら宝具を撃ってくるうえ、堅くて堅くてどうしようもない。ここで令呪を使わされて、もっとサーヴァントを強くしなければ詰まってしまう、という気持ちになった。
だが、育成なら『艦これ』で慣れている。
・毎日かならずログインすること。
・ウイークリーのクエストは確実にこなすこと。
・wikiのたぐいをよく読むこと。
・漫然とサーヴァントを育成せず、今、必要なことと不必要なことをしっかり区別すること。
『FGO』は、サーヴァントを手に入れる段階はガチャの運次第だけど、サーヴァントを手に入れた後の采配はプレイヤーに完全に任されている。しかも、『艦これ』と違って戦闘の采配もプレイヤーに任されているから、プレイヤーの采配とマネジメントが一層重要なゲームのようにみえる。
始めてすぐに孔明を召喚できたものの、そこで運を使い果たしたらしく、それからのガチャはさんざんで、結局、★3~★4のサーヴァントを育てることになった。ところが、育成に手間暇のかかる★5が孔明だけだったおかげで、短時間に働き者のサーヴァントがどしどし育ってくれた。
無課金にも等しいパーティーだけれど、戦えないわけじゃない。
で、彼らと旅するストーリーは、第六章以降、どんどん面白くなっていった。
よどみない中二病的テキストの数々に、胸が高鳴ってしようがない。00年代以前のエロゲーのテキストを思い出させる冗長さは、クラシックな日本語として上手いとは言えない。『FGO』のテキストの巧さは、たとえば日本語ネイティブではない人に伝わるとは考えにくいし、団塊世代の小説愛好家からみれば『FGO』のテキストはそびえたつクソの山とうつるかもしれない。
けれども、『FGO』のテキストは90年代後半~00年代の、オタク界隈で勃興した文芸的なフレーバーをはっきりと継承していて、その頃に思春期を過ごした身にはたまらなかった。エロゲ―やライトノベル、そしてweb小説に至るまで、この手の、やや誇張的で冗長な表現は幅広くみられたものだけれども、『FGO』のソレは最も商業的に成功した典型例のひとつとして記憶されるのではないかと思う。
そうやって文章を楽しんでいるうちに、6月の新イベントが始まった。このイベント、参加するには第一部最終章まで突破していなければならず、このあたりは誰でも参加できる『艦これ』のイベントより厳しいと感じた。
しかし、育てたサーヴァント達はよく戦ってくれて、第一部最終章を突破してイベントに間に合わせることができた。以下のスクリーンショットはその証明書だ。
ゲーム開始から二か月ちょっとでイベントに間に合ったのも、ひとえに『艦これ』で養ったノウハウがあったからに他ならない。もっと言うと、00年代のネトゲ時代に染みついた「プレイヤーのプレイ時間あたりの時給効率を最適化せよ」という習慣に忠実だったおかげとも言える。
効率最適化の習慣は、ゲームだけに通用するものでもあるまい。『艦これ』のノウハウは『FGO』にも通じているし、きっと実生活にも通じている。効率性を追求したほうが良いところはきちんと追求して、ゲームライフも実生活もうまくこなしていきたい。