魔法による強制的な眠りによるものではあるが、ンフィーレアはモモンガに下ろされた草原の上で安らかな寝息を立てている。
予め引き出す質問は決めておいた方がいいだろう、と考えたモモンガは特に優先順位が高い情報についてンフィーレアの横で考えることにした。
(生かして帰す事を前提としていた先程までは聞けなかった情報……、まずは他のプレイヤーやユグドラシルについて。 そして自分のようなアンデッドが他に存在するのか。 もしそうだとしたらどのような扱いを受けているのか。 後は、魔法やモンスターに関する知識も引き出せるだけ引き出しておくか。 ただそんな質問をすれば必然的にこちらの正体についてのヒントを多く与えてしまうだろうし…………、やはり用が済めば殺すしかないな)
あっさりと少年を殺すという行為を選べたことが、胸に僅かな寂しさをよぎらせる。
それは自分は本当に人間では無くなってしまったのだと、モモンガは改めて自覚させることになった。
(まあいいか。 この状況では変な情に流されるのは危険だし、むしろ都合がいいかも知れないな。 この調子で生物を殺して、情報を集めて、リスクを排除して………、仲間に会える日までなんとしても生き延びる。 その為には、こんな子供の命などどうでも良い)
だが、先程の戦士のように間接的にでは無く、能動的に人間を殺そうとするのはモモンガとしても始めて。
人間だった頃の残滓だろうか?
殺すことを決断した後も、僅かにモモンガの心には引っかかるものがあった。
あまり考えすぎるといざという時に躊躇ってしまうかも知れない、とモモンガは仲間と会えた後のことを考えて気を紛らわせることにした。
(たっちさんならこの世界で、やはり人助けをするか。 困っている人を助けるのは当然の事、だったよな。 その時は自分も一緒に人を助けるのもいいな。 この世界には人間以外の種族もいるみたいだから人間の味方とは限らないけど……。 やまいこさんなら、やっぱり先生になりたがるか。 可哀想な子供を集めて孤児院を開こうとするかも……ンフィーレアみたいな孤児になった子供とか……)
そう、彼らはこの世界でもやはり人の味方であろうとする可能性が高い。
だとすると自分の目的の為に特に罪の無い子供を殺した自分をたっち・みーや、やまいこは受け入れてくれるだろうか、という疑問がモモンガの中に生まれた。
いつしか思考は声となって溢れ出る。
「いや、でもウルベルトさんだったら分かってくれる、生き残る為なら犠牲は仕方ないって………、ああ、でも建御雷さんは抵抗の出来ない子供を一方的に殺すことを嫌うかも……、でもぷにっと萌さんなら、リスクを最小限に減らす策としてむしろ褒めてくれるかも知れない。 ぶくぶく茶釜さんは怒るかもなぁ、あの人子供結構好きだったし………、でもナザリックは悪のギルドだし、ギルドとしてはこのくらいのことは………」
ベルリバーが、ペロロンチーノが、餡ころもっちもちが、ガーネットが、タブラが、音改が、かつての仲間達ならばどうするかとモモンガは考え続ける。
記憶の中にいる仲間達の性格を可能な限り思い出しながら、シミュレーションを続け、やがてモモンガはあることに気がついてしまった。
「あれ? 自分は……どうしたいんだ?」
かつての仲間達と出会い、また共に何かをしたい。
可能性が少しでもある限り、自分はそれを追い求め続けるだろうし、その為にはいかなる手段を取ることも辞さないつもりだった。
だが……、自分の目的の為だけに数多くの人間を殺したモモンガを、受け入れてくれない仲間がいるかも知れない。
それにそもそも、モモンガは自分が"何をしたいのか"ということが分からなかった。
もし転移してきた者がたっち・みーだったら、人を殺して得た力で人助けをするのか。
やまいこであれば、子供を殺して生き抜いてきた手で、彼女と共に子供を救うのか。
ユグドラシル時代は仲間に必要とされたくて、自分の意見を出さずに纏め役に徹した。
皆がナザリックから去った後も、いつかもう一度自分を必要としてくれることを信じてナザリックを守り続けた。
そしてこの世界に来てしまった今も、ただ仲間の為にある存在として自分を維持し続けようとしている。
結局の所ンフィーレアを殺して情報を得るのも、生物を殺して自分のレベルを上げようとするのも、少しでも自分の利用価値を高めたい為ではないだろうか?
皆がゲームを楽しむ為の道具、ナザリックを維持する道具、いつか会えるかも知れない仲間達の為に生き続ける道具。
恐らく今周りに人を助けようとする仲間が居ればその通りに動き、世界を征服しようという者が居れば期待に応えたくて悪の権化にだってなってみせるだろう………、必要とされたくて。
だが、もし仲間に会えなかったとしたらどうだろうか?
自分は仲間の為の力を蓄える存在としてただ生き続けるのだろうか。
あのユグドラシルでの虚しく、緩やかな苦しみに満ちた時間の続きを、ひたすら味わい続けることが自分の望みなのだろうか。
モモンガの目的はもう一度仲間に会って、共に過ごすこと。
しかし、果たして仲間と会って何をしたいのか。
その具体的な意思が、モモンガの心の中からはどこを探っても出てきそうにはなかった。
「参ったな………」
このまま曖昧な動機で自分の手を汚し続けて強くなったとしても、結局の所それは何かの目標への歩みとは言えない。
特に何を買いたいわけでも無く、ただ安心したいという理由で金を貯め続けることと同じ無意味な蓄積。
そもそも安全に生き続け仲間と会いたいだけであれば、土に深い穴でも掘ってずっと埋まっていればいいのだ。
定期的に《メッセージ/伝言》の魔法を仲間に対して使えば、もしこの世界に彼らが来たときに気が付くことは出来るだろう。
そう考えれば、一体何の為にンフィーレアを殺すのだろうか。
……もしかしたら無意識の内にアンデッドの身体に心が引きずられていたという可能性もある。
思考の泥沼に嵌る中でモモンガの中にあった、ンフィーレアを殺すのだという決意が急速に萎んでいった。
(考えてみれば安全と強さを求めることは別問題か。 本当に安全のみを求めるなら強くなるために闘おうという発想自体が矛盾しているし………。 でもこのままずっと一人で誰とも交わらずに待ち続けることが自分の望みかと言われると………、だからと言って他に明確な望みがあるのかと言われると難しいが………)
このままモモンガがいくら考えたところで、明確な行動指針は浮かんできそうになかった。
意識ここにあらずといった様子で自分の世界に入り込んでいたモモンガは、ふと物音を感じて現実へと引き戻される。
降り注ぐ日光に眩しそうに目を細めながらも、同じように強制的に眠らされるのは二回目ということもあり、自分に何が起こったのかは直ぐに理解できたのだろう。
人間に変装しているモモンガの姿を視界に捉えると、大急ぎで立ち上がろうとするも、やはり意識が完全に覚醒していないらしく足をもつれさせて転んだ。
「お前は………お前のせいで!」
ンフィーレアの射竦めるような憎悪が篭った視線にモモンガは怯みそうになるが、アンデッドとなったことによる精神の変化の為か、直ぐに冷静さを取り戻す。
「何のことを言っているのかは知らないが……、雇っていた冒険者に裏切られた事は私のせいでは無いと思うぞ。
どうせ彼らは初めから襲うつもりだったんだろう。 むしろ私は、殺されそうになった君を助けた恩人だと思うが」
モモンガの言葉にンフィーレアは言葉に詰まるが、そもそもモモンガが自分を攫わなければこのような事態は起こらなかった。
ンフィーレアは激しい口調で、目の前の男が自分を攫ってから起こったことを話していく。
怒りに声が震え少々要領を得ない所もあったが、モモンガは大体の事情を理解した。
「いや………、まあ、間接的には私が関わっているが、一番の原因は君の祖母だろう。 範囲魔法を不用意に振り回せば危険だという事くらい私にも分かるぞ」
「な………、お前が現れなければ、そもそも起こらなかったことだろうが!」
ンフィーレアはかなり感情的になっていたが、それも仕方の無いことだろう。
いくら聡明でもまだ少年に過ぎないンフィーレアに、この状況は許容範囲を超えていたのだ。
「あー、分かった。 もうその話はやめよう、平行線になるだけだ。 それで、君は私に何を求めているんだ?
言っておくが金なら無いぞ。 それに怒りのあまり私の命を奪おうとでも言うのだったら、抵抗はさせてもらう。 謝罪を求めているなら……、きっかけを作ったことに対しては謝ろうか」
惰性に近い形でンフィーレアの命を奪うことに抵抗を感じていたモモンガだったが、ンフィーレアの方からその理由を与えてくれるのならば話は別だ。
その場合は、せっかくなので尋問により強制的に情報を引き出した後、後腐れの無いように殺すつもりになっていた。
ただ現時点でンフィーレアが自分に敵対しないのであれば、見逃す気にもなっている。
知られている顔は所詮幻影で作ったものだし、ユグドラシルのプレイヤーという正体を知られてもいない。
わざわざ街まで送ることはしないが、街道沿いでのモンスターとの遭遇率はそう高くは無いようだし、運がよければンフィーレアが街まで帰ることは出来るかもしれない。
「………っ!」
自分の言葉に全く態度を乱さないモモンガに、ンフィーレアは押し黙ってしまった。
そして怒りに突き動かされていた心も、冷水を差されたように冷えていく。
ンフィーレアがどれだけ罵りの言葉を吐いても、モモンガは怒りも怯えもしない。
それは大人と子供の人生経験の違いもあるだろうが、一番の理由は両者の間にある圧倒的な実力差だろう。
モモンガがその気になれば、ンフィーレアなどいつでも殺せる。
そんな相手から本当に怒りを買えばどうなるか、その恐怖がンフィーレアの勢いを削いでしまった。
もう自分の大切な人は誰もいなくなり、その敵も討てる見込みはない。
それに実はンフィーレアも心の底では、この事態を招いた一番の原因は祖母であり、次には冒険者。
目の前の男の関わりは大きいものではないと理解していた。
理解はしていたが………、胸の内で暴れる感情を制御しきれずに、目の前の男にひたすら当たり散らした。
ンフィーレアがモモンガに抱いていたものは、言うなれば偽りの憎しみ。
初めからモモンガと刺し違えてでも殺してやろうという気概は無く、感情の波が過ぎれば萎えてしまうことも当然の流れだろう。
虚脱感がンフィーレアの全身を遅い、地面へと膝をついてしまう。
そして口から出た言葉は自分でも意外な……、しかし確かに本心だと思える物だった。
「もう、ひと思いに殺しちゃってよ。 まだ小さい頃だったけど、お父さんとお母さんが死んでから、どの親戚からも厄介者扱いだったことは覚えてる。 そんな中、ただ一人僕のことを進んで受け入れて、育ててくれたのがおばあちゃんだったんだ。………どうせ街に帰れても、まだロクな知識も無くて頼れる人もいない僕に未来は無いし」
話し終えるとンフィーレアは全てを諦めたようにそっと目を閉じる。
モモンガは幻影の顔を動かさず、じっとンフィーレアの姿を見つめていた。