宮森はやとの雑草魂

芸大も出ていない、絵の勉強経験もない雑草画家のブログ。

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Forever,Change

個展に来てくれた画家が自殺したことを知り、その理由に怒りを覚えた。

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ぼくの個展に来てくれた画家の方でBさんという方がいます。

彼が自殺したことを今日知りました。

 

普通、たとえ会った回数が一度だけだとしても、知人が自殺した訃報を知れば悲しみに暮れるんじゃないかと思います。

しかし、ぼくは驚きはしたけれど、全然悲しいという気持ちになれませんでした。

自分でも「ぼくの頭っておかしいのかな」とおもうほどです。

 

ちなみに、Bさんが自殺してしまった理由が

信頼していた人に裏切られ、お金も取られた

・お金を取られたのはアンタが悪いと家族や親戚にも追い出された

・自分の作品が個展会場でゴミのように扱われていた

 

ぼくはこの自殺の理由を知って「余りにも人間として薄っぺらい」と思ったし、人として卑怯だと率直に感じました。

たしかに信頼した人に裏切られ、お金を取られたことはとても悲しいことだとおもいます。

しかし、わざわざ裏切った人を実名付きでSNSに投稿し、自分が死ぬのを全部その人のせいにして「今から死にます!」と悲劇の主人公を気取るなんて「どんだけ卑しいんだよ!」と。

ぶっちゃけ悲しさを通り超して怒りを覚えました。

 

ぼくは、Bさんには以下のように思っていただきたかったです。

  • 信頼してた人に裏切られお金も取られたのであれば、その人を憎んで見返すくらいの気合いを見せろよ!
  • 取られたお金のおかげで生活が厳しいのであれば、プライド捨てて周りの人に助けを求めるくらい声を叫ばせろよ!
  • 作品をゴミ同然扱いされたのであれば、そのギャラリーに「なに俺の作品をゴミのようにしてくれとるんじゃ!」とアーティストの誇りを見せろよ!

 

Bさんは自分の個展に来てくださったのでもちろん話をしました。

ぼくが彼と話して率直に感じた感想は「この人なんだか面倒くさそうだな」ということです。

 

ぼくと会って開口一番にBさんが言ったのは「今のアート界は面白くない!けれど君は面白い!」みたいな感じだったとおもいます。

ぼくはそれを聴いて「なんで今のアート界を否定するんだろう?」と感じたのです。

ぼくは常々「アートは自由」だと唱えてきましたし、基本的に全てのアーティストに尊敬の気持ちを持っています。

なので、アート界を否定して自分が褒められても全然嬉しい気持ちになりませんでした。

Bさんの作品自体は素敵だとおもったのですが、肝心の彼とは「ちょっと関わりたくない」と感じたのが本音です。

 

Bさんは「お金を取られた自分が悪い」という理由で家族や親戚にも追い出されたと言っていますが、ぼくはそうではないと思っています。

彼はおそらく家族や親戚を傷つける態度で接してきたのではないかと感じています。

 

Bさんの母がSNSで「息子が命を絶った」とわざわざ投稿してくださっていたのですが、息子が死んで間も無いのにすごくさっぱりした文章でした。

そして、Bさんを裏切った方にさえ「責めるつもりはない」と言っていました。

これにぼくは違和感しか感じませんでした。

 

もし、ぼくの母がぼくが誰かに裏切られてそれを苦に自殺したのであれば、その人間を絶対に許さないとおもうし、心の中で何度もその人を殺しているとおもいます。

母とはそのような生き物だとぼくは感じるのです。

そんな母が怒りを表さないなんて「Bさんはどんな風に家族と接していたのだろう」と疑問に感じてなりません。

 

ぼくは何度も彼のSNSのタイムラインを読み返しました。

そして、読み返せば読み返すほど、彼の自殺を肯定しようと思えませんでした。

ですが、彼の死はぼくの心の中でずっと残りつづけ、時折Bさんを思い出すとおもいます。

 

今回のブログで読んだ方にぼくがお伝えしたいのはとてもシンプルです。

  1. 死ぬ理由を全部誰かのせいにして安易に自殺を選ばないでほしい
  2. 家族に尊敬の気持ちを持って接し、実家を居場所として確保してほしい(親とどうしても反りが合わない人は別の居場所を確保してほしい)
  3. いざという時はプライドを捨てて友人に助けを求めてほしい

ということ。

 

散々Bさんに対して失礼なことを言い、申し訳ない気持ちがあります。

しかし、同じ画家としてはっきり自分の気持ちを書かせていただきました。

今回のブログはあくまでもぼくの意見なので、記事を読んだみなさんはみなさんなりの受け止め方をしていただきたいとおもいます。

 

今日は、本当は絵を復帰しようとおもっていたのですが、筆を持たないことにしました。

それはBさんが画家として生きた6年間に対しての畏敬の念であり、ぼくなりの弔いです。

 

ブログの冒頭では「悲しい気持ちになれない」と言っていましたが、やっぱり知ってる人が自殺するのは悲しいです。

人生というのはたしかに理不尽なことにも出会うし、不本意の連続だし、おもうようにいかないことばかりです。

しかし、だからといってやすやすと死を選んでほしくないとぼくはおもいます。

 

それでは今日はこのへんで。

 

わっしょい!