東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社説・コラム > 社説一覧 > 記事

ここから本文

【社説】

週のはじめに考える 千もの針が突き刺さる

 イタイイタイ病が全国初の公害病に認定されて五十年。その激痛は今もなお、形を変えてこの国をさいなみ続けているようです。例えば福島の被災地で。

 息を吸うとき、

 針千本か 二千本で刺すように

 痛いがです

 富山市の富山県立イタイイタイ病資料館。入り口近くの壁に大きく書かれた患者の言葉が、わが身にも突き刺さってくるようです。

 イタイイタイ病。あまりの激痛に、患者=被害者が「痛い、痛い」と泣き叫ぶことから、地元紙が報じた呼び名です。

 富山平野の中央を貫く神通(じんづう)川。イタイイタイ病の発生は、その流域の扇状地に限られます。

◆「公害病」認定第1号

 被害者は、川から引いた水を飲み、稲を養い、川の恵みの魚を食べる-、生活の多くの部分を川に委ねた人たちでした。

 川の異変は明治の末からありました。神通川の清流が白く濁るのに住民は気付いていたのです。

 大正期にはすでに「奇病」のうわさが地域に広がり始めていたものの、調査は進まず、「原因不明」とされていました。

 原因が上流の三井金属鉱業神岡鉱山から排出される鉱毒だと明らかにされたのは、一九六〇年代になってから。亜鉛の鉱石に含まれるカドミウムという毒物が体内に蓄積され、腎臓を痛めつけ、骨に必要な栄養が回らなくなったために引き起こされた重度の「骨軟化症」だったのです。

 イタイイタイ病を発症するのは、主に三十五歳から五十歳くらいの出産経験のある女性。全身に強い痛みを覚え、骨が折れやすくなるのが主症状。くしゃみをしただけで折れてしまうといわれたほどに、もろくなるのが特徴でした。

 全身に七十二カ所の骨折をした人や、脊椎がつぶれ、身長が三十センチも縮んだ人もいました。

 六八年五月、当時の厚生省は見解を発表し、その病気は鉱石から流れ出たカドミウムが原因の「公害病」だと結論づけました。

 公害病認定第一号-。「人間の産業活動により排出される有害物質が引き起こす健康被害」だと、初めて認められたのです。

 これにより、被害者の救済と補償を求めて起こした裁判も七二年八月、原告側の完全勝訴に終わり、被害者団体と原因企業の三井金属鉱業側との間で結ばれた“約束(協定)”に基づいて、神通川の水は再び清められ、美田は回復されました。

 しかし例えば、資料館が制作した「イタイイタイ病に学ぶ」と題する案内ビデオは、このようなナレーションで結ばれます。

 「イタイイタイ病は終わったわけではありません-」

◆環境の時代への転換点

 企業活動との因果関係を明らかにした公害病認定は、環境行政の画期的転換点になりました。

 被害者救済や再発防止は政府の責任で進めていくという方向性が定められ、七〇年の「公害国会」につながりました。

 イタイイタイ病、水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそく-。これら四大公害病が社会問題化する中で、すでに六七年八月に公害対策基本法が施行されていました。

 ところがそれは「経済の健全な発展との調和」を前提とする不完全なものでした。経済優先の考え方が、まだ残されていたのです。

 イタイイタイ病の認定などを受けた「公害国会」では、関連する十四の法律が成立し、「調和条項」も、その時削除されました。

 ところが二〇一一年三月十一日、そのほころびは再び露呈することになりました。

 福島第一原発事故で広範囲に飛び散り、海にも流れた放射性物質は、多くの人にふるさとを失わせ、農業者や漁業者を今も苦しめ続けています。

 公害対策基本法のもと、汚染を規制するはずの大気汚染防止法や水質汚濁防止法の対象からは、放射性物質が除外されてしまっていたのです。

 福島の事故のあと、放射性物質の「監視」や「報告」が義務付けられはしましたが、規制基準や罰則規定は今もありません。

◆福島に届いていない

 福島原発の廃炉は、まだめどさえ立たぬまま、北陸で、四国で、九州で、「経済優先」の原発再稼働が進んでいます。「調和条項」がまだ生きているかのように。

 被害者救済、再発防止をめざして生まれた四大公害病の“レガシー(遺産)”は、福島には届いていませんでした。

 資料館を出たあとも、「痛い、痛い」と訴える被害者たちの文字通り悲痛な叫びが、追いかけてくるようでした。

 公害病認定半世紀。その声に耳をふさぐわけにはいきません。 

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】