戦後73年の「慰霊の日」。梅雨が明け、真夏の強い日差しが照りつける中、各地でおごそかに慰霊祭が営まれ、平和への思いを新たにした。

 野ざらしになった遺骨を納めるため、戦争が終わった翌年に建立された糸満市米須の「魂魄の塔」。慰霊搭の原点ともいえるこの場所は、早朝から香煙が絶えることはなかった。

 まんじゅうのように盛り上がった芝の周りには枕くらいの大きさの氷や、小菊の花束、バナナなどの果物が供えられた。

 平和祈念公園に建つ「平和の礎」にも、家族連れが次々と訪れた。

 沖縄戦で亡くなった24万余の人々の名が刻まれる刻銘碑。じっと名前を見詰め、指を折って何かを数えるしぐさのお年寄り。三線を取り出し碑の前で合奏する人々。何年たっても戦争で肉親を失った悲しみが癒えることはない。

 平和祈念公園で開かれた沖縄全戦没者追悼式。この場の空気は、県内のどの慰霊祭とも異なっていた。

 翁長雄志知事と県遺族連合会の宮城篤正会長が、そろって基地問題を取り上げたからだ。 

 宮城会長は「戦争につながる新たな基地建設には断固反対する」と遺族としての決意を述べた。

 翁長知事は平和宣言で、「沖縄のこころ」に触れながら、こう力を込めた。

 「辺野古に新基地を造らせないという私の決意は県民とともにあり、これからもみじんも揺らぐことはありません」

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 知事にとって1期目の任期最後の平和宣言である。膵(すい)がんを公表し抗がん剤治療を続ける中、この日は直前までかぶっていた帽子を脱いでマイクの前に立った。

 落ち着いた表情ながら、その話しぶりは決然として、強い意志と覚悟を感じさせるものがあった。

 知事は、米朝首脳会談が開かれるなど東アジアを巡る安全保障環境の大きな変化に触れ、「20年以上も前に合意した辺野古移設が唯一の解決策といえるのか」「緊張緩和の流れに逆行している」と訴えた。

 移設計画の見直しを求める翁長知事の平和宣言を、安倍晋三首相や小野寺五典防衛相はどう受け止めたのだろうか。

 安倍首相はあいさつで「できることはすべて行う」と基地負担の軽減に全力を尽くすと語ったが、具体性はなかった。

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 激しい地上戦があった沖縄では、生活の場が戦場になり、県民の4人に1人が犠牲になった。

 戦後、沖縄を占領した米軍は、住民の土地を一方的に囲い込んで基地にした。生活の場の軍事化が進んだのだ。

 そして今また、米軍再編という名の新たな軍事化が、日米両政府によって強行されているのである。

 「沖縄の基地問題は、日本全体の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべきもの」という翁長知事の指摘を、私たちもまた全国に向かって投げ掛けたい。