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義経北行伝説の裏側

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敗者への哀れみと判官贔屓、背景には義経を語り継ぐ山伏の影があったのではないか

数々の伝説や古文書、神社創建の口伝などを依り代にしながら巧みに組み立てられた義経北行伝説だが、伝説や古文書の信憑性を冷静に考察するとほとんどのものが半ば強引に設定されていたり、文書に書かれた文字や文体の流れに疑問を感じる部分も多い。このことから義経北行伝説そのものが後の時代、例えば江戸時代に入ってから、古くからの言い伝えを拾い集めて組み立てられたと考えても不思議ではない。文書の時代的信憑性に関しては使用されている紙や墨の年代を科学的に特定すれば判ることだが、先にも述べた通り調べるまでもなく文書の表現性や文字や漢字の使い方が江戸期のものという場合もある。私たちでさえ同じ日本語文体であっても戦前に書かれた手紙や文章と、現在の文章の流れや表現性が違うことは一目瞭然であり、古文書においてもただ古いというだけで、その書かれた内容を真実とするのは大きな間違いなのである。では、そういう点も踏まえて義経北行伝説のいくつかの疑問点に迫ってみよう。

義経伝説発生の年代

義経が平泉で討たれず何処かへ落ちのびたのではないか?という説は鎌倉時代から語られたものと考えられるが、これがひとつの文書としてまとめられたのは、義経が死んで約300年経った江戸初期の寛文10年(1670)に『続本朝通鑑(ぞくほんちょうつかん)』の47巻にはじまるという。本格的に義経が蝦夷を目指していたという説が唱えられたのは、江戸中期になってからの元禄元年(1688)水戸藩の御用船が蝦夷地を探険しそれを紹介した年以降になるという。この頃、江戸の劇作家・近松門左右衛門が『源義経将棊経(みなもとのよしつねしょうぎきょう)』を執筆、学者・新井白石が『蝦夷史』のなかで義経北行伝説について触れ、この時代の知識層がこれに触発され18世紀初期に義経北行伝説は巷に広がった。この風潮に乗り遅れまいと、様々な伝説を手本に多くの義経に関する創作が生まれた。同時にこの時代から、古記録を書き置く古文書ブームが巻き起こり、伝説主体型の文書が多数書かれたという。この地における義経伝説に関係する文書を執筆した高橋子蹟もこの時代の人であり、古記録を後世に残すという大義名分のもと、各地に散らばる口伝を主体に義経が登場する神社縁起などを残したと思われる。

誰が義経伝説を流布させたか

伝説のなかで義経来訪に伴う神社創建が多いということは、神社創建に関わる人物の関与が考えられる。これに関しては次頁に「仮説・義経伝説の発生」において山伏(修験者)と当主の会話形式で掲載したが、形態やパターンは違うにせよ、だいたいこのような形でその地域の有力者が、自らの経済力と義経の時代からその家が栄えていたという歴史的スティタスを得るため、口伝を頼りに創作したとも考えられ、その発生には山伏などの旅の宗教者の存在があったと考えられる。

古文書や経文

粟や稗を借り入れたという文書の信憑性については、現存するものはほとんどが写しと考えられ、使用された紙と墨の時代を測定すればなんなく真意は解明される。また、文書に登場する武蔵坊弁慶の存在は実在したかどうかという疑問点も多く、その名が記されていること自体が疑わしいと考えられる。これらの文書は何代にもわたり書き写す時に故意に年代や名称、内容を改竄したということも考えられる。また、現在その文書や神社の棟札などを持つ家が義経が存在した時代から一度も離散することなく延々と続いているとは考えにくく、文書そのものが遺産、あるいはお宝としていく人もの手を渡り歩いてきた可能性もあり、文書の存在がそれを持つ家や神社の格式になったとも考えられる。

義経北行伝説の真意は何か

このように伝説の裏側に流れたであろう事柄を検証してみると、義経北行伝説は約800年という長い時間を経て人々が作り出し語り続けてきた、創作的部分が多いことが見えてくる。そして伝説とそれが語られてきた場所をつなぎ合わせてゆくと、それが内陸方面から気仙、上閉伊、下閉伊を流浪した修験者の足跡であり、それが八戸を経て蝦夷へと続く道であったことが見えてくる。修験者たちは新たな活動範囲となる霞を求め、地域の有力者は歴史的格式を求め、両者の利害一致により単なる昔話が伝説となり、そしてその地域だけに通用する史実となってきたのではないだろうか。これを各時代の知識層が文字に置き換え地域に残したのである。
エンターティーメントをはじめとする娯楽は、なにも現代の映像だけが伝えるものではなく、古い時代から文書や伝説という形で人を楽しませてきた。人はその不思議に触れたときにはるか古(いにしえ)の時代に想いを馳せ、思い思いに想像し歴史で遊ぶ。これが義経北行伝説の正体であり、今後も伝えおきたい地域の財産ではないだろうか。

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