たまたま会社で自分が講師になり知的財産権に関する研修を行う計画があり、目下その準備のため色々調べています。
著作権法もここ10年で大きく方向を変えていますし、対象とする著作物も広範囲で複雑になっているので正直なところ調べることが多すぎて大変だと感じていました。
この本を早速、参考にさせていただくために注文しました。
記者活動をしていると、参考文献の引用や画像の扱いをめぐって判断に迷うことがある。著作権の問題が生じるからだ。ルールに基づく正当な範囲での引用は別として、著作物の使用には原則許諾が必要だが、中には「相手の了解が要るのだろうか」と首をかしげる例もなくはない。デジタル時代の著作権問題について書いた話題の『著作権の世紀-変わる「情報の独占制度」』(集英社新書・756円)を読んで、そんな疑問が解消された。法的根拠は怪しいのに、あるかのような扱いを受けている「疑似著作権」の例が増えているという。著者の福井健策弁護士に実情を聞いた。
「疑似著作権」は福井弁護士が名付けた言葉。「理論的には著作権ではないが、社会で事実上、それに近いような扱いを受けているケースをさす」という。
建築物の写真の例が分かりやすい。建物の撮影は、著作権法の第46条で許諾不要が認められている。雑誌への掲載など写真の利用方法も原則自由だ。
しかし、例えば、寺社の中には「撮影禁止」のところも。さて根拠は? 福井弁護士は「建物の外観は場合によっては著作物だが、仮にそうだとしても寺社の大半は保護期間が切れているはずだし、46条の規定がある。だが、著作権に準じる権利があるかのように、所有者がふるまうケースが多い」と指摘する。「敷地内に入るかわりに撮影は不可」と言える権利はあるが、外からなら問題はないはず。それなのにクレームがつく場合もあるという。
「疑似著作権」広がり懸念 福井健策弁護士に聞く
著作権の世紀
取材で同様の経験をして戸惑ったことがある。ある美術館の外観を敷地外から撮るさい、許諾に加え、写真掲載の際に館側のコピーライト表記まで求められたからだ。通常は撮影者に権利が帰属する。結局、写真は撮らず、取材先にこちらの違和感を伝えたが、怪訝(けげん)な顔をされた。これも「疑似著作権」の一例だろう。
「ペットの肖像権」や「菓子・料理の著作権」などの事例も。「ペットに肖像権があるなら、公園でかわいい犬を見かけて撮っても公表できない。有名店の料理が無断で撮られ、雑誌に載ったことについて相談を受けることもある。鑑賞対象になるほどの芸術性があれば別だが、料理の外観が著作物として扱われる例はほとんどない」
ケータイで手軽に写真が撮れ、ブログなどで気軽に公表できる…。「疑似著作権」が増える背景には、そんな社会環境の変化も大きい。福井弁護士は日本人の気質も挙げる。「日本ではクレームを受けること自体が悪、訴訟になったら大変という感覚がある。だからある程度、相手の言い分をのんじゃう。日本は『疑似著作権』をはぐくみやすい土壌をもっている」
本書では、ほかにもデジタル化とインターネットの普及で、急速に変化する情報世界と著作権の現在がつづられる。福井弁護士が問いかける。「『情報の囲い込み』が進めば、いろんな混乱が先にみえる。一番の弊害は、社会がその情報を自由に使えなくなること。著作権は何のためのものなのか。考える機会がさらに増えるでしょうね」