在日朝鮮人小沢一郎の生い立ち
父・小沢佐重喜(オザワサエキ)戦中、東京市下谷区御徒町で自称弁護士 として北朝鮮の工作員として活動。
北朝鮮の工作員として北朝鮮独立開放のために日本で活動。 戦後、岩手方面に進駐した「朝鮮進駐軍」指導者となり拠点を作る。
小沢一郎の父・小沢佐重喜は、悪名高い朝鮮進駐軍の小沢部隊、 戦後に日本人を大虐殺していた朝鮮総連の武装テロリスト工作員の親玉。
父親は浅草の香具師(麻薬売人)で、 その56歳のときの三男として東京下谷に生まれた。
小沢一郎の母・ 荒木ミチは、韓国済州島出身の朝鮮労働党員で、コリアン売春宿の女将(やり手ババア)だった。
母親(通名)荒木ミチは内縁で、 父親の籍は入っていない。
小沢一郎には、二人の実姉のスミ子、則子がいるが、 養女というかたちになっている。
その頃に浅草の泥棒市で日本人の戸籍を入手。
小沢佐重喜という名前は、当時多くの北朝鮮工作員が、 使い回して居たとの説が多い。
そして、小沢一郎は岩手水沢に出生としているが、 その田舎の住民は小沢一郎が居たのは中学一年の一年間だけと言う。
小沢一郎の母・ ミチの墓は、韓国済州島にある。
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