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バレンタインの次の日から、案の定私が円城にチョコを渡したという完全なる誤解が広まった。
「麗華様の本命が円城様だったとは!」
「てっきり鏑木様だと思っていましたわ!」
「でも円城様は包容力もあって、麗華様とお似合いよね」
「最近よく、円城様に呼ばれて仲良くお話していたし」
芹香ちゃん達も、私をだしに勝手に盛り上がっている。違うっ!
「私ずっと円城様に憧れていますけど、麗華様なら応援しますわ!」
円城ファンのあやめちゃんが、私の手を取って見当違いの応援をしてくれた。いらない、そんな応援。
「何度も言いますけど、あのチョコは円城様の弟様へのプレゼントで、円城様に宛てたものではありませんのよ」
「麗華様ったら、照れなくても」
芹香ちゃん達はニヤニヤして冷やかしてくる。ねぇ、本当に胃が痛くなるからやめて。
「照れてなどいませんわ。私がチョコを差し上げたのは円城様の弟様の雪野君です。これだけははっきりと否定させていただきます!」
事実無根の噂はしっかり潰しておかないと。高校卒業まであと約1年しかないのに、円城とあらぬ噂をたてられて、これ以上モテなくなったら大問題だ。
もしも、もしもだよ?万が一、私のことを密かに好きな男子がいるとしてだよ?その男子が、私が円城を好きだなんて噂を聞いて私を諦めちゃうなんて事態になったら、困るじゃない!
「…麗華様がそこまで否定するなら、まぁそういうことにしておきましょう」
私が不機嫌になったのを感じたのか、芹香ちゃん達が引いてくれた。
「噂の払拭にも力を貸してくださいね?」
「わかりました。誰かに聞かれたら弟様宛だと否定しておきます」
「本当に、本当にお願いね?」
私の必死のお願いに、みんなが頷いてくれた。良かった。頼んだよ、みんな!
私にせっかく勇気を出して告白しようと考えていた男子が、私が円城を好きなら諦めようなんて冗談じゃないわ。ダメよ、そこの貴方!諦めないで!
しかし告白か…。憧れるなぁ。放課後の呼び出し。「話があるから、ちょっと残ってくれる?」「えっ、なぁに?」これは告白か!ってわかっているくせに気づいてない風を装う。きょとん顔もしよう。そして夕日の沈む教室での告白。「ずっと好きでした」「えっ…」かーっ!いいなぁ!
されてみたいわぁ、告白。
「そういえば、今日の鏑木様は少しお元気がなさそうね」
「教室でもひとりでため息をついているんですって。どうしたのかしら」
「心配だわ…」
若葉ちゃんからのチョコを期待していたのに、もらえなくて落ち込んでいるのか、鏑木。春は遠いのぉ。
マンガではとっくに、ラブラブじれじれすれ違いと盛り上がりまくっていたのに、現実は厳しい。
しかし教室で特別に目立つ生徒がため息なんてついて黄昏ていたら、辛気臭くてしょうがないな。
「でもアンニュイな皇帝も、素敵」
「憂い顔に胸がキュンとするわね」
え、そうなの?顔がいいと、陰気もアンニュイに脳内変換されちゃうんだ。世の中って不平等。
私のバレンタインチョコ疑惑も、私の完全否定と、取り巻きに聞かれた円城本人の弟宛てだよという否定で徐々に下火になった。
そしてなんとそれから数日後、雪野君本人がピヴォワーヌのサロンに足を運び、「麗華お姉さん、バレンタインのチョコをありがと!」とお礼を言ってくれたので、私達の言ったことの確かな裏付けにもなってくれた。あぁ、雪野君てば本当に天使様だわ!
雪野君は乾燥がつらいのか、時々ケホケホと咳をしたりしているから心配だ。
「雪野君、大丈夫?」
「うん、平気です。麗華お姉さんは風邪大丈夫ですか?」
「ええ。私は健康なの」
私は体力はあまりないが、大きな病気はしたことがない。
「この前入院もしたんでしょう?ムリしちゃだめよ?」
「はい」
雪野君は熱いお茶を両手で持って、フーフーと息を吹きかけながらニコッと笑った。
可愛い天使の雪野君に、ピヴォワーヌのほかのメンバーもすっかり虜だ。私と雪野君の座るソファを取り囲んで、いろいろと雪野君に話しかけた。その中には前ピヴォワーヌ会長の瑤子様もいる。
瑤子様は引退した後もサロンの中心で常に華やかにしていた。
ピヴォワーヌの新会長は鏑木だけど、鏑木は会の活動に積極的なタイプの会長ではないので、いまだに前会長の瑤子様の存在感は大きい。しかもピヴォワーヌの厄介なのは、中、高一緒のサロンなので、今度高等科に入学する新1年生のメンバーにもすでに多大な影響を及ぼしているところだ。
鏑木が本気を出して、そのカリスマ性を発揮すれば全員ついていくと思うんだけどね。でも肝心の鏑木が恋の病で使えないからなぁ。
瑤子様達は相変わらず若葉ちゃんの存在を忌々しく思っているし、若葉ちゃんを守るために会長になったんだったら、しっかりしてくれよ、鏑木!
「麗華お姉さん、どうかしましたか?」
「えっ」
「なんだかちょっぴり怖い顔をしていました」
「やだ、ごめんなさい。ほかのことに気を取られてしまって…」
少し離れた席で暢気に本を読む鏑木を、知らず知らずのうちに睨んでいたようだ。私は慌てて雪野君に笑いかけた。
人の気も知らずに気楽に読書か。いったい何を読んでいるんだか。まさかまた詩集か?!
あぁ、蔵に封印したハイネはどうしよう。鏑木から渡されたあの本からは、フラレ臭がプンプンするんだよ。あんな不吉な物が近くにあるから、私の恋愛運が下がっているんじゃないかな。どうにか処分する方法はないだろうか。
そうだ、蔓花さんにあげたらどうかな。蔓花さんは昔から鏑木のファンだしね。きっと喜ぶね。蔓花さんは鏑木ファンのくせに、他校にも男友達が多くてバレンタインのチョコもたくさん配ったらしい。先輩から告白もされているらしい。あんなに性格悪いのに!
性格が悪くても美人ならいいのか!男の本心は結局それか!なぜ私には…!
「麗華お姉さん?」
あら、いけない。また怖い顔になっていたかしら。
まぁ、いい。みんなが恋だなんだと浮かれている間に、私は勉強しまくって、順位表に返り咲くのだ。見ているがいい!
今日は日付を超えるまでテスト勉強だ。夜食は赤いうどんだ。
雪野君が円城と一緒に帰ったあと、しばらくサロンに残っていた私も帰宅するために駐車場に向かって歩いていた。するとそこに、中等科生の桂木が私を睨むように立っていた。
「円城さんにチョコを渡したって本当かよ!」
大声を出さなくても聞こえてるよ。そして情報が古いんだよ。
「雪野君宛てですわ」
私は寒いので桂木少年を素通りしてさっさと車に向かう。
「円城さんには唯衣子さんがいるんだからな!邪魔するなよ!」
あー、うるさい。
しかし、そっか。私がチョコを渡した話が、唯衣子さんにも伝わっている可能性があるのか…。面倒だな。