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バレンタインは若葉ちゃんに全面的に頼ることが決定した。今度フォンダンショコラの作り方を教えてもらう予定だ。
普段、バレンタインはお兄様とお父様以外に手作りで渡す人はいないので、最近はわざわざ習いに行くこともなく、レシピを見てひとりで作っていたのだけれど、やっぱり人に教わると全然違うね。今年のバレンタインは若葉ちゃんにおまかせだ。
まぁ元々、私が手作りチョコを渡す相手はほぼ身内に限られているから気楽なもんだ。伊万里様にはおいしく出来なかったら既製品を渡せばいいし。
しかし、雪野君の誕生日パーティーにリクエストされてしまった手作り料理は、バレンタインチョコとはわけが違う。食べるのは身内以外。しかも円城家。変な物を作って食べさせるわけには絶対にいかないのだ。
なにを作ればいいのか、耀美さんと話し合い、結果ちらし寿司を作って持っていこうということになった。彩りでごまかしがきくし、なによりも食中毒が怖いので、お酢の殺菌効果に期待するメニュー選択だ。
今年の雪野君の誕生日は土曜日なので、午前中に耀美さんに私の家に来てもらって一緒に作ってもらい、私はそのままそれを持って雪野君のパーティーに行く。当日、あたふたしないように、耀美さんから送られてきたレシピを毎日熟読し、家で錦糸卵を作る練習をした。焦げた。細かく切れなかった。うん、これは耀美さんにおまかせしよう。
「吉祥院さん、手料理が食べたいなんて雪野が我がままを言ってごめんね。大変なら断ってくれてもいいんだよ」
私がピヴォワーヌでも料理本を見ているのを気にしてか、円城がそんなことを言ってきた。
「大丈夫ですわ。ご期待に添えず申し訳ないのですけど、凝った物ではなく簡単な物を作っていく予定ですし。この本を読んでいるのは、単にお料理に興味があるだけですから」
これは本当。耀美さんにお料理を習うことにして、家でも野菜を切る練習をしたりしているうちに、お料理に興味が出てきたのだ。私が練習で切った野菜を、家の料理人さんがミキサーにかけてスープやドレッシングに使ったりしてくれている。どうやら私の切った不格好な野菜は、メインのお料理には使えないらしい。この前作ってくれたじゃがいものポタージュはおいしかったなぁ。
今こうして料理本を見ているのは、私の練習の後始末に迷惑をかけているようなので、あの野菜達をどうにか自分でも活用できるメニューを研究しているからなのだ。やっぱりカレーかなぁ。
今度カレールーを使ったカレー作りに挑戦してみようか。吉祥院家の料理人さんは市販のルーを使うような手抜きをせず、香辛料を使った本格的なカレーしか作らない。でもたまにはあの懐かしい味が食べたいんだよー。前に若葉ちゃんの家で食べさせてもらったカレーはまさにその味だった。
前世のお母さんは市販のルーを2種類ブレンドして使っていたな。あれがおいしくなるコツなんだと思う。それと私は知ってるんだ。隠し味。チョコレートやヨーグルトを入れるとコクが出るんだ。
…チョコレートにヨーグルトか。要は甘いものを入れるといいってことでしょ?そしたらプリンはどうだろう。なめらかプリンなら溶けやすいしいいんじゃないかなぁ。でもあんまり甘いカレーは好きじゃないんだよなぁ。だったらそのぶん、激辛カレーのルーを使えばいい?市販のルーを使ったカレーでも、きらりと光るオリジナル感が欲しいんだよなぁ。ミラクルフルーツを入れてみるか…。
今度耀美さんに相談してみよう。
「吉祥院さん、聞いてる?」
「え、ああ、ごめんなさい。聞いていますわ」
いけない。カレーに心を持っていかれてた。なにか話しかけられていたらしい。
「手料理が、吉祥院さんの負担になっていないのならいいけど。招待する友達も20人いないくらいのこじんまりした会だから、あまり肩に力入れすぎないでね」
「ええ」
麻央ちゃんと悠理君もよばれているんだよなぁ。麻央ちゃんのお母様は料理上手だからプレッシャーだ。しかし私には耀美さんがいるからきっと大丈夫!
当日は朝から耀美さんが約束通り家に来てくれた。
「ごきげんよう、耀美さん。お休みの日に朝からごめんなさい」
「全然大丈夫ですよ。今日は頑張りましょうね」
「はい」
材料はすでに全部厨房に揃えてある。あとは耀美さんにお願いするだけだ。厨房に案内する前にリビングで一休みしてもらおうと思っていたら、耀美さんの訪問を知り、両親とお兄様が玄関までやってきた。
「ようこそ、耀美さん。今日は妹のために朝からありがとう」
「麗華が料理を習っているそうだね。今後とも娘をよろしく頼みますよ、耀美さん」
「円城様のお宅に持参する手料理ですの。くれぐれもよろしくお願いいたしますわね、耀美さん」
「円城家のご子息から、麗華の手料理が食べたいとのリクエストだそうなんだ」
「円城家のみなさんが召し上がる物ですからね」
「お父さん、お母さん、それくらいにしてください。耀美さん。帰りは僕が送りますから声を掛けてください」
「は、はいっ…」
耀美さんが目に見えて恐縮してしまったので、私はそのまま家族を散らして、とりあえず耀美さんを厨房に連れて行った。お母様達をお兄様が止めてくれて助かった。
「どうしましょう。責任重大だわ…」
「ごめんなさい、耀美さん。リビングでお茶でも飲んでいただこうと思っていたのですけど、どうします?もれなく家族が付いてきますけど」
「ううん、平気よ。一刻も早く取り掛かりたいわ。失敗した時のために時間に余裕が欲しいの」
さっきまでほのぼのしていた耀美さんの顔が険しい。ごめんなさい…。
家族には私が耀美さんにお料理を習うことは前から話していたけれど、雪野君の誕生日パーティーに手料理を持参することはつい最近話したのだ。それを聞いた家族は大慌てで、自分で本当に作ることはせず、我が家の料理人さんかどこかのお店のシェフに代わりに作ってもらうように何度も説得してきたけれど、それは楽しみにしている雪野君に嘘をつくことになるので、断固拒否した。耀美さんに手伝ってもらうから大丈夫だと言っても、安心できないらしい。特にお母様の心配は凄まじかった。ここで不味い物を持参すれば、私の今後の縁談にまで響くと言い出した。
たぶんこうなるだろうなと思って、私もあまり言いたくなかったんだけどなぁ。まぁ、家の問題もあるし、言わないわけにはいかなかったけどさ。
「とにかく、作り始めましょうか、麗華さん」
「はい」
最初の話では、ふたりで分担して作りましょうという話だったのだけど、結局は耀美さんがほとんど作る形になってしまった。特に味付け関係はすべて耀美さんまかせだ。私がやったことといえば、うちわでひたすら酢飯を扇ぐくらい…。でも卵をかきまぜたり、すし桶にごはんをよそったりしたし、耀美さんの指示で材料を渡したり、使った器具をどかしたり、アシスタントはしっかりやった。うん、これで一応共作という形にはなったと思う。
出来上がったちらし寿司を重箱に詰めて、残りは両親とお兄様に試食してもらった。作っている間中、ずっと心配して待っていたみたいだからね。
「おいしいわ!」
「これなら円城家の方々に食べてもらっても大丈夫だ!」
「麗華、おいしいよ。ありがとう、耀美さん」
「本当にありがとう、耀美さん!」
その過剰なまでの反応に、耀美さんは「良かった…」と心からほっとした顔をした。
私は誕生日パーティーに行くための準備をするために席を外し、その間耀美さんはリビングで休んでいただくことにした。
私が着替えて戻ってくると、耀美さんはお兄様と和やかにおしゃべりをしていた。
「麗華、用意は出来た?そうしたら僕が耀美さんを送るついでに麗華も送るから」
「お願いしますわ、お兄様。荷物が多いので運ぶのも手伝ってくれます?」
「両手いっぱいに凄い荷物ねぇ、麗華さん。大丈夫?」
「ふふふっ」
いろいろ考えたら、こんなに大荷物になっちゃったんだ。ちらし寿司もあるしね。
「さあ、参りましょうか!」
雪野君、待っててねー!
あ、耀美さんにカレーの隠し味の話をするのを忘れちゃった。