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疑惑の七草粥を食べ終わると、いよいよお菓子作りだ。私は持参したエプロンを付けた。
「えーっとね、器具はこっちで、調味料はこっちにあるからね。レシピはここに書いてある通り」
若葉ちゃんは手書きのノートを出してくれた。
「これは高道さんが考えたお菓子レシピですの?」
「お父さんに教わったのと、お菓子の本に載っていておいしかったレシピをメモしてあるの。あとは人に聞いたものとか」
「そうなんですか」
私はいつもその場のひらめきで作っているから、レシピとして残していない。残すほどの味のお菓子を作ったことがないのもあるけど。
「じゃあ、まずは材料を出そっか。クリームチーズにチョコレート、それから卵と」
「あらっ?」
私は冷蔵庫の中に見覚えのある瓶を見つけた。
「これって…」
「なに?あぁ、それ。お土産でもらったんですけど、すっごくおいしいの!吉祥院さんも食べてみます?」
間違いない。私が円城達からもらったのと同じ、メープルシロップだ。
「このメープルシロップ、もしかして鏑木様からのお土産かしら?」
「えっ、なんで知ってるの?!」
「私もいただいたからですわ。私はどちらかというと蜂蜜派なんですけど、このメープルシロップは私の持つ蜂蜜コレクションを凌ぐおいしさでした」
「そうなんだ!お菓子作りに使うにはもったいないから大事に食べてるんだけど、みんなおいしい、おいしいって食べちゃうから、もうそれだけしか残ってないの。バニラアイスにかけて食べるとおいしいよぉ」
「それはおいしそうですわね!」
アイスにかけるのかぁ。冬にアイスは寒いけど、今度お風呂上りにやってみよう。
「でも冬休みにカナダにスキー旅行なんて、凄いよね~。私、海外なんて行ったことないもん」
「お店もありますしねぇ」
家がお店をやっていてしかも家族も多いとなると、なかなか海外旅行に行くのは大変そうだもんね。…って、ああっ!思い出した!
「パスポート!」
「は?」
「高道さん!パスポート持ってる?!」
「パスポート?持ってないけど」
瑞鸞学院高等科の修学旅行はもちろん海外だ。そして瑞鸞生はほぼ全員、パスポートを当然のように持っている。だからマンガでは手続きの際に初めて若葉ちゃんがパスポートを持っていないことが判明して、トラブルになったのだ。なんとかギリギリ間に合ったけど、パスポートも持っていないのかと、またバカにされる要因になっていた。
「瑞鸞の修学旅行がヨーロッパなのはご存じですわよね?その時にパスポートが必要なのですわ。瑞鸞では持ってて当たり前ですから、手続きの直前までパスポートの有無の話が出ないのです」
「そうなんだ」
「ですから、早めに手続きをしたほうがいいですわ。必要書類を集めたり証明写真を撮ったりしないといけませんし、申請してからパスポートを受け取るまで10日くらいかかりますから」
「そっかぁ。そんなこと全然考えてなかった!教えてくれてありがとう、吉祥院さん!さっそく取りに行ってくるよ!」
あぁ、良かったぁ、思い出して。マンガでは肩身の狭い思いをしていたもんね。最後に君ドルを読んでから15年以上は経っているから、細かいエピソードは忘れつつあるんだよね。鏑木のメープルシロップ、よくやった!
しかし鏑木は、このお土産をいつ若葉ちゃんに渡したんだ?
「さぁ!では今度こそ作りますか!」
「は~い」
私は若葉ちゃんの指導の元、チョコレートチーズケーキを作り始めた。
レシピを見ながら、材料を混ぜていく。若葉ちゃんの指導は細かかった。
「しっかりレシピ通りの分量でやらないとダメですよ」
「はい」
「あ…、今クリームチーズ適当に入れましたよね」
「濃厚にしようと思って…」
「ダマになっていますけど」
「この程度はご愛嬌、かな?」
「いいえ全く。もっと丁寧に混ぜないと」
「はぁい」
厳しいなぁ、若葉ちゃん。
そこに一番上の弟が「ただいまー!」と元気よく帰ってきた。
「おかえりー」
「おかえりなさい」
「あっ、コロネが来てる!」
弟は私を見て指差した。
「
「へぇ~い」
「返事は“はい”っ!」
寛太君は「へー、へー」と返事をしながら、手を洗いに洗面所に行ってしまった。
「ごめんね、吉祥院さん」
「いいえ、気にしないで。お姉さんは大変ね?」
「中1にもなるとすっかり生意気になっちゃって。全然言うこと聞かないんだもの」
若葉ちゃんは「全くもうっ」と、ボウルをかき混ぜた。
私がレシピノートを見ていると、戻ってきた寛太君に「コロネ、コロネ」と呼ばれた。
「なぁに?」
「これ、見てみろよ!姉ちゃんが男にもらったの!」
寛太君が手に持っていたのは、テディベアだった。
「寛太!あんた私の部屋に勝手に入ったね!」
激怒する若葉ちゃんに知らん顔で、寛太君は「クリスマスに姉ちゃんに届けにきたんだぜー!」と暴露した。
「その相手はもしかして…」
「いやぁ…」
若葉ちゃんは気まずい顔をした。鏑木ですね。
「でもさぁ、プレゼントにクマのぬいぐるみって子供っぽくね?」
「寛太!」
「このテディベア、ドイツ製でクリスマス限定商品ですわね」
「そうなの?」
「ただのぬいぐるみじゃねぇの?」
「まぁ、ただのぬいぐるみと言われればそうなんですけど、普通のクマのぬいぐるみと一緒にしては可哀想かしら。シリアルナンバーも入っている、由緒正しいクマさんですし」
鏑木がテディベアねぇ。あいつ、私が限定モノ好きみたいなことを言ってたくせに、自分だってしっかり限定商品買っているじゃないか。
「ぬいぐるみだから気軽にもらっちゃったけど、もしかしてこれ、高いの…?」
若葉ちゃんが怖々尋ねてきた。
「数万円ってとこかしら」
「数万円!」
「高っ!」
高道姉弟はそろって仰天した。
「ぬいぐるみのくせに、なんて高いんだお前は!」
「どうしよう、そんな高い物をもらって、ありがとうの一言で済ませちゃったよ!」
わーわー騒ぐふたりに、私は「別に気にせずもらっておけばいいのでは?」とアドバイスをした。
「鏑木様にとっては、むしろお安いプレゼントだと思いますわよ?」
「すげぇなぁ、瑞鸞…」
「ぬいぐるみが数万円…」
ふたりは軽いショックから立ち直れない様子なので、私は先にケーキ作りを進めていく。あ、香りづけでちょっとリキュールを入れてみようかな。ポトポトっとね。
「あっ!吉祥院さん!なにやってるの!」
「うん?リキュールを足してみました」
「足してみたって、レシピにはリキュールを入れるなんて書いてないでしょ?」
「でも入れたらおいしくなるかなって」
若葉ちゃんと、テディベアを抱いた寛太君がしばし無言になった。
「…さっきから思ってたけど、吉祥院さん、もしかしていつもそんな感じで適当に?」
「適当っていうか、まぁ、ひらめきは大事にしていますけど。手作りは一期一会という気持ちで作っています」
「わぁ…」
寛太君はスプーンでボウルの中のタネを取って舐めると、「まずっ!」と顔を顰めた。
「なんだよ、これ!妙に酸っぱいし、苦いっ!」
「リキュール、苦くなるほど入れちゃったの、吉祥院さん…」
「寛太君、大げさだよ!ちょっとしか入れてないよ!」
「後味が苦いんだよ!ケーキ屋の息子として許せねぇっ!ケーキはレシピを無視して作んな!」
「そんなぁ…」
「これは寛太の言う通りかな…。お菓子は分量を適当にしたら確実に失敗するよ。今まで市販品よりおいしく作れなかったのは、それが原因かも…」
その後、若葉ちゃんが味を軌道修正し、寛太君に私が余計なことをしないように監視されながら、どうにかチョコレートチーズケーキは出来上がった。
「おいしいっ!」
私が今まで作ったお菓子の中でも1、2を争うおいしさだ。大成功だ!
「おいしくない…」
「う~ん…」
ケーキを食べた高道姉弟の評価は厳しかった。そして再度、いかにレシピ通りに作ることが大事かを懇々と説明された。そして顔を出した若葉ちゃんのお父さんにも同じことを言われた。そんなに分量を正確に量ることが大事とは。目からうろこです。
そっかぁ、お菓子はお料理とは違うんだね。勉強になりました。
帰り、若葉ちゃんに駅まで送ってもらいながら、改めてクリスマスのことについて聞いてみた。
「えっと…、クリスマスイブの夜に、お店が終わって閉めようとした時に、鏑木君が現れて、クリスマスプレゼントって渡されたんだ」
「そうでしたの」
「真っ黒いコートを着て、いつもより大人っぽかったなぁ。街灯に照らされてキラキラ輝いて、これぞ皇帝って感じだった!」
「ふぅん」
鏑木のヤツ、家のパーティーを抜け出して、若葉ちゃんにプレゼントを届けに来たのかな。
どうやら私の知らないところで、いろいろ事態は動いているらしい。今度、しっかり聞いてみたい。
「では、私はここで」
「うん、気を付けてね!」
私は若葉ちゃんに手を振って、改札をくぐった。