183
いやぁ、腕が重い。耀美さんのお料理教室で、ずっと包丁で野菜の皮を剥く練習をしていたせいだな。手が滑って包丁で怪我をするんじゃないかと思うと、無駄に腕と手に力が入ってしまう。
薄く剥きたくても包丁が皮を突き抜けて、添えた親指をザックリ切ってしまうんじゃないかと想像すると、どうしてもぶ厚くなっちゃうし。耀美さんが剥くとシュルシュルシュルって音なのに、私が剥くとザクッザクッ。もう諦めておとなしく皮むきはピーラーオンリーでいこうかな。
千切りする時の猫の手も、これまた関節をザックリやりそうで上手く押さえられない。なんてビビりなんだ、私は!すると耀美さんが猫の手ガードのグッズを貸してくれた。これを包丁と野菜の間に挟むことによって、関節がガードされるのだ。でもさぁ、見た目的にかっこ悪くない?
耀美さんからはまず料理を作ることよりも、基本中の基本である野菜を切る練習からゆっくり始めましょうと言われたので、早く上達できるように、家に帰ってからも厨房の片隅でにんじんを切る練習をした。ちょっと上手くできた。調子に乗った。指切った。
明日猫の手ガードを買って来よう。
新学期に入ってから、蔓花さん達のグループに去年よりも勢いがあるように見える。聞いた話によると、クリスマスにどこかの会場を借り切って仲間達でパーティーをしたらしい。そこに外部生や3年や2年の男子も来たりして、かなり盛り上がったとか。イベントで仲間達との団結力を深め、さらにご新規さんも取り込んだか。まずいな。
ほかにも生徒会を中心とした第三勢力もあるし、ピヴォワーヌの威光に胡坐をかいてうかうかしてたら足元をすくわれるかもしれない。
今まではなんだかんだ言ってもピヴォワーヌが後ろ盾としてしっかりあったから、のんびり構えてても平気だったけど、今年からは会長が鏑木だ。瑤子様ならば確実に、ピヴォワーヌメンバーに仇なす相手を許さず守ってくれただろうけど、あの無関心男がいざという時にピヴォワーヌの会長として、私を助けてくれるとはとても思えない。今年からは自力で立場を守るしかない。う~ん、穏便に1年過ごせるといいんだけどなぁ。
私の心配をよそに、ピヴォワーヌ新会長様は今日もサロンで悠然とお茶を飲んでいらっしゃる。しまったなぁ。こいつを会長にしたのは痛恨のミスだったのではないか?でもほかに適任者はいなかったし…。せめて円城が会長を引き受けたらまだましだったのかなぁ。まぁ、円城だって女子の争いに首を突っ込むようなことはするタイプじゃないか。
ここはひとつ、さりげなく芹香ちゃん達に相談してみるべきか。
そして相談した結果、芹香ちゃん達がぼうぼう燃えた。
「よくぞ言ってくれました、麗華様!最近の蔓花さん達は調子に乗っていると私達も思っていたんです!」
「高等科に上がってから派手に行動していて、私達にも挑戦的な態度を取ることもありましたわ」
「喉元過ぎれば熱さを忘れる。中等科時代に麗華様にこてんぱんにされたくせに」
「生徒会を中心とした外部組も、なんだか生意気なのよね」
「そうそう。高等科からの外部組なのに態度が大きいの。私達の瑞鸞なのに」
あれ?私が相談したのは、「蔓花さん達や外部生達が、最近力をつけているようだけど、私達と対立するようなことになったらどうしましょう?」だったんだけど…。間違っても「あいつらムカつくからやっちゃおうぜー!」という話では決してない。
「あの、みなさん、ここは平和的に…」
「それに!私、許しがたい陰謀を耳にしましたの!」
「なに、陰謀って?」
「一部外部生の間で、高道若葉と鏑木様をくっつけようという、恐ろしい陰謀ですわ!」
「なんですって!」
「どういうことなの!」
みんなが鬼の形相になった。
「高道若葉を使って皇帝を味方に付けることが出来れば、瑞鸞を手中に収めることも可能と考えているみたいよ」
「なによそれ!妲己のような女ね!」
「許せないわ!」
ええ~っ…。
「あのぉ、それは外部組の総意なのかしら?」
「いいえ。あくまでも一部の考えのようです。外部生の中には逆に鏑木様に憧れていて、高道若葉の存在をあまり面白く思っていない人達もいるようですし。外部組も一枚岩ではありませんから」
「そうなの…」
若葉ちゃん、なんだか凄いことになっているみたいだけど、大丈夫なのかな…。
「ですから!ここは麗華様に頑張っていただかないと!」
「え、私?」
「そうですわ!身の程知らずの蔓花派閥も、高道若葉も成敗なさって!」
「そして皇帝の寵愛をその手に!」
「はぁ?!」
そのまま芹香ちゃん達は、妄想の海に溺れて行ったまま帰って来なかった。
相談なんかしたせいで、益々ややこしいことになってしまった……。怖い。
そして私は疲弊した心を癒しに、天使たちの園に逃避する。
「麗華お姉さん、いらっしゃい!」
「雪野君、ごきげんよう」
プティのドアを開けると、雪野君が眩い笑顔で出迎えてくれた。はぁ、癒される。
私は雪野君と一緒にソファに座り、仲良くお菓子を食べた。
「雪野君、ご両親と沖縄に行ったんですって?楽しかった?」
「はい。水族館に行ったり、ホエールウオッチングをしたりしました」
「まぁ、そうなの。水族館は私も大好きよ」
「水族館にはおっきいマナティがいて…」
雪野君は楽しそうに水族館の話をしてくれた。いいなぁ、マナティ。私も見たいな。
「麗華お姉さんはどこかに行ったんですか?」
「私は京都に行きましたの。母方の親戚がいるものですから」
冬の京都は死ぬほど寒かった。京都の寒さは足元から深々と骨に染み込む。
雪野君達にはきつねのお面のおせんべいと金平糖をお土産に買ってきた。きつねせんべいは見た目が可愛いから子供のお土産にはいいと思ったんだよね。
「はい、これどうぞ」
「わぁ!ありがとうございます」
麻央ちゃん達にも配ると、喜んでもらえた。よし!
「あれ?麗華お姉さん、その指どうしたんですか?」
雪野君は絆創膏を貼った私の指を見て、心配そうな顔をした。
「これ?ちょっとお料理をしている時に包丁で切ってしまったの。恥ずかしいわ」
「麗華お姉さん、お料理ができるんですか?」
雪野君がキラキラした目で見つめてきた。
「ええ、まぁ。ほんの家庭料理ですけどね」
「どんな物を作るんですか?」
「本当に簡単な物ばかりなの。煮物とか」
雪野君に素敵なお姉さんと思われたくて、つい見栄を張る。雪野君は素直に感心してくれた。そして感心したまま爆弾を落とした。
「僕も麗華お姉さんの作ったお料理を食べてみたいです!」
「え…?!」
「もうすぐ僕の誕生日なんです。その時、麗華お姉さんの作ったお料理を食べさせてもらえませんか?」
「え…?!」
とんでもない依頼が舞い込みました。
耀美さーーーん!!どうしようっ?!
雪野君、胃は丈夫ですか…?!