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去年からお願いしていた耀美さんに料理を習う件について、具体的にどんな料理を教えて欲しいか、耀美さんと電話で話し合った。
ホームパーティーなどのおもてなし料理か家庭料理か、については迷わず家庭料理を選択。ホームパーティーなんて頻繁にする予定はないし、あってもケータリングを頼めば困らないけど、家庭料理はもし将来私が一人暮らしをしたり、結婚してお手伝いさんのいない生活をするようになった時に絶対必要だと思うからね。それに、近い将来、彼氏が出来た時に葵ちゃん達みたいにお弁当を作ってあげたりしたいし!
和食と洋食は、とりあえず和食。煮物とか、ささっと作れたら家庭的な子って思われそうじゃない?まぁ私が、とにかく和食が好きだからというのが一番の理由だけど。
そんなこんなで、耀美さんのお家にお伺いしました。
「いらっしゃい、麗華さん」
「耀美さん、ごきげんよう。本日はよろしくお願いいたします」
耀美さんの家は羽振りがいいという噂通り、最近建て替えられた大きな邸宅だった。
「今日は父はゴルフ、母はお友達とランチに出掛けているから、気兼ねしないでくださいね」
「ありがとうございます」
私は手土産を渡すと、耀美さんのあとについて行った。
「前にも話したんだけど、先に私の作った物を食べてもらって、味付けが麗華さんの舌に合えばお教えするということでいいかしら?」
「はい」
「今日は一応簡単な料理を用意しているので、まずはそれを食べてみてもらえますか?」
「まぁ、わざわざ事前に作ってくださったのですか?」
「ええ。でもお味噌汁とお惣菜といった程度の物ですけど」
私が耀美さんに広めのダイニングに案内されると、そこには煮物などの料理が用意されていた。おぉ!おいしそう。でも、なぜか同じ料理が小鉢に2種類ずつ。
「あのね、同じ家庭料理でも少し違う物を用意したの」
「違う物ですか?」
「ええ、それは…」
「耀美、お客さんか?」
男の人の声に振り向くと、見覚えのある顔がダイニングに入ってきた。この人確か、先日の吉祥院家のパーティーで、耀美さんに失礼なことを言って私がデミグラスの報復をしたデミ男だ!
「お兄様…」
「お兄様?!」
あのデミ男が、耀美さんのお兄さん?!嘘っ!!私、相手を知らずにデミグラスソースを引っ掛けちゃったよ!
「貴女は、吉祥院家の麗華さんじゃないですか?」
「え、ええ。ご挨拶が遅れまして。吉祥院麗華でございます。本日はお邪魔しております」
「なんで麗華さんがうちに?」
「耀美さんにお料理を教えていただきに参りましたの」
「料理?耀美にですか?」
デミ男改め耀美さんのお兄さんは、テーブルに並べられた料理を見て眉を顰めた。
「耀美、お前まさか麗華さんにこんな粗末な料理を教えるつもりじゃないだろうな」
は?
耀美さんが用意してくれたのは、筑前煮とぶり大根、ほうれん草と油揚げの白和えだった。
「吉祥院家のご令嬢にこんな貧乏くさい料理を出すなんて、お前なにをやってるんだよ」
「ちょっ…」
耀美さんは下を向いて哀しそうな顔をした。
「お待ちください。私が耀美さんにリクエストしたんです。これらは私の好物ですわ。ぶり大根、よろしいじゃありませんか。旬の物をいただくことこそが、真の贅沢だと思いますわ!」
って、ぶりって今が旬だよね…?寒ブリって言葉を聞いたことがあるし…。神様、間違っていませんように。
私の反論にデミお兄さんは少し怯むと、「麗華さんがそうおっしゃるなら」と引いた。
「しかし耀美が麗華さんのような人にモノを教えることなんて出来るのか?むしろお前が麗華さんから、令嬢の立ち居振る舞いなどを教えてもらったほうがいいんじゃないか?」
「耀美さんは今のままでも充分素敵なかただと思いますけど」
耀美さんがどんどん萎縮するから、デミ兄、あんたもうどっか行け。
私の心の祈りが天に通じたのか、デミ兄は言いたいことを言うと、「では麗華さん、僕は予定があるのでこれで」と、ダイニングを出て行った。
「…ごめんなさい、麗華さん。嫌な思いをさせてしまって」
「そんなことありませんわ!でも、あのかたが耀美さんのお兄様でしたのね…」
「ええ…。兄は太っていて見苦しい私が疎ましいみたいです…」
「……」
太っているって、デミ兄だってわりと小太りだと思うけど。耀美さん達のお母様もふくよかだし、成冨家はふくよか一家なんじゃないか?
「それより、お料理を温め直してきますね。お口に合うといいんだけど」
「楽しみですわ」
そうだ。失礼な闖入者に邪魔されたけど、試食会が本題なのだ。
耀美さんが温め直してくれた料理を私の前に並べ直してくれた。
「あのね。同じ家庭料理でも材料にもこだわってきちんとした基本で作った物と、私の好きな庶民的な味付けの両方を用意したの。それで麗華さんの好みがわかると思って」
「そうなんですか。ではさっそくいただいてよろしいですか?」
「どうぞ、召し上がって」
私はまず、お豆腐と長ねぎのお味噌汁から口を付けた。うん、おいしい!こっちが基本レシピだっけ。次は庶民レシピね。
あ……。
「麗華さん、どうかしました?」
これ、前世の、お母さんの味に似ている…。
「麗華さん?」
やばい、涙が出そうだ。
お母さんの味だ。お母さんのお味噌汁だ。
「麗華さん…、おいしくなかったかしら…?」
「…いえ、とっても、おいしいです」
「そう?ムリしなくてもいいんですよ?こっちはちょっと、だしを取るかつおぶしの量も少なくて、あまりおいしくないかも…」
「いいえ。こちらのお味噌汁の作り方を、ぜひ教えていただきたいです」
「こっち?でも麗華さんには庶民的すぎないかしら?」
「お願いします」
私は耀美さんに頭を下げた。
お母さんに教えてもらわなかったせいで、二度と食べられないと思っていたお母さんのお味噌汁。その味に似ている物が目の前にある。だったら今度こそ、私がお母さんの味を再現できるようになりたい。
「お願いします」
「麗華さんがそう言うなら…」
煮物などのお惣菜も全部おいしかった。そしてやっぱり庶民派はどこか懐かしい味がした。うん、絶対こっちを習おう。
私が庶民レシピを習いたいとお願いすると、耀美さんはちょっと驚いていた。
「まさか麗華さんがこちらを気に入ってくれるなんて。嬉しいですけどね」
「普段はこちらのレシピで作っているんですか?」
「ううん。家で誰かに食べさせる時は、贅沢レシピ」
耀美さんはそう言って笑った。
「お恥ずかしいのですが、私の家は成り上がりだというのはご存知ですか?」
あー、確かお父様が不動産関係で財を成したとかなんとか…。
「祖父母の代までは郊外で農家をやっているような、ごく普通の庶民家庭だったんです。山と畑しかないような牧歌的な土地だったんですけど、ニュータウン計画でその山と畑しかない土地の値段が跳ね上がって、それを元手に父が事業を興したんですね」
「そうなのですか」
「兄と私が生まれた時は、すでに家は成金で、出される料理も贅沢な物だったんですけど、祖父母は昔からの習性で、貧乏性といいますか、節約精神といいますか、まぁそんな感じで」
「はい」
「私は兄にもよく言われるんですけど、小さい頃からどんくさくて、周りの子供達にも成金とバカにされることもあったりして、そんな時は祖父母の家に逃げ込んで泣きついていたんです」
「まぁ…」
「その祖母のお手伝いでお料理を習っているうちに、私もお料理をすることが好きになったんですけど、さっきも言ったように祖母は昔の習性が染み付いていますので、料理もケチなんです」
「ケチ?」
「ええ。だしを取るかつおぶしの量もケチりますし、それで二番だし、さらには三番だしまで取ったりするんですよ?」
「そうなのですか」
二番だし、三番だしってなんでしょう…?でもここは知ったかぶりで頷いておく。
「麗華様には信じられないかもしれませんが、だしを取ったかつおぶしでふりかけを作ったり、大根やカブの葉も食べたり、しかもそれを栽培したり」
「栽培ですか?」
「ええ、ヘタを水に漬けて置くと葉が増えるんです」
あっ!前世のお母さんも、キッチンでやってた!最初に見た時はキッチンに生け花感覚で飾っているのかと、しばらく思ってたんだよね。
「でも私が祖母に食べさせてもらった懐かしの味ですし、誰かに食べさせる時はきちんと材料もふんだんに使って料理するんですけど、やはりこの節約料理の味も大事にしていきたいんです。たぶん一般家庭ではこれが普通だと思うんですよ?」
「ええ」
言われてみれば、吉祥院家の厨房を覗いた時、料理人さんがお鍋いっぱいにかつおぶしを入れているのを見かけたことがあったけど、前世のお母さんがそんなことをしているのは見たことがない。今思うとお母さん、かなりケチっていたんだな。でもおいしかったけどさ。
「ふふっ。でも生粋のお嬢さまの麗華さんがこちらを選ぶなんて。おばあちゃんが聞いたら喜んじゃうかも」
「これからよろしくお願いします。先生」
「やだ、先生だなんて」
耀美さんは飾らない、いい人だ。私だったら他人に自分の家が成り上がりだなんて言えない。この人だったら私が包丁も満足に使えない不器用さんでも絶対に笑わないと思う。
「耀美さん、実は私、包丁で野菜を切るのも出来ないんですけど…」
まずはさっき知ったかぶりした、二番だしとやらの正体を教えてください。