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「事実を頑なに認めない」安倍総理を支える力の正体

モリカケ問題を再考する

真実は明らかなのに、総理だけが認めない

前編「安倍政権が『終わる瞬間』はいつなのか?~森友調査報告書を精読する」で確認したように、モリカケ(森友学園、加計学園)問題は、構造としてはいずれも、安倍総理のまわりの人物が政府案件に関わっている事実が明らかとなっているのにもかかわらず、本人だけが一人、「真実は明らか」だと無関係を装っていることにつきる。

私も含め、国民のみなが「まさか」と最初は思ったが、これだけ色々なことが次々とあがってくると、もはや安倍総理が「関係ない」と論証することの方が難しい。

一国の首相が、嘘や言い逃れを繰り返しているとしか思えない事態が生じており、冷静に見れば、あとは総理が認めるかどうかというところまできている。

あまりに粘るので、私たちもだんだんと「もういいんじゃないか」と、そういう感じになっているが、現実はそういうことだ。ふつうはあきらめるものを、ただしつこく粘っているのにすぎない。

もちろん法的には問題はないのだろう。しかし実際に総理の「関わり」はあるので、次々と新しい事実が発覚し、消しても消しても何度でも火の手があがるのであった。

これでは国会はいつまで経っても正常化しない。総理は早く事態を収拾しなくてはならない。

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この二つの事件、安倍総理はもちろん、自分で「こうしろ」などと直接の指示はしていないのだろう。

しかし法的に問題がないから、政治責任が問われないことにはなるまい。法を作るのは国会である。

その国会議員であり、行政府の長でもある内閣総理大臣が、自分だけが知る法の抜け穴を知り合いだけ通していたのだとしたら、ゆゆしき問題だからだ。

こんな問題が発覚すれば、国会の運営などまともにやれるはずがない。

 

総理が言っているのはこういうことだ。

「私は潔白だ。色んなことは出てきたけど、みなさんは信じてくれるよね」と。
ある種の甘えのような、そういうメッセージになっている。

だが例えば2015年2月25日に総理が加計理事長と会い、「そういう獣医学部はいいね」といったという話も、総理は明確にその会見を否定できないままだ。

本当に会っていないなら、この日の自身の記録を公開して「こういうスケジュールでした」とか、あるいは友人である加計氏の方のスケジュールを出してもらって「この日は彼は東京に行っていない」とか、そういう対応ができるはずだ。

そういうこともしないで、ただ「私を信じろ」という方が無理な話なのである。

とはいえ、「甘え」はやはり、甘えさせる者がいるから生じるのでもあった。

では何が総理のこの甘えを実現させているのか。後編ではこの問題について考えてみよう。

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