母方の祖父は沖縄戦で亡くなった。1945年に日本軍兵士として長野県から沖縄に出征。6月20日に本島南部の八重瀬岳が最期だったという。享年31歳。遺骨はない

▼大学で林業を学び製紙会社に就職すると宮城県石巻市で新婚を過ごした。母が生まれたことを喜び、乳母車を手作りする器用な人だったという。幸せな日々もつかの間、翌年には妻子を残して召集された

▼10年前に86歳で亡くなった祖母は長い間、沖縄の地を踏むことができなかった。悲しみを受け止めるのに時間がかかったのだろう。私自身、人の親となってから祖父の無念を深く感じるようになり、その思いは年々増す

▼しかし祖父のことを口に出すことはずっとはばかられてきた。日本軍は加害者であるからだ。沖縄を捨て石にし、地上戦でおびただしい数の住民を犠牲にした。ガマから追い出し、スパイの疑いをかけた虐殺、「集団自決(強制集団死)」へと追い込んだ

▼平和の礎に刻まれる24万1525人のうち県民は14万9502人。その一人一人に家族がいて、今なお消えぬ悲しみや苦しみが胸の内にある

▼きょうは全戦没者追悼式がある。辛苦を味わいながらも国籍や兵士・民間人を問わずに冥福を祈る場をつくった意味を考えたい。決して戦争は起こさせず、恒久平和のために何ができるかを。(溝井洋輔)