文字サイズ:
  • 標準
  • 拡大

ニュース

ニュース・解説

ハンセン病療養所の退所者、6割が故郷に戻らず…支援団体調査

 全国のハンセン病の元患者らを支援する社会福祉法人「ふれあい福祉協会」(東京)が、各地のハンセン病療養所退所者ら155人に行ったアンケートの結果をまとめた。6割の人が退所後も故郷に戻らなかったほか、2割の人が現在も病歴を誰にも話していないなど、退所後も苦しい生活を続ける元患者らの実態が浮き彫りになった。

 国によるハンセン病患者の隔離政策は1907年に始まり、31年からはすべての患者を全国のハンセン病療養所に強制隔離。病気が治って退所が認められる例外はあったが、96年に「らい予防法」が廃止されるまで、隔離政策は89年間続いた。

 厚生労働省では、退所者の正確な人数や生活実態は把握していない。このため同協会は2016~17年、各地の支援団体などを通じて退所者や退所経験者に面会し、聞き取り調査を実施した。

 調査に応じた155人の平均年齢は77・4歳で、男性99人、女性55人(無回答1人)。退所の時期は、1960年代が63人と最も多く、「らい予防法」の廃止後の2000年以降は30人だった。

 現在、困っていることについて、53人(34%)が「差別や偏見がある」と回答。「病歴を明かして医療を受けづらい」と答えた人も37人(24%)いた。ハンセン病だったことを家族などに明かしているかどうかについては、「配偶者に伝えている」が55人(35%)だったが、「誰にも話していない」という人も30人(19%)に上った。

 また、退所後の居住先を「ふるさと以外」とした人は96人(62%)に上り、理由として「ふるさとは差別が厳しい」といった声が目立った。調査に応じた155人のうち19人は再び療養所に戻って暮らしており、「将来が不安で再入所を決めた」などの声もあった。

 同協会の佐藤哲朗理事長は、「退所者が将来に不安を感じていることや支援の不足が明らかになった。今回の結果を踏まえ、厚労省に具体的な施策を求めていきたい」としている。

          ◇

【ハンセン病】  らい菌による感染症で、手足などの 末梢まっしょう 神経がまひし、皮膚などに障害が起きる。感染力は極めて弱く、現在は薬により短期間で治癒する。今年5月現在、全国14か所(国立13、私立1)の療養所で暮らす人は1338人おり、平均年齢は85歳を超える。

「中絶手術強制された」「実態、多くの人に理解を」

調査結果の冊子を前に、退所後の生活を語る石山さん(川崎市内で)

 今回の調査では、中絶手術や不妊手術を強いられたとの証言もあった。

 旧優生保護法(1948~96年)は、ハンセン病患者について同意の上でこのような手術をすることとしていた。72年まで米国の統治下にあった沖縄県では同法の適用はなかったが、調査の回答者の一人で、同県宮古島市の知念正勝さん(84)は、読売新聞の取材に対し、「手術は絶対で、入所者に選択の余地はなかった」と証言する。

 知念さんは55年、同市の療養所で入所者の女性と結婚。翌年に妻が妊娠した。「育てよう」と決意したが、療養所から堕胎手術を強く迫られた。幸運にも手術は失敗し、娘が誕生したが、知念さんは再び妻に苦しい思いをさせたくないと、その後、自ら断種手術を受けたという。65年に療養所を出た知念さんは、「子供を持つことができず、よりどころがなく退所できない人もたくさんいる。許されることではない」と話した。

          ◇

 川崎市の石山春平さん(82)も取材に対し、「今も社会の無理解に悩む退所者は多い」と訴える。

 ハンセン病と診断されたのは小学6年生の時。息子の身を案じた父親の提案で療養所には行かず、5年間納屋で隠れて暮らした。自殺も考えたが、「死ぬくらいなら、生きて理不尽な扱いをした人を見返したい」と思いとどまり、療養所に入った。

 1952年の入所時はすでに特効薬のプロミンが治療に使われており、病気は3年で治った。父親に「家に帰りたい」と手紙を書くと、「うれしいが、帰ってきても居場所がない。兄の結婚が決まった」と返信が来た。

 療養所職員だった妻(80)と結婚し、退所した石山さんは現在、療養所の退所者でつくる「あおばの会」の会長を務める。「実態を多くの人に理解してもらい、退所者が穏やかに暮らせる社会になってほしい」と願っている。

ニュースの一覧を見る

最新記事

ピックアップ記事