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お詫びと反省とちょっとだけバイストン・ウェルの話
- 2018/02/02
- 22:18
批判をいただきました。主要部分を抜粋すると、「あの程度の相似性で盗作と言うな」ということです。程度ですか、それは確かに思慮は足りなかったです。去年、取り上げたときは盗作と言うより、影響を受けているんなら明言しなきゃ不誠実だ、という趣旨で書いたつもりだったんですけど、盗作と言う言葉は確かに良くなかったですね。法的な意味じゃなくて一般論のつもりだったんですけど、配慮がなかったと思います。
おそらく先の記事で、普段、私がファンのあり方について勝手に憤りを感じていることを雑に絡めて書いたことを怒ってらっしゃるんでしょうけど。これは全面的に私が悪いですね。人のことを考える余裕が今ないんですけど、最低限の配慮は必要でした、申し訳ございません。
ひたすら謝りますけど、ただ一点、影響に関しては一線を引かせてもらえますか、だれも言ってなかったことなんで珍説と嘲られてもいいですけど、でも本人が言ってるんですよ、「50年代、60年代の特撮が好きだ」って。それにやり玉に挙げた『アベニールを探して』に関しては、もう一回書きますけど、”東京に突如預言者が現れる”、”意識を操られた女性”(もっと細かく言うと”黒い衣装で身を包んでいる”とかの描写があるんですけど)、”暗殺に巻き込まれる”、この三つが同時に出るですけど、これってそんなによくある展開なんですか?う~ん、「あの程度」、う~ん、う~ん……。
いやいや、すみませんでした、反省しております。
「おめでたいですね」とか「みんなあなたのことあわれに思ってる」とか書かれましたけど、もう、憐れと思ったらですね、教えてやってください、「影響を証明したいと思ってたら○○の証拠を出さなきゃダメ!」みたいな。プロの方法論を知らないんで。
で、ですね、影響話そのものはやっていいんじゃないかなと思ってるんで、懲りずに今回もちょっとやるんですけど。
『リーンの翼』の話で、バイストンウェルシリーズって『ピーターパン』入ってるよね、って言いましたけど、ドラマ部分も意識してるっていう話をします。
エイサップがですね過去に戻って自分の出生に関して父親と母親が口論していてる場面に遭遇して、母親が実は自分を生みたくなかったことを知る。あと『ダンバイン』でですね、主人公ショウが母親に会うけれど拒絶されて地上界で追い詰められていく。これは『ピーターパン』に下敷きにしてるんじゃないかなというエピソードがあります。
アニメなどで一般的に知られてる『ピーターパンとウェンディ』ではなくて、その姉妹編である『ケンジントン公園のピーターパン』という作品があるんでけど。これはピーターパンが母親に会おうとする話なんですね。
まず、ピーターパンが赤ん坊のころに「人になるのがいや」でケンジントン公園に逃げ出すところから始まります。公園には妖精や鳥たちが住んでいて、そこで老ソロモン・コーというキャラクターに「半分鳥で半分人」の「どっちつかず」の存在と言われてしまうんですね。ピーターは妖精や鳥たちと過ごして成長していくんですけど、やがて母親に会いたくなるんです。そこで妖精の女王に頼んで翼を生やしてもらい母親の元に戻してもらうんだけれど、躊躇して声もかけられずに公園に戻ってしまうんですね。もう一度、意を決して母親のところに行っても、その時は窓にかんぬきがかかっていて入れない。中をのぞくと自分じゃない別の赤ん坊を抱いて寝てるんですよ。ピーターがいくら「おかあさん!」と叫んでも母親に届かない。こうしてピーターは母親の元から締め出されてしまった。という物語なんですよ。
なんだこの暗いオチはwと思いますけど。影響でいうと、現実世界(=地上界)に戻った時に母親との決定的な断絶を突き付けられる展開ですよね。劇的な展開になってはいますけど、根幹はこれじゃないですかね。あとは枝葉で言うと、混血のように自分が他人と相容れない存在と言われてしまうとか、現実世界(=地上界)に行くときに翼が生えるとか、加えて『ピーターパンとウェンディ』でいうと、成長しない世界、『リーン』じゃないですけど召喚されたらいきなり襲撃に遭うとかですね。結構意識して中心に据えた作品と言っていいんじゃないかと思ってます。
これをサンプリングで選んだんなら上手いですよね。気に入ったシーンを無作為に抜き取てって作るパッチワークじゃなくて、ちゃんと作品とテーマに合わせたアプローチを考えて作品をチョイスするのはサンプリングとして出色じゃないですか。そのうえで現実と向き合うことで成長するという落としどころもつけてるんで、こういうアレンジも含めてどちらかというと職人肌が出たシリーズじゃないかと思っているんですけどどうなんでしょ。
まあ、こんなこと書いてもですね、また「こじつけ」とか「あの程度の相似性」とか言われるんでしょうけど。私の見識が低いのとは別に、影響論は作家論として詰めていっていいと思うんで、やってみてはいかがでしょう、と頭を下げさせてもらいます。
おそらく先の記事で、普段、私がファンのあり方について勝手に憤りを感じていることを雑に絡めて書いたことを怒ってらっしゃるんでしょうけど。これは全面的に私が悪いですね。人のことを考える余裕が今ないんですけど、最低限の配慮は必要でした、申し訳ございません。
ひたすら謝りますけど、ただ一点、影響に関しては一線を引かせてもらえますか、だれも言ってなかったことなんで珍説と嘲られてもいいですけど、でも本人が言ってるんですよ、「50年代、60年代の特撮が好きだ」って。それにやり玉に挙げた『アベニールを探して』に関しては、もう一回書きますけど、”東京に突如預言者が現れる”、”意識を操られた女性”(もっと細かく言うと”黒い衣装で身を包んでいる”とかの描写があるんですけど)、”暗殺に巻き込まれる”、この三つが同時に出るですけど、これってそんなによくある展開なんですか?う~ん、「あの程度」、う~ん、う~ん……。
いやいや、すみませんでした、反省しております。
「おめでたいですね」とか「みんなあなたのことあわれに思ってる」とか書かれましたけど、もう、憐れと思ったらですね、教えてやってください、「影響を証明したいと思ってたら○○の証拠を出さなきゃダメ!」みたいな。プロの方法論を知らないんで。
で、ですね、影響話そのものはやっていいんじゃないかなと思ってるんで、懲りずに今回もちょっとやるんですけど。
『リーンの翼』の話で、バイストンウェルシリーズって『ピーターパン』入ってるよね、って言いましたけど、ドラマ部分も意識してるっていう話をします。
エイサップがですね過去に戻って自分の出生に関して父親と母親が口論していてる場面に遭遇して、母親が実は自分を生みたくなかったことを知る。あと『ダンバイン』でですね、主人公ショウが母親に会うけれど拒絶されて地上界で追い詰められていく。これは『ピーターパン』に下敷きにしてるんじゃないかなというエピソードがあります。
アニメなどで一般的に知られてる『ピーターパンとウェンディ』ではなくて、その姉妹編である『ケンジントン公園のピーターパン』という作品があるんでけど。これはピーターパンが母親に会おうとする話なんですね。
まず、ピーターパンが赤ん坊のころに「人になるのがいや」でケンジントン公園に逃げ出すところから始まります。公園には妖精や鳥たちが住んでいて、そこで老ソロモン・コーというキャラクターに「半分鳥で半分人」の「どっちつかず」の存在と言われてしまうんですね。ピーターは妖精や鳥たちと過ごして成長していくんですけど、やがて母親に会いたくなるんです。そこで妖精の女王に頼んで翼を生やしてもらい母親の元に戻してもらうんだけれど、躊躇して声もかけられずに公園に戻ってしまうんですね。もう一度、意を決して母親のところに行っても、その時は窓にかんぬきがかかっていて入れない。中をのぞくと自分じゃない別の赤ん坊を抱いて寝てるんですよ。ピーターがいくら「おかあさん!」と叫んでも母親に届かない。こうしてピーターは母親の元から締め出されてしまった。という物語なんですよ。
なんだこの暗いオチはwと思いますけど。影響でいうと、現実世界(=地上界)に戻った時に母親との決定的な断絶を突き付けられる展開ですよね。劇的な展開になってはいますけど、根幹はこれじゃないですかね。あとは枝葉で言うと、混血のように自分が他人と相容れない存在と言われてしまうとか、現実世界(=地上界)に行くときに翼が生えるとか、加えて『ピーターパンとウェンディ』でいうと、成長しない世界、『リーン』じゃないですけど召喚されたらいきなり襲撃に遭うとかですね。結構意識して中心に据えた作品と言っていいんじゃないかと思ってます。
これをサンプリングで選んだんなら上手いですよね。気に入ったシーンを無作為に抜き取てって作るパッチワークじゃなくて、ちゃんと作品とテーマに合わせたアプローチを考えて作品をチョイスするのはサンプリングとして出色じゃないですか。そのうえで現実と向き合うことで成長するという落としどころもつけてるんで、こういうアレンジも含めてどちらかというと職人肌が出たシリーズじゃないかと思っているんですけどどうなんでしょ。
まあ、こんなこと書いてもですね、また「こじつけ」とか「あの程度の相似性」とか言われるんでしょうけど。私の見識が低いのとは別に、影響論は作家論として詰めていっていいと思うんで、やってみてはいかがでしょう、と頭を下げさせてもらいます。