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『リーンの翼』の元ネタはこれだ

 以前Twitterでやった『∀ガンダム』の元ネタ検証でですね、ご意見をいただいたんですけど、中に予想通りというか、「こじつけ」とかいう方もいまして、正直、「むっか~(怒り)」ときたりしてたんですよw
 あの~、言っときますけど富野監督自身が言葉にしてますからね。例えば、『アイアン・スカイ』の監督との対談で「50年代、60年代の特撮映画の感じがあって好きだ」という風に年代を特定して言ってたり、あるいは、私が問題視した『富野由悠季全仕事』でのインタビューで、「基本的に特撮物をやるしかないという意識がどこかにあった…」とまで言ってるんです。つまり特撮映画を撮りたかった人なんですよ。とどめにオールタイムベストとして『ゴジラ』を挙げてるわけで、これでこじつけとか言われてもねぇ~。
 ただ、やっぱり言われてなかったんだな、ということも確認できたわけで、今回は、(残念ながら)世界で私だけが唱えている”富野作品の元ネタは特撮映画だ”論を補強しながら生意気にも作品解説をやりたいと思います。
 俎上に挙げるのは『リーンの翼』アニメ版です。これ性急な構成が仇になって評価が著しく分かれる作品ですけど、私は大っ好きですね。ストーリーもいいんですけど、外せない魅力の一つとして、『∀』と同じく”怪獣映画作家富野由悠季”がみれるのが大きいですね。
 これは基になってる作品があります。『アベニールをさがして』どころじゃないです、主要ドラマ部分をはっきりと流用してる作品があるんです。それは東宝が1963年に公開した『海底軍艦』という映画です。
 主人公のところに羽が飛んできて、靴をめぐる話で、過去の戦争を思い返して、恋人がいなくなる、ってそれ『フォレスト・ガンプ』じゃん!って気がしなくはないですけどw話自体は『海底軍艦』です。
 この映画、キービジュアルがですねぇ、空飛ぶ戦艦にドリルがついてるといったものでして、あらすじとか読むと「ムウ帝国」とか出てくるんで、荒唐無稽なバカSFと思われるかもしれませんが(スピンオフの『惑星大戦争』はまごうことなきバカ映画ですけど)、ドラマ部分はすごい重厚なつくりになってるんですね。
 空飛ぶ船に乗って科学技術の発展した別の世界に行く展開もそうなんですけど、一番影響を与えたのは神宮司大佐というキャラクターです。
 神宮司大佐はですね、第二次大戦の終戦の際、消息を絶ってそのまま行方が知れなかったんですよ。ところが、ムウ帝国の地上侵略が始まった時にムウ帝国の工作員と間違われてある軍人が捕まるんですけど、それが実は神宮司大佐の部下で、部下の口から大佐の生存と所在が確認されるんですね。そして神宮司大佐の娘と海軍の元上官が会ってみるとですね、戦前の思想から全っ然ぶれてないんです。「日本のために命を捨てる」っていう感じで日本再建を夢見てて、「自分はまだ降伏していない!」とか強弁するんですよ。で、皆で説得して海底軍艦でムウ帝国と戦ってくれって言うんですけどなかなか折れないんですね、でも最後は、自身の信念を曲げて世界のために海底軍艦でムウ帝国と戦うというキャラクターなんですね。これは迫水真次郎の原型です。
 富野監督は、昔っから神宮司のキャラクターを使ってたんですよ。”軍のトップにいて”、”野心家”、”超兵器を持っていて”、”娘の言い分を聞かない頑迷な父親”、これですね。
 まず『伝説巨神イデオン』のドバ総司令、娘のカララに戦争をやめるよう言われても聞かない、イデオン打倒のためにガンド・ロワっていうでかい加粒子砲を持ってきてましたね。『聖戦士ダンバイン』のドレイク・ルフトはウィル・ウィプスで覇権を取ろうとしてました。リムルが逃げたのは二―に会いたかったからですけど。ガンダムでもやってますね、『F91』のみんな大好きカロッゾ・ロナ。バグっていう今でいうドローンみたいなやつで地球人類を抹殺しようとしてセシリーもドン引きでした。
 この手のキャラクターは富野監督の自己投影っていう論評もあるんですけど、スタイルとしては神宮司大佐の亜流です。で、『リーン』の迫水はこれの最新版ですね。フガクという巨大戦艦を作って、覇権主義に走り、娘のリュクスに離反されてしまう。しかも、神宮司大佐のテーマ性でもある”現代に適合できないナショナリズム”というところまで踏襲しているわけですから、ハッキリと『海底軍艦』に対するオマージュなんですよ。
 物語でも細かいところで流用をやってますね。ムウ帝国は部分的は地上よりもはるかに進んだ科学力を持っているけれど、なぜかインフラ整備のために土木技師を地上から拉致してくるんですよ、すごい変な話ですけどw技術を外部から持ってくるっていうのはバイストン・ウェルシリーズでおなじみの展開ですよね。あと、主人公(と言っていいのか?)とヒロインが一緒に幽閉されるとかね。でも、一番注目したいのはラストシーンです。
 ヒロインのリュクスが主人公の目の前から消えてバイストン・ウェルへと戻る展開は、『海底軍艦』での、敵のムウ帝国の皇帝(女王)が海に飛び込んでムウ帝国へと戻っていくという展開をなぞっています。ここは、テーマ的な意味でなぞっている部分でもあります。
 それは、自分にとって分身のような存在がいなくなってるんです。「イマジナリーフレンド」と決別することで成長する物語の定型がありますけど、ポジション的にはリュクスがそれですね。バイストン・ウェルという架空の世界から来た存在で、エイサップは日本人とアメリカ人のハーフでリュクスは地上人とバイストン・ウェルの人間とのハーフという共通点がある。それが架空の世界(メタ的な意味でね)に帰って会えなくなるっていうのは、”少年期の終わり”ですよね。初恋の終わりによって強制的に成長させられるという富野作品に何度も何度も出てきた例の”アレ”って感じですw
 そもそもバイストン・ウェルシリーズって『ピーターパン』入ってますから。冒頭でバイク乗って別世界に行くっていう展開は『アラビアのロレンス』オマージュなんでしょうけど、行った先でいきなり襲撃に会うじゃないですか、あれはウェンディがネバ―ランドに着いたばかりで襲撃に合うのをパクってるんです。で、ネバ―ランドっていうのは成長しない世界ですから。迫水はガチもんのピーターパン症候群になってましたけど、その世界との決別なんで、ホントにモラトリアムの終わりなんですね。まあ、エイサップは実際浪人生だったりするんですけど。
 対する『海底軍艦』ではムウ帝国の皇帝というのは神宮司の負の部分ですね。ナショナリズムの暴走によって侵略も辞さないという、なっていたかもしれない自分自身として否定的に末路を描いています。
 ただ、このラストはこれだけに留まらない別の意味合いも持っているんで、そのことをちょっと書いていきますね。
 そもそもですね、”少女が消える”っていうのは何なのか?ま、変ですよねw不思議なご都合主義で強制的に幕引きがされたみたいで「なにこれ~!?」みたいな人いっぱいいると思いますけど。
 ビジュアルイメージはわかりますよね。坂口安吾の小説、『桜の森の満開の下』なんですけど、別に消えなくてもいいだろうと、ツッコミが入るかもしれませんが、これは明らかにメタファーとして使われている意味のあるシーンなんですよ。推測じゃなくて、日本映画が一時期このメタファーを使っていたことがあるんです。
 特撮ライターの切通理作さんの著書『怪獣使いと少年』で、脚本家の佐々木守先生を論評する際、次のことを書いています。

敗戦の日、モノクロームになった世の中を見た瞬間、少年は早熟してしまった、早熟した少年は、もう子どもではないし、永遠に大人にもならない。早熟した少年は、再び色に染まっていく大人の世の中を拒否し続けるために、あの八月十五日を胸に抱き続ける。それは、失われた〈処女性〉として表される。


 要するに少女は〈戦前の日本〉ですね、つまりそれが消えるのは”敗戦”を意味してます。あくまで佐々木守論として書かれているので、〈処女性〉を佐々木脚本の特色である〈妹〉と結び付けて論じています。だから、例として出されるのが、『夏の妹』だったり、内田栄一脚本の『妹』、あるいは『火垂るの墓』などを挙げてるんですけど。でも〈処女性〉の寓意をくんで『バージンブルース』や『日本一の裏切り男』なども挙げていますね。
 ここで比較として出したいのは富野監督の友人でもあった作詞家の阿久悠先生が書いた『瀬戸内少年野球団』です。
 原作は読んでないんですけど(汗)、映画版は夏目雅子さんのチョー綺麗な先生役が印象的でしたね。でも、少女喪失展開は夏目さんの女教師のほうじゃなくて武女という転校生の女の子ですね。
 敗戦直後から映画は始まります、それで教科書を黒塗りにしてるところで夏目さんの女教師は悲しんでるんですけど生徒ははしゃいでるだけでよくわかってないんです、敗戦の実感がないんですね。そこにやってきた転校生、海軍提督の娘の武女ちゃん。彼女とともに生徒たちは野球チームを作って野球に打ち込んでいくっていうメインエピソードに、戦後をたくましく生きていく大人たちのサブエピソードを交えて物語は進むんですけど、最後はですね、武女ちゃんのお父さんが罪人にされて死刑になっちゃうんで彼女は東京に行っちゃうと。主人公の二人の男の子はショックを受けて、一人は授業ほったらかして走って見送りに行って、もう一人は英語の授業で「I am an American boy」っていう文をほかの生徒が復唱してるのをうつむきながら聞いてるんですよ。すると武女ちゃんの乗る船の汽笛が聞こえてきて、それで映画が終わるんですよ。
 これはもう”遅れてきた敗戦”ですね。タイムラグで敗戦を体験するんです。『リーンの翼』もそうで、70年後にやってきた敗戦なんです。エイサップは敗戦の疑似体験をして日本に帰属意識を持つというラストですね。ここは『海底軍艦』と決定的に違うところです。『妖星ゴラス』もそうですけど、本多監督はコスモポリタニズムになるんですよ。大きな脅威を前に、それぞれの利害が一致して一つになっていく展開です。ところが富野監督は、影響を受けまくってるのにラストは違うんです。ほとんどの作品で”帰属意識”の話になっていきます。「どこに帰属すべきか」、あるいは「帰属できない人間の悲劇」だったりするんですけど、なかでも『リーンの翼』は日本という、すごい抽象性の低い限定された対象へのコミットが描かれている異色作ですよね。オマージュであると同時に、耐用年数を超えて久しい戦後の理想主義を謳った『海底軍艦』への返歌としても取れると思います。
 あと、喪失することで成長をする、っていうラストは、多分『禁じられた遊び』を意識してのことじゃないですかね、「リュクス、リュクス…」って連呼するのはこれが元だと思うけど。 
 まあ、いろいろ言ってきましたけど。あのー、バイストン・ウェルシリーズってガンダムシリーズに比べて富野監督の独自色が強いっていう意見とかあるんですけど、実際は結構イメージをいろいろパクってると思うんですよ。『ファウ・ファウ物語』とか『E.T.』ですから。だから、独自の作家性よりも職人芸を味わうくらいの感じが受け取り方としてはちょうどいいじゃないですかね、「こういうまとめ方するんだ、へぇ~」くらいに。そんなにオリジナリティの人じゃないと思うんだけどなぁ。
 あと、パクってるのが特撮映画というところが、自分と同じボンクラの先輩が一生懸命あがいてる感じがしてですねぇ、そこに私なんかは萌えるんですけど。この人ダメだな!っていうw
 そういう魅力を後世に残す意味でも”富野作品の元ネタは特撮映画だ”論を広めたいんですけど、いかんせん同志がいません(泣)。
 そこでですねぇ、富野ファンに勧める特撮映画を紹介したいと思います。と言ってもねぇ、結構ありますからね、数を絞ります。
 まずは今回紹介した『海底軍艦』。それと『伝説巨神イデオン』の設定に影響を与えた『大魔神』。『∀ガンダム』のビジュアルイメージの基になった『モスラ』。この三本は特に影響が顕著で、他の作品でも積極的に引用してますね。だから、この三本さえ押さえれば大丈夫ですから。これで”富野作品の元ネタは特撮映画だ”論を語れます!

※Twitterは気を使うことが多くなってきたので当分控えます。
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コメント

はじめまして

 いつも楽しく拝読させてもらっています。

 特に今回の記事はアニメ『リーンの翼』ファンの俺にとってエキサイティングなもので感動しました。
 富野監督作品と特撮映画の関係、目から鱗が落ちて本当にビックリしている最中です。俺の知るかぎり、今まで誰も指摘してこなかったまったく新しい視点じゃないでしょうか。
 特撮映画についてはほとんど観てないので、勉強しようと思ってます。
 お薦めの『海底軍艦』『大魔神』『モスラ』はAmazonで注文しました。これで正月の楽しみが増えました。

 今回の記事でいちばん興味を覚えたのは「敗戦云々」で、このあたりは俺的に宿題にしたいと思っています。
 長文失礼しました。

コメントありがとうございます

 shiwasu5さん、コメントありがとうございます。
 富野ファンの先輩に読んでいただけて恐縮です。
 私も知る限り言われてなかったことなので、言い出すのをちょっとためらってたんですけど、興味を持っていただけて幸いです。

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