せめて、皇帝らしく   作:亭々弧月
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紫電星霜ジルクニフ
肝胆相照


 幸せだ。

 

 なんとも清々しい。

 

 気分は清爽極まりない。

 

 

 ジルクニフの顔に浮かぶのは莞爾(かんじ)たる笑いであった。

 そこにあるのは安堵と解放感。

 長く続いた曇天模様の空が一瞬のうちに晴れ渡ったかのようである。

 

 それもそのはず、本格的に属国としての執政が始まって以来、行政権のほとんどは魔導国へと譲渡された為にジルクニフの仕事が激減したのだ。

 それだけではない、魔導国の属国になったということはジルクニフの後ろにいるのは他ならぬ魔導王。あの圧倒的な存在の前に不満を漏らす者など皆無であり、己に対するあらゆる糾弾を魔導王の名の下に封殺できるようになった。

 

 自分が最高権力者でなくなったが故に責任という責任から解放され、悠々自適とはいかないまでも、胃を痛め続けていたあの頃に比べて遥かに気楽な日々を過ごしているのだ。ジルクニフを殺すということが魔導国への反逆に等しい現状、暗殺の危険性もない。

 

 それゆえジルクニフは今までの短く熾烈な人生の中で最も平穏で安らかな日常を送っている。

 これが笑みをこぼさずにいられようか。

 よく笑うようになった、と側妃に言われるのも仕方のないことである。

 

 だが今日の機嫌がすこぶる良いのはその限りではない。今日は親友のリユロが訪ねてくる日なのだ。

 

 今日もまた楽しいひと時を過ごせるかと思うと楽しみでしかたがない。

 

 そして警備兵やジルクニフ本人からの許しを得て入室してきた配下が待ち望んだ言葉を告げる。

「陛下。ご予定のお客人が───」

 

「おお!今すぐ入れてくれ」

 今日の仕事はとうに終わっている。

 何一つとして後ろめたいことはない。

 まぁ、たとえ仕事が残っていたとしても気にしないだろう。

 親友と会えること以上に大事なことなど今の自分にはない。

 

 配下に案内された友人が入ってくる。

 ジルクニフは立ち上がり、心の底からの嘘偽りのない満面の笑みを浮かべ両手を広げ歓迎の意を示す。

 

 入ってきたのはモグラのような外見を持つ亜人。右手には布袋を持っていた。おそらく何かを差し入れに来てくれたのだろう。

 

「ああ!よく来てくれたな!我が親愛なる友、リユロよ!」

 

「おお!我が真なる友、ジルクニフよ!またこうして会えることの何と喜ばしいことか!」

 

 共に優しく抱擁し、ひとしきり抱きしめ合った後、どちらからともなく離れる。

 

「私も会えて嬉しいさ。リユロ」

 

 リユロが笑みで応える。彼を知らぬ人間が見れば恐れるかもしれない面構えだが、ジルクニフにはそれが心からの笑みであることがすぐさま理解できる。それほどまでに彼とは懇意にしているのだ。

 

(───ふふ。以前の私なら恐れをなすかもしれないな。……亜人が最初の友人となった人間などそうはいまい)

 

 クアゴアという亜人種の王であるリユロとは、同じ王という立場にいながら魔導王の前に屈するという憂き目を見た共通点がある。それは亜人と人間という種族の壁を超えてなお強い親近感を抱かせるには十分過ぎるほどであった。

 

 二度目に出会ったその場で意気投合し、度々会っては色々と悩みを打ち明けあいながら互いの苦労を労っている。今まで友人と呼べる人間がいなかったジルクニフにとってリユロ以上の存在はなく、こればかりは魔導王のおかげだと少しだけ感謝したい気持ちもあった。

 

「今日も君の口に合うとびきりの馳走を用意させている。楽しみにしてくれ」

 

「おお!すまないなジルクニフよ。お礼と言っては何だが、人間が好むと聞いたキノコを少しばかりではあるが持ってきた。今度感想を聞かせてくれ」

 

そういってリユロは右手に持った袋を差し出してきた。独特の芳醇な香りが漂う。

 

「それは楽しみだ。後で料理人に調理を頼もう。……では、行こうか」

 

 二人は並んで部屋を出て、目的地へと歩き出した。

 

 

 

「美味い!美味いぞジルクニフ!」

 用意した料理をリユロが美味しそうに次々と口に運び込む。

 

 マナーなどあったものではないが彼は亜人だ。人間のルールを押し付けるのも良くない。それに大きなモグラのような見た目をした亜人が嬉しそうに食事をとる様は彼の厳つい顔を差し引いても微笑ましさすら覚える。

 

「気に入ってもらえて嬉しいよ、リユロ。さぁどんどん食べてくれ」

 

(───思えば誰かと向かい合って対等な立場で食事を楽しむことなどリユロと会うまでなかったな……)

 

 ジルクニフは誰からも次代の皇帝候補として育てられ扱われてきた。おそらくどこかで寂しさを感じていたのだろう。仕事に追われることも命の危険に脅かされることもなくなった今だからこそ分かる。そんな自分の心の隙間を埋めてくれたリユロという存在には感謝しかない。

 

「────ふぅ、実に美味しかった。……この前飲んだあの冷たい飲み物は何と言ったか……」

 食べ終えたリユロは鋭い爪を持つ手で器用に裂かぬように布を持ち口を拭いている。彼なりに人間であるジルクニフに合わせた所作を心掛けているのだろう。

 

「アイスマキャティアのことかな?」

 

「そう、それだ。あれは甘くて忘れられない味だった」

 

「勿論、準備してるとも」

 控えさせていたメイドを呼び持ってくるように命じる。事前に用意するよう伝えていたのですぐさまメイドがアイスマキャティアの置かれた盆を運んでくる。

 

  リユロはそれを葦の茎で作った長い管のようなもので吸い上げて飲んでいる。彼の口ではグラスに口をつけて飲むのは難しいからだ。種族の違いというものは予想以上に様々なことを気付かせてくれる。

 

「───それでジルクニフ。最近はどうだ?」

 

「聞いてくれるかリユロ……」

 

 ジルクニフは先日あったことを話す。魔導国からエ・ランテルにて会談を行うと言われ行った先がナザリック地下大墳墓であったこと、地下に闘技場があったこと、あそこの食事や寝室は異様に素晴らしかったことといった様々な体験を話す。

 話が進むにつれてリユロの先ほどまでのにこやかな顔は見る見るうちに神妙な面持ちへと変わっていった。

 

「……属国になったからこそ、力を再び見せつけようとしたのかもな」

 

「リユロもそう思うか。……まったく、もう少し驚かせないようにして頂きたいものだ。……いや本当に。それでそっちはどうなんだ?」

 

 リユロの表情が曇る。いかにも何か悲しいことがあったと言わんばかりの顔だ。

 

「それがな……。我々の種族は幼少期に食べた金属で後の強さが決まるのだが、それを知ったあのお方が試してみたいと言い出してな……。」

 

 ジルクニフの背中に寒気が走る。

 あの悍ましい死の権化はやはり命を弄ぶことに何の抵抗もないのだろうと。

 

 リユロは暗い顔をしながら先を話す。

 

「俺だって断れるものなら断りたかったさ……。他に何をされるか分かったもんじゃない。でも……」

 

 魔導王陛下には逆らえない。それが被害者二人の共通認識だった。

 

「それは辛かったな……」

 

 ジルクニフはまるで自分の身に降りかかったことかのように案じ、同情する。自分だって魔導王が帝国騎士で作ったアンデッドが一般人から作ったアンデッドより強いか気になるから寄越せと言われたら差し出さざるを得ない。

 

「ああ……。でも子供たちは皆帰ってきたんだ。楽しいことでもあったかのような顔をしていたと聞いている」

 

「それは……」

 ジルクニフは先日の墳墓での滞在を思い出す。自分と同じようなことを彼らも体験したのかもしれないと。

 

「話を聞いたが金属を与えられたこと以外は何もされてないようなんだ。しかもどうやら相当に高品質な金属だったたらしい」

 

「アダマンタイトか?」

 

 ジルクニフにとって思いつく限りで最も希少価値の高い金属と言えばアダマンタイトだ。おそらくほとんどの人間にとってはそうだろう。なにせ最高位の冒険者をアダマンタイト級と呼称するくらいなのだから。

 しかし、リユロの答えは予想外のものであった。

 

「いや違う。どうやらより上の金属が何種類かあるらしい。それらを与えたので他の子供と比べながら経過観察をしてほしいと頼まれたんだ」

 

「そんなものがあるのか……」

 

 アダマンタイトより上の金属があるとは聞いたことがない。独自に調査してみたいという気持ちが湧いたが余計なことをすればジルクニフだって何をされるか分かったものではない。

 特にジルクニフが恐れているのは魔導国の宰相アルベドだ。

 あの絶世の美女と幾度か面と向かって話して思ったが、妖艶な笑みの後ろに何か悍ましいものの存在を感じた。我々のことを虫けらか何かだと思っていたとしてもおかしくはない。

 

 そんなことを考えていると、ふと恐ろしい考えが頭をよぎった。

 口にするのを躊躇うが二人の間に隠し事は無いようにしている。それにリユロの意見も聞きたかったので、恐る恐る口を開く。

 

 

「なぁ、リユロ。前に魔導王陛下は未知を求め、世界を知りたいと思う者は魔導国に来いと言っていたことがあるんだ。もしかしてあらゆる種族を全種族平等の方針を掲げて集めているのは……」

 

「───魔導王陛下の知的探究心を満たすためだと?」

 

 リユロがジルクニフの言わんとすることを察する。彼は力に訴えるだけでなく理知でもって種族を治めた存在だと聞いている。事実、下手な人間より遥かに頭が切れるのだ。

 

「あぁ、何か想像もつかないような壮大な実験を行っているのかもしれない。私の知る限り魔法詠唱者(マジック・キャスター)というのは全てを払ってでも知識を求めようとする者たちばかりだ」

 

 否定したくとも否定できない推測を前に、二人の間に沈黙が流れる。

 本来なら絶望するようなことかもしれない。

 だが魔導王の力を知る二人の抱いた感情は諦めに近いものだった。

 

「まぁ、それが本当だったとしても何もできないがな」

 

「そうだな。私もそう思う。……これから何が待ち受けてるか分からないが、こうしてリユロと過ごせる日が少しでも多くあればと思うよ」

 

「ああ……俺も同意だ」

 

 リユロと同じようにジルクニフも中空を見上げる。

 

 二人の瞳には諦めがあった。何があっても受け入れるしかないのだ、と。

 

 二人は心の中で互いの絆を確かめ合っていた。何があってもこの友情だけは疑うまい、と。

 

 




肝胆相照(かんたんそうしょう)・・・お互いに心の奥底までわかり合って、心から親しくつき合うこと。心の底まで打ち明け深く理解し合っていること。

ジルクニフとリユロのシーンは13巻でもお気に入りです







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