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分析美学基本論文集
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2018年6月18日
「分析美学」を発展させた九本の論文
ワーク・イン・プログレスに参加するための手引き
分析美学基本論文集監修者:西村 清和
出版社:勁草書房
「分析美学」とは、分析哲学に対応する仕方で主として英語圏においてこの半世紀ほど展開してきた新潮流の美学であるが、これまで日本において十分議論の対象とされてきたとはいえない。本書は、分析系の理論を駆使して日本の美学研究を牽引してきた西村清和自身が編纂し、主に若い研究者に声をかけて翻訳したもので、分析美学の発展において時代を画したと目される九本の論文が大きく四つの主題の下に収められている。
第一章は芸術の定義をめぐる論文二本からなる。さまざまなイズムの提唱された二〇世紀は、従来の芸術の定義を逸脱する作品を次々に生み出し、そのために「なぜこれが芸術なのか」という(以前にはありえなかった)問いがしばしば提起された。アーサー・ダントーの論文「アートワールド」は、芸術作品をその他のものから区別するのは知覚的特徴ではなく「芸術のある特定の理論」「芸術の歴史についての知識」であるという画期的な命題を提起するが、これは見た目だけでは商品の単なる段ボールと区別できないウォーホールの作品を機縁とする理論である。続くジョージ・ディッキーの論文は、ダントーの理論に刺戟されつつ、芸術の身分を授与する制度こそ芸術の根幹にあるとする。両者の試みはともに、二〇世紀初頭から社会文化の研究を主導してきた制度論的な発想を美学研究に導入するものであり、大陸系のピエール・ブルデューの仕事はそれを肉付けしたものとして理解しうる。
「美的価値」と題された第二章はポール・ジフ、フランク・シブリー、ジョゼフ・マゴーリスによる三つの論考を含む。それらはそれぞれ、「趣味については論証しえないが論争しうる」というカントの命題、カントによる趣味判断と知覚判断との峻別、同じくカントによる私的な趣味と普遍妥当的な趣味との区別を、それぞれ現代的な文脈から捉え返す試みとして理解しうる。カントによって必ずしも正面から扱われることのなかった社会的・慣習的側面が美的なものにおいて果たす役割を強調する点で、三者は共通する。
第三章「作品の意味と解釈」はモンロー・ビアズリーとジェロルド・レヴィンソンの論文を収める。前者は造形芸術に即して、作品によって再現されるものと実際に作品の内に呈示されているものとの関係を問うものであり、美術研究におけるイコノロジーと形式主義の関係について一石を投じる。また、後者の論文は、作品の意味をなすのは、読者が作品内部の構造ならびに作品制作にかかわる文脈に基づいて仮説的に打ち立てる作者の意図であると主張する。この主張は、作者の意図は作品解釈にとって関与的ではないとするニュー・クリティシズムに代表される立場(さらには作者の意図に縛られない読者の自由な解釈を称揚する脱構築的な立場)と作者の実際の意図を重視する立場とを調停するものである。作品をその作者以上に理解することを目指してきた伝統的な解釈学との対話が改めて必要になるであろう。第四章「フィクションの経験」には、アリストテレス以来の「悲劇の快」のパラドクスを「ごっこ遊び」の理論で説明するケンダル・ウォルトンの論文と、プラトンの「詩人追放論」以来問題となっている倫理的なものと美的なもの関係を新たに問い直し、道徳的な欠陥が美的価値に貢献しうる、という逆説的主張を提起するダニエル・ジェイコブソンの論文が収められている。
美学理論は時にそれ自体がいわば閉じた一つの作品と化す傾向を持つが、分析系の理論はそうした傾向から袂を分かち、さながらワーク・イン・プログレスの様相を呈する。それはともすれば煩瑣に映ることもあるが、大局を見据えた編者による解説は、読者が自らこのワーク・イン・プログレスに参加するための手引きを与えてくれる。
第一章は芸術の定義をめぐる論文二本からなる。さまざまなイズムの提唱された二〇世紀は、従来の芸術の定義を逸脱する作品を次々に生み出し、そのために「なぜこれが芸術なのか」という(以前にはありえなかった)問いがしばしば提起された。アーサー・ダントーの論文「アートワールド」は、芸術作品をその他のものから区別するのは知覚的特徴ではなく「芸術のある特定の理論」「芸術の歴史についての知識」であるという画期的な命題を提起するが、これは見た目だけでは商品の単なる段ボールと区別できないウォーホールの作品を機縁とする理論である。続くジョージ・ディッキーの論文は、ダントーの理論に刺戟されつつ、芸術の身分を授与する制度こそ芸術の根幹にあるとする。両者の試みはともに、二〇世紀初頭から社会文化の研究を主導してきた制度論的な発想を美学研究に導入するものであり、大陸系のピエール・ブルデューの仕事はそれを肉付けしたものとして理解しうる。
「美的価値」と題された第二章はポール・ジフ、フランク・シブリー、ジョゼフ・マゴーリスによる三つの論考を含む。それらはそれぞれ、「趣味については論証しえないが論争しうる」というカントの命題、カントによる趣味判断と知覚判断との峻別、同じくカントによる私的な趣味と普遍妥当的な趣味との区別を、それぞれ現代的な文脈から捉え返す試みとして理解しうる。カントによって必ずしも正面から扱われることのなかった社会的・慣習的側面が美的なものにおいて果たす役割を強調する点で、三者は共通する。
第三章「作品の意味と解釈」はモンロー・ビアズリーとジェロルド・レヴィンソンの論文を収める。前者は造形芸術に即して、作品によって再現されるものと実際に作品の内に呈示されているものとの関係を問うものであり、美術研究におけるイコノロジーと形式主義の関係について一石を投じる。また、後者の論文は、作品の意味をなすのは、読者が作品内部の構造ならびに作品制作にかかわる文脈に基づいて仮説的に打ち立てる作者の意図であると主張する。この主張は、作者の意図は作品解釈にとって関与的ではないとするニュー・クリティシズムに代表される立場(さらには作者の意図に縛られない読者の自由な解釈を称揚する脱構築的な立場)と作者の実際の意図を重視する立場とを調停するものである。作品をその作者以上に理解することを目指してきた伝統的な解釈学との対話が改めて必要になるであろう。第四章「フィクションの経験」には、アリストテレス以来の「悲劇の快」のパラドクスを「ごっこ遊び」の理論で説明するケンダル・ウォルトンの論文と、プラトンの「詩人追放論」以来問題となっている倫理的なものと美的なもの関係を新たに問い直し、道徳的な欠陥が美的価値に貢献しうる、という逆説的主張を提起するダニエル・ジェイコブソンの論文が収められている。
美学理論は時にそれ自体がいわば閉じた一つの作品と化す傾向を持つが、分析系の理論はそうした傾向から袂を分かち、さながらワーク・イン・プログレスの様相を呈する。それはともすれば煩瑣に映ることもあるが、大局を見据えた編者による解説は、読者が自らこのワーク・イン・プログレスに参加するための手引きを与えてくれる。
この記事の中でご紹介した本
2016年1月8日 新聞掲載(第3122号)
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