街を歩き倒す男、今回は函館と横浜と神戸を比較

都市の重心はかく移動する(その2)

2018年6月22日(金)

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 久し振りに再開した “地理人”、日本中の街を歩き倒してきた今和泉隆行さんの連載。廻った街の数と深さは決してNHKのあの番組に負けません(というか数は間違いなく圧勝です)。前回は「街の変化は都市計画以上に、地理的要因に影響される」ことを実例を持って見ていきました。今回はいよいよ、今和泉さんの大きなテーマ、「街の中心の移動」に踏み込みます。都市の動態観察術をご一緒に学びましょう。

(前回から読む

十字街

 この地図は北海道函館市(都市人口27万人、都市圏人口34万人)のものですが、「動く街」を観察するのにとても分かりやすい例です。

 都市圏の規模は、前回触れた佐世保や佐賀と近いですが、どちらとも似ないパターンが特徴です。佐世保が1点にかたまる街、佐賀が全方向に拡散し各施設が点在するパターンだとすると、函館は、時代を追うごとに新たな点ができ、新旧4つの点がそれぞれ性質の異なる街なのです。

 それぞれの街の中心の移動から、時代の移り変わりを観察できる。そういうことでもあります。実線の赤い矢印が、これまで住宅地の拡がってきた方向ですが、ちょうど山裾まで来たところです。函館都市圏の人口のピークは過ぎましたが、近年まで人口が増加し、現在も僅かに拡大が見られるのは、平地がある北西方向(北斗市、七飯町)です。新幹線の新函館北斗駅ができ、郊外型の商業施設が多いのもこのエリアです。

 函館市は明治以降対外貿易港として、そして漁業の拠点として繁栄しました。その舞台となった函館港は、周囲を海に囲まれた函館山の麓にあり、そこから北東方向に陸地が広がっています。開港間もない頃は、函館港周辺に人が住み、街が生まれ、明治期の市街地の北東端に函館駅ができます。

函館の中心は内陸へ動く

 人口が増えると当然の結果として住宅地が拡がりますが、函館の陸地は、函館山の麓の十字街より北東方向にしか広がっていないので、市街化するのは必然的に北東方向です。こうして、函館市街地は北東方向に少しずつ拡がり、それぞれの中心機能も時代によって内陸方向に動いています。それでは函館港付近から北東方向にかけての、4カ所の拠点を、写真で見てみましょう。

十字街

 十字街電停付近の市街地は、現在はレトロな街として、夜景で有名な函館山の麓の観光地として人を集めています。函館市は一帯のエリアを「西部地区」と名付け、観光拠点と位置付けました。もともと函館の二大百貨店「丸井今井」と「棒二森屋」の前身はこのエリアにあったのです。棒二森屋は1930年代に、丸井今井は1970年前後に移転しましたが、その後建物は公共施設や観光施設として利用されます。

 函館は「坂の街」としても知られていますが、坂がある「街」はこの十字街を含む西部地区のみです。以前は市街地、中心地で、その役目を終え、観光拠点となったわけです。それを象徴するのが、「函館市地域交流まちづくりセンター」。ここは観光客の入場もできる歴史的建造物ですが、それ以前は市役所の分庁舎、もともとは百貨店の丸井今井だった建物です。ひとつの建物が、商業→行政→観光、と、それぞれの拠点として移り変わっていく様子を象徴しています。

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「街を歩き倒す男、今回は函館と横浜と神戸を比較」の著者

今和泉 隆行

今和泉 隆行(いまいずみ・たかゆき)

地理人

1985年鹿児島市生まれ。7歳ごろから、実在しない都市の地図(空想地図)を描き始める。大学では地理学、まちづくりを専攻し、教育系NPOにも関与。現在は空想地図の製作を中心に「地理人」として活動中。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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