ネットの友人が『ガタカ』を見たというのでその感想を聞きました。
感想は割愛しますが、友人は『ガタカ』を見てとても感動したそうです。
ただ、ラストシーンで主人公の友人であるジェロームがなぜ自ら命を絶ったのか、それが最初よくわからなかったとのこと。
『ガタカ』は遺伝子の優劣がすべてを決める近未来で、劣性遺伝子を持つ主人公ビンセントが宇宙飛行士を目指すお話です。
ジェロームは事故によって下半身不随となった優性遺伝子の持ち主ですが、ビンセントが宇宙飛行士になるためにあらゆるサポートをします。
『ガタカ』はネットでも非常に評価の高い作品ですが、友人同様、なぜジェロームが命を絶ったのか、理由がわからないという人が多くいるようです。
自分はといえば、なぜジェロームが命を絶ったのか、疑問に思ったことは一度もありません。
今日はそのことについて自分なりの考えを述べたいと思います。
ただ、一つだけ先に断わっておきたいことがあります。
自分は『ガタカ』は大好きな作品で、繰り返し見てはいますが、最後に見たのはずいぶんと前のことで、さらに事情があって今手元に『ガタカ』のDVDがないのですべては記憶を頼りに書くことになります。
なので、記憶違いや思い違いもあるかもしれません。
もしそういったものがある場合はやさ~しく間違いを指摘してください。
よろしくお願いします。
先に結論を書いておくと、ジェロームが命を絶った理由、それはビンセントが死ぬからです。
「え?」と思われる方もいるかもしれません。ビンセントが死ぬシーンは作中ないですらね。
しかし根拠もなくそう言っているわけではありません。
まず、ビンセントが見事任務を全うし、地球に無事帰還したとしましょう。
彼はそこで自分が宇宙飛行士としては不適であるから、今後は清掃員として生きていく、などと打ち明けるでしょうか?
するわけがないですよね。
『ガタカ』の世界においてDNAの詐称は重罪ですから、ビンセントはこの先も宇宙飛行士として生きていくしかないわけです。
ビンセントが宇宙飛行士として生きていくにはジェロームの協力は不可欠で、ジェロームは協力を惜しまないでしょう。
ビンセントが宇宙飛行士になるまで協力したのに、宇宙飛行士になったら協力しない、というのは理屈に合わないです。
逆に言えば、ビンセントが宇宙飛行士であり続ける限り、ジェロームは必ず彼に協力するだろう、そう言ってよいと思います。
しかし実際にはジェロームはビンセントが宇宙に旅立って間もなく、焼身自殺をして命を絶ちます。
おかしいですよね?
ジェロームが死んだら、ビンセントが地球に帰還した時、適性者のふりをすることが出来ないですから。
にもかかわらずなぜジェロームは命を絶ったのか?
答えは一つしかないと思います。
ジェロームはビンセントが生きて地球に帰ることはないと知っていた、だから命を絶ったのです。
多くの人が忘れているかもしれませんが、ビンセントは心臓に障害を持つ一級の障害者です。
タイタンの探査という過酷なミッションをクリアできる身体ではなかったのです。
ちょっと待て、ビンセントは努力によって病気に打ち勝ったのだ、弟のアントンとの遠泳勝負に勝ったではないか、あのシーンを忘れたのか、そういう人もいるかもしれません。
もちろん覚えていますよ。作中屈指の名シーンですよね。
ただ、忘れてならないのは、アントンは決して体力の限界がきたから泳ぐのを止めたのではない、ということです。アントンは自分の意思で泳ぐのを止めました。
ですから、あのシーンをもって、ビンセントが障害を克服したのだ、常人以上の体力を手にしたのだ、というふうには判断出来ないのです。
言うまでもなく、『ガタカ』はSF映画です。
何かしら外科的な手術を受けたわけでもなく、ただ単に努力をしたというだけで心臓の障害を克服したとすれば、それはもうSFではなく、ファンタジーの範疇です。
繰り返しますが、『ガタカ』はSF映画です。
ですからビンセントは障害を克服出来なかった、そう考えるべきです。
彼は30歳で死ぬ運命だったのです。
今回、ネットの『ガタカ』の考察をいくつか拝読させてもらいました。
こう言っては失礼かもしれませんが『ガタカ』という作品の本質を捉え損ねているのではないかと思う人を多く見受けられました。
その人たちは『ガタカ』という作品を、翼を持たぬ者が努力することによって翼を得て、大空を飛び回れるようになった、そんなふうに受け止めているように思えました。
自分の見方は違います。
『ガタカ』は、翼を持たぬ者が、翼を持つ者しか立つことが許されぬ高みから翼を持たぬまま飛び降りる、そんな映画だと自分は思うのです。
翼を持たぬまま高みから飛び降りれば、待ち受けるのは「死」です。
しかし死ぬ前に高みから見た眺めはどれだけ素晴らしかったでしょう。
翼を持たぬ者が足掻いて、足掻いて、なおも足掻いて、「死」が待ち受ける高みに立つのです。
その恐怖たるや想像することも出来ません。
その生き方を愚かだ、という人もいるでしょう。
30年と寿命が決まっているのであれば、1日でも命を長らえるように生きるべきだ、という考えを否定しません。
しかし自分は限られた時間の中で、一つの目標に向かって足掻いて生きる、その生き方が命を粗末にするものだとは考えません。
人の命の価値は、ただ単に長さによって決まるのではなく、どれほど必死になって生きたかによって決まると自分は思うのです。
『ガタカ』は優れたSF映画であると同時に人間賛歌だと自分は思います。
感想は割愛しますが、友人は『ガタカ』を見てとても感動したそうです。
ただ、ラストシーンで主人公の友人であるジェロームがなぜ自ら命を絶ったのか、それが最初よくわからなかったとのこと。
『ガタカ』は遺伝子の優劣がすべてを決める近未来で、劣性遺伝子を持つ主人公ビンセントが宇宙飛行士を目指すお話です。
ジェロームは事故によって下半身不随となった優性遺伝子の持ち主ですが、ビンセントが宇宙飛行士になるためにあらゆるサポートをします。
『ガタカ』はネットでも非常に評価の高い作品ですが、友人同様、なぜジェロームが命を絶ったのか、理由がわからないという人が多くいるようです。
自分はといえば、なぜジェロームが命を絶ったのか、疑問に思ったことは一度もありません。
今日はそのことについて自分なりの考えを述べたいと思います。
ただ、一つだけ先に断わっておきたいことがあります。
自分は『ガタカ』は大好きな作品で、繰り返し見てはいますが、最後に見たのはずいぶんと前のことで、さらに事情があって今手元に『ガタカ』のDVDがないのですべては記憶を頼りに書くことになります。
なので、記憶違いや思い違いもあるかもしれません。
もしそういったものがある場合はやさ~しく間違いを指摘してください。
よろしくお願いします。
先に結論を書いておくと、ジェロームが命を絶った理由、それはビンセントが死ぬからです。
「え?」と思われる方もいるかもしれません。ビンセントが死ぬシーンは作中ないですらね。
しかし根拠もなくそう言っているわけではありません。
まず、ビンセントが見事任務を全うし、地球に無事帰還したとしましょう。
彼はそこで自分が宇宙飛行士としては不適であるから、今後は清掃員として生きていく、などと打ち明けるでしょうか?
するわけがないですよね。
『ガタカ』の世界においてDNAの詐称は重罪ですから、ビンセントはこの先も宇宙飛行士として生きていくしかないわけです。
ビンセントが宇宙飛行士として生きていくにはジェロームの協力は不可欠で、ジェロームは協力を惜しまないでしょう。
ビンセントが宇宙飛行士になるまで協力したのに、宇宙飛行士になったら協力しない、というのは理屈に合わないです。
逆に言えば、ビンセントが宇宙飛行士であり続ける限り、ジェロームは必ず彼に協力するだろう、そう言ってよいと思います。
しかし実際にはジェロームはビンセントが宇宙に旅立って間もなく、焼身自殺をして命を絶ちます。
おかしいですよね?
ジェロームが死んだら、ビンセントが地球に帰還した時、適性者のふりをすることが出来ないですから。
にもかかわらずなぜジェロームは命を絶ったのか?
答えは一つしかないと思います。
ジェロームはビンセントが生きて地球に帰ることはないと知っていた、だから命を絶ったのです。
多くの人が忘れているかもしれませんが、ビンセントは心臓に障害を持つ一級の障害者です。
タイタンの探査という過酷なミッションをクリアできる身体ではなかったのです。
ちょっと待て、ビンセントは努力によって病気に打ち勝ったのだ、弟のアントンとの遠泳勝負に勝ったではないか、あのシーンを忘れたのか、そういう人もいるかもしれません。
もちろん覚えていますよ。作中屈指の名シーンですよね。
ただ、忘れてならないのは、アントンは決して体力の限界がきたから泳ぐのを止めたのではない、ということです。アントンは自分の意思で泳ぐのを止めました。
ですから、あのシーンをもって、ビンセントが障害を克服したのだ、常人以上の体力を手にしたのだ、というふうには判断出来ないのです。
言うまでもなく、『ガタカ』はSF映画です。
何かしら外科的な手術を受けたわけでもなく、ただ単に努力をしたというだけで心臓の障害を克服したとすれば、それはもうSFではなく、ファンタジーの範疇です。
繰り返しますが、『ガタカ』はSF映画です。
ですからビンセントは障害を克服出来なかった、そう考えるべきです。
彼は30歳で死ぬ運命だったのです。
今回、ネットの『ガタカ』の考察をいくつか拝読させてもらいました。
こう言っては失礼かもしれませんが『ガタカ』という作品の本質を捉え損ねているのではないかと思う人を多く見受けられました。
その人たちは『ガタカ』という作品を、翼を持たぬ者が努力することによって翼を得て、大空を飛び回れるようになった、そんなふうに受け止めているように思えました。
自分の見方は違います。
『ガタカ』は、翼を持たぬ者が、翼を持つ者しか立つことが許されぬ高みから翼を持たぬまま飛び降りる、そんな映画だと自分は思うのです。
翼を持たぬまま高みから飛び降りれば、待ち受けるのは「死」です。
しかし死ぬ前に高みから見た眺めはどれだけ素晴らしかったでしょう。
翼を持たぬ者が足掻いて、足掻いて、なおも足掻いて、「死」が待ち受ける高みに立つのです。
その恐怖たるや想像することも出来ません。
その生き方を愚かだ、という人もいるでしょう。
30年と寿命が決まっているのであれば、1日でも命を長らえるように生きるべきだ、という考えを否定しません。
しかし自分は限られた時間の中で、一つの目標に向かって足掻いて生きる、その生き方が命を粗末にするものだとは考えません。
人の命の価値は、ただ単に長さによって決まるのではなく、どれほど必死になって生きたかによって決まると自分は思うのです。
『ガタカ』は優れたSF映画であると同時に人間賛歌だと自分は思います。
一応確認ですが、当ブログにコメントするのは今回が最初ですよね?
以前同じHNの知り合いがいたもので…。
>死ぬと分かっていたならば大量に尿をストックする意味はないでしょう
そこが問題なのです。
作中、ビンセントがタイタンでの任務を終え地球に再び戻ってくるのは一年後だという説明がされます。
一週間後でもなく、一ヶ月後でもない、一年後です。
そうですよね?
ここでさやかさんに質問です。
あなたの友人が一年間冷蔵庫に入れっぱなしだった牛乳をあなたに勧めてきました。あなたはその牛乳を飲みますか?
この質問に「イエス」と答える人はまずいないでしょう。
自分は断固として拒否しますね。
消費期限を一年過ぎた牛乳なんて例え冷蔵庫にずっと入れていたとしても飲めるわけがない、そう思うからです。
ごく常識的な判断だと思います。
ではもう一問。
一年間冷蔵庫に保管していた尿や血液などの生体サンプルは検査に適していると思いますか?
自分の答えは「ノー」です。
一年間冷蔵庫に入れっぱなしだった牛乳が飲用に適さないのであれば、それと同様に一年間冷蔵庫に保管していた生体サンプルは変質し、腐敗し、蒸発して、検査には適さないものになっているはずです。
つまり、ジェロームがどれほどの尿や血液を残していたとしても、ビンセントが地球に戻る一年後にはすべて使い物にならなくなっている、そう考えるのがごく自然ではないでしょうか。
自分はその考えの元に読んでもらった考察文を書きました。何も考えがなく、ビンセントは死んだと主張したのではありません。
ただ、今はその考えが揺らいでいます。
血液や尿は腐るものだということは、ごくごく当たり前のことで、それはビンセントやジェロームにも共通認識なのだとばかり思っていたのですが、何度か見返している内に、どうもそうだとは言い切れないようだ、と思うようになりました。
今自分は正直なところ『ガタカ』がどういう映画なのか、よくわからなくなっています。
以前は『ガタカ』こそがSF映画の最高傑作だと思っていたのですが…。
一生分の尿や血液の保存は現在よりもはるかに科学技術が進んだ世界設定なので
保存技術もはるかに進み長期間劣化はしないと考えていいと思います。
ジェロームがなぜ死を選んだか。
劇中でジェロームは自殺を試み失敗した結果歩けなくなりました。
優秀な遺伝子、しかし永遠の二番手、苦悩の末死のうとしたが自ら死ぬことすら失敗したことで
無気力になっていたのが劇中序盤のジェロームだと思います。
不適正のビンセントが絶対無理だと思われたことを自分になることで次々越えていくことは
彼にとって希望になり、ビンセントが夢を叶えた時彼もまたかつて成し遂げられなかったことを
やり遂げる気力を取り戻したのではないかと。しかも今度は自分の全てを託す相手がいる。
敗者の証の銀メダルと共に逝ったのは自分という存在を受け入れることができたから。
自分が消えることでビンセントは完全にジェロームになる。手紙(遺髪)を宇宙に行ってから読んでくれと指定したのは
自分も宇宙に一緒に行く、君は私、2人で一つとかそういった意味が込められているのではないかと。
ビンセントは夢を叶え、ジェロームは世界から解放された。そう解釈しました。
長々と失礼いたしました。