山口県山口市の複合文化施設「山口情報芸術センター」をご存知でしょうか?
その頭文字を取って「YCAM(ワイカム/Yamaguchi Center for Arts and Media)」と呼ばれるこのアートセンターでは、2003年の開館以来、コンピュータやインターネットなどのメディア・テクノロジーを中心に、アート作品の制作・展示や演劇、舞踏、音楽ライブ、古今東西の話題作を厳選した映画上映、そして地域市民と共に作るワークショップなど、さまざまな文化事業が展開されています。
これまでにYCAMで制作を行ったアーティストは、坂本龍一、カールステン・ニコライ、池田亮司、三上晴子、真鍋大度など。また狂言師の野村萬斎、演劇カンパニー「チェルフィッチュ」の岡田利規、コンテンポラリー・ダンサーの安藤洋子らも同地で独自の公演を行い、音楽分野ではU-zhaan、鎮座DOPENESS、環ROYによる実験的なライブや、人工知能のDJと人間のDJが曲をかけ合う「AIDJ vs HumanDJ」など、野心的なプロジェクトが次々と実現しています。
その一方で、YCAMは山口市が管轄する公共施設でもあります。市の施設として、市民と芸術文化、市民とメディア・テクノロジーを取り結ぶため、内部では普段どのような仕事が行われているのか、YCAMスタッフの渡邉朋也さんに現地でお話を伺いました。
YCAMってなに?
── 今回、初めてYCAMを訪れて驚いたのは、周囲を取り巻く公園の広さです。公園といっても、遊具や建物は端の方に少しあるだけで、大半は何もないスペースで、すごく開放感がありますね。ちょっと見回すと木陰で会社員がお弁当を食べていたり、芝生で親子連れや子供たちがボール遊びをしていたりして、みんなのびのび過ごしているのが印象的です。
渡邉 この公園は僕もすごいと思います。普通だったら、これだけの広さがあれば他にもいろいろと置きたくなりますよね。でもそうはせずに、場所だけを提供している。遊びは自分で作れということでしょう。公園によってはたくさんの禁止事項を羅列しているところもありますが、この公園は禁止事項もとても少ないです。
── こういった環境の中で、YCAMは開館から15年にわたって、世界的にも先駆的な情報技術の発信・研究を続けていますよね。なぜ、こうした活動が東京などの大都市ではなく、山口市で実現したのか、それも公共施設による事業として成立しているのでしょうか?
渡邉 理由はいろいろあると思いますが、発端は1988年に当時の郵政省が発表した「地域情報通信活性化構想」という提言です。これは地方と大都市との間の物理的なバリアを解消するために地方の情報化を推進するというものですが、これを受けて山口市も「やまぐち情報文化都市基本計画」という施策を掲げて、それを実現するための基本設計者として建築家の磯崎新さんを選定しました。
YCAMの周辺を眺めると、すぐ隣にNHK山口があって、その反対側にはケーブルテレビ局、さらに少し行くとNTT西日本やラジオ局、新聞社も軒を連ねています。また、起業を支援するための施設もあります。つまり、山口市としてはこの一帯に情報産業系の会社を集積させて、再開発しようという意志があったのだと思います。
── 一般的に、公共施設といえば市民の誰もが公平に使えることを求められると思いますが、先鋭的なアートを扱うYCAMがそういった声と折り合いをつけるには、いろいろと苦労もあったのではないでしょうか。
渡邉 確かに、開館前後には反対運動もあったようです。莫大な税金を投じた施設が自分に馴染みのないものだったら、それも自然な反応かもしれません。一方で、YCAMが活動の柱に掲げる「芸術表現」「教育」「コミュニティ」という方針を支持してくれる方もいて、特に教育とコミュニティの分野では、市民と共にワークショップやイベントを作り上げてきた実績もあります。
開館から15年がたって、社会にこれだけスマートフォンやコンピュータが浸透し、メディアテクノロジーが身近なものになっていますから、YCAMのような施設は今後さらに必要とされるのではないかと思います。
YCAMインターラボの活動
── YCAMの大きな特徴として、組織内に設置された「インターラボ(YCAM InterLab)」の存在があります。渡邉さんもその一員として、事業の記録やその蓄積に関わる業務を行っていますが、このインターラボの活動について教えていただけますか。
渡邉 YCAMインターラボは、キュレーターやエンジニア、デザイナー、エデュケーター、パブリシストなど、多彩な技能を持つ30名弱のスペシャリストから成るチームです。彼らは制作に訪れたアーティストや、外部から招聘(しょうへい)したエンジニア、リサーチャーなどと共に、美術作品の制作・展示はもちろん、その修復や巡回サポート、あるいはワークショップの運営や最新テクノロジーの可能性を探る研究開発(R&D)など、多岐にわたる事業を主導しています。
── 文化施設に音響や照明の専門家が常駐することは珍しくないと思いますが、研究開発部門を設置するというのはあまり聞きませんね。
渡邉 美術作品の展示だけであれば、専門の業者に外注することもできますし、費用も大きくは変わらないと思います。しかし、YCAMは「新しい表現の探求」を掲げて活動しているので、既存の作品の展示や上演だけではなく、常に新作の制作に取り組んでいます。また、YCAMのこうした活動を支えるテクノロジーの世界は日進月歩ですから、常に最新の動向をチェックしながら、YCAM内部の知見をアップデートしていく必要があります。研究開発という取り組みは、その意味でも不可欠なものだと思います。
ただ、一連の制作プロセスのうち、どこからどこまでが「研究開発」というふうに明確に分かれているわけでもなく、またスタッフの職能やセンスにも共通した部分が多いため、制作チームは流動的な印象があります。各スタッフが自分の強みを生かしながら、複数の分野を掛け持ちしている状態ですね。
例えば、昨年行われた『Boombox TRIP』や、この夏に開催するgoat、悪魔の沼、パードン木村さんのライブを企画したのはエデュケーター(教育普及担当)の石川琢也です。彼は以前に東京でバンドのマネージャーをやったり、DJをやったりしていたのでそういった音楽分野を得意としていますが、同時に地域開発を目的とした「RADLOCAL」というプロジェクトも担当しています。他にも、グラフィックデザイナーや照明デザイナーがプログラムを書いたり、そういったことはYCAMでは日常的な姿です。
- Boombox TRIP in TRAIN|山口情報芸術センター[YCAM]
- NON-OPTIMIZED SOUND|山口情報芸術センター[YCAM]
- RADLOCAL|山口情報芸術センター[YCAM]
── 多才な人たちが集まっているんですね。
渡邉 そう思います。その意味では、ラボとは所属が異なりますが、経理や総務のスタッフも重要な存在です。通常の美術館とは違って、YCAMで展示する作品は新作、それもYCAMでの展示を前提としたものばかりなので、建物を特殊な方法で利用したり、さらには特殊な契約や支払い方法が必要なケースがしばしば生じます。そういったときに専門的な知識や発想を駆使して、問題をクリアしてくれるので、彼らを含むスタッフ全員の力で現在の事業ができているのだと思います。
IT技術の生かし方
── 渡邉さんのことを少しお聞きしたいのですが、渡邉さん自身もコンピュータ・プログラミングを使ったメディア・アーティストとして活動されていますね。
渡邉 大学は多摩美術大学の情報デザイン学科に入学して、在学中から作品を発表していました。もともと小さいときからコンピューターやインターネットに興味はあって、プログラミング自体は高校生の頃からPerlやJavaScriptなど、Web系のものには触れていたのですが、大学に入ってからはフィジカルコンピューティングなど、実空間でインタラクションのあるものを指向するようになり、当時非常勤講師だった建築家の市川創太さんからC++を教わりました。
── 大学でC++とは、ずいぶん本格的ですね。
渡邉 なるべく安上がりに、高速に動作するソフトウェアをつくろうとした結果です。また、作品の制作にマイクロソフトのDirectShowというライブラリを使う必要があり、そのためにはC#かC++で書く必要があって、学習コストを考えたらC++だなと。その後、openFrameworksが出てきてコードを書きやすくなったので、それからはopenFrameworksを使うためにC++を書いていました。
最近僕が作っている作品は、それほど複雑な計算を必要とするものではないので、プログラミング言語のこだわりはないのですが、アイディアを作品化する過程ではプログラミング的な思考が役立っていると思います。
── プログラミングの経験は、現在の仕事にも生かされていますか?
渡邉 とても役立っています。そもそも僕が学んでいたメディアアートという分野は、メディアテクノロジーの可能性を「誤用」や「逸脱的な応用」を含むさまざまなアプローチで引き出すことが重要で、そのためには正しい技術を身につける必要があります。また社会に対する個人の見方をどうかたちにしていくか、いわばDIY的な態度も求められるので、そうした過程で得た技術や経験が生きていると思います。
具体的なところでは、僕は広報系業務のマネジメントも担当しているのですが、臨時職員を含めて3人のパブリシストと情報を共有したり、認識を同期したりするために、いろいろなWebサービスを組み合わせて使っています。
── どのような状況で、どんなサービスを使っているのでしょうか?
渡邉 例えば、広報の大事な仕事にチラシや招待状の発送作業がありますが、そのために必要な顧客リストの管理にkintoneを導入しました。前任者のときはExcelで住所録を作っていて、途中からGoogleスプレッドシートに変わったのですが、それでも少し効率が悪いと思っていました。膨大な情報を扱うことになりますから、いつ誰が分担で作業をしても、同じ精度で簡単に登録できるようにしたいと思っていたんです。kintoneは、JavaScriptを使って入力画面をかなり自由にカスタマイズできるので、YCAMの業務フローに合ったフォームを作成して、入力できるようにしました。また、kintoneはWebhookを出してくれるので、Integromatという連携ツールを経由して、僕らが業務上のコミュニケーションツールとして活用しているSlackに更新情報を飛ばしています。
── 作業の仕組みを変えたんですね。効果はありましたか?
渡邉 住所録にはそれまでの13年間で2千件ほどの情報が登録されていましたが、その方法に変えてから2年で4千数百件になりました。kintoneはフィルタリングやソートの速度が早く、また顧客の属性をマクロな視点で可視化できますので、全体の中で抜け落ちている顧客のクラスタを見つけやすいんですね。例えば、YCAMの招待状の送付先には、この地域が少ないとか、この業種が少ないとか。だから、そういうクラスタの方々に積極的にアプローチしたりと、長い目で戦略を立てやすくなりました。こうしたことが、短期間での件数の増加につながっていると考えています。もちろん、インターフェースを整えたことで、コンスタントに入力作業が行いやすくなったことも大きな要因だと思います。こうして住所録が充実することで、チラシの影響力が広がったと思いますし、YCAMを軸にしたコミュニティの拡大にも寄与しているのではないかと思います。
その他にも、メンバーのタスクやスケジュールの管理にはBacklogを使っています。BacklogもWebhookを出してくれるので、これもSlackに更新通知を流すようにしています。またSNSを使った告知作業も、HootsuiteにCSV形式でデータを入れておくと指定した日時に予約投稿ができるので、そのデータを作るときにちょっとしたプログラムを書いたりしています。このように、業務の自動化を進めるためにさまざまなサービスを導入したり、それをカスタマイズするというのも自分の仕事のひとつです。
── たしかに、YCAMはFacebookページやTwitterを頻繁に更新していますね。公式サイトにもたくさんの情報が掲載されていますが、SNSとWebサイトの違いについてはどう考えていますか?
渡邉 SNSの方はとにかくコンスタントに、かつ長期的に情報を出していくことが大事だと思っています。一時的に頑張っても効果が出ないんですね。ただ、やはり公共施設の限界があって、どれだけ展示が成功しても職員の数は一定ですから、リアルタイムに更新するだけのリソースはありません。そこでHootsuiteのようなWebサービスを活用しながら、空いた時間に即時性の低い情報を予約投稿するように設定し、ムラがでないための工夫をしています。
Webサイトの方は、YCAMに関する情報をできるだけ大量に、かつ秩序正しくストックしてあることが大事だと思っています。そのための更新や改修を継続的に続けていますが、SNSなどからサイトに辿りついた人が、そのイベントについてより深く知ったり、関連する別のイベントにすぐ気付いたりできるように、情報同士のつながりや構造を意識しています。
それから、YCAMでは定期的に冊子を作って事業の成果をまとめているのですが、Webサイトに載せるようなコンテンツは先に本の方で作り込むようにしています。その後、本でまとめた内容をサイトに反映しているので、個人的には本とサイトで1セットという感覚ですね。
オープン化の取り組み
── YCAMの活動でもうひとつ面白いのは、オープン化の取り組みです。制作の過程で生じたソースコードやデータはもとより、招聘エンジニアとの契約書や、ワークショップ開催時に市民と取り交わす同意書のひな形など、文化施設の公開データとしては異色なものが多いですよね。しかも公開先はGitHubで、ライセンスにはクリエティブ・コモンズを用いるなど、ITエンジニアにはなじみ深いOSS活動とも重なります。こうした取り組みはいつ頃から、どのように始まったのでしょうか?
渡邉 きっかけは、YCAMの研究開発のディレクターを務める伊藤隆之が、2009年から2010年にかけて文化庁の研修制度を利用してニューヨークのザカリー・リーバーマンのもとへ研修に行ったことだと思います。彼はそこで「The EyeWriter」というオープンソースの視線検出ツールの開発に携わっていたのですが、そのときにクリエイティブ・コーディングの潮流やOSSの盛り上がりを肌で感じて、YCAMへ持ち帰ってきたという印象を受けました。実際、その時期を機に、プロジェクトの成果物をオープンソース化することが増えました。
ただ、このオープン化には現実的な側面もあって、結局できあがった成果物を僕らが抱え込んでいても、充分に活用できないんですね。せっかく外部から「こういうふうに使いたいんだけど」と問い合わせをもらっても、リソースが足りなくて対応できなかったり、仮に対応したとしても、そうした対応にリソースを割かれて新しいものを作れなくなってしまう可能性がある。それなら初めからオープンにして、自由に使ってもらって、新しい応用方法が見つかればその方が良いですし、ライセンス的にはYCAMの名前も残るので、ある程度は成果として回収することもできます。
先ほどWebサービスのところでも話しましたが、YCAMは営利企業ではないので、人を増やすという概念があまりないんです。常に人数が変わらないという条件の中で、これまでやってきたことをやりつつ、新しいこともしていかないといけない。そうなると外部からコラボレーターとして人を招き入れたり、こちらから成果をオープンにしたりすることで事業を広げていく必要があるんです。たまたまソフトウェアを扱っているのでOSSと結びついていますが、それは人やコンテンツでも同様で、YCAMの活動全般に言えることだと思います。
既存の文化事業を超えて
── では最後に、今後の展望や課題について教えてください。
渡邉 「公共文化施設という枠組みの中で、どこまでのことができるのか」ということですね。文化行政に関する補助金だけに頼っていたら先細っていくのは明白ですから、この活動を継続的に展開させていくのであれば、YCAMの活動の中にアート以外の領域と結びつくための「のりしろ」を積極的に見つけていかなければいけないと考えています。それは教育や産業振興との連携であったり、いろいろな可能性があると思うのですが、従来のYCAMの理念を保ちながらも活動の幅を広げていく必要があると思っています。
例えば最近、YCAMを運営する財団が文部科学省から研究機関認定を受け、これによって大学などと同様に科学研究費の申請ができるようになりました。やはり社会に対して実効的な提案をしようとすると、調査研究を切り口に大学をはじめとするアカデミアの文脈に接続し、その資産を活用するということも視野に入ってくるわけですが、市からイベントなどのためにもらっているお金だけでそこまで賄うのは難しい。そこでこうした科学研究費などもうまく活用して、実践の場で成果を上げていくことができないか模索しています。
それから、YCAMの展示やイベントに参加するお客さんを見ていると、中高生が少ないと感じることがあります。僕自身、彼らの年代のときには公立美術館なんて自分には関係ないと思っていましたから、その気持ちは分かります。ですが、アートというのはわりとインスタントなメディアという側面もあって、意外と一瞬でものの見方、世の中の捉え方が変わることもあるんですね。そうした体験を若いうちにするのは悪いことではないと思いますし、なんとかそういう世代も巻き込んでいけるようにしたいと思っています。
渡邉朋也(わたなべ・ともや)
山口情報芸術センター[YCAM]アーキビスト、Webディレクター。多摩美術大学美術学部情報デザイン学科でメディア・アートの制作について学ぶ。卒業後は伊東豊雄建築設計事務所による同大学図書館のリニューアルに携わり、館内のオープンスペースなどの運営に従事。2010年、YCAMのスタッフに着任し、事業の記録物の制作、公式サイトの運営、広報のプロジェクト管理、委嘱作品の保存・修復などYCAMの事業全般に携わる。個人としては在学中から美術活動を開始し、ベルリンで行われた『transmediale 2014』、仲條正義・服部一成・中村勇吾らと参加した『光るグラフィック展』(2014)、三菱地所アルティアム企画『みえないものとの対話』(2015)、アンスティチュ・フランセ企画『プレディクティブ・アートbot』(2017)など多数の企画展、個展で作品を発表。その他、書籍やWebメディアへの執筆、ITリテラシーの向上に関する講演など、多方面で活躍。タレントとして「オロナインH軟膏」のWeb CMシリーズ『さわる知リ100』(2015-2016)にも出演した。