物語:プレイングマネージャーのジレンマ
ある雨の夜のことである——。
深夜に、渋谷マークシティのサイバーエージェントオフィスで資料作成を終えた私は、同期で私と同じミドルマネージャーの立場にいる同僚とともに、フレッシュネスバーガーに来ていた。現在は道玄坂の中ほどにお店があるが、昔は坂のもっと上のほうにもう一店舗あった。もう10年以上前のことになる。
私たちはそこでポテトをつまみながら、レーベンブロイをあおっていた。
「現場のことを知りもしないで勝手に目標設定しやがって」
「そもそもネット広告っていう商品が胡散臭いんだよな」
「というか、俺のほうが数字出してるんだから偉そうにいうなよ」
私たちは口々に会社や上司の愚痴をいい合っていた。
当時私は、あるチームのリーダーを任されていた。いわゆるプレイングマネージャーである。最終的には20人弱の部下を持ちつつ、自分も営業をやり続けていた。
部下をもつのは初めての経験で、何をどうすればいいのか分からなかった。だが、かつて社内でMVPをもらった経験から、うまくいくという自信はもっていた。
私は、自分が率先して圧倒的な営業成績を出すことで部下を鼓舞しようとした。「俺についてこい」という体育会系のスタイルだった。
私はそのようなリーダー像しか知らなかった。学生時代も、ずっと体育会でスポーツに打ち込んできたからだ。
そして、「自分がお前の立場だったらきつくてもいわれたことはやるぞ」という気持ちで部下に指示を出していた。
でもその戦略は、チームの人数が5、6人を超えたところで儚くも崩れ去った。それから、人が増えれば増えるほどチーム内の一人あたりの成果は下がっていった。
なぜこいつらは仕事ができないんだ? 熱意もなければ悪気も感じられない。皆ヘコんでやる気を失っているし、パフォーマンスも下がっている。
そのうち「辞めたい」という部下もでてきた。そこまでいくと、「部下の能力がないのだ」「努力が足りない」という思考よりも、「なんて自分は無能なリーダーなのだ」という思考のほうが勝ってきた。
ちゃんと部下のケアをしてあげなければならない。けれども私は率先して数字を取ってくるスタイルでいままでやってきた。それをやめて違うマネジメント方法に移行した途端に、このチームは崩壊してしまうのではないか・・・。
私は恐怖感に苛まれた。
そんなある日、親しい部下を連れて、いつものフレッシュネスバーガーに行った。例によってかなり夜の闇も深まった頃のことである。
部下はいつになく切羽詰まった表情でこういった。
「大竹さんが頑張っているのはすごくよく分かるんですよ。・・・分かるんですが、みんな明らかに疲弊していますよね? それは見ていてどう思いますか!? その現状を分かっていますか!?」
私は眉間に皺を寄せ、レーベンブロイをあおった。
「いや・・・、分かってるよ!」
「・・・そうですか」
その時私は強がっていた。そんなことは分かっているよと。わかってるけどできないんだよ・・・、と。
だが、心のなかではかなり大きなインパクトがあった。自分が窮地に追い込まれていることは分かっているが、そこからどうすればいいかは本当に分からなかった。
その時からビジネス書を読んだりし始めた。名著と呼ばれる難しい本ばかり選んだので、なかなか頭に入ってこない。そんな時間のすべてがもどかしかった。
けれども、当時の私が危機感を持つにはそれで十分だった。つまり私は、部下にいわれた通りだったのだ。「ああ、俺は何も分かっていないんだな・・・」。そんな残酷な現実を思い知った。
初めてのマネジメント体験はこのようにして散々な結果に終わってしまった。でも、そうやって手痛い洗礼を受けたことが、私のマネジメントリベンジの始まりの合図になった。
***
しかし私は、完全に成果を出しきる前にサイバーエージェントを退職してしまった。正直に話すと、私はプレイングマネージャーという職責に耐えきれず、その職を投げ出してしまったのだ。
かっこよくいえば、自分のマネジメント能力では部下をダメにしてしまうばかりなので自ら身を引いたということもできるだろうが、本当はそんなことない。当時の私は、いい逃れのしようもなく、あの場から一目散に逃げ出すことしかできない逃亡者だった。
そうする以外の方法を、当時の私は持ち合わせていなかった。
自分の無力さが、辛くて辛くてたまらなかった。
苦しみの中気づいたマネジメントのヒント
恥ずかしながらそうやって仕事を投げ出すことしかできなかった私だが、サイバーエージェントでのミドルマネージャーの仕事の後期には、少しのコツをつかんだ感触は感じられていた。
***
いささか話が個人的な話に振れすぎたきらいがあるが・・・、『起業3年目までの教科書』の中で私は、「強い組織というものは、社員が一丸となって会社のビジョン達成を目指すもの」と定義した。
まずはビジョンを設定し、ビジョンを体現してくれる人をバスに乗せ、日々ビジョンの浸透を図っていくことこそがマネジメントの要諦である。
では、通常の業務のマネジメントはどうやって行っていけばいいだろうか? ここからはそんな、「部下を育てるマネジメントの要諦」について考えていきたいと思う。
この話はいわば、サイバーエージェントでのそんな失敗経験の後に、その後のSBIグループでの新規事業担当、Speeeの役員、そしてトライフォートでのマネジメント経験を経て、私が学んだことである。
サイバーエージェントのミドルマネージャーだった時代の後期、私が苦しみの中最初に気づいたのは、次の2つのポイントだった。
マネジメントのヒント1
部下に考えさせ、部下に答えまで出させるために、業務上ではできる限り質問ベースで会話する。あれやれこれやれと細かく指示をしない
やり方を変える第一歩として、私は部下に質問することにした。部下のことを理解し、信頼するには、とにかく何を考えているのかを知る必要があった。それと同時に、部下に自分の頭で考えて動いてもらうには、上司がすぐにやり方や答えを教えるスタイルではだめなのだと気がついた。
たとえば、後輩に商談に同席してもらった後には「どうだった?」「何がどうなれば受注できそう?」と質問する。そうやって質問することで、いろいろなことを部下自身の頭で考えてもらうことができることに気付いた。
もし部下が、なかなか考えがまとまらなさそうだったら、「じゃあこういうやり方はどう?」と提案する形で、思考の道しるべをつくってあげる。
その上で部下の考えを聞き、「じゃあ次はそういうやり方でやってみなよ」というふうに背中を押してあげる。
これを繰り返すことが、部下が自分の頭で考える訓練になる。
それまでの私は、自分でやってみせた上で、詳しいやり方を部下に口頭で説明した“だけ”で、教育は完了と思っていた。「だまって俺のいうことを聞けスタイル」だ。
このスタイル、多くの上司の方がやっているだろうが、「上司の命令」→「部下が動く」の形は、完全に人間と単純な動きしかできないロボットとの関係と同じであることを知っておいたほうがいい。ロボットは、人間が指示を出すまで決して自ら動くということはしてくれない。
上司が部下に答え・やり方を一方的に教えることと同義の「命令」によって、条件反射的に部下を動かすやり方は、確かにその時は手っ取り早く見える。
でもそのやり方は、早晩部下が指示待ち人間化するという手痛いしっぺ返しを食らうことになるので、努めて慎むべきことだと気づいた。
マネジメントのヒント2
仕事の期限・目標は部下自身に切らせ、自分自身で宣言までさせる
もう一つのポイントは、自分の頭で考え、自らその目標にコミットしてもらうために、目標や仕事の納期などの約束事は、何事も部下自身に決めてもらい、宣言までしてもらうことだ。
なぜそんな必要があるか? それは、そのこと自体によって部下に能動感を持ってもらうことができ、結果的に部下に大きく成長してもらえるからだ。
上司から一方的に突き付けられた期限や目標・ノルマは、部下からすると不満でしかない。以前、渋谷のフレッシュネスバーガーで私が「現場のことを知りもしないで勝手に目標設定しやがって」とくだを巻いていたように。
それで部下が失敗したとしても、部下は「そもそも無理のあることだったし」と思うだけで、何の改善にもつながらない。
しかし自分で決めた期限や目標を達成できなかった場合はどうだろうか? それは部下自身が誠実に向き合うべき「課題」となる。しかも与えられた目標ではなく、自分で決めたことなのだから、部下は能動感を持ち、いきいきと仕事に取り組んでくれるようになる。そのことに気がついた。
さて、この2つのマネジメントのヒントを得ながらもサイバーエージェントを退職し、私がSBIグループとSpeee、そしてトライフォートでのマネジメント経験を経て得た気づきは、次の2つのことだ。
マネジメントのコツ1
会社あるいは上司の大切な仕事の一つは、各社員の弱みや強み、性格などをちゃんと把握し、あの手この手で部下が活躍できる場を探り、用意し続けること
経営学者のピーター・ドラッカーは、「凡人から強みを引き出し、人の弱みを無意味にすることが組織の役割」と述べたが、この考え方に私も大いに賛同するものである。
すなわち、会社、あるいは上司の仕事として真っ先に大切なことは、各社員の弱みや強み、性格などをちゃんと上司が把握して、あの手この手を使って、部下が自分の”長所を”最大限活かし、さらにはその長所を伸ばし続けることのできる場を用意し続けることである。
ではなぜ、部下の短所をなくすのではなく、長所を生かす選択をしたほうがいいのか? 学校で内申書の評価を上げるための定期テスト対策の勉強だったら、満遍なく広い科目でいい点数を取らなければならない。だから苦手な科目を伸ばすといった努力も合理的な行動になる。
だが仕事の世界は、その事業領域の中で及第点を取れる程度の凡庸な製品やサービスを生み出していれば許されるような、そんな甘い世界ではない。
だから学生時代に最低限落第を逃れるために慣れ親しんだ「苦手な科目の点数を必死で上げることで、全体として手堅く及第点を狙いにいく」ような戦略をとっていれば、後に手痛いしっぺ返しを食らうことになるのだ。
なぜか? ビジネスの世界は競争の激しい場所である。そんな中で、及第点を狙うような凡庸な仕事をしていては、そのマーケットで生き残るなど願うべくもないことだからである。
すなわち、人数も少なく、まだその市場において弱者にすぎないスタートアップ企業であればあるほど、社員の得意・長所を持ち寄ることで、最高の製品やサービスを生み出し続けていかなければならないのだ。
また人は、得意なことをやっているときにこそ、最もモチベーション高く行動できる生き物である。得意な仕事を任された時、あなたの部下は最大のパフォーマンスを発揮するようになってくれるだろう。
だから、会社の社長であるあなたの大切な仕事のひとつは、「今いる人員の長所をどう組み合わせることが最大のパフォーマンスを生み出すか」に常に心を配り続けることである。
マネジメントのコツ2
部下を育てていく局面での適切なマネジメントとは、部下が倒れない程度の適度に負荷のある課題を出し、小さな成功体験を積み上げさせていくことで、部下に段階的に成功体験を積ませ続けること
私がこれまでのマネジメント経験によって得た大事な気づきの2つ目は、「部下を育てていく局面での適切なマネジメントとは、部下が倒れない程度の適度に負荷のある課題を出し、小さな成功体験を積み上げさせていくことで、部下に段階的に成功体験を積ませること」である。
人は、小さな成功体験を積み重ねることで成長するものである。小さな成功体験の中で得た小さな気づきの積み重ねが、後に大きな仕事を成し遂げる際に必要になる”大局観”の獲得へとつながるひとつの道である。
大局観を得るとは、「どうやれば効率的に仕事を回せるか」とか、「どうやればその製品をヒットさせることができるか」や「どうやったらそのピンチを切り抜けていけるか」といった、担当してきた仕事に対しては、一種の”悟り”のようなものを得る状態のことである。
そういった大局観を得た時、その人にはそのすべての仕事を安心して任せられるようになる。上司であるあなたが大きく関与せずとも、自主的に素晴らしい製品やサービスを生み出してくれるようになる。
つまり部下がその大局観を得るまでの間は、上司であるあなたの適切なサポートが必要になる、というわけである。
これは、その大局観に部下が辿り着く前に、無理な課題を与えてしまったがばっかりに、途中で意欲を失われてしまったり、倒れられてしまったのでは元も子もない、ということでもある。
多くの人を動かす立場になる経営者は、人には、能力にも意欲にも、考え方にも体力にも、様々な凸凹が存在しているのだということをまず理解しなければいけない。
そういう理解に立った上で、そんな凸凹のある人でも、ちゃんと小さな成功体験を積み重ねることができるよう、適材適所で配置を行い → その上で、各社員が大局観にたどり着けるところまで、段階を追って小さな成功体験を積み続けることができるよう、心を割き続けることが、上司であるあなたの大切な仕事である。
サイバーエージェントで大きな失敗をして以降、そこからトライフォートをいままで経営してきた体験の中で私は、そういったマネージャーの基礎ともいえる気づきを得た。
(以上、『起業3年目までの教科書』より引用)