父を送る 父との思い出
今週のお題「おとうさん」
父は中学を出たら生まれた土地を離れ、夜学に通いながら働いて、やがて結婚をして我々を生んでくれた。うちがあまり裕福ではなかったため、俺は進学せずに高卒で東京に出て働き始めた。そこで起こったエピソードは「深夜レストラン」というフィクションとしてまとめています。
新幹線の見送りで目を真っ赤にしていた父との思い出
高卒で働くことを決めた俺は、東京で働き始めた。
大阪から東京に出るときに新大阪まで親父がついて来てくれた。普段はそんなことする親じゃないんだけど、この日は見送りに来てくれたのを覚えている。先日、新大阪に行くことがありそれをふと思い出した。
そういえば、高校に通っている時も学校の近くまで、いつも親父が車で送ってくれていた。俺が登校時間ギリギリになるまで、いつも家から出ないからだ。できるだけ学校には遅く行きたかった。いつもチャイムが鳴るか鳴らないかぐらいで教室に入るのが俺だった。
俺は学校では友達が少なかった。俺は腹が弱かったので、いつでもトイレに行けるように授業中も友達と遊ばないようにしていた。友達と遊ぶと休み時間にトイレに行くタイミングを見失うので、授業中に授業を抜けてトイレに行かなければ行けなかった。だから友達と遊ばないようにしていた。その方が気が楽だった。
高校時代はバンド活動に明け暮れた。学校に軽音部がなかったので、自分たちでスタジを借りて、ライブも企画して楽しんでた。将来プロのミュージシャンになろうなんて思わなかったけど、幼少の時から音楽が好きだったので、音楽を一生の友にしようと思っていたと思う。
「文化祭ではかっこいいのに(普段は残念ね)」
そんなことを直接女子に言われたことがある。
それはさておき、上京の時、親父が新大阪まで見送ってくれた。
普段、ひょうきんにしている親父だったが、新幹線が出発するときには流石に親父は目を真っ赤にしていたのをよく覚えている。
親父は中学を出てすぐに親元を離れて頑張ってきたんだろ。俺も少しは見習うよ。これからは自分で稼いで生きて行く。
そう思った。
東京での暮らしは2年ほどでリタイヤして大阪に戻って来たけど、俺はまたすぐに家を出た。いろいろあるんだうちの事情も。
そんな俺も今では親父と一緒に住んでる。ほとんど顔を合わせないようにはしているけど。仲が悪いんじゃない。俺は一人でいたいんだ。
そんな親父もいろいろ体調がやばそうだ。明日も早朝から病院に父を送る。
人世あと残りどれくらいあるんだろう?そんなことを考えさせられる毎日。