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日本経済研究センター Japan Center for Economic Research
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最終更新日:2018年6月20日

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齋藤潤の経済バーズアイ

2014年9月16日 長期停滞論は日本に当てはまるか

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日本経済研究センター研究顧問 齋藤潤
【長期停滞とは】

 長期停滞論(secular stagnation)という言葉は、1930年代に米国の経済学者アルヴィン・ハンセンが使ったものです。彼は米国の成長力が落ちることを予想してこの言葉を使いましたが、多くの批判を受け、また第2次世界大戦後には好景気が実現したことによって、その後長いこと忘れられることになりました。

 ところが、この言葉は、ハーバード大学のローレンス・サマーズ教授が2013年11月の国際通貨基金(IMF)での会議の席上使ったことで注目をされ、今や、先進工業国が直面する困難を理解する上でのキーワードとなっているのです。

 初めて聞くと、「長期停滞」と言う言葉が使われることについては違和感を覚えるかもしれません。米国経済が2000年代末の世界金融・経済危機からようやく立ち直って、景気回復も順調に進みつつあり、QE3の巻き戻し(テーパリング)が着々と進展するとともに、利上げも日程に上っているような状況にあるからです。

 Summers(2014) によると、長期停滞というのは、次のような特徴を有する経済状態のことです。

 第1に、深刻な経済危機や金融危機の影響を受けて、潜在GDP(国内総生産)のパスが大きく下方屈折していることです。その結果、危機後に現実のGDPが順調に回復し、潜在GDPとのギャップを縮小させているように見えても、危機がなかった場合の潜在GDPに比べると、実は水準も成長率も低いままに止まっていることになります。

 第2に、金融政策の有効性が失われていることです。危機の結果、貯蓄行動や投資行動が大きく変化し、両者の間の均衡は、マイナスの実質金利でしか実現できないような状態になっていることです(マイナスの自然利子率)。これは、プリンストン大学のポール・クルーグマン教授も強調していた、ケインズの「流動性の罠」の状態にあると言い換えることもできます。このような状態では、政策金利をゼロにしても均衡が回復されず、金融政策はその限界に直面することになります。

 第3に、こうした結果、市場メカニズムに委ねていたのでは、危機前の潜在GDPの水準には戻ることはないことです。何らかの方法で、潜在GDPを引き上げない限り、相当額のGDPが永遠に失われることになってしまいます。

 長期停滞の以上のような特徴は、基本的には最近における米国経済のパフォーマンスから抽出されています。しかし、日本の事例も、米国に先駆けること約20年前に同じような経験をしているとして引用されています。本稿では、以上のような長期停滞の議論が、どの程度日本に当てはまるのかを考えてみたいと思います。

【潜在GDPのパスは下方屈折したか】

 まず第1に、潜在GDPのパスが下方屈折したかどうかです。第1図では、日本の潜在GDPと現実のGDPのパスを示しています。これを見ると、一般的には、現実GDPが潜在GDPに収斂する傾向があることが分かります。同時に、1990年代半ば以降になると、現実GDPが潜在GDPに収斂するのに時間がかかっており、一言で言えば「供給超過」の状況が長期にわたっていることが分かります。デフレの背景にあるのもこうした事情であると考えられます。
※図表をクリックしていただくと、拡大してご覧いただけます。


 加えて、本稿のコンテクストで重要なのは、潜在GDPのパスが、バブル崩壊後にあたる1990年代初頭に、そして程度はより小さいにしても、世界金融・経済危機後の2000年代末に下方屈折を示していることです。潜在成長率は、1990年代初頭の4%程度から2000年代半ばにかけて1%程度に、それがさらに2020年代にかけて0.5%程度にまで低下していると試算されます。

 これを見ると、危機があるたびに潜在GDPのパスが下方屈折しているように見えます。あたかも長期停滞論が当てはまるかのようです。しかし、この背後にあるメカニズムは、長期停滞論が想定しているものとは違うように考えられます。

 長期停滞論が想定しているのは、「ヒステリシス」(履歴効果)です。ヒステリシス説は、かつて欧州の高失業状態を説明するのに盛んに用いられたもので、危機などによってもたらされた総需要の大幅な落ち込みが潜在GDPの低下を引き起こし、危機による落ち込みが継続的な影響を残してしまうような状態のことを言います。その経路として、Ball, DeLong, and Summers (2014) では、①失業の長期化、②設備投資の削減、③新規開業、研究開発、新ビジネスモデルの落ち込み、などを挙げています。

 しかし、日本の場合には、この時期に人口動態の大きな変化があったことが大きかったように思います。特に生産年齢人口が1997年にピークを迎え、それ以降減少に転じていることは潜在GDPの低下要因になっているはずです。また、こうした変化もあって、これまで日本経済の成長に貢献してきた経済システムがうまく機能しなくなったという事情もあると思います(この点はさらに後述します)。例えば、この時期、確かに②や③に相当する現象が起きてはいますが、それは雇用システム、金融システムの問題と捉えることができるように思います。

 また、①のような長期失業の問題も、これまでは大きな問題にはなってきていません。ただし、失業の長期化は起きていなくても、雇用の非正規化が進展しており、いったん非正規化してしまうと、意思に反してそれに止まらざるを得ないような状況にあるという事実もあります。これが潜在GDPを引き下げている可能性があることには注意を要すると思います。

【自然利子率はマイナスか】

 第2に、自然利子率がマイナスになっているかどうかです。確かに、日本では、米国よりも早い時期に短期金利はゼロになっています。第2図でもわかるように、コールレートは、1990年代末以降のほとんどの期間においてゼロとなっていますが、これは、日銀が、1999年~2000年はゼロ金利政策を、また2001年~2006年は量的緩和政策を採用したことの結果です。こうしたことを背景に、長期金利も低下し、1990年代末以降、2%を下回る状態が続いています。


 このような低金利状態であったにもかかわらず、この時期にはデフレも進行していたため、実質金利がマイナスになることは基本的にはなかったと考えられます。民間設備投資も必ずしも活発ではなかったことと考え併せると、自然利子率がマイナスになっていた可能性は否定できないように思います。

 自然利子率がマイナスになっている可能性は、先ほども触れた人口動態からもうかがわれます。第3図でも分かるように、人口増加率は、1950年代に入って2%を切った後、1970年代後半に1%も切りましたが、さらに1980年代後半には0.5%に、1990年代後半には0.2%にまで低下し、ついに2011年以降はマイナスに転じています。重複世代モデルに基づく経済成長論によれば、自然利子率は人口増加率の増加関数であることが導かれます。これによれば、日本の自然利子率はこの間に低下を示し、場合によってはマイナスになっている可能性も十分にあることになります。



【金融政策の有効性は失われたか】

 第3に、金融政策の有効性は失われているかどうかです。確かに金融政策は大きな困難に直面していることは否定できません。しかし、だからといってマクロ経済に影響を及ぼすことが全くできないと言うわけではありません。確かに政策金利がゼロになってしまっているので、金利政策だけでマクロ経済を刺激することは困難です。しかし、現在、多くの中央銀行が実施しているように、フォワードガイダンスと組み合わせて、インフレ期待を引き上げることができれば、マイナスの実質金利を実現することは可能かもしれません。

 さらに、これ以外にも、金融政策がマクロ経済に影響を及ぼし得るチャネルがあります。一つは、ポートフォリオ・リバランシング・チャネルであり、もう一つは為替レート・チャネルです。いずれも、現在実施されている非伝統的な金融政策の重要なトランスミッション・メカニズム(伝播経路)です。なお、Ball, DeLong, and Summers(2014)は、量的緩和の効果のような「複雑で、議論が収束していない問題についてはポジションを取らない」としています。

 このうち、ポートフォリオ・リバランシング・チャネルは、中央銀行がバランスシートを拡大することによって、市中におけるポートフォリオ・リバランシング(資産保有の見直し)を促すことを目的にしています。これによって資産価格を引き上げ、総需要を刺激することを期待しているわけですが、これは反面、資産バブルを発生させるリスクがあります。これによって総需要を刺激することはできるかもしれませんが、バブルの後片づけのために大きなコストを負担しなければならなくなることを考えると、この効果だけに頼ることには注意を要するように思います(実際、現在の米国や一部の欧州諸国における不動産価格の上昇にはバブルの可能性があるように思います)。

 また、為替レート・チャネルは、デフレに歯止めをかけつつある日本経済の最近の状況において、大きな力となったことは疑いがありません。為替レート・チャネルは、ゼロ金利下における金融政策のトランスミッション・メカニズムとして無視できないものと思われます。

 もっとも、ここで注意しなければならないのは、日本において為替レート・チャネルがもたらした円安効果が、輸出数量の増加を伴うことなくもたらされていることです。これは、為替変動の影響が輸出相手国通貨建ての価格に反映される割合、いわゆる為替転嫁率がゼロに近いところまで低下しているために、円安の効果が輸出相手国通貨建て価格の引き下げを通してではなく、基本的には円建て価格の上昇によってもたらされているからです。このため、円安が、輸出数量の増加という直接的な形で総需要を増加させる効果はもたらしてはいません。

 では円建て価格の上昇によってもたらされた企業収益が設備投資を刺激しているかというと、この効果もあまり強いもののようには見えません。企業は、設備投資をするよりは、内部留保の増加を選択する傾向の方が強いように思われます。

 そうなると、残るのは、企業収益の改善が賃金や雇用の増加をもたらす効果です。2012年末以降の民間消費の堅調さの背景には、確かにこうした賃金や雇用の増加が起きるとの期待があったと考えられます。今後注目されるのは、こうした期待が裏切られることなく実現されるかどうかですが、それについてはまだ予断を許さないように思います。

 いずれにしても、日本においては、他のチャネルよりは、為替レート・チャネルを中心に、金融政策が効果を有している可能性が高いように思われます。

【財政拡張政策は有効か】

 以上のような状態によって定義される長期停滞においては、どのような政策が求められるのでしょうか。Summers (2014) やBall, DeLong, and Summers (2014)では、有効性を失った金融政策に代わって、財政政策が有効であると主張されています。

 欧米諸国では、長いこと、財政政策は中期的な枠組みで運営されるべきで、裁量的に運営されるべきではないという考え方が支配的でした。しかし、そうした考え方を一挙に転換させたのが、2000年代末に起こった世界的な金融・経済危機です。これを契機に、「ケインズの復権」が見られ、欧米諸国も裁量的な財政政策を採用することになりました。

 財政拡張政策によって経済を刺激したとしても、ゼロ金利下では、金利上昇がもたらされることによって、民間投資のクラウディングアウトが起こる心配はありません。また、ゼロ金利政策の下で期待インフレ率の上昇を引き起こすことができれば、それはそのまま実質金利の低下につながることにもなります。こうしたことが財政拡張政策の根拠として挙げられています。

 財政拡張政策の有効性は、欧米諸国の経験でも、また日本における経験でも、否定することはできないと思います。ただし、Summers (2014) やBall, DeLong, and Summers (2014)では、経済を刺激し、実質GDPを引き上げることができれば、ヒステリシスを相殺し、潜在GDPを引き上げることができる。そうなれば、財政支出の増加分以上の財政収入を得ることもできる(財政拡張政策は自己ファイナンスする)と主張されています。しかし、そのようなwin-win gameになるのかどうかは、実証分析を深めることで確認するほかはありません。

 さらにSummers (2014) やBall, DeLong, and Summers (2014)では、財政拡張政策のこうした効果を根拠に、こうした時期に財政再建を追求することについては、むしろ逆効果をもたらす政策だとして、否定的です。しかし、米国についてならまだしも、日本にまでこの見方が当てはまるとすることは、現在の財状事情が抱えるリスクを過小評価しているように思います。

【潜在成長率低下の基本的要因】

 特にここで指摘しておかなければならないのは、長期停滞論には「構造的」な視点が見られないことです。財政拡張が仮に実現したとしても、これによって現実GDPが増加し、潜在GDPが増加するほど、日本の事情は簡単ではないのではないでしょうか。それは、最初の方でも触れたように、現在の潜在成長率の低下の背景には、日本の経済システムが、前提条件と整合的ではなくなり、経済成長に向けたインセンティブを経済主体に提供できなくなっていることが根本的な問題となっている可能性が高いと考えられるからです。

 高度成長期に比べると、日本経済を取り巻く経済環境は大きく変わりました。人口動態の変化(若年人口中心の人口増加から高齢化を伴った人口減少へ)、競争の激化(先進国との競争から新興国・途上国との競争へ)、イノベーションの急速化(海外技術の輸入、プロセス・イノベーションから、最先端技術の開発、プロダクト・イノベーションへ)といった変化は、高度成長期までうまく機能していた経済システムに制度疲労をもたらしています。終身雇用や年功型賃金を基本とする雇用システムは、正規雇用と併存する形での非正規雇用の拡大といった形で大きく歪んできています。メインバンクを中心とした金融システムも、家計の預金重視が引き続き強い中で、大企業が銀行離れを起こしているために、リスクマネーの欠如やコーポレート・ガバナンスの空白といった問題が生じてきています。

 このように考えると、経済システムを新しい前提条件に適合するように見直すことがない限り、財政政策だけで潜在GDPが引き上げられることはないように思います。ここでもやはり、経済システムの見直しということが成長戦略の基本に据えられることの重要性が再確認できるように思います。

(参考文献)
Lawrence H. Summers (2014), "U.S. Economic Prospects: Secular Stagnation, Hysteresis and the Zero Lower Bound," Business Economics, National Association for Business Economics, Vol. 49, No. 2.
Laurence Ball, Brad DeLong, and Larry Summers (2014), "Fiscal Policy and Full Employment," Full Employment, Center on Budget and Policy Priorities, April 2.

(2014年9月16日)


(日本経済研究センター研究顧問)

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